77.薬草姫と護衛騎士
サブタイトルは、当初タイトルにしようと思っていたものです。設定が変わったのでボツになりました。
「じゃあ次は技の実戦と行くかの。いつもと同じ、身体強化は禁止じゃぞ」
「はい!」
レンドルフは腰に下げた大剣と荷物を降ろして完全に身一つになる。ミスキは丸腰になったレンドルフが万一魔獣から奇襲を受けた時に備えて、周囲を警戒するように下がった。
これは、レンドルフが体術のみでバートンに掛かって行って、その対応を学ぶ為の訓練であった。実際に魔獣と戦っているところを見せたいのだが、それではレンドルフも見学している余裕がない。実戦形式で身に覚えさせた方が実際手っ取り早いということで、この方法になったのだった。ただ、レンドルフが身体強化を使うとバートンの盾が持たなくなる恐れもあるので、レンドルフは魔法禁止になっていた。バートンの方は身体強化のみを使い、魔法や短剣などは使用しないことにしている。
「お願いします!」
レンドルフは素早く駆け寄って、まずは拳を左右交互に繰り出した。一発ごとにガゴン!と音が響いているが、バートンが盾のカーブを利用して、上手く力を横に逃がしている。何度か躱されて、今度は上から身長差を生かして組んだ両手を振り下ろしたが、それは正面から防がれる。更にその勢いを利用して、梃子の原理で下から突き上げるように顎の下を狙って盾の下方が迫って来る。それを肘で防いで横っ飛びに距離を取る。しかしレンドルフの動きを止めないように、バートンはすかさず盾を直角に回転させて角の部分を当てようとして来る。咄嗟にそれを掴むように押さえたが、盾の重みと身体強化しているバートンの力に足元を崩される。
「くっ…!」
思わず膝を付いたレンドルフの真上から、容赦なく盾が振り下ろされる。一瞬受け止めようと腕を前に出したが、考えるよりも早く体が後ろに飛び退く。紙一重で、今までいた場所に重い盾が地面に深々と突き刺さった。それほど長くないレンドルフの前髪に風を感じる程の僅差だった。
容赦ない攻撃ではあるが、地面に突き刺さったことでバートンの動きが僅かに止まる。その隙を狙ってレンドルフは地面を蹴って、突き立った盾を足場にしてバートンの背後を取ろうとした。が、足を掛けた瞬間にバートンは盾の脇を蹴って地面を抉るように回転させた。レンドルフはバランスを保てずに地面を転がり、起き上がろうと顔を上げたるのと同時に視界一杯にバートンの盾が迫って来て、鼻先でピタリと止まった。
レンドルフは瞬間的に息を止めたが、スッと目の前から盾がどかされてバートンの顔が見えるとハッハッと荒く呼吸が戻って来た。そして今まで感じなかったがどっと汗が噴き出して来る。
「すまん、つい手加減を忘れた」
「いえ…ありがとう、ございました」
手を引っ張られて体を起こされたレンドルフは、すまなそうに眉を下げるバートンに座り込んだままの姿勢でペコリと頭を下げた。立ち回っている最中は集中し過ぎて息を止めていたようで、短距離走を終えた後のように心臓が早く打っていた。
「盾って、こんなに、攻撃も出来る、んですね」
「基本は防御だがの。まあ知っておれば色々と役立つ」
「はい」
「それにしても、お前さんどれだけ怪力なんじゃ。身体強化使っとらんのに手が痺れたぞ」
バートンはレンドルフの前で手を広げて、カラカラと笑った。よく見ると、その手は盾を強く握りしめていた痕が残り、細かく震えている。レンドルフの身体強化を禁じた時点でかなりなハンデがある筈なのに、それでも食らいついて行ける彼の基礎能力の高さに、バートンは感心するしかなかった。
「身体強化使われたら、ワシが全力でも敵いそうもないわい」
「俺の場合は技術よりも力技です。多分隙を突かれたらすぐに形勢不利になりますよ」
「どっちも敵には回したくねえな」
二人の会話に、苦笑を浮かべたミスキがカップを差し出して来た。
「ユリ特製の疲労回復ドリンクだとさ」
「こりゃありがたい」
「ありがとう」
