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閑話.使用人達

前話の半ばくらいの時間軸からの始まりです。


「ご主人様、部屋で食べるって」

「…良かった」


キャシーからの伝言を聞いてデヴィッドが昼食を乗せたワゴンを運んで行ったのを確認して、シンシアは洗濯室に向かって声を掛けた。その声を聞いて、洗濯室からソロリとカチュアが顔を覗かせる。


「貴女達」

「ピャッ!」


不意に背後から声を掛けられて、シンシアは奇妙な声を上げて文字通り飛び上がった。カチュアは再び洗濯室に逃げ込んでドアを閉めようとしたが、シンシアがちょうど境目に立ち塞がっていてそれは適わなかった。


「キャシーさん…」


二人が揃っておずおずと顔を上げると、そこには鉄壁の微笑みを崩さないのに明らかに怒っていると伝わるキャシーが立っていた。


「す、すみません…」

「スミマセン…」

「謝るくらいなら改善なさい。特にカチュア」

「…はい」

「無理に近付けとは言いませんが、職務放棄はもってのほかです」

「はい…」


男性不信気味のカチュアは、使用人仲間の男性には多少慣れて来たものの、未だにレンドルフには近寄れずにいた。その辺りを考慮してあまり顔を合わせないで済むキッチンメイドとして配置したのだが、今日はレンドルフが休日で珍しく邸内にいる上にキッチンでレオニードと試行錯誤をしていたので、カチュアは朝食の後片付けも放置してキッチンから逃亡していたのだった。それを知ってシンシアはこっそり彼女の食器洗いと自分の洗濯業務を交換していたのだが、当然のようにあっさりキャシーにバレた。



もともとカチュアは隣国の男爵家の令嬢だったが、見合い相手に騙されて国外に連れて来られた上で一文無しになったところをパナケア子爵に保護されたという経緯を持つ。当初はパナケア子爵が彼女の実家に連絡を取って帰国させるつもりだったが、貧乏男爵家だった彼女の実家から今更戻されても困ると返答を貰い、人の良い子爵夫妻はこの国での身元引き受け人になったのだ。多くは語らないが、見合い相手を心底信頼していたのに最悪の形で裏切られた彼女は、それ以来男性不信になってしまったらしい。



キャシーも使用人の中でも責任者として雇われているので、カチュアの事情は承知している。だが、本人がメイドとして働くと言った以上は、やはり勝手な職務放棄は見逃せない。それにこのままではこの先、どこかで雇われるのは難しいだろう。


「ご主人様は見た目は大柄で近寄り難く思えるかもしれませんが、大変お優しい方です。それでもお仕え出来ないようでしたら、余所でもメイドは貴女には難しいでしょう」

「…はい。申し訳ありませんでした」

「もうすぐここでの研修も終了します。貴女はどうしたいか、よく考えてください。相談には乗りますから」


カチュアは無言で深々と頭を下げると、小走りにキッチン向かって立ち去った。チラリと見えた目の端には光るものが浮かんでいたようだったが、自分に非があることは分かっていた顔をしていたのでキャシーは特に追うことはしなかった。


「あの…あたし、余計なことしました。すみませんでした」

「そうですね。気を回したのは分かりますが、まずは私か、レオに相談しなさい」

「はい、気を付けます」

「では、貴女は洗濯の続きをお願いします」

「はい!」


シンシアもピョコリと頭を下げて、洗濯室へと消えて行った。


キャシーはそっと聞こえないように小さく溜息を漏らす。「パナケア家執事アレクサンダー」を名乗っているレンザへの報告書に記載することが増えてしまって、少々頭の痛い思いをしていたのだった。



----------------------------------------------------------------------------------



もともとキャシーはアスクレティ大公家で働いていたので、レンザの顔は知っていたのだ。そのレンザから依頼された「大公家別邸の離れに受け入れる人々の監視」をすることが彼女の本当の仕事だ。それは使用人達だけでなく、レンドルフも含まれていた。何の為かは分からないが、知る必要もないとキャシーは思っていた。国王と同等の権力を持つ特別な大公家にも様々な事情がある為、彼らはレンザの思惑で何らかの篩に掛けられているのだ。そしてこの監視の役目をこなせるかどうかで、キャシー自身もその篩の中にいることも承知していた。


(男性陣はソツなくこなしているけれど、それに比べてあの二人は…)


レオニードは無愛想に見えるがシェフとしての腕は良く気も回る。レストランなどで接客も含む業務は向いていないかもしれないが、貴族の家に仕えて料理に集中する分には問題ないだろう。ニルスは主人に対する距離感が近しいところが気になるが、人を見て判断していると思われるのと、何でも器用にこなすので使用人としては即戦力になりうる。が、若い女性の多い屋敷ではトラブルを起こしやすそうなところは注意が必要と思われた。デヴィッドは経験がなく一番心配だったが、最も成長が顕著だったのは良い意味での誤算だった。周囲を観察する目と、すぐに良いと思ったものを取り入れる柔軟さはむしろ見習うところがあった。

