ジュリア・クロフォードという少女
王宮のお姫様のように着飾った私に、お母様が優しく微笑む。
お母様と私を褒める声。お母様は、私の頭を優しく撫でる。
それが、私の一番幸せな記憶。
けれど、帰りの馬車の中で二人きりになると、お母様は途端に何も見えていないような虚ろな目をして、もう私の声は届かない。
我が家に小さな男の子が誕生すると、お母様は私に見向きもしなくなった。
ルクス
“光”という名前を与えられた子。
私からお母様を奪った男の子。
お母様に構ってもらえず癇癪を起こすと、お父様がドレスや宝石を買ってくれる。
袖を通すことのないドレスが増えていった。
(お父様は何もわかっていない)
私が欲しいものは、ドレスや宝石じゃないのに。
わざと過度な装飾とけばけばしい色の趣味の悪いドレスを仕立てさせて、仕立て屋を困らせる。
それなのに、そのドレスを着た私を皆が褒める。
誰も私を見ていない。
見ているとすれば、外側の薄皮1枚だ。
9歳の時、新しい家庭教師が来た。
気持ちの悪い笑い方をする男だった。
薬草の研究をしているが、それだけでは食べて行かれず、家庭教師をしているらしい。
私の部屋の窓から中庭を挟んで、ルクスの部屋が見える。
乳母に任せればいいものを、母はルクスから片時も離れない。
男が言った。
「あの坊っちゃんが憎いのですか?」
私は、余程悪い顔をしていたらしい。
「亡き者にする方法はいくらでもあります。事故に見せかけたりね。あれくらいの赤子は簡単に死にますから」
「ダメよ。今あの子がいなくなったら、お母様はまた男の子を産もうとするわ。第2のあの子が現れるだけだもの」
「ほぉ……。それならば、こんな方法はいかがでしょう? 少量の毒を毎日飲ませ、少しずつ量を増やしていくのです。すぐには死にませんが、徐々に体は蝕まれ、いずれ死に至ります」
「それは、誰にも知られずにできるものなの?」
「まぁ、その辺の医者にはわからない複雑な毒もありますが……。伯爵家が金に糸目をつけず優秀な医者を呼べば、気付かれることもあるでしょうね」
「それじゃあダメね。あの子の為なら、お母様は地の果てからでも優秀な医者を連れてくるわ」
「それでは……こんな方法はいかがでしょう? この方法ならば、命を奪うほどではありませんが、じわじわと弱らせる事ができます。弱らせておけば、殺したい時にいつでも殺せますからね。時間もかかるし不確実ですが、その分リスクは全くありません。ばれたら、新しい健康法を教えただけと言えばいいだけですから」
男は、私に“その方法”を教えた。
計画には協力者がいる。
目をつけたのは、セリーヌの婚約者筆頭候補のアラン・サルバドール。
セリーヌより7歳も年上のくせに、クロフォード家の財力に肖りたいが為に、セリーヌの婚約者になろうとする俗物だ。
何より都合がいいのが、アランの母サルバドール子爵夫人が、お母様の親友だということだ。
私がこの計画を話すと、アランは二つ返事で計画に乗ると言った。
計画は、緩やかに実行された。
5歳になると、ルクスは頻繁に熱を出し、ベッドから起き上がれないようになった。
計画が功を奏し始めたのだ。
同時に、面白いことが起きた。
ルクスが病気がちになったのを『双子の呪い』と勘違いしたお母様が、アイリスを憎み、冷たく当たるようになったのだ。
それから、アイリスを虐めることが、私の一番の楽しみになった。
何をされても、何を言われても、ただ悲しみに顔を歪めるアイリス。
そんなアイリスを虐めている時だけは、母を奪ったルクスに対する憎しみを忘れられた。
14歳の時、かつて私の家庭教師だった男が私に会いに来た。
何をやらかしたのか、国外へ逃亡するらしい。
「私が家庭教師として教えた子供の中で、あなたは一番素晴らしい生徒でした。良き思い出のお礼に、これを受け取ってほしいのです」
男が差し出したのは、赤黒く、ドロッとした液体の入った小瓶だった。
「飲むと高熱が出る毒薬です。健康な者なら死に至りませんが、体の弱い者はひとたまりもないでしょう。きちんと調べれば、熱はこの毒薬のせいとわかってしまいますが、普段から頻繁に熱を出している者ならば、いつもの熱だと思われ調べられることもないでしょう」
その小瓶は、私の宝物になった。
私は、その時を待った。
この小瓶を使う、絶好のタイミングを。
時間潰しにアイリスを虐め、ドレスや宝石を買い漁り、ただその時を待った。
それなのに……。
ルクスが熱を出す頻度が少なくなってきたと、ルクスを監視させているメイドから報告があった。
計画が狂い始めていた。
おまけに、アイリスが食堂へ来ないせいで、アイリスを虐めることが出来ない。
それどころか、久しぶりに食堂に来たアイリスを、セリーヌ姉様が庇った。
(つまらない。もう何もかも面倒だわ………)
私は、待つことに疲れ果てていた。
そんな時、ルクスの誕生日パーティーの招待状が届いた。
(ちょうどいいわ。もう、何もかも終わらせましょう)
その日、この小瓶を使おうと決めた。
ルクスの誕生日パーティーは散々だった。
「僕は……僕は………ジュリアからの提案に乗っただけです」
裏切り者の声が響くと、皆一斉にこちらを見た。
いくらでも言い逃れは出来た。
全てをサルバドール家のせいにすることも出来た。
「新しい健康法を教えただけ」と言えばいいだけだった。
だけど、そうしなかった。
打ちひしがれ、地べたに這いつくばるお母様。
そんなお母様を見ていたら、もっと苦しめてやりたいような、そんな気持ちになってしまったのだ。
(自分が産んだ子が、自分の産んだ子を殺そうとしていると知ったら、お母様はどんな顔をするかしら?)
「アランの言った通りです。私が彼を計画に誘いました…………………」
その後のことは、よく覚えていない。
あの時、お母様はどんな顔をしたのだろうか………。
私は、療養という名目で、遠く離れた田舎の領地に行くことになった。
お母様も一緒だ。
馬車での旅路は遠い。
何も見えていないような虚ろな目で、何も聞こえていないように、ただじっと宙を見つめている。
お母様は壊れてしまった。
だけど、これでよかったのだ。
これからは、お母様を独り占めできるのだから。
美しいお母様。大好きなお母様。
これからは、ずっと一緒。




