きれいな瞳の男の子
その日の放課後。
ケイトと話したかった私は彼女を探したけれど、鞄はあるのに彼女の姿は見当たらない。
少し待ったものの、ルクスを馬車で待たせているので諦めて帰ることにした。
長い渡り廊下の途中に、数人の人影を見留める。
(……ケイト!)
ケイトが、三人の女生徒に取り囲まれていた。
ケイトを取り囲んでいたのは、エミリーとイザベルとレイチェルだった。
「平民のくせに、貴族に取り入ろうとしてるんじゃないわよ!」
そう言って、エミリーがケイトの肩をどつく。
まるで前世で私にしたみたいに。
(私はバカだ、大バカだ。人生をやり直してるのに、少しも成長してない。あの意地悪な子たちが、私に袖にされて怒らないわけがない。その怒りは平民のケイトに向けられると、少し考えればわかるのに……)
足元がぐらりと揺れ、倒れそうになる体を必死で保った。
(助けないと!)
わかっているのに、どうしても足が動かない。
前世でエミリー達に浴びせられた、私の自尊心を根こそぎ奪った心無い言葉達。その言葉達が、さっきから生々しく耳元で繰り返されている。
そのせいで、私の体は私の意思を無視してびくともしないのだ。
(悔しい! 悔しい! 悔しい!)
溢れそうな涙を必死で堪えていたその時だった。
「あ〜あ」
いつの間にか、私の隣にひとりの男子生徒が立っていた。
少しボサボサな焦げ茶色の髪に、飴色の瞳。見上げなければならないくらいに背が高い。
それから、タイに宝石はついていない。
「これだからお貴族様は」
ぶっきらぼうにそう言って、ケイト達に向かって歩いて行く男子生徒。
それから、ケイトを取り囲んでいるエミリーの背後に立つと、エミリーのつむじを見下ろしながらこう言った。
「通行の邪魔なんだけど」
「何よ!」
振り向いたエミリー達が、彼を見上げながら戸惑ったように顔を引きつらせる。それから目で合図をし合うと、
「行きましょう!」
と言って足早に去って行った。
(…………?)
あっさり引き下がるエミリー達に、思わず拍子抜けしてしまう。
わけが分からず立ち尽くしていると、私に気づいたケイトがこちらを見た。
「ごめん……ごめんね……」
言いたいことは山程あるのに、それしか言葉が出てこない。すると、私の方へ歩いてきたケイトが、私の前に立ちフッと息を吐いた。
「あなたがあの子達と仲良くしない理由がわかったわ。だってあの子達……。香水の匂いで鼻がもげそう!」
我慢できずに笑い出すと、堪えていた涙がぼろぼろと溢れ出して、それを見たケイトも笑った。
ケイトを寮の前まで送り届け、ルクスの待つ馬車に向かう。何故だかさっきの男の子が隣を歩いている。
(同じ方向なのかしら?)
焦げ茶色の髪、夜空の星を宿したようなレモンイエローの切れ長の瞳。
(あら? さっきは飴色に見えたけど……)
とにかく、貴族の令息にはいないようなエキゾチックな顔立ちをしている。
「あの……。さっきはどうもありがとう」
礼を言うと、背の高い彼が屈み込んで私の顔を覗き込む。
さっきまでレモンイエローだった瞳が、柔らかなライラックの色に変わっていた。
(光の受け方で瞳の色が変わるんだ)
この国に20人程しか存在しない、とても珍しい瞳だ。
(きれいね)
思わず見惚れていると、私の顔を覗き込んだままの彼が尋ねた。
「ねぇ、俺のこと知ってる?」
(前世でこんなに目立つ子いたかしら?)
学園に在籍した期間はたったの1ヶ月だけだし、男子生徒はいじめに加担していた貴族の令息しか覚えていない。
「えっと……、ごめんなさい」
「クラスメイトなんだけどね」
不機嫌そうな声を聞いて、取り繕うように自己紹介する。
「私はアイリス・クロフォード。よろしくね」
「俺はジェレミー・シュナイダー。ジェレミーでいいよ」
シュナイダー。
その名前は知っていた。
国で一番大きな商団を所有し、あらゆる貿易で成功している商家シュナイダー家。
身分に関係なく、この国で暮らす全ての民が、どんな形であれシュナイダー商団の商品を使用しているはずだ。その名前を知らない者はこの国にいないだろう。平民だが、その辺の貴族より余程の大金持ちだ。
(どうりで……)
あっさり引き下がったエミリー達を思い出す。
シュナイダー家の影響力は、その辺の貴族とは比べものにならいくらいに大きい。敵に回したくなかったのだろう。
門の外に停まっているクロフォード家の馬車に辿り着く。ガラス越しに、ルクスの金色の髪が見えた。
「私、あの馬車だから」
「ああ、俺はあっち」
視線の先には、王室馬車にも劣らない象牙色の立派な馬車があった。
(さすがシュナイダー家!)
馬車に乗る為に背を向けた私に、ジェレミーが声をかける。
「アイリス! また来週な!」
振り向くと、片手を上げて笑うジェレミーの姿と長い影。
ジェレミーの瞳は、太陽と同じオレンジ色をしていた。
「待たせてごめんね」
馬車に乗ると、ルクスは待ちくたびれたように伸びをした。
「さっきのジェレミー・シュナイダーだろ。いつの間に仲良くなったのさ」
「あの子のこと知ってるの?」
「知ってるも何も、ライバルだからね」
そう言って、ニヤリと笑う。
「ライバル?」
「新入生の中では、僕とジェレミーが女の子の人気を独占してるからさ。ジェレミーは平民だけれど、あのシュナイダー家の息子だからね。貴族とは名ばかりの貧乏貴族に嫁ぐより余程いいだろ? ヤツを狙ってる令嬢はたくさんいるのさ。それに、何ていうか、シュッとして神秘的な顔をしてるしさ。まぁ、今のところは僕の方が優勢だけどね」
(ルクスってば、健康になって人格変わったんじゃない?)
得意げなルクスの様子に、さすがに呆れてしまう。とはいえ、入学してからまだ数日しか経っていないのに、ルクスのモテっぷりが凄まじいのは確かだ。
「女の子達が、あんたのこと金髪の王子様なんて言ってたわよ」
「王子様か……。悪くないね。だけど、学園には本物の王子様がいるからなぁ。中等部高等部合わせると、一番人気は やっぱり断トツのアレクサンドル王子だね」
アレクサンドル王子とは、高等部3年に在席するこの国の第二王子だ。学園の生徒会長でもある。
「ちなみに君の婚約者も人気らしいよ、アイリス」
「はぁ?」
「黒い髪、黒い瞳のミステリアスな漆黒の貴公子ってさ。悪い気はしないだろ?」
(ミステリアスって……。ただ無表情なだけじゃない!)
呆れ返った私は、返事の代わりに小さな溜め息をつく。
明日の週末に、月に一度の茶会があるのを思い出したからだ。
(まったく……。嫌なこと思い出させないでよね!)
それから、ルクスを睨みつけて、心の中で悪態をついたのだった。
    
 