カップを受け取って中を確認すると、少し白く濁った液体が入っている。一口飲むと、少しだけ冷たくて柑橘系の酸味と甘さが体に染み渡るようだった。レンドルフは体が欲するまま勢い良く一気に飲み干した。カラカラに乾いていた喉の奥に滑り落ちて行く感覚が心地好く、飲み終わった後に思わず「ああ」と声が漏れていた。
「二人とももうちょっと休んでていいぞ。まだあっちは盛り上がってるみたいだからな」
空になったカップを回収したミスキが顔を向けた方を釣られて見やると、楽しげに走る…というよりももう飛び回ると言った方が良さそうなノルドと、その手綱を取るユリ、そして半泣き状態で後ろに乗っているタイキの一団が目に入った。
「あれ…」
「ユリが『最初から一番飛ばしておけば後が楽』って言って、タイキに教えてんだよ」
乗馬が出来るのはレンドルフとバートンの他にはユリしかいなかった。その為彼女がタイキの騎乗訓練の指導をしてくれていたらしいのだが、あまりの豪快な脳筋指導に、レンドルフは少々同情を込めて必死にノルドの背中にしがみついているタイキを眺めていたのだった。
----------------------------------------------------------------------------------
「…全く。毎回何かしらは起こるけど、今回は随分と派手だねえ」
「ギルド長!火を点ける前に排煙器回してくださいって言ってますでしょ!」
「悪かったよ」
彼女が綺麗に磨かれた爪でマッチを優美な仕草で摘まみ上げ、輸入品で繊細な彫金が施された煙管に火を点けると、補佐官の男性が額に青筋を浮かべながらキリキリした様子で排煙の魔道具のスイッチを入れた。確か隣の部屋にいた筈なのだが、彼のその探知能力の早さは犬並みだとギルド長、グランディエ=エヌゥは密かに思った。
ここはエイスの街のギルド、最上階で最も広い部屋であるギルド長の執務室だった。そこの主でもあるグランディエはかなりの愛煙家なのだが、最近は吸える場所がめっきり減ってしまって、外の喫煙所まで行って吸って帰って来る回数と時間が多すぎると補佐官が激怒し、執務室に排煙の魔道具を設置することで部屋から出さない作戦に出たのだ。
「そちら、なにか問題でも?」
「まあ、問題だらけだろ」
「…ですね」
補佐官サム・タッカルタは、グランディエの机の上の書類にチラリと目をやった。彼女の広げている書類は、今行われている定期討伐の報告書だ。数字としてはいつになく好調なのだが、イレギュラーな事態もいつになく多い。
「行方不明の斥候の保護。呪詛の魔道具の発見。Sランク魔獣討伐と駐屯部隊の出動。東の迷宮の異変…これ全部、同じパーティが関わってるヤツだろ。アイツら、引きが良すぎるんだよ」
「東の迷宮に関してはこちらからの依頼ですが」
「それにしたって、運が良いんだか悪いんだか」
グランディエは紫煙を燻らせながら、書類に目を落とした。彼女の鮮やかな真っ赤な髪色と同じ色の長い睫毛が頬に影を落とす。その髪色に合わせていたからなのか元からなのか、彼女のこよなく愛する赤色は、爪や唇も艶やかに彩っている。
「良いのではないでしょうか。誰も死んでいませんし」
「お前は分かりやすくていいねえ」
形の良い唇の端だけを上げて微笑みの形を作ると、グランディエは爪の先で報告書に記載されている冒険者の名前をなぞった。そこには、パーティに所属していない短い名前の冒険者が二名いた。「ユリ」と「レン」という家名も何もない、愛称としか思えない名義。
冒険者登録は別にどんな名前でも、偽名だって問題はない。ただ、魔道具によって国に登録されている戸籍と同期されているので、当人とギルド長、そして国の中枢を担う一部の管理者は本当の情報を見ることが出来る。グランディエも、その権限で彼らの本当の名前も身分も知っている。ギルド長は、自分が管理している地区に凶悪犯などが入り込まないように、少なくとも自分の管理下で登録された者の出自は一通り確認はしている。しかし、そのことは一定の条件下でない限り他言することは許されない。その権限を得る際に、誓約魔法で細かく徹底的に禁じられるのだ。
