表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
95/624

75.レンドルフの優雅な休日


パナケア子爵家別荘のキッチンで、大柄な男二人が難しい顔で唸っていた。


「すまない、そこまで詳しく見ていなかった」

「しかし、ご主人の記憶にないってことは、違う方法だったんじゃないかと思うんですよ」


十分な広さのあるキッチンが、この二人がいるせいで随分と狭く見える。いつもはそれなりにキッチンには人の出入りがあるのだが、何故か今は誰も寄り付かないのもこの二人の難しい顔のせいかもしれない。


「取り敢えず、今の時期は冬ではありませんので、普通にしてみようと思います」

「そうだな…よろしく頼むよ」



キッチンで悩んでいたのは、この場を預かるシェフのレオニードと、仮の主人であるレンドルフだった。



今日は討伐は休みの日であるので、昨日持ち帰ったミノタウロスの内蔵と腱を調理してもらうことになっていた。

レンドルフは幼い頃に調理しているのを何度も見ていたのと、レオニードは似たような北国の料理のレシピを知っているということだったので問題なく進むと思っていた。が、まず最初から色々と躓くことが多発して、二人はキッチンで難しい顔で首をひねることになったのだった。


まず最初に、レンドルフの記憶では材料を湯で洗っていたのだが、レオニードの知識では流水で洗ってから炒めることになっていたところから躓いた。そこはどちらの作業もおそらく臭みと汚れを取る為だろうとレオニードが理解して、レンドルフの記憶の湯引きを採択した。そこから酒で煮るというのが、酒のみなのか水も入れるのか、茹でこぼすのかそのままなのか、細かいところがレンドルフの記憶に残っておらず、もともと簡単な調理くらいしかしたことがなかったレンドルフにはハードルが高かった。そこはレオニードの方がプロであるので、それなりにフォローしつつ進めていたのだが、アク取りの方法で大きく食い違って行き詰まってしまっていたのだった。


レンドルフの記憶では、キッチンから離れてストーブの上で煮込んでいたので、誰かがアクを取っていたという覚えがなかったのだ。レオニードの知るレシピでは、しばらく煮込んだ後に鍋に蓋をして外で雪の中に埋めるという大胆なものだった。そうして完全に鍋の中身を冷やして、浮いているアクと脂を一気に取り去るというものだった。

味の濃い煮込み料理の中にはアクも脂も除去しないでそのまま煮込むものもある。それにレオニードの言うようなやり方だと、いくら幼いとはいえレンドルフの記憶に残されていそうなものだ。その為そのままアク取りをしないで行こうかとも思ったのだが、レオニードが慣れていない人にも食べてもらうのならばアクを取っておいた方がいいと思うと提案したため、普通にアク取りをしようという方向に落ち着いた。



もはやそこに行き着くだけで、大分大変なことになっていた。


「もうちょっと分かると思っていたんだが、改めて確認すると全然覚えていないものだな…」

「いやあ、ご主人は随分覚えておられますよ。興味のない方は、肉と魚の差も分かりませんから」

「そうなのか?普通は分かるだろう…」

「いやあ、意外と多いですよ」


かつて務めていたレストランで、客である貴族に「ある地方で食べた思い出の肉料理を作れ」と言われて苦労して試行錯誤を重ねてみたものの、一向に満足してもらえず怒らせてしまったことがあった。しかし後日、実はそれが魚料理だったと知らされた時にはさすがのレオニードも膝から崩れ落ちたのだった。そこまでの客は滅多にないが、それでも「これだった!」と主張されて作った料理が実は全く違うものだったということは割と多かった。その実体験を経ているので、レオニードからするとレンドルフの記憶は実に有り難かった。


「故郷では『自分達の食べている命が何であるか知っておくこと』と叩き込まれて育ったからかな。おかげで今でもそれは役に立っているよ」

「良い教えですね」


魔獣の中には毒を持っている種族もいるし、変異種になると突如有毒になるものもいる。防毒や解毒の装身具を付けていて死ぬことはないが、中には酷く不味いものもある。北の辺境の厳しい土地では、そういったものも食さねばならない場合もあるのだ。おかげでレンドルフは好き嫌いなく育ったし、大抵のものは抵抗なく食べられるようにもなった。



「ところで、これにハーブとかは入っていた記憶はありますか?私の知るところだと、タイム、オレガノ、あとはクローブかバジルあたりですが」

「うーん…多分、家によって違っていたと思うな。見た目では…ちょっと記憶にないなあ」


レオニードが棚の中から幾つか小瓶を出して台の上に並べてくれた。その中には乾燥したハーブが入っている。


何度か領民の家を訪ねてご馳走になったことがあったのだが、どの家も微妙に違う香りだったのは覚えている。だが、それが何だったかはわざわざ聞かなかったのでさっぱり分からなかった。


