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父、クロフォード伯爵の回想

 

 男爵令嬢マリアンヌ・カザレスと結婚したのは、私が父から家督を譲り受けてすぐの頃だ。

 美しく豊かな金色の髪、輝く碧眼。爵位は低いが、私の両親がその美しさを見初め、私の婚約者にしたのだった。

 

 真面目で責任感が強く、伯爵夫人としての仕事に一切の手を抜かない。

 

「もう少し、肩の力を抜いてはどうだろうか?」


 一度でもそんな風に声をかけていたら、今とは違う未来があったのだろうか。


 貴族夫人の最大の務めは、跡取りとなる健康な男子を生むこと。

 結婚から半年後、彼女は第一子を身籠ったが、生まれてきたのは女の子だった。

 多少がっかりしたが、何ということはない。次は男子が生まれるだろう。

 クロフォード家の長女として恥ずかしくないよう、次に生まれてくる男子の良き見本となるよう、厳しく育てようと決めた。

 

 しかし、皆が男子の誕生を期待する中、次に生まれた第二子も女の子だった。

 その時私は、私の人生で最も罪深い過ちを犯した。


「チッ。また女か」


 反射的に出た舌打ちと、思わず口から零れ落ちた言葉だった。

 誰にも聞かれていなければいい。

 しかし、次の瞬間私が見たのものは、その海のように煌めく碧眼を絶望で歪ませながら、私を見るマリアンヌの血の気を失った顔だった。


 その日から、彼女は変わった。

 男子を産むのに良い食べ物があると聞けばそれを食べ続け、祈れば男子が生まれると評判の寺院の噂を聞けば、地の果てまでも出掛けていった。

 しかし、男子どころか妊娠の兆しすら見られない。

 彼女は追い詰められていった。


 側室を持つよう何人にも勧められたが、そんな気にはならなかった。その度に、あの時の絶望に歪んだマリアンヌの青い瞳を思い出した。


 3年を過ぎた頃には、マリアンヌは諦めたように、それまで必死になっていた男子を産む努力をしなくなった。 

 ただ、何も見えていないような虚ろな目で、乳母の手ですくすくと育っていく長女と次女を見ていた。

 

 幼い頃から何人もの家庭教師がつけられ、厳しく育てられてきた長女は、何処に出しても恥ずかしくない程優秀に育ったが、勉強にしか興味のない感情表現の乏しい子になった。

 当然次女に対しても同じ様な教育をするものと思っていたが、次女には最低限の家庭教師をつけただけで、後は好きに遊ばせていた。

 それはまるで、男子が生まれないのなら、他の何にも意味がないとでもいうような態度だった。

 叱りもしなければ褒めもしない。

 母親から美しい容姿を受け継いだ次女は、使用人達に甘やかされ、我儘な気質に育っていった。


 そんなある日、伯爵家お抱えの医者にこう告げられた。

「奥様は精神的な疾患を患っているようです。治療の必要がありますね」

 と。

 マリアンヌに治療を薦めると、彼女は美しい顔を歪ませながら激しく首を振った。そんな必要はない。自分はまともであると。

 マリアンヌの強い拒否に加えて、伯爵家の夫人が精神疾患の治療を受けるという外聞の悪さ。私は医者を解雇し、何も聞かなかったことにした。


 それから数年が過ぎ、あれは次女が5歳の頃だっただろうか。

 屋敷に閉じこもり、窓の外ばかり眺めているマリアンヌに、気晴らしに婦人同士の茶会にでも行ってきてはどうかと薦めた。

 数日後、茶会に行く為の馬車に向かっていたマリアンヌは、母を見つけて纏わりついてくる次女を気まぐれに茶会に連れて行った。

 二人を見た婦人達は、口々にこう言ったらしい。

「なんてよく似た美しい母子でしょう」

「まるで絵画から抜け出たようだわ」

「この子は将来、夫人と同じくらい美しくなるでしょうね」

 これに気を良くしたマリアンヌは、少しばかり元気を取り戻し、着飾らせたジュリアを連れて頻繁に茶会に出掛けるようになった。


 そうして1年が過ぎた頃、奇跡が起きた。


 マリアンヌが懐妊したのだ。

 今度こそ男子に違いない。私は期待に胸を膨らませた。

 しかし、医者はマリアンヌのお腹にいるのは双子だと告げた。

 

 この国では、双子は不吉とされていた。

 どちらか、もしくはどちらもが、病弱になると伝えられていたからだ。

 間引いてはどうかと医者に勧められたが、万一間引いたのが男子であれば取り返しがつかない。

 それに、伯爵家の当主たる者が、ただの迷信に振り回される姿を晒すことなどできなかった。


 そして、その日がやってきた。

 赤子を取り上げた産婆が、「男子です」と言った時、どれほど神に感謝したかわからない。 

 『ルクス』と名付けられたその子は、クロフォード家の『光』となった。


 次に取り上げた赤子を見た産婆が、「女の子です」と告げた。その瞬間、親族達はその赤子から視線を逸らし、ルクスだけを見た。

 生まれた瞬間に忘れ去られた子。

 産婆が乳母に赤子を渡すと、乳母がおずおずといった様子で私に尋ねた。


「旦那様、こちらのお嬢様は何というお名前でしょう?」


 その時、花瓶に飾られた花が目に入った。


「アイリス」

 

