キッチンの幽霊①
左足がポコンと何かにぶつかって、右足がなにかを確実に踏んだ。
ニュルッという、気持ちの良くない感触が今、私のスリッパの下にある。
潰した、なにかを完全にペチャンコにした。
手を壁に這わせ、電気のスイッチを探す。シンク上の小さな照明がついて、キッチンの半分を照らした。
「これは」
右足の下で赤い物体が潰されているのが見える。粒々の黄色いなにかもそこいらに飛び散っている。
「なんだ」
プチトマト、か。
それは真ん丸の小さなトマト、だったものらしい。ペチャンコに潰れて黄色い粒々は種かな。
胸を撫で下ろし、顔を上げるとキッチンの隅に誰かいる。
「ひっ!!」
お化けかと思って驚いて声出たけど、よく見ればそれは人間ぽかった。
次に泥棒とか、そういうのかもしれないと思い別の緊張感が走る。なにか武器になるものは……と探して、ふと気づく。そういえば赤色ジャージの半パンには見覚えがある。
「ええと、ヒナタ? ヒナタだよね? なにをしているのかな? そんなところで」
体育座りで顔を膝に埋めているが、前の学校の赤色ジャージを部屋着にしているのは間違いないヒナタだ。
「どうしたの? 大丈夫?」
「……大丈夫です、ほっといて下さい」
ヒナタは顔を伏せたまま答えた。
「そう……」
スリッパを脱いで裸足で冷蔵庫まで行く。
冷蔵庫から、水のペットボトル2本を取り出して扉を閉めた。
それからヒナタの隣に並んで座った。
「飲む?」
ヒナタは顔を上げると、無表情に私を見て頭を横に振った。
「びっくりするじゃん、お化けかと思ったよ」
真っ白い横顔、耳下から顎にかけてのラインがすっきりして見える。
ヒナタ、ずいぶん痩せたな。
「……」
「勉強してたらいつのまにか寝ちゃって、こんな時間に起きちゃった。ヒナタは? 眠れない?」
「……お腹がすいて」
小さい声が漏れてくる。
ヒナタの側にプチトマトが転がっていた。
「プチトマト食べたの? あ、別に責めてるワケじゃなくて。全然食べていいんだけど」
ヒナタは頭を振り、また膝に顔を埋めた。
「食べようと思ったけどやめました」
「そっか」
「こんな自分が情けなくて」
「あのさ、そこまでしなくてもいいと思うよ?」
「しなくちゃダメなんです」
私が追い詰めてるのか……でも、ここまでやれとは言ってない。
「確かに私が15キロ痩せてって、あの日に言ったんだけど、まぁ、そのくらいかなぁって思っただけで。実は全然適当で。それに男子は筋肉付けると重くなるから、そんなに体重気にしなくてもさ……もう、充分」
そこで顔を上げたヒナタが、突然ブツブツ言い出した。
「シンさんは、178センチ60キロ、トモ君は178センチ58キロ、ショウ君は182センチ64キロ、ユウト先生は176センチ……体重は知らないけど、細マッチョでスタイルがいいです。僕は175センチ62キロ……なかなか60キロ切れないチビでデブ」
「……あ、そっかぁ、シンは鍛えた分プロフィールより増えたか、他のみんなもちょっとずつ変化してるんだね。ヒナタはまだ身長伸びそうだし、もう目標達成でいいんじゃないの?」
「良くないです、いつも僕が足を引っ張っちゃうんです。ダンスもぜんぜん上手くならないし」
「もしかして、ユウトに何か言われた?」
ヒナタはブンブンと頭を横に振る。
「ユウト先生は、すごく良く教えてくれます。何度でも、何回でも。嫌な顔ひとつしないです。だから、余計に申し訳ないし、出来ない自分が恥ずかしくなるんです。情けなくて泣きたくなります」
「そんな事ないよ!!」
ヒナタがビクッと肩を揺らし、驚いた顔で私を見る。
「ヒナタが、この1ヶ月どれだけ頑張ったかみんな知ってるし、その頑張りは誰にも負けてない! ヒナタは痩せたし、ほら顎のラインだってシャープでかっこ良くなってる。ダンスはまだ始めたばっかりだし、そんなにすぐ結果は出ないよ。焦らなくても大丈夫、プレデビューまで、まだ4ヶ月もあるから!」
「プレ……デビュー??」
あ、しもうた。
まだ、みんなには話していない計画だったのに、口を滑らせてしまった。
「あー、内緒ね。そのうちみんなに話そうと思ってるから。11月にはビジュアル解禁して少しずつプロモーションしていこうって話で進めてるんだ」
「ビジュアル解禁……」
「そう。で、前にも言ったけど、うちにはヒナタ以上のボーカルはいないんだから、自信持って、わかった?」
「……」
「そうだ。なにか、お腹に入れてから寝よう!」
隣のダイニングへ行って、食卓テーブルの果物皿からオレンジをひとつ貰う。
お皿と果物ナイフを持って、またヒナタの隣に座った。
ええと、はぅとぅー?(How To)
ナイフでオレンジの皮をこそげ落とす。あれ、上手くいかない、なんか思ってる仕上がりと違うかも。
「かして、それじゃ指切ります」
オレンジをお皿ごとヒナタへ渡す。
ヒナタはあぐらをかいて皿をおくと、オレンジのヘタの上下をナイフで落とした。途端にオレンジの良い香りが辺りに広がる。
次にナイフの刃を皮にあてて、縦に切れ込みを6本入れていく。
ナイフを置いて切れ込みの入った皮を剥がし、最後に手で割ってお皿に戻した。
「どうぞ。クシ切りにするより、こうして房で割ると手も汚れないし、まるごと食べられます」
「クシ切りね、たしかにこっちの方が食べやすそう。ヒナタって器用だね」
「これくらい誰でも出来ます」
「果物は全部、すぐに食べられる状態で出てくるからさ」
ヒナタがクスッと笑った。
「馬鹿にしてる?」
「いいえ、奏さんは僕の想像してたお嬢様とは全然違う」
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