婚約破棄大作戦①
その日の夕食。
父もセリーヌも留守にしている為、私とルクスは私の自室で食事を取ることにした。
私とドミニクが円満に婚約破棄できるよう、その計画を立てる為だ。
名付けて婚約破棄大作戦。
これは、私とルクスだけの秘密の計画だ。
食事を運んで来たマリーがテーブルに料理を並べていくと、ルクスがパンにチーズを載せてかぶりつく。
(ルクスってば、本当に健康になって……)
何だかホロリとしてしまう。
「アイリスもちゃんと食べて。腹が減っては何とやらさ」
「戦は出来ぬでしょ。それにしても、私はわからないのよ。私もドミニクもお互いにこの婚約を望んでいない。ドミニクは他に好きな令嬢がいて、その令嬢もドミニクとの婚約を望んでいる。この婚約は誰の望みでもない。みんなそれをわかってるのに婚約破棄ができない。何で? どうして? 結局、またそこに辿りつく」
「それが貴族の婚約さ。色んなしがらみにがんじがらめになって、簡単には破棄することはできない。それに、ただ婚約破棄するだけではダメなんだ。この婚約破棄で重要なのは、クロフォード家が損をしないこと。それからアイリス、君の名誉に傷が付かないことだ。さあ、整理していこう」
ルクスはノートを破って、この婚約に関係している人物の名前を書いていく。
カスティル公爵、公爵夫人、ドミニク、父クロフォード伯爵、私、そしてセーラだ。
「まず問題なのは、カスティル公爵が金にがめついということだ。言い方は悪いけど、君とドミニクの婚約を担保にして、クロフォード家はカスティル家の借金を肩代わりしているんだ。婚約破棄になれば、その時点で借金を肩代わりする理由はなくなる。カスティル家は、肩代わりしてもらった借金をクロフォード家に返さなくてはならなくなるんだ。さっきも言ったように、カスティル公爵は金にがめつい。婚約破棄は絶対に避けたいはずだ」
それから、私の名前をまるで囲む。
「カスティル公爵が唯一受け入れるのは、アイリスが有責の場合の婚約破棄だ。借金の肩代わりはそのままに、さらに婚約破棄の慰謝料を請求できる。カスティル公爵のことだ。婚約破棄の理由が何であれ、どんな難癖をつけてでも莫大な慰謝料を搾り取ろうとするだろう。クロフォード家にとっては大きな痛手だ」
そう、前世がまさにそうだった。
字が読めなかった私が1ヶ月で王立学園を退学になると、カスティル家はそれを理由に婚約破棄を要求し、莫大な慰謝料を請求した。慰謝料を支払う為、父は領地の税金を上げざるを得なかった。そのせいで、多くの領地民の生活が困窮したのだ。
「つまり、クロフォード家が損をせず、かつカスティル公爵が大人しく婚約破棄を受け入れる方法はひとつしかない。この婚約において、ドミニクが有責だと証明することだ」
パンを飲み込んだルクスは、マリーの淹れた紅茶を口に運ぶ。
「ドミニクは、月に一度君との茶会の席を設けることで婚約者としての義務を果たしている。あいつは抜かりないよ。わかっていてその茶会を一度も欠かさなかったんだから。だけど今日、僕はこの婚約破棄大作戦の鍵となる人物が誰なのかが分かった」
「もしかして、セーラ・アングラードのこと?」
「そう、ドミニクとセーラの不貞の証拠があれば、ドミニクの有責で婚約破棄ができる。例えば手紙。ドミニクがセーラに宛てた手紙でもあれば、立派な証拠になるんだけどね。もしなければ……。そうだな。密室に二人きりでいるのを大勢に目撃させるっていう手もある。結婚前の、婚約者ではない男女が密室で二人きりでいる。しかも他に婚約者がいる身で。不貞を疑われても文句は言えないだろう。目撃者も一人や二人ではダメだ。大勢の目撃者がいれば、立派な不貞の証拠になるだろうね」
「なるほどね」
「だけどそれは最終手段だ。まずは二人が手紙のやりとりをしていたかどうかを探ろう。どう? アイリス、セーラに近づいて聞き出すことは出来そう?」
「うん、やるわ! そうなると、今日セーラ・アングラードに敵意を向けなかったのは正解だったということね」
「何だか変な女だったけど、今は彼女が唯一の希望だからね」
「だけど……。借金を返すことになったら、カスティル家は大丈夫なのかしら?」
ルクスは、呆れたような顔をした後で大きな溜め息をついた。
「アイリス、君はバカなの? カスティル公爵は、本来自分達が背負うべき借金をクロフォード家に押し付けたんだ。婚約によって、公爵家と姻戚になれるという餌をチラつかせてね。同情する必要なんかこれっぽっちもないんだよ。それに、カスティル公爵が、社交界でクロフォード家のことを何て言ってるか知ってる? 父さんが借金のことを黙っているのをいいことに、公爵家に縋り付く恥知らずの家門だと言いふらしてるんだから。アイリス、君はカスティル家のことなんて気にしなくていいんだ。何ならクロフォード家のことだって気にしなくていい。君は自分が幸せになることだけ考えればいいんだ」
「私の……幸せ?」
「そう、人は誰でも、自分の幸せを一番に考えていいんだから」
(自分の幸せなんて考えたこともなかった。これまで、そんなことを言ってくれる人は一人もいなかったから)
「……ルクス、私は幸せになれるかな?」
「なれるさ。僕はなるよ。母様やジュリア姉様の分までね」
ルクスの透き通ったペリドットの瞳が、不思議な光彩を放つ。
私と同じ瞳を持った、私の双子の兄ルクス。
何だかルクスが急に大人びて見えて、私は置いてけぼりになったような気がするのだった。