 そう、アイリス。

 それが、あの子の名前だ。


 双子の顔を見た後、私はすぐに仕事に戻った。

 クロフォード伯爵家は広大な領地を有しているが、全ての土地が肥沃なわけではない。それに、日照りが続けば干ばつが起き、長雨が続けば農作物は病気になる。

 領地から得た税金はその土地の為に使っていたが、不足分は貿易で得た利益から補填していた。

 つまり、私の手掛ける商売が傾けば、民の生活にも影響が及ぶ。そしてこの世界は魑魅魍魎。気を抜けば商売敵に足を引っ張られ、這い上がれなくなってしまうのだ。

 そうなれば、屋敷の使用人や領地の民、多くの者が路頭に迷うことになる。私の肩に、領地で暮らす全ての民の生活が重くのしかかっていた。


 ある日屋敷に帰ると、乳母がアイリスをぞんざいに扱っている場面に出くわした。私は乳母を叱責したが、乳母は不満気な態度を隠そうともしなかった。

 誰にも見向きもされない子供を任せられ、更に私に叱責された乳母の不満や憤りは、やがて他の使用人に伝染し、アイリスは全ての使用人から見下さるようになった。

 しかし、屋敷内の問題に介入する権限も時間も私にはなかった。屋敷の采配は、女主人であるマリアンヌの仕事だからだ。

 当のマリアンヌは、やっと誕生した跡取り息子のルクスに夢中で、アイリスの問題を解決しようという素振りすら見せない。

 幸いにもルクスが生まれたことで、マリアンヌの精神は日に日に安定していっているように見えた。使用人達を正しい方向へ導くようになるのも時間の問題だろう。

 それに、アイリスはまだ何もわからない赤子なのだ。物事が理解できるようになるまでに解決できればいい。

 そんな甘い考えを抱いた私は、高を括り、見て見ぬふりをした。

 

 しかし、物事は私の思惑通りにはいかなかった。


 5歳になったばかりの頃、高熱を出したルクスは、何日も熱にうなされ生死の境を彷徨った。

 幸い2週間程で熱は下がったが、それ以降頻繁に熱を出すようになり、多くの時間をベッドの上で過ごさなければならなくなった。

「双子の呪いだ」

 誰もがそう思った。

 

「生まれてくるのはルクスだけでよかったのに! あの子が一緒に生まれてきたせいで……!」


 マリアンヌはアイリスを憎んだ。

 他の家族や使用人の前では平静を保っていたが、私と二人きりになると、いつもそんな風に嘆き、悲しみにくれていた。誰かのせいにしなければ、正気を保っていられなかったのだろう。


 そんなマリアンヌの姿を、私はただ眺めていることしか出来なかった。

 いっそマリアンヌのように、アイリスを憎むことができればどれ程楽だっただろうか。

 

 私が選択したのは無関心。

 そう、徹底的な無関心だ。

 

 それは私の後ろめたさによるものだった。

 私には、マリアンヌに対して常に後ろめたさがあった。あの日、マリアンヌを絶望の淵に突き落としてしまった後ろめたさ。

 その後ろめたさのせいで、マリアンヌを咎め立てするのが躊躇われた。マリアンヌの望むままに、好きにさせてやりたいと思ってしまったのだ。

 同時に、マリアンヌの精神はギリギリのように見えた。

 アイリスを憎むことで、全てをアイリスのせいにすることで、マリアンヌの精神はぎりぎりの均衡を保っていたのだ。

 私がマリアンヌを責めアイリスを庇い立てれば、マリアンヌの精神は崩壊するだろう。

 私には、それが痛いほどわかっていた。

 マリアンヌを咎めることも、アイリスを庇うことも出来ない。そして私には、アイリスを憎むことも出来なかった。

 私と同じ薄茶色の髪に、私と同じペリドット色の瞳をした、私の娘アイリス・クロフォード。

 だから私は選んだのだ。無関心の仮面を被ることを。

 そしていつしか、その無関心が当たり前のようになっていた。

 仮面は私の顔にぴったりと張り付き、もはや私の一部になっていたのだ。

 母に憎まれ、家族に疎まれ、使用人にまで馬鹿にされ、萎びた野菜と具のないスープと固いパンを文句も言わずに食べている幼い娘。

 そんな姿を見ても、何も感じなくなっていたのだから。


 そんなアイリスが、ある日食事の席を途中で退席すると、それきり食堂に来なくなった。

 あれは、そのあくる日のことだ。

  

「私は字が読めないし、カーテシーも出来ません」


 突然私の部屋にやって来たアイリスは、真っ直ぐに私を見据えてそう言った。

 貴族の令嬢が、家庭教師を一人も付けられず、字も読めないなどあってはならない。

 そして何より問題なのは、その事に誰も気が付いていなかったということだ。


 字も読めず、誰にも気に掛けてもらえず、誰からも愛されない。

 そんな世界で、あの子はひとり、何を思っていたのか。


 私の娘、アイリス。


 私は、何処で間違ったのだろうか。



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