ドミニク・カスティルの婚約者
気付かないふりなど出来ない距離。
私の方が身分が低いのだから、無視をすることなど許されない。
(仕方がない……)
「ご機嫌よう、ドミニク様」
学園内ではカーテシーをしなくていい決まりになっているので、軽く会釈をする。
ドミニクは、その漆黒の瞳に私を映した後、私と一緒にいたルクス達に目を遣った。
その視線の動きから、ジェレミーとケイトのタイとリボンを見たのがわかった。
黒曜石に宿る光が、ゆらりと揺れる。
「君は、なぜ平民と行動を共にしているのだ?」
ドミニクを擁護したいわけではないが、ドミニクには悪気があったわけではない。
王家に次ぐ高位貴族カスティル公爵家の令息として生きてきたドミニク。そしてカスティル公爵夫妻は、平民を虫けらのように思っているような人達だ。
ドミニクが同じ考えとは思わないが、ドミニクにとって平民とは、立場の相容れない下人であり、昼休みを共に過ごす相手ではない。
だからドミニクは、本当にわからなくて尋ねたのだ。
何故平民と一緒にいるのかと。
冷静に考えればわかったことだが、その時の私は、大切な友人をその友人の前で貶されたことに腹を立てた。
(二人の前で、何てこと言ってくれたわけ?)
そんな風に思った。頭に血がのぼった。
そして、余計なことを言ってしまった。
「私が誰と一緒にいようと、あなたに関係ありますか?」
高等部2年のドミニクと、中等部の新入生であり、金髪の王子ルクス・クロフォードの双子の妹ということしか特出することのない私。
そんな接点のない二人が、何か言い合っている。
廊下を歩いていた生徒達も、食堂の中にいた生徒達も、皆がこちらに注目しているのがわかった。
嫌な予感がした。
自分が余計なことを言ってしまったと気づいた時には、全てが遅かった。
「関係あるに決まっているだろ! 君は僕の婚約者だ!」
ドミニクの声が響いた瞬間、廊下にも食堂の中にも大きなざわめきが起こった。
耳を塞ぎたくなったけれど、それを必死で我慢する。
私は下を向いて、セーラ・アングラードの強く握りしめられた手が小刻みに震えてるのを、ただじっと眺めていた。
噂はすぐに広まった。
クラスメイト達が私を盗み見ながらひそひそ話を繰り返し、違う学年の生徒までが、私を一目見ようと休み時間の度に教室を覗きに来た。
私とドミニクは、例え借金の上で成り立った婚約だとしでも正式な婚約者だ。
こんな風に噂される筋合いなんてない。
だけど、恐らく学園の殆どの生徒が、ドミニクの婚約者はセーラ・アングラードだと思っていた。
それなのに実際は別の婚約者がいたのだから、これだけでも学園を騒がせる立派な醜聞になる。
その上その相手が、中等部一の美形ルクス・クロフォードの双子の妹で、そのくせルクスと全く似ていない地味な私だったのだから、それはもう面白おかしく噂されるしかないのだ。
「アイリス……」
ケイトが心配そうに私の名前を呼ぶけれど、「大丈夫」だと笑うことが出来ない。
ジェレミーの顔は見られない。
今の私の姿が、あの綺麗な瞳に映ることが怖かったから。
その時、
「あなた……」
話しかけて来たのは、エミリー・ローレンスだった。
「侯爵令嬢の私を平気で無視すると思っていたら、公爵家の後ろ盾があったからなのね。みんなが婚約者の話をするのを済ました顔で聞いていたけれど、内心は自分の婚約者の身分が一番上だと嘲笑っていたのね。この……性悪女!」
「わっ、私は……!」
エミリー達の誘いを無下に断ったのは、前世で彼女達にいじめられていたからだ。
婚約者の話題に入らなかったのは、私が婚約者とろくに会話もなく、贈り物を貰ったこともないせいで、話せる事が何もなかったからだ。
だけど、今世の彼女達は私をいじめていないし、ドミニクとの事情なんて知らない。
言い返すことが出来なくて黙っていると、ジェレミーが私を庇うようにして前に立った。
「アイリスは性悪女じゃないぜ。それより鏡を見てみろよ。お前の顔の方がよっぽど性悪で醜い顔をしているからな!」
「なっなっなっ何ですって!!」
シュナイダー家の息子を敵に回してはいけない。
エミリーは十分理解していたけれど、我慢ならなかったのだろう。
「私を誰だと思ってるのよ! 平民のくせに!」
だけど、口喧嘩でジェレミーに勝てるはずがない。
「平民で結構。お貴族様に生まれて、そんなに醜い顔になるならな!」
エミリーの体が、怒りでワナワナと震えている。
そんなエミリーを、イザベルとレイチェルが支えに来た。二人とも、ジェレミーに対し敵意を剥き出しにしている。
二人だけじゃない。クラスの大半を占める貴族の子供たちが、ジェレミーに対して激しい憤りを顕にしていた。このままでは、ジェレミーがクラスで孤立してしまう。
「ジェレミー!」
ジェレミーの腕を掴むと、振り向いたジェレミーと視線がぶつかる。
ジェレミーの瞳は、温かくて優しい亜麻色をしていた。
その優しい瞳を見ていたら、私は何故だか、泣きたくてたまらなくなるのだった。




