事の真相(後編)
父の目が驚いたように見開かれ、その口が何かを言いかけたが、それは母の叫び声に打ち消された。
「やめて! もうやめてちょうだい! それならば、ルクスの健康を奪い、長い間苦しめていた張本人は私だと言うの!? そして、それを救ったのがアイリスだと? そんな事信じられないわ!」
キース先生が、小さく息を吐く。
「いいえ、これは紛れもない事実です。それにしても、私には理解できません。なぜクローフォード伯爵夫人ともあろう方が、このような極端で間違った子育てをされたのか」
「私は……私は、ロザンナ先生の教えに従ったまでですわ」
「ロザンナ先生?」
「国一番の栄養学士、ロザンナ・キンバリー先生です。ロザンナ先生の教え通りにルクスを育てれば、ルクスは健康的で立派な青年になると……」
「クロフォード伯爵夫人」
ソフィアが、ため息混じりに母の言葉を遮った。
「この国にも、周辺の国にも、ロザンナ・キンバリーという栄養学士はおりません」
「なっ……!? そんなはずないわ! だって……。そうだわ! 私にロザンナ先生を紹介したのは貴方でしたわね、サルバドール子爵夫人!」
皆が、一斉にサルバドール子爵夫人を見た。サルバドール子爵夫人は、青ざめた顔で何度も首を横に振りながら、
「私は、息子のアランに頼まれただけですわ!」
と声を上げた。
今度は、皆一斉にアラン・サルバドールを見た。
血の気を失った顔をしたアラン・サルバドールは、震える声を振り絞るようにして言った。
「僕は……僕は………、ジュリアからの提案に乗っただけです」
…………皆が、一斉にジュリアを見た。
生気のない様子で立ち尽くすジュリアの白い顔は、身震いがする程に美しい。
「ジュリア!!」
父の声が響く。
ジュリアは、深く、長い溜め息をついた。
「アランの言った通りです。私が彼を計画に誘いました。ルクスが病弱になれば、クロフォード家の当主の座はあなたに転がり込んでくるでしょうと話すと、嬉々として計画に協力してくれましたよ」
キース先生が、眼鏡の奥の瞳を訝しげに細める。
「“計画”ですか……。それにしても、よくこのような回りくどい方法を思い付き、実行しようと思いましたね。逆に感心してしまいます」
「私もこんなに上手くいくとは思いませんでした。日に当たらせない、運動させない、野菜しか食べさせないなんて、私ですらおかしいと思いますもの。だけどお母様は、ルクスを健康に育てなければならないという強迫観念に駆られていたのね。あんな偽者の戯言をあっさり信じてしまわれて」
「ジュリア! なぜ……なぜこんなことを……」
その場に力なく座り込んだ母の肩を抱きながら、父が困惑した声を上げた。ジュリアが、眉一つ動かさずそれに答える。
「お父様、わからないのですか? ルクスが邪魔だったからです。私からお母様を奪ったルクスが憎かったから。すぐに殺そうかとも思いました。事故に見せかけたり、方法はいくらでもあるでしょ? だけど止めました。だって、ルクスが死んだら、お母様はまた男の子を産もうとする。第2のルクスが現れるだけ。それならば、時が来るまで病弱でいてもらおうと思ったんです」
「時とは……?」
「お母様が、子供を産めない年齢になるまでですよ」
ジュリアが、近くにいたジュリア付きのメイドを手招きする。
「全てが順調だったのに、ルクスが急に健康を取り戻し始めて……。もう、何もかも面倒になったんです。だから、今日トドメを刺すつもりでした」
ジュリアが手を差し出すと、メイドが、何か液体の入った小瓶をその手に握らせた。
「飲むと高熱が出る毒薬です。健康な人なら命までは奪いませんが、ルクスならひとたまりもないでしょう。それに、今ならまだ、いつもの熱のせいで死んだのだと誰も疑わないでしょうから。計画は完璧だったのに……。とても残念です」
小瓶の蓋を開けたジュリアは、それを宙に掲げた。
「お母様! 全てはお母様のためなのです。お母様を解放してさしあげるため! 大丈夫、わかっています。お母様が、本当は私を一番愛していることを。だって……見て! この金色の髪に青い瞳。お母様にそっくりでしょう? これをどちらも譲り受けたのは私だけ。それなのに、クロフォード家の跡取を立派に育てなければならないという義務に、お母様はがんじがらめになっている。だから、解放してさしあげたかったのです。お母様を愛しているから! お母様………!」
ルクス目掛けて走り出すジュリアを、父やキース先生が取り囲む。
ジュリアの手から小瓶が奪われ、地面に投げつけられた。割れた小瓶からは、赤黒い液体が流れ出ていた。
私は、ただ立ち尽くしてその光景を眺めていた。
そして、こんな事を考えていた。
(これが、地獄絵図ってやつなのね………)




