婚約破棄裁判(前編)
私とドミニクの前に立ったセリーヌは、まずドミニクを見た。
「ドミニク公爵令息、裁判の簡略化の為、これよりドミニク氏と呼ばせて頂きます。裁判が始まるに当たり、何か申し開きはありますか?」
「………」
ドミニクが無言を貫いていると、カスティル公爵の声がダンスホールに響く。
「ドミニク!」
ドミニクは、私にしか聞こえないような小さな溜め息をついた。
「アイリス・クロフォードと婚約してからの5年間、僕は月に一度クロフォード邸を訪れ茶会の席を設けていました。そして、それを一度も欠かしたことはありません。僕は、自分が婚約者としての義務を果たしていたと考えます。それから、先日の談話室の件ですが、セーラ・アングラードと抱き合っていたというのは全くの誤解です。転びそうになったセーラを抱きとめただけで、事故のようなものでした」
セリーヌは、今度は私の方を見た。
「それではアイリス伯爵令嬢。ここからはアイリス嬢と呼びます。これに対し、何か言いたいことはありますか?」
「ドミニク様が、月に一度、茶会の為にクロフォード邸を訪れていたのは事実です。ですが、彼はいつも私を待たずにお茶を飲み始め、茶会の間、私達に殆ど会話はありませんでした。それに……、私は婚約してからただの一度も、ドミニク様に贈り物を頂いたことがありません」
私の発言に、ダンスホールにいる生徒達がざわつき始める。
「……それは、5年間一度もということですか?」
「はい。5年間一度も、贈り物を貰った事も手紙を頂いたこともありません。誕生日も、この学園に入学した時も」
「えっ?」
「はっ!?」
女の子達の小さな叫び声が、天井の高いダンスホールの中にこだました。
「彼が果たしていた婚約者としての義務は、月に一度クロフォード邸を訪れ、数時間私と向かい合っていたことだけです」
生徒達のざわめきはどんどん大きくなり、それは後方の父兄席にまで伝わっていく。
「ドミニク様がそんな方だったなんて……」
「見た目通りの冷たい方だったのね」
そんな声が私の耳に届いた。
私に聞こえているということは、ドミニクにも聞こえているということだ。
「ドミニク氏。アイリス嬢が話したことは事実ですか?」
「くっ……」
ドミニクは、苦悶の声を漏らした。
「……いや、あります! 先日、僕はアイリスに黄色い薔薇を贈りました」
「黄色い薔薇とは、学園祭のダンスパーティーに誘う時に手渡すあれのことですか?」
「はい、そうです」
「あれは、果たして贈り物といえるのかしら?」
セリーヌが、独り言のように呟く。
「まあ、いいでしょう。それが贈り物だとして、あなたがアイリス嬢に贈り物をしたのは、その一度きりという事で間違いはないですか?」
「はい、事実です。しかし、先程アイリスが言った、一度も贈り物を貰っていないという発言は嘘になります」
「……わかりました。王子殿下、ここで証人を呼び尋問を始たいと思います。宜しいでしょうか?」
「うん、始め給え。証人は中へ」
椅子から立ち上がったアレクサンドル王子が合図をすると、ダンスホールの扉が開き、二人の少女が緊張した面持ちで歩いてきた。
それは、あの日最初に談話室の前に駆けつけた二人の女生徒だった。
二人は、セリーヌを挟んで私とドミニクの向かい側に立った。
「まず、お名前を教えていただけますか?」
「シュリンプトン男爵家次女の、モニカ・シュリンプトンと申します」
「同じく、ロッセリーニ男爵家長女のミレーヌ・ロッセリーニです」
「お二人は、談話室で何を目撃しましたか?」
「私達は、ドミニク様とセーラ様が抱き合っているのを見ました」
ドミニクが、焦ったように声を上げる。
「僕とセーラは抱き合ってなどいない!」
「静粛に。質問された者以外は発言しないで下さい。では、モニカ嬢、ミレーヌ嬢、その時どう思われましたか?」
「とても驚きました。学園内であんな事をするなんて、破廉恥だと思いました」
「私も同じです。とても破廉恥で……、見ていられませんでした」
「ドミニク氏とセーラ・アングラード侯爵令嬢が、談話室に二人きりでいたことに間違いはありませんか?」
「間違いありません。談話室のドアを開けたアイリス様が叫ばれて、近くにいた私達が中を覗くと、お二人が抱き合っていたのです。あっ、でも、お二人が抱き合っていたことには驚きましたが、談話室に二人きりでいたことには驚きませんでした。私達は、つい最近までドミニク様とセーラ様が婚約なさっていると思っていましたから」
「私達だけではありません。学園の殆どの生徒が、お二人が婚約者同士だと思っていました。だってお二人は、どんな時も一緒にいたのですから。だから、ドミニク様の婚約者が、今年入学なさったアイリス・クロフォード伯爵令嬢だと知った時は本当に驚きました。だって、ドミニク様とアイリス様が二人でいる姿を、一度も見たことがありませんでしたから」
「ドミニク様とアイリス様が一緒にいる所を、見たことがある生徒はいないと思います。いつもセーラ様と一緒にいるドミニク様が他の令嬢と会っていたら、それだけで噂になりますから」
少し興奮気味なモニカとミレーヌは、そこまで話すと満足したように息を吐いた。
「モニカ嬢、ミレーヌ嬢、ありがとうございました。ではドミニク氏、これに対して、何か申し開きはありますか?」
「僕とセーラが学園内で一緒にいたことは事実です。ですが、それは幼馴染のセーラが人見知りで友達がいないからと、常に僕に付いてきたからです。それに、父にもアングラード侯爵夫妻にも、セーラの面倒を見るようきつく言われていました。決して僕が望んだ事ではありません」
「婚約者であるアイリス嬢と一緒にいる姿を見たことがないという証言がありますが、これについてはいかがですか?」
「それは……。そもそも、アイリスの方が身分が低いのですから、彼女の方から挨拶や機嫌伺いに来るのが筋です」
「今の聞きました?」
「最低ね!」
ここまで来ると、ドミニクは女生徒達に最低呼ばわりされるまでになっていた。
「それでは、アイリス嬢の意見も聞きましょう。アイリス嬢。今のドミニク氏の発言に対して、あなたの考えを聞かせて下さい」
「私は……。学園に入学してから、何度か挨拶に伺おうとしました。だけど、ドミニク様の隣にはいつもセーラ様がいらっしゃって、声を掛ける事ができませんでした。ドミニク様とセーラ様は思い合っていると、私はそう思いました。私がお二人を引き裂く邪魔者なのだと。だから、茶会の時にドミニク様に尋ねました。好きな人はいないのかと。ドミニク様が打ち明けてくれたら、身を引くつもりだったのです。けれど、結局ドミニク様は打ち明けてくださいませんでした」
「まぁ!」
「なんて健気なのでしょう!」
生徒だけではなく、父兄席からも、ご婦人達の嘆きが聞こえてきた。
「それではここで、新たな証人への尋問を始めたいと思います。証人は前へ」
現れたのは、セーラ・アングラードだった。
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