72.迷宮ダンジョン踏破
ミノタウロス戦、ラストになります。
「全っ然頭下げねぇ!」
タイキはノルドに跨ってミノタウロスの周囲を駆けながら隙を伺っているが、さすがに警戒を強めたのか頭を下げる気配がなかった。何度か蹄に刺さったレンドルフの剣を奪い返そうとも試みているのだが、そちらも思うように近寄れない。
タイキの剣もミノタウロスの片目に突き立ったままなので、現状直接攻撃タイプの二人が武器を手にしていない状態だ。時折ミスキが矢を放ったり、ユリが風魔法を当ててみるが、威力不足で固い皮膚には傷一つ付かなかった。
「せめてアイツの上に行ければ…」
「上に行ければ何とかなりそうか?」
「もう片方の目に直接触れられれば俺の火魔法でもダメージ入るんじゃないかと。それにタイキの武器もどうにかしないと不利なままですから」
膠着状態を何とか出来ないか呟いたレンドルフに、近くに来ていたバートンが聞いた。土魔法は使えない訳ではないが、どうにもこのエリアの石に流すと魔力が不安定になる。この不安定さでは、発動させた際に正確な狙いと硬度の調整が確実に出来る保証がない為、迂闊に使用すれば却って危険を招きかねない。だが、火魔法で相手に直接触れていれば多少不安定でもダメージは与えられる。
「レン、盾を足場にしたことはあるかの?」
「いえ…周辺に盾を扱う者はいなかったので」
「じゃあ、ワシの盾を踏み台にして跳べるか?」
「それは…分かりません」
レンドルフはかつて読んだことのある戦術書に、盾役に足場になってもらい、互いの身体強化のタイミングを合わせて高く跳躍するものがあったのは知っていた。しかし知識として知っているだけであったし、もしそのような場面にあっても体の大きな自分は跳躍する側ではないと思って通り一遍教本で眺めただけだ。
バートンの提案に正直に首を振るレンドルフに、バートンはニヤリと笑って背中を強めに叩いた。
「ワシがいくらでもタイミング合わせてやる。前置きもなしに跳んで行こうとするタイキを何年も相手しとるんじゃ。お前さんくらい造作もない」
「バートンさんは…大丈夫ですか」
「ああ。もう傷は治っとるし、元々頑丈に出来とる。心配には及ばんよ」
バートンは穴の開いている肩の装備を上からバンバン叩いて笑ってみせた。
「分かりました。お願いします」
「おう!…すまんの。お前さんに随分負担を掛けてるのは分かってるんじゃが」
「俺は出来ることをやるだけです」
「…そうか」
バートンはレンドルフから少し離れたところで片膝をついて、魔狼に開けられた穴が正面に来ないように角度を調整して斜めに盾を両手で構えた。
「この、辺りを踏み込むように力を掛けてみてくれ。ま、ズレてもワシが合わせるから、思い切って行くといい」
レンドルフに分かりやすいように、盾の表面を軽く叩いてから、バートンがグッと力を込めて構えた。鍛えられた彼の二の腕が装備の上からでも盛り上がるのがはっきりと確認出来た。
「さあ、来い!」
「はい!」
軽く助走を付けて、レンドルフはバートンが指示した場所に正確に飛び乗るように両足を乗せて、身体強化魔法を集中的に足に流した。
次の瞬間、足の下からグン、と強い力で持ち上げられ、レンドルフはそれを感じると同時に盾を蹴って上に跳躍した。予想を超える速度で弾丸のように真上に体が飛ばされ、暴れているミノタウロスが瞬時に眼下になる。そしてあっという間に石の天井が目の前に迫って来ていた。
「くっ…!」
空中で体を反転させて、天井に着地したかのように両足が着く。そしてそのまま真下のミノタウロスに向かって天井を蹴った。
ミノタウロスは一瞬レンドルフを見失ったらしく、ほんの僅かに棒立ちになった。
そのミノタウロスの頭目掛けてレンドルフは両手を固く組んで、落下の勢いも合わせて拳を眉間の辺りに叩き付けた。頭頂部の角の付け根辺りからは少しズレてしまったが、体に比べて皮膚が薄いようで、握った手の下で僅かにミシリ、という何かが砕けるような感触がした。
ようやく攻撃を受けたのだと自覚したミノタウロスは、エリア内の反響で耳が痛くなるほどの雄叫びを上げた。
暴れ出す前に、とレンドルフは火魔法を発動しようとしたが、何故か手の平に僅かな熱を発生させただけでその場で霧散してしまった。
「こっちもダメか…!」