「その『薬草姫と護衛騎士』がどうかしましたか?」
「何だい、そりゃ」
「ご存じないですか?最近職員の間では有名ですよ」
数年前から、薬師見習いとしてギルドに定期的に回復薬や傷薬を卸しに来るユリという名の女性。子供のように小柄で、少し背伸びをしてカウンターで手続きをしている様子の可愛らしさから、いつしか密かに「薬草姫」と呼ばれるようになっていた。そして最近その彼女の側で守るように付き添っているどう見ても騎士な冒険者の男性が現れ、夜遅い時には必ず馬車まで送り届けている姿が目撃されていた。その並んで歩く姿から、二人のことを「薬草姫と護衛騎士」と誰ともなく呼ぶようになったのだ。
「それはまたよく言ったもんだ」
グランディエは喉の奥で軽く笑うと、灰入れの縁に軽く煙管を打ち付けて火種を落とした。
「こっちの『護衛騎士』さんとやらが、魔獣でも引き寄せる体質なのかねえ」
「そういった者の存在はただの噂で、何の根拠もありませんよ」
「分かってるよ。全く、ただの雑談じゃないか。頭が固いねえ、サム」
揶揄うようにグランディエに言われて、サムは常に皺を寄せている眉間を僅かに震わせて、無言で排煙器のスイッチを切った。
「ところで、勝手にダンジョンに近道を作った奴らは判明したかい?」
「今のところ、利用者までは絞れました。おそらくその中に犯人がいるでしょう」
「この定期討伐が終わる前にカタを付けるんだよ。逃げられたら面倒だ」
「分かってますよ」
「赤い疾風」に依頼して判明した、ボスのミノタウロスが出現するエリアに開けてあった穴は、鑑定魔法の使える魔法士を調査に行かせてそこを利用した者の魔力の残滓を確認させた。そして「赤い疾風」以外の冒険者を既に絞っている。
その人数から察するに、穴の存在を知っている者達が直接ミノタウロスだけを何度も倒していたらしいことは判明している。そして絞られたのは、パーティ同士で親交がある者ばかりだった。おそらくその中の誰かが穴を開け、友人のみで共有して利用していたのだろう。
確かに正攻法や、途中から作られた近道の抜け穴を利用するよりもボスだけ倒すのは手間と稼ぎを考えたら効率は良い。途中で出現する魔獣を倒すよりも、ミノタウロスだけを倒す回数を増やした方がはるかに稼げるのだ。しかしダンジョンの性質はそんなに単純なものではなく、ダンジョン内で魔獣が一定数を超えると外に溢れてしまう為にある程度はボス以外の魔獣を倒す必要があるし、抜け穴を作る際も、そこから魔獣が逃げ出さないように一方通行の結界の魔道具を配置してあるのだ。今回のように適当に勝手に穴を開けていいものではない。もし偶然開けてしまったのなら、ギルドに報告をする必要がある。
そのダンジョンの性質は初心者講習でしっかりと教えられるので、穴を開けた者は知っていてそのままにしているので悪質という他ない。
今回のダンジョン内で確認された、通常なら出て来ない筈のオオムカデや魔狼は、ダンジョン内から漏れ出るミノタウロスの魔力に惹かれて開けられた穴から入り込んだらしい。魔狼に至っては、ミノタウロス以外の魔獣を食い荒らして短期間で属性持ちの上位種に進化し、入り込んだ穴から出られないサイズになってしまってあの場に留まることになったようだと持ち込まれた魔狼を鑑定した魔法士が言っていた。そして初心者向けの東の森で見かけるようになった魔獣は、魔狼やオオムカデに追われて穴から逃げ出したものらしい。
ボスのミノタウロスの強さが跳ね上がっていた原因はまだ判明していないが、やはりあのエリアに開けられた穴が影響していたのは間違いないようだ。現に穴を塞いで改めて他のパーティが調査に入ったが、出現したミノタウロスは通常のCランクに戻っていたと報告を受けている。
「何も知らないパーティがダンジョンアタックしてなくて良かったよ」
