婚約破棄裁判(後編)
次に私達の前に立ったのは、セーラ・アングラードだった。
おまけに、アングラード侯爵までセーラの隣に立っている。
「お名前をお願いします」
「セーラ・アングラードですわ」
「それでは、セーラ・アングラード侯爵令嬢の尋問を始めます。例によって、セーラ嬢と呼ばせて頂きますね。それではセーラ嬢、昨日の学園祭初日に、談話室でドミニク氏と抱き合っていたのは事実ですか?」
「はい、事実です」
「セーラ! 嘘を言うな!」
ドミニクが、セーラに向かって声を荒げた。
「静粛に!」
セーラが、少しムキになったように口を尖らせる。
「嘘ではありません! 私はドミニク様の幼馴染で、婚約者筆頭候補でした。私とドミニク様は、将来を約束する仲だったのです」
アングラード侯爵が口を挟む。
「そうです。娘とドミニク君は婚約する予定でした。それをクロフォード伯爵家が何か汚い手を使って妨害し、そこにいるセーラの足元にも及ばないアイリス・クロフォードと婚約させたのです」
「それではドミニク氏、これについて……」
セリーヌがドミニクに尋問しようとするのを、アングラード侯爵が遮る。
「もういいではないか。アイリス・クロフォードは婚約破棄したい。セーラとドミニク君は思い合っている。どうするべきか明白ではないか。これ以上議論することに何の意味があるのだ。のうセーラ」
「はい、お父様。私とドミニク様は愛し合っています。それは学園中のみんなが知っています。学園中の生徒が証人なのです」
ドミニクは、疲れ果てたように首をうなだれている。あまりに無邪気なセーラの様子に、抵抗する気力も尽きたようだ。
「それでは、最後に当事者二人の言い分を聞きましょう。まずドミニク氏」
「……確かに、僕はアイリスに対して不誠実でした。しかし、このような騒ぎまで起こし、関係のない者まで巻き込んで婚約破棄する程のことをしたとは思っていません」
「アイリス嬢は、最後に何かありますか?」
「私は……、出会った時からある時まで、彼のことが本当に好きでした。私は、彼ともっと語り合いたかった。お茶を飲みながら笑い合ったり、他愛もない話をしたかった。贈り物なんてなくてもよかった。ただ、名前を呼んで笑ってほしかった。だけどそれは叶わなかった。これからも叶うことはないでしょう。だから私は、婚約破棄を希望します」
ドミニクが、今日初めて私の方を見た。
だけど、私はドミニクを見なかった。
真っ直ぐに前だけを見ていた。
だから、ドミニクがどんな顔をしていたのか、私は知らない。
「僕は……」
ドミニクが、絞り出すような声を出した。
「ドミニク!」
ドミニクの様子を見て、来賓席のカスティル公爵が叫んだ。
「僕は……!」
「ドミニク! やめるんだ!」
それは、断末魔のような叫び声だった。
「僕は、婚約破棄を受け入れます」
セリーヌが、アレクサンドル王子の方に向き直る。
「これで、セリーヌ・クロフォードの尋問を終了します。後は王子殿下の采配にお任せいたします」
「うん。もちろん正式な手続きは踏まねばならないが、ドミニク・カスティルとアイリス・クロフォードの婚約破棄を、第二王子アレクサンドルの名の下、ここに認めよう。このダンスホールにいる皆が証人だ」
王子殿下がそう宣言すると、溢れんばかりの拍手が起きた。
「それでしたら……!」
アングラード侯爵が、ここぞとばかりに身を乗り出す。
「いい機会なので、我が娘セーラとドミニク・カスティル公爵令息の婚約も認めて頂きたい」
「いいだろう。後で正式な書類は提出してもらうが、ドミニク・カスティルとセーラ・アングラードの、新たな婚約を認める」
アングラード侯爵は、喜びで頬を上気させている。
その隣で、自分がこの世で一番幸せだといわんばかりの、恍惚の表情をしているセーラ。
その時、
「宜しいでしょうか?」
来賓席の父が、軽く右手を上げた。王子殿下がそれに答える。
「何だ、クロフォード伯爵。私の采配に文句でもあるのか?」
「いいえ、滅相もありません。ただ、娘の婚約破棄に当たり、解決しなければならない重要な問題があります」
父の隣のカスティル公爵と夫人が、青ざめた顔で父を見ていた。
「アイリスとドミニク君の婚約が正式に破棄された場合、クロフォード家が肩代わりしたカスティル公爵家の借金はどうなるのでしょうね? カスティル公爵」
「しゃっ、借金!?」
アングラード侯爵が、声を裏返しながら叫ぶ。
「クロフォード家がカスティル家の借金を肩代わりしたのは、アイリスとドミニク君が婚約し、将来結婚するという前提があったからです。二人の婚約が破棄されるならば、クロフォード家が借金を肩代わりする謂れはない。しめて500億ゴールド、きっちり返して頂こう。それとも、新たな婚約相手であるアングラード侯爵家が肩代わりするということで宜しいかな?」
「ごっ、ごっ、500億ゴールド!?」
目をひん剥きながら叫ぶアングラード侯爵の顔は、真っ赤を通り越して赤黒くなっていた。
「無効だ! この婚約は無効だ!」
「お父様!!」
アングラード侯爵が喚き散らし、セーラが金切り声を上げた。
カスティル公爵は床に這いつくばり、夫人は泣き崩れている。
ドミニクは、静かに、ただ自分の足元をじっと見つめていた。
私は、その光景を呆然と眺めていた。
そして、こう思う。
(やっぱり、最後は地獄絵図なのね)
「金の問題は……、まぁ、当人同士で勝手に話し合うがいい。これにて婚約破棄裁判を閉廷する!」
恐らく面倒になったアレクサンドル王子が適当に締めて、婚約破棄裁判は終わった。
「アイリス!」
セリーヌが駆け寄ってくる。
「セリーヌ姉様! 驚いたわ!」
「昨日の夜、急遽ルクスに頼まれたのよ! 時間が足りなくて焦ったけれど、無事に終わって良かったわ」
「セリーヌ姉様のおかげよ! ありがとう」
セリーヌに抱きつくと、その後ろでルクスがにやりと笑っていた。
その時、背中を丸めたドミニクが、うなだれながらダンスホールを出ていくのが見えた。
(同情しちゃダメよ。アイリス)
それから、来賓席から降りてきた父が、私の肩をポンと叩く。
「すまんな、アイリス。まさか、おまえの婚約者まであんな男だったとは。まぁ、借金のことも含めて、カスティル公爵家をそう悪いようにはせんから心配するな。それにしても……」
父は、私とセリーヌの顔を交互に眺めるとこう言った。
「お前たちは、揃いも揃って男運がないな」
(いやいや、どっちもあなたが充てがったんでしょ!)
言ってやりたかったけど、こんな大騒動を起こしてしまったことが申し訳なくて、その言葉はぐっと堪えた。
「あの……、アイリス」
エミリーが、イザベルとレイチェルと一緒に話しかけてくる。
「ごめんね。私達、何も知らなくて」
「ううん、こちらこそごめんなさい。言わなきゃ何も伝わらないのにね」
「これからは、クラスメイトとして仲良くしてね」
「もちろん!」
ケイトとジェレミーもやって来た。
「アイリス、おめでとう」
「ありがとう、ケイト。ジェレミーも」
何も言わずに頷くジェレミー。
ジェレミーのライラック色の瞳を見ながら、私はルクスの言葉を思い出していた。
「人は誰でも、自分の幸せを一番に考えていいんだ」