そしてレンドルフは、貴族らしからぬ物腰と気配りで人柄は素晴らしいが、当主だった場合は騙されないかやや不安にはなる。優秀な補佐に恵まれるか、自身が有能な当主に仕える補佐に回った方が向いているのではないかと思われた。もっともあの体格や所作、毎朝の鍛錬の様子などを見ていれば騎士なのは間違いなさそうなので、貴族としての今後を心配する必要はなさそうだった。


それが男性陣へのキャシーの評価だった。


反対に女性陣は、このままでは二人とも貴族の屋敷で働くには難しいと思われた。カチュアは男性不信も問題であるのだが、見目はとびきりの美少女である為、当人が最も望まない形でトラブルを呼びそうな気がしてならない。本人が希望するのならば、神殿で神職に就いた方が彼女自身の為ではないかとも思われた。シンシアは言動が良く言えば裏表のない、悪く言えばあけすけなので、貴族よりは商家、特に平民向けの場所の方が上手くやって行けるだろう。

キャシー自身は、やはり以前程上手く立ち回ることが出来ずにいることをひしひしと感じていた。もっと早く勘が戻ると思っていたのだが、自分自身の見積もりが甘かったようだ。



レンザがどういった評価を下すかは分からないが、最後まで気を抜かぬように、キャシーは自分を叱咤して、より一層キリリと姿勢を正したのだった。



----------------------------------------------------------------------------------



「これ、ホントに食べていいの?」

「ああ」


テーブルの上に並んだジュージューと音を立てている肉に、ポカンと口を開けてニスルが聞いた。もうこれで三回目になる。


朝からレンドルフは魔獣討伐に出掛けているので、使用人達は揃って昼食を取っていた。


今日は、まるで晩餐のようなご馳走が並んでいる。コンソメスープや蒸し鶏を細かくほぐしたサラダなどはシンプルであったが、何と言ってもメインの分厚いステーキが存在感をこれでもかと主張している。


この肉は、先日レンドルフが持ち帰ったミノタウロスの肉だ。ミノタウロスは魔獣ではあるが、牛よりも高級な肉として取り引きされている。そしてレンドルフから提供された肉は、最高級の部位の一つであるサーロインだった。これはもうすぐ討伐も終わり、この別荘を引き払うことになるレンドルフが、使用人達への感謝と餞別を込めて特別に贈ってくれたものだった。

そして皆の意見を聞いて、レオニードが腕によりをかけてステーキにしたのだった。


普段はそれぞれの仕事の都合でバラバラに食事をとることが多いのだが、今回は互いの慰労も含めて少し早いが食事会にしようと都合を合わせたのだ。


「うわぁ、このお肉、歯が要らない」

「分かる」


厚い肉にナイフを入れると、スルリと刃が滑り込み、十分に熱は通っているが中心はほんのりとピンク色の身の間から、ジワリと上質な脂が滲み出して来る。口に入れて噛み締めると、数回噛んだだけで蕩けてなくなってしまう程に柔らかくジューシーだった。肉の甘みと、コクのあるグレイビーソースが絡み合って、思わず溜息が出る。一口目にシンシアが呟いた感想に、誰もが同意していた。


「僕、こんな旨い肉、初めて食べた」

「俺も」


口いっぱいに頬張ってニコニコしているニルスに、デヴィッドも頷く。少々行儀は悪いが、それくらいに夢中になっていたので誰もそれを咎めることはない。もっとも使用人だけなので他人を不快にさせなければマナーなどはあまりとやかく言われない。



「あれ?キャシーさん具合でも悪いんですか?」


しばらくして、キャシーの前の皿の上の肉が半分程残っているのに気付いて、ニルスがすかさず問いかけた。キャシーは少しだけ困ったように眉を下げてナプキンで口元を拭った。


「いえ…とても美味しいのだけれど、私にはちょっと脂が多くて」

「あー…人によってはそうだな」

「ごめんなさいね」


ふと見ると、男性は全員完食していたが、女性の皿の方は少し肉が残っていた。レオニードはそれも見越して肉の大きさを変えてはいたのだが、非常に味が濃厚で脂の乗った肉は予想以上に女性の胃には重かったようだった。


「えっ、じゃあキャシーさんの肉、僕貰ってもいい?」

「え!?た、食べかけですよ?」

「えー別にキャシーさん直接齧った訳じゃないでしょ?あ、良かったらみんなのもちょうだい。僕、もうこんなに良いお肉二度と食べられない気がするし」


まさかのニルスの申し出にキャシーは珍しく動揺していたが、無邪気にニルスに言いくるめられて肉を引き取られてしまった。そしてニルスは躊躇いなく貰った肉を美味しそうに完食していた。肉を渡した女性陣も別に引いた様子はなく、もはやニスルの人柄の勝利であった。