「もしかしたら粉にしていたのかもしれません。香りに覚えはありませんか?」

「そうだな…ああ、これだな。実家で食べていたのはこの香りがした」

「オレガノですか。ではこちらを使いましょう」


ハーブは全く詳しくないレンドルフは分かるかどうか疑問に思いながら蓋を開けてもらった端から香りを確認したのだが、一つの瓶の香りを嗅いだ瞬間に城内の光景がはっきり浮かび上がって来たのだった。まさかここまで香りと記憶が直結しているとは思っていなかったので、自分でも少々驚いていた。


使用人達が休憩などに使用しているあまり広くない部屋で、ストーブを囲みながら母や今は亡き乳母、懐かしい使用人達とお茶を飲みながら過ごした部屋の空気まで肌感覚でよみがえって来て、レンドルフの胸の奥がフワリと温かくなった。


「これでしばらくは煮込んで行きますから、ご主人はどうぞごゆっくりお休みください。夕刻ぐらいに一度味見に来ていただけると助かりますが」

「分かった。そうさせてもらうよ」


レンドルフとしてはこのまま煮込まれるところにいても構わないのだが、あまりキッチンに居座り続けているのもレオニードの邪魔になってしまうだろうと思い、自室に戻ることにした。



----------------------------------------------------------------------------------



今まで休日は、装備品の修理を頼みに行くついでにエイスの街を回ったりもしていたのだが、今日は特に予定入れていない。どこか出掛けるにしても夕刻には味見という重要任務が控えているので、そう遠出は出来ないだろう。それに毎日のように連れ回しているノルドを休ませるのも必要だ。すっかり暇になってしまったレンドルフは、どう過ごしたものか自室に引き返しながら思案していた。


(図書室にでも行ってみようか)


この別荘にも、小さいが図書室があった。案内された際に一度入っただけだが、チラリと見ただけでもクロヴァス家とは全く違う種類の本が並んでいたのは覚えている。たまには普段手にしないものを読んでみるのもいいかもしれないと思い立ち、向かう方向を変更した。


その途中で、従僕のデヴィッドとすれ違った。ここに来たばかりの頃は、何となく全ての動きに固さが見られたが、最近ではすっかり従僕の服も馴染んで来たように見えた。


「ご主人様、どちらへ?」

「ちょっと図書室に行こうと思って。ああ、そう言えばデヴィッドは本に詳しかったな」

「ただの趣味でございます」

「それでもいいよ。ちょっと軽い読み物があれば教えて欲しいんだ」

「畏まりました。ご案内いたします」


ここに来て少し経った頃、キャシーに使用人達も図書室を利用していいかという打診があった。レンドルフも、特にパナケア子爵の個人や家に関わる重要なものがなければ構わないと許可していた。後に一番デヴィッドが喜んで、休憩時間中にはほぼ入り浸っているという話を耳にしていた。


「ご主人様はどういったものをお求めですか?」

「そうだな…そんなに時間が取れないので、あまり大作だと困るかな。夢中になって寝不足になるのも避けたいしな。気の張らないものだとありがたい」

「それでしたら、旅行記や異国の生活を綴った随筆などはいかがでしょう。旅行記の中ではレイ・テイモンド氏の著作が読みやすいかと思います」

「ああ、確か作者がエルフという噂のある」

「はい。各地に長期滞在しないと得られないような知見に満ちた内容ですが、大変読みやすかったです」


レンドルフも耳にしたことのある旅行記の著者は、世界各国で長期生活をしているような細やかな視点で描かれた内容で有名だ。そして長年に渡り著作が発表されている為、長命なエルフ族が作者とも、世代交替して何人もが書き続けているとも言われているが、作者の顔は知られていない。


「じゃあその旅行記を借りてみることにするよ」

「はい。こちらの棚にございます」


図書室に行くと、デヴィッドは迷うことなく目的の旅行記が置かれた棚へと案内してくれた。さすがによく入り浸っているだけのことはある。


その中でミズホ国について書かれている巻を選んでもらい、ふと目に付いたミズホ国の神話の翻訳本を見つけて、レンドルフはその二冊を抱えて自室に戻ったのだった。



----------------------------------------------------------------------------------