「そうですね。あのダンジョンに挑むのに最適なランクのパーティなら全滅もあり得たかと。とは言え、『赤い疾風』もランク的には危うかったと思いますが」
「あそこは参謀に慎重なのがいるからな。それでも大分危なかったみたいでかなり食い付かれたぞ」
「その分、買い取り価格を上乗せしてますから」
「それが分かったからあちらさんも苦情は引っ込めたんだろうさ」
持ち込まれたミノタウロスは、Aランクには僅かに届かない、といったところだったが、ギルドでも予測出来なかったイレギュラーに対応してくれた慰労も含めてAランクの査定で買い取っている。幾つか自分達で引き取ったのか欠けている部位もあったが、その分も差し引かず丸ごと一体で計上させた。大っぴらにギルド側からの依頼料で応えるには色々と柵があるので、そちらで手打ちにしてもらったのだ。勿論そのことは表には出さないが、向こうでもそれは察してくれたようだ。
「その分の差額と、森で負傷した初心者の治療費と保証金、全部まとめて取り返せ」
「勿論。我々の残業代も含めて搾り取ってみせます」
知っていて穴を利用した者や穴を開けた犯人達は、重大なルール違反としてギルドから相当な罰金が言い渡されるだろう。もし支払えなかった場合は軽犯罪者として届け出がされるのだが、名前が挙がっているのはどれも中堅以上の冒険者達だ。しかも今回の定期討伐にも参加しているので取りはぐれることはないだろう。
グランディエは美しい顔に似合わぬ鋭い眼光でサムを見上げた。サムもそれに一切怯むことなく、ニヤリと悪い顔で笑ってみせる。この瞬間のこの場はギルド長の執務室ではなく魔王の玉座のような光景であったが、幸いそれを見ている者は誰もいなかった。
----------------------------------------------------------------------------------
「うううう…ケツ痛ぇ…割れる…」
「もう割れてるから大丈夫よ〜」
「そうじゃねえよ!……ううう…響く」
帰りの馬車の中でうつ伏せに横たわって、タイキが呻いている。クリューがその頭をよしよしと撫で回していた。
明日は休みだから、ということで、タイキの騎乗訓練を請け負ったユリのスパルタな教え方で、タイキはすっかり参ってしまっていた。ノルドの揺れや魔力に酔ったのではなく、勢い良く飛び回らせていたせいで打ち付けた尻のダメージが大きいらしい。その様子を見てユリが「私も同じように乗ってたのに」と解せない様子で呟いていたのは、皆敢えて聞かなかったことにした。
「そんなに痛いなら、タイちゃんの回復薬飲む?」
「ヤダ!絶対ヤダ!」
ユリはいつもの通り、平然とレンドルフの前に座ってノルドに揺られていた。
「レンさんは大丈夫?ちらっと見たけど、結構ぶつかり合ってたよね」
「うん、ちょっと腕がだるいくらいかな。さっき特製ドリンクもらったし、大丈夫だよ」
「それなら良かった!」
「味も良かったし。あれは何が入ってるの?」
レンドルフに褒められて、ユリは嬉しそうに材料と効能を語りだした。レンドルフはそれを聞きながら楽しそうに相槌を打っている。ご機嫌な様子でドリンクの工夫などを説明しているユリを、柔らかく目元を下げ微笑みを浮かべて眺めているレンドルフ。ついさっきまでポイズンワームを捩っていたり、スレイプニルに乗って暴れ回っていた二人とは思えない程、温かく幸せそうな空気が漂っている。
「この光景ももう最後ね…」
いつも帰り道はこの微笑ましい様子を眺めながらゆったりと馬車に揺られるのが日課になっていたクリューは、少しだけ寂しげにそっと呟いたのだった。
いつもお読みいただきありがとうございます。
評価、ブクマ、いいねありがとうございます。誤字報告もいつもありがたく思っております。
引き続き、気に入ったり、続きが気になると思われたら、評価、ブクマ、いいねなどいただけましたら幸いでごさいます。