「わっ!」


不意に、シンシアが声を上げた。どうしたのかと思って皆が一斉に彼女を見ると、小さな深皿を手に目を見開いていた。


「ど、どうしよう!レオさん!これ、めっちゃ美味しい!!」


シンシアが手にしていたのは、レオニードが興味があるなら、という程度に添えておいた例のトマトの煮込みであった。皆、何となく食べ慣れていないのとやはり内蔵というのに抵抗があったのか手を付けていなかったが、シンシアが興味から一口食べてみたらしい。


「ウソでしょ!ヤバい!本当に美味しい!!」


シンシアははしゃいだ声を上げながら、肉を残していたとは思えない程の勢いで次々と口に運んだ。小さな器だったので、あっという間に中身が空になる。


「レオさん、おかわりあります?」

「…あ、ああ。まだ残ってる」

「お願いします!あ、出来ればジャガイモ多めに」

「おう」


遠慮なく器を差し出したシンシアに、レオニードは少しだけ口角を上げてそれを受け取った。分かりにくいが、ひと月仕事を共にしている彼らには、それが彼の満面の笑みだと分かる。


「旨かった、の?」

「うん!ホントに美味しいって!ニルスも食べてみなよ。昨日だってご主人様、三杯もおかわりしてたじゃない」


戸惑ったようにニルスが訪ねたが、シンシアは勢い良く即答する。そしておかわりをレオニードから受け取ると、ホクホクと口に運んでいた。その様子を見て、ニルスもそっと器にスプーンを差し入れてパクリと口に入れた。そして次の瞬間、顔がパッと輝いたのを見て、シンシアが得意気に笑った。


「ほらあ!美味しいでしょ!」

「うわあ…ホントに旨い…」


猛然と食べ始めたニルスを見て、他の皆も恐る恐る器を手に取った。


「まあ…」

「あはははは」


キャシーは目を見張り、デヴィッドは思わず笑い出していた。そして目を瞑って口に入れたカチュアは、眉間に皺を寄せたままずっと無言で咀嚼していた。


「おいおい、無理しなくていいんだぞ」


皆の反応が良いからといって、苦手なら無理に食べることはないのだ。渋い顔のままずっとモグモグしているカチュアを心配して、レオニードがそっと彼女の手に紙ナプキンを手渡した。しかし、カチュアはフルフルと首を横に降る。そして長い長い咀嚼の後、ようやくごくりと飲み込んでフウッと息を吐いた。


「美味しい…」

「無理してたんじゃないのか?」

「美味しいけど、飲み込み時が分からなかっただけ」

「そ、そうか」


確かに柔らかいが歯応えのある内蔵は、どれだけ噛んでもなかなか口の中で細かくはならない。カチュアは途中で飲み込まずに、ひたすら律儀に噛み砕いていたらしい。


「やだもー、あたしやっぱり平民舌だー」


おかわり分もしっかり平らげたシンシアが笑いながら言い出した。その言葉に、皆一斉にキョトンとした顔になった。


「何?その『平民舌』って」

「え?言わない?お高い食べ物より、安いものの方が美味しいって思う舌のこと」

「なにそれ!僕初めて聞いたよ」

「ええー!嘘!?もしかしてウチの地方だけ?」


カチュアとニルスに聞かれて、シンシアが真っ赤になって頭を抱えた。何とも騒がしいが、シンシアがやるとどこか微笑ましくさえ見えた。


「俺のところでは『庶民舌』って言う」

「あ!似てる!仲間ー!」


デヴィッドがボソリと呟いた言葉を拾って、シンシアが急に元気になった。聞くとデヴィッドのところもシンシアの言う「平民舌」とほぼ同じ意味らしい。


「ねえねえ、カチュアのところでは何か似たような言葉ないの?」


彼女が隣国の出身だと知っているので、シンシアが興味津々に身を乗り出した。地続きの隣国とは言っても、微妙な文化の差はある。


「ええと…」


シンシアの質問に、カチュアは少しだけ考え込むように視線を泳がせて少しだけ俯いた。


「貧乏舌…」

「うわー、一番酷い」

「別に、私が言った訳じゃなくて!」

「分かってる分かってる。じゃあ僕も『貧乏舌』だ」


何がツボに入ったのかケラケラと笑うニルスに、抗議するように言い返すカチュアを宥めて宣言するように言った。その様子にシンシアも釣られて笑い出して「あたしも『貧乏舌』だー」と追随した。


それを切っ掛けに、皆が出身地の独特の言い回しを披露し合い、いつになく笑い声に包まれた食事風景になった。もうここでの研修も最終日に近くなってはいたが、彼らの結束はより一層固くなったようで、キャシーの報告書にもしっかりと追記されていた。




件のトマト煮込みは好評のうちに鍋が空になり、その日帰宅したレンドルフがそれを聞いて顔にこそ出さなかったが、内心ガッカリしていたのだった。

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