『かつて 国には四頭の神獣がおり 四つの季節を交替に治めることで 国の安寧と 均衡を保っていた。神獣達は 番 と呼ばれる人間と共に在り 永き時を見守り続けていた。だが ある時 番の一人が 神獣との 子 を欲した。神獣は 番の願いを叶えたが 弱い人間であった番は 子を残して死んでしまった。やがて残された 番の子 は 世 の全てを欲した。神獣は 番の子 の願いを叶えようと 他の神獣と番を 排除しようとした。

戦うことを望まない神獣と番は 別の地へ逃げ延びた。

抵抗した神獣と番は 弱い人間の番を失い 神力を失って海に沈んだ。

思慮深かった神獣と番は 番の子 を唆して 親である神獣を 地中に追いやった。

親の加護を失った 番の子 は 国のどの地でも生きることが出来なくなり 親の後を追って地上から姿を消した。

残った神獣は  争乱を嘆き 番を置いて天上に還った。

やがて 国は 神獣ではなく 人間が治める国となり 厄災と祝福の混沌の時代が続いた』



----------------------------------------------------------------------------------



レンドルフがまず開いたミズホ国の神話の最初の話「創始伝」には、そんな内容が記されていた。このオベリス王国にも建国王の伝説に神獣や番の話があった筈だ。遠く離れた島国のミズホ国にも似たような伝説があるのは面白いものだな、とレンドルフは興味深く読み進めていた。

時折原書をそのまま写し取ったのか、不思議な挿絵が載っていた。線の強弱だけで表現されたのっぺりとした絵柄で、どんなものを描いているのかさっぱり分からなかった。しかし妙なユーモラスさがあって、レンドルフは飽きずに眺めていたのだった。



半分程読み進めると、キャシーが昼食を部屋に用意するかと確認しに来た。どうやらレンドルフが部屋で読書をしていると聞いてサンドイッチを準備してくれているそうだ。行儀が悪いな、と思いつつも、その気配りに甘えることにして部屋に運んでもらうことにした。



「失礼いたします」


しばらくすると、昼食を乗せたワゴンをデヴィッドが押して来た。こういった準備はシンシアが担当しているのだが、珍しいなと思っていると、デヴィッドが小脇に抱えた本を一冊差し出して来た。


「あの、ご主人様。差し出がましいかと思ったのですが、よろしければこちらもいかがでしょうか」


受け取って表紙を眺めると、「ミズホの国の異邦人」というタイトルが書かれていた。


「先程選ばれていたのがミズホ国のものでしたので、もしご興味があるならと思いまして。ミズホ国を旅する冒険者の物語です。私の私物ですが」

「借りていいのかな?」

「はい、勿論です」

「ありがとう。早めに読んで返すようにするよ」

「いえ、どうぞごゆっくりお読みください」


そう言われたものの、受け取った本は少し背表紙の一部が擦り切れているように色褪せていて、そこはちょうど指が当たる場所だ。きっとデヴィッドが気に入っているものだろうと思い、心の中で優先してこれを読もうとレンドルフは決める。きっとこれを渡す為に昼食の準備を変わったのだとも思うと、その心遣いが嬉しかった。


一礼してデヴィッドが退室すると、レンドルフは汚さないように離れたところに本を避難させた。



大きな皿の上に並べられたサンドイッチは、すぐに食べることを想定してか瑞々しい野菜がたっぷりと挟まっていた。赤いトマトの切り口が美しくて真っ先に手に取ったのは、他にレタスとベーコンが挟まった定番のものだ。薄いベーコンをじっくりと焼いてサクサクした歯応えになったものが何枚も挟んであって、まだ野菜の水分に馴染んでいないので噛みちぎった時の歯応えと塩気が程よくトマトの柔らかさと酸味に調和している。次に手を伸ばした黄色が鮮やかなオムレツはまだ温かく、中に入ったチーズがとろりと溶け出して来る。他にも蒸し鶏とキュウリを挟んだものや、デザート代わりにカスタードクリームとフルーツのサンドイッチもあった。

すっかりレンドルフの食事量も把握していて、全て綺麗に食べ終えるとちょうど満腹になる。満腹と言っても苦しくなるわけではなく、満足といった絶妙な腹具合だ。


全て食べ終えると、ワゴンの下段にもカバーを被せた皿があったことに気付いた。蓋を取って覗いてみると、細長い形をした焼き菓子が並んでいた。その形を生かして、端には指が汚れないように紙が巻いてある。紅茶が入っている保温の付与が掛かっているポットも大きめで、午後も静かに読書をして過ごせるように準備してくれたらしい。