レンドルフは反射的に、タイキが刺した曲刀に手を伸ばした。そして考えるよりも早く強引に抜き取った。角度が良かったのか、思ったよりもすんなりと抜ける。
使い慣れない大きく曲がった刃に自分の手を切りそうになったが、辛うじて避けてレンドルフはミノタウロスの頭に乗ったまま、足元の明らかに軟らかい部分にザクリと刃を当てた。極端に曲がった刃のどこに力を入れたらどこが切れるのかが感覚的に掴めないのだが、とにかく刺せばどうにかなる。両刃の剣だが、レンドルフは腕の装備越しに刃を上から押し付けるようにして深く剣を突き立てた。切れ味の良いタイキの剣は、防御力の高いレンドルフの装備にも食い込んでレンドルフの腕に到達して血が数滴刃を伝って垂れた。だがレンドルフはお構いなしに力を込めて、ほぼ剣を根元まで押し込みきった。
『ぐぎゃあああぁぁぁっ!!』
ミノタウロスは血混じりの涎を撒き散らしながら、レンドルフを振り落とそうと激しく頭を振った。その勢いで横に張り出した角が迷宮の壁の一部を削り、大きな塊となって地面に落ちた。
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「ノルド!」
タイキが声を上げると、ノルドは全て承知したようにミノタウロスの足元に向かって走り出す。タイキは前傾姿勢でノルドの背に張り付くようにして、顔だけは前を見据えている。
「おおおぉぉ!」
暴れて地団駄を踏むミノタウロスの脚の側をノルドは駆け抜け、タイキはノルドに捕まって片腕を目一杯横に伸ばした。その伸ばした腕の先には、突き刺さったままのレンドルフの大剣がある。
タイキの手が大剣の柄をガシリと捉え、駆け抜けるノルドの勢いでズルリと抜けた。
「重っっ!」
見た目から推測した以上の重量が腕にかかり、思わずタイキはバランスを崩したが、走りながらノルドが反対側に体を傾けて背中に乗せ直す。
ミノタウロスの脚の間をすり抜けざまに大剣を回収したのを確認したノルドは、クルリと反転して再びミノタウロスの脚に向かってスピードを上げた。
タイキもノルドの行動に躊躇うことなく、手綱を片手の手首に一度だけ軽く巻いて、両手で大剣を真横に構えた。
もう互いに何を指示しなくてもするべきことが分かっていた。
ノルドに跨ったタイキは、脚の間を駆け抜ける瞬間、大剣をミノタウロスの脚の裏側、膝の関節にあたる箇所を正確に振り抜いた。大剣の重さとノルドの速度、そしてタイキの極限まで上げた力によって、僅かな抵抗を残してミノタウロスの後脚が切断された。
ただでさえ先にレンドルフに受けた間接へのダメージのある脚だけが残された形になったので、バランスを崩したミノタウロスの体はとうとう横倒しになった。その巨体を搔い潜るようにノルドが回り込み、ミノタウロスの体の脇で大きく跳躍した。
「とどめだ!」
跳躍しているノルドの背から飛び降りるように、タイキが大剣を垂直に構えてミノタウロスの心臓部を目掛けて力一杯突き立てた。固いミノタウロスの皮膚はそれでも抵抗して、切っ先が少しばかり沈んだだけで、タイキが歯を食いしばってさらに力を籠めるが、ジワリとしか沈み込まない。ミノタウロスは満身創痍ではあったが、まだ生きているため起き上がろうと首をもたげる。
『ブヒン!!』
タイキのすぐ傍にノルドが寄って来て鼻を鳴らすと、グワリと棹立ちになった。タイキはノルドの意図を察して、サッと剣を放して後ろに引く。そのタイミングで、ノルドはガツン!と前脚でまるで杭を打ち込むように大剣を押し込んだのだった。
『グオオオォォォォ!!』
ノルドの一撃で鋭い刃が心臓を的確に貫き、ミノタウロスは断末魔の声を上げた。
やがてその声は掠れるように小さくなって行き、それが途切れると同時にミノタウロスの動きも完全に停止した。
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「や…やった…倒した!」
タイキが諸手を挙げて歓声を上げたが、足元がふらついてその場にペタリと座り込んでしまった。
「お疲れ」
「おう、レンもな」
レンドルフも重そうに体を引きずりながらタイキの側にやって来た。その手には、タイキの曲刀が握られている。彼も全身汚れたり擦り傷を負ったりして満身創痍の様相だが、顔は清々しい様子で笑っていた。
なんとなく達成感に満ちて倒れたミノタウロスを眺めていると、不意に視界からその巨体が消えた。胸に刺さっていたレンドルフの大剣がゴトリと鈍い音を立てて地面に転がる。
