いつか終わる恋だけど
午後八時過ぎ。
さあ帰ろうと自転車にまたがったところで、彼からメッセージが届いた。
『シチュー作ったんだ。食べに来ない?』
思わずニヤケて、ハッとする。
スマホから顔を上げて、周囲を確認。よかった、誰もいない。看護師仲間に見られたら、またからかわれるところだった。
「タイミング、よすぎ」
ひょっとして監視してた?――なんてつぶやきながら、返信ではなく電話をかける。
すぐに優しい声が聞こえてきて、仕事で疲れた心をほぐしてくれる。
「うん、わかった――じゃ、またあとで」
電話を切って、コンビニへ。飲み物ぐらいは、買っていかないとね。
◇ ◇ ◇
入院患者と担当看護師。
それが二人のなれそめ。彼が私に声をかけてきて、IDを交換したのがきっかけだった。
いつもなら断るのに、どうして彼とだけは交換したのか、よくわからない。まあ、こうして付き合うことになったということは、私も彼に一目惚れしたんだろう。
「明日もいい天気になりそうだなぁ」
きれいな星空を見ながら、自転車で夜道を行く。
何もない田舎の町、自慢できるのはこの星空ぐらい。都会のど真ん中で育ったという彼は、この星空に感動したと言っていた。
うきうきした気分で自転車をこぐこと、五分。彼のアパートに着いた。
「お疲れさま」
眼鏡をかけた優しい笑顔が出迎えてくれた。
なんだろう、すごくホッとする。私、彼の笑顔が好きなんだなあ、て改めて思う。
「わ、ちょっと――だめってば。手洗い、うがいが先!」
抱き締められてキスされそうになり、慌てて彼を押し返す。
こら、残念そうな顔しない。
このご時世、看護師は感染症に敏感なんですからね。うつされるのはもちろん、うつしたらどうするの。
「じゃあ、さ。いっそ――シャワー浴びてきたら?」
いやシャワー、て――お泊り、てことですか?
「明日も仕事なんですけど」
「うちからの方が、病院近いよね?」
確かにそうだけど。
明日も忙しくなりそうだから、睡眠はちゃんととりたいんですが。
「大丈夫。僕も明日は一限からだし。夜ふかしはしないって」
さあどうぞ、とバスタオルと一緒に渡されたのは、半月前に置いていった私の下着。休みの予定が、急に呼び出されてここから出勤したから、置きっぱなしにしていたやつ。
「ちゃんと洗っておいたよ。もちろん痛まないよう手洗いで」
「えぇー、マジで?」
家事力が高いのはいいことですが――うう、いくら恋人とはいえ、下着を手洗いなんて、はずかしいってば。
しかも。
これ、勝負下着なんですけど。
「明日、これで仕事をしろと?」
「気合、入るんでしょ?」
「いや、その、気合の方向性が違うというか――」
「ナース服の下は勝負下着って、なんかエロいよね」
「おいこら」
「あはは、僕も男だから」
悪びれずに笑う彼。
うんまあ、知ってますけどね。ほんわかした顔してるくせに、肉食系なこと。
「ほら、遅くなっちゃうから。お腹空いたでしょ?」
「もう」
仕方ない、と下着とバスタオルを受け取ろうとしたら。
「うわっ」
隙を突かれて抱き締められた。
ぎゅうっ、と。
息ができなくなるぐらい、強い抱擁。
「ん――苦しい、てば」
でも嬉しい。泣きたくなるほど幸せな気分。ずっとこうされてたいなあ、て思っちゃう。
「シチュー温めておくから。シャワー浴びてきて」
彼の腕の中で、こくんとうなずいて。
私は下着とバスタオルを手に、バスルームの扉を開けた。
◇ ◇ ◇
おいしいシチューと、グラス一杯の白ワイン。
お腹が満ちてほろ酔いになったら、心も満たされたくなって、彼の腕に飛び込んだ。
大好き、て囁き合った唇を重ねる。
明日のことなんて忘れて、温もりを分け合う時間を過ごし――抱き合って眠りに落ちた。
――午前二時を少し回った頃、目が覚めた。
ぱっちりと目が冴えて、なかなか眠りに戻れない。
疲れてるはずなんだけどなあ、と思いながら、彼を起こさないよう静かに体を起こした。
窓枠に頭を預け、ほんの少しカーテンを開けた。
きれいな星空が見える。
感動だよねと言いながら、いつまでも星を見ていた、彼のキラキラした目を思い出す。
「何もないなんて言うけど――ここには、この星空と、君がいるよ」
付き合い始めてすぐの頃、酔った彼が、そんなキザなセリフを言った。
こっぱずかしくて思わずはたいてしまったけれど、すごく嬉しかった。
何度も何度も、私が好きだと言ってくれる。
今夜だって、もう勘弁して、ていうぐらい、好きだと言ってキスしてくれた。
「幸せ――だなぁ」
でも。
こんな夜を、あと何回過ごせるのだろう。
三つ年下の彼は、大学三年生。
就職活動を始めたと聞いたとき、私の心は揺れ始めた。
彼の夢は、こんな田舎の町ではかなわない。
東京か大阪、あるいは海外へ行かなければ、その夢は追うことすらできない。
夢を叶えるためには、何年もかかるだろう。
そんな彼に、私はついて行くことができない。
「行かないで、て泣いてすがれる――そんな女だったら、よかったのかなぁ」
夢をあきらめて、私のそばにいて。
そんなセリフをぶつけたら、彼は私を選んでくれるだろうか。
ううん――きっと彼は、私を捨てて夢を追いかけていく。
私が恋した人は、そういう人だと思う。
そんな人であってほしいと、本気で願っている。
寂しい。
悲しい。
苦しい。
彼が大好き。ずっと一緒にいたい。
だけど、それはできない。ここを離れられない私では、たぶん、彼の足かせにしかならない。
だから、この恋の結末は――もう決まっている。
「――寝なきゃ」
じわりと浮かぶ涙をぬぐい、私はカーテンを閉めた。
幸せそうな寝顔の彼にそっとキスをして、肌を重ねて抱き締めた。
「大好き」
いつか終わる私の恋。
それはきっと、そう遠くない未来。
だけど、後悔なんてしない。
後悔なんてしないよう――別れが来るその時まで、私は彼に、一生懸命恋をしよう。