レンドルフは柔らかく微笑むと、焼き菓子の皿とポットを机の上に乗せると、ワゴンは部屋の外に出しておいた。今日は夕刻の味見の時間まで、彼らの気遣いに甘えてのんびりと過ごすことに決めて、レンドルフはゆったりとソファに凭れ掛かりながら、肘の辺りにクッションを置いて、デヴィッドから借りた本を開いたのだった。



----------------------------------------------------------------------------------



一冊を読了して顔を上げると、まだ夕刻と言う程ではないが、日が傾いてほんの少しだけオレンジ色が混じるような時間帯になっていた。


つい夢中で読み耽っていたので、机の上に置いておいた焼き菓子と紅茶は殆ど減っていなかった。立ち上がって伸びをすると、背中の骨がボキボキと鳴って、思わずレンドルフは苦笑していた。どちらかと言うと体を動かして時間を過ごすことが多かったので、こんなふうに読書をして過ごすことはそれこそ子供の頃以来な気がしていた。


休憩がてら、行儀は悪いが誰も見ていないので立ったまま焼き菓子を口に入れる。軽い食感の菓子は、口の中に入れただけで舌の上でサラリと溶けて、スッキリとした甘さと微かなレモンの風味が広がる。見た目はクッキーのようだが、雪のように溶ける食感は少し違っている。気が付くとあっという間に半分以上平らげていたが、まったく重さを感じないので、全部食べ尽くしても夕食に影響はなさそうだった。



デヴィッドに借りた本は、船が難破してミズホ国に辿り着いた異国の少女が、ミズホ国の独特の文化に驚きながら、不思議な騎獣と出会い、国中を旅して回る冒険譚だった。道中で魔獣に苦しめられている集落を救ったり、流行病の原因を異国の智恵で突き止めたりして、テンポよく話が進む短編集形式のスタイルだった。内容の大半は勧善懲悪もので、スッキリと終わるところが良かった。最終回は、その不思議な騎獣は実は獣人で、意図したわけではないが不運にも少女の乗った船を沈めてしまった詫びとして陰ながら少女を支え続けていたことが判明する。ずっと騎獣扱いをしていた少女は、急に獣人だったという事実に混乱し戸惑ったが、最終的には手を携えて、主人と騎獣ではなく冒険者仲間として未知なる場所へ旅立って行くところで終わっていた。


どちらかと言うと、少年向けの物語だったのかもしれないが、レンドルフが読んでも十分に心躍る楽しい物語だった。


読了したのですぐにデヴィッドに返そうかとも思ったのだが、何となくもう一度読んでおきたくなったので、もう少し借りさせてもらうことにした。



まだ少し早いかと思ったが、さすがに体を動かした方が良さそうだったので部屋を出てキッチンに向かうことにした。


「首尾はどうだい?」


キッチンに近付くと、トマトの良い香りが既に漂っていた。中に入って声を掛けると、夕食の準備を始めたところらしく、レオニードが卵の入った籠を抱えていた。何か視界の隅で素早く動く影があったが、滅多に顔を合わせないキッチンメイドだろう。覚えはないのだがどうにも怖がらせてしまったらしく、この別荘に来てから顔を合わせたことも声を聞いたことも片手くらいしかない。ここまで避けられるのはそう多くはないが、今までになかった訳でもない。レンドルフは別に気を悪くする訳でもなく、仕方ないことと割り切っている。


「そろそろ味見をしていただこうと声を掛けようと思っておりました」

「楽しみで気が急いてね。それなら良かったよ」


このキッチンで一番大きな鍋を覗き込むと、真っ赤なスープがふつふつと煮込まれている。その香りを胸いっぱいに吸い込むと、記憶の中の懐かしい思い出が刺激される。


「見た目はいかがでしょう」

「実家で食べていたのはもう少し汁気が少ない感じだったかな。スープというより煮込みに近い感じで」

「もう少し煮込めば減るとは思いますが、それでも多いかもしれませんね」

「でもこれはこれで美味しそうだ。香りは良く似ているよ」


レオニードは深めの皿の中に、種類の違う内蔵と腱を選び出して入れると、上からトプリと赤いスープを注ぎ入れた。レンドルフは慣れているが、初めて見る人によっては不気味に思えるかもしれないな、と改めて思った。これをユリ達に勧めてもいいものかと頭によぎる。


「どうぞ」

「ありがとう」


スプーンで掬うと、半透明になってフルフルとしたものが現れる。これは腱の部分だろう。息を吹きかけてそっと口の中に滑り込ませると、とろりと蕩ける食感と濃厚に舌に絡み付く旨味がトマトの酸味と融合する。他の野菜の甘みも十分に感じられて、濃厚な割にスッキリとした後味だった。そして最後に鼻に抜けるオレガノと思われる微かな苦味を含んだ香りが、まさしく故郷のものと同じだった。


「すごいな…」


飲み込んで溜息を吐いて、思わず言葉が漏れる。そして顔を上げると、一見不機嫌そうに見えるが内心の不安を隠し切れていないレオニードの青い目が揺れているのが分かった。レンドルフは自分の言葉が不安を煽ってしまったのだと気付いて慌てて言い直す。


「ああ、故郷のとは少々違うが、あまりにも上品で驚いたんだ」

「上品、ですか…?」

「故郷のものはもっとこってりとしていると言うか、肉の味がメインと言うか。これは野菜の甘みも分かるし、同じ材料を使って作ったとは思えなくて。シェフが違うだけでこんなに違った美味しさがあるとは思わなかったよ」

「お口に、合いましたでしょうか」

「ああ。とても美味しいよ。今度、今日のレシピを書き出してくれるかな。実家の料理長に見てもらいたい」

「畏まりました。…あの、もしよろしければ、ご主人のご実家のレシピも教えていただけないでしょうか…」

「分かった。頼んでおくよ。研究熱心な者だったから、きっと喜んで教えてくれるだろう」

「ありがとうございます」


レンドルフはすぐに次の一口を口に入れる。今度は内蔵、腸の方だった。こちらは柔らかいがしっかりとした歯応えで、よく噛んでいると旨味が深くなる。内蔵特有の全く臭みが残っていない。実家の方では僅かに癖が残っていて、慣れているとそれはそれで美味しいのだが、これならば慣れていない人間でも食べやすいかもしれない。


「母と兄は煮込んだ野菜のスープが好きだったから、こちらを喜ぶかもしれないな」

「光栄です」


味見と言うには少々量の多い皿の中身をレンドルフはペロリと平らげると、空になった皿をレオニードに手渡した。彼は先程と変わらぬ表情にも見えるが、その目には明らかな喜色が浮かんでいた。


「この煮込み、冒険者仲間が食べてみたいと言っていたので、保存の出来る容れ物に取り分けておいて貰えるかな」

「はい。承知いたしました。…ところで、あの、ご主人…」


レンドルフが機嫌良くキッチンを後にしようとするところを、レオニードが遠慮がちに呼び止めた。


「あの、昨日いただきました肉の塊ですが…」

「ああ、あれは皆の希望を聞いて好きにして欲しい。レオには手間をかけてしまうかもしれないが…」

「い、いえ、その、ご主人のご希望は」

「俺はそれを作ってもらえたから満足だよ」


レンドルフは、レオニードの背後にある大鍋を指差した。


「じゃあ、夕食を楽しみにしているよ」


レンドルフはそう言い残して、キッチンを後にしてしまった。残されたレオニードは、ポカンと口を半開きにしたまま固まったように立ち尽くしていた。



----------------------------------------------------------------------------------



「あ、あの…レオさん」

「…カチュアか」


奥のパントリーから大きな濃灰色の目がレオニードを見つめていた。整った顔立ちの彼女が、そうやって物陰からそっと覗いている姿はたまに驚くことがある。最近はすっかり慣れてしまってはいるが。


「もうちょっとご主人に慣れる…のは難しいか」

「すみません…その、今度、お肉のお礼、言うの、頑張ります…」


これまでに特にレンドルフが何をした訳でもなく、カチュアの態度を咎めたこともないのだが、どうしても彼女は反射的に逃げてしまうらしい。しかし消え入るような声ではあったが、カチュアから前向きな言葉が出たので、レオニードは少しだけ目を丸くした。


「そうか、頑張れよ」

「はい」


そう言ってレオニードは、この煮込みに使った内蔵と腱と共に渡された、最高級のサーロインの塊肉に思いを馳せた。レンドルフ曰く、もうすぐここを引き払うのでこれまで世話になった礼だと言われたのだが、仮とはいえ主人に捨てるような部位を食べさせて、自分達が最高級の肉を食べていいものだろうかと悩んでいた。とは言え、先程もハッキリと言われてしまったので、これ以上追求するのも失礼かもしれない。


あれだけ見事な肉をどう調理しようかと思うと心が弾む半面、レオニードはこれまでの料理人経験の中で初めての困難に直面して、眉間に深く皺を刻んだのだった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