「ええ~もうちょっと眺めさせてくれよ!」
「ダメよ!味が落ちるでしょ」
「余韻!もう少しだけ余韻を味合わせてくれてもいいだろ!」
「レバーは鮮度が命なのよ!」
空間魔法の付与付きポーチを片手にしたクリューが来ていて、ミノタウロスをそこに収納したのだった。もう少し仕留めた大物を眺めていたかったタイキが抗議の声を上げたが、クリューはクリューで譲れない鮮度があるらしい。
「タイキ、これ返すよ」
「あ、ありがとな」
「よくこんなに難しい武器使いこなせるな。それも二刀だろ」
「慣れればどってことねぇよ。それよりもレンの剣の重さすげえのな。あれ普通に片手で扱うってどんだけだよ」
「あれは鍛えればどうというほどでも…」
「いやいやいや、あれこそ鍛えてどうにかなるもんじゃねえだろ」
レンドルフとタイキは謙遜しつつお互いを褒め合っていることに気が付いて、何となく照れたように顔を見合わせて笑った。レンドルフは落ちていた自分の剣を拾い上げると、ミノタウロスの血が付いているのを一度鋭く振って払い落としてから鞘に収めた。魔獣を切った後にいつもレンドルフがしている動作だが、重さを実感したタイキは感心したような表情でそれを眺めていた。
「レンさん、腕に回復薬掛けるから、装備外してもいい?」
「あ、自分でする…」
「その怪我じゃ外しにくいでしょ。ほら、腕出して」
「…はい」
ユリから言い知れぬ圧を感じて、レンドルフは素直に腕を差し出した。
そんな様子を少し離れたところで微笑ましく眺めていたクリューだったが、ふとあることに気付いて首を傾げた。
「ねえレンくん」
「はい」
「なんで、ノルちゃんここにいる訳?」
「あ…」
ミノタウロスや魔狼を倒して安堵して、空気が緩んでまったりムードになっていたが、クリューの当然な突込みに今更気付いて全員が一斉にノルドを見た。
『ブヒン』
急に皆から視線を受けて、ノルドは分かっているのかいないのかキュルンとした丸い目を瞬かせて、小さく鼻を鳴らしたのだった。
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レンドルフがノルドに先導されて行ってみると、石の陰に隠されるようにノルドがギリギリ通れるくらいの穴が開いていた。それはどう見ても隠し通路などではなく、誰かが強引に脱出する為に破壊したような跡で、しかもご丁寧にバレないように石を積んでカモフラージュしていたようだ。
「ここから通って来たのか…」
「迷宮ダンジョンの修復に掛からない大きさだから見逃されたのか…」
どうやらこの穴は、近道用に作られた抜け穴と同じ原理で、そのままダンジョンの自然修復の対象とならずに残されていたようだ。通常ならボスを倒して転移の魔法陣を出現させるか、どうしてもボスを倒せなかった場合は途中の退避口まで引いて脱出するのがセオリーである。この穴を開けた者が何を意図したかは分からないが、ずいぶんと非常識であることは間違いなかった。ボスのミノタウロスとの戦闘によって開いた可能性も考えてみたが、そもそも分かりにくいように石を積んである時点で人間の仕業だろう。
「取り敢えず助かったのは確かだが…ギルド報告案件だな」
溜息を吐くミスキの隣を、ノルドが涼しい顔で通り抜ける。そして穴の向こうから顔をひょっこりと覗かせて「何故ここから出て来ないのか?」と不思議そうな表情をしていた。
「まあ、一応ダンジョン踏破したことだし。戻るか」
「そうね。あ、レンくんはダンジョン初踏破ねぇ。おめでとう」
「ありがとうございます。ダンジョンって何が起こるか分からないって本では読んでましたけど、本当でした」
「いやいやいや。今回は特殊!未踏破ダンジョンへの挑戦ならともかく、中級者の稼ぎやすいギルド管理のダンジョンでこんなにイレギュラーなことは滅多にないから!」
レンドルフの初の本格的なダンジョン挑戦で妙な認識を植え付けないように、ミスキは慌てて訂正しておく。
本来ならここは年間多くの冒険者がやって来ているし、内部の構造も出現する魔獣もギルドがかなり把握している。そもそも今回のギルドからの「赤い疾風」への依頼も、東の初心者向けの森にダンジョンで出現しているような少し強い魔獣の目撃情報があったために、ダンジョンから漏れていないか、またダンジョンに異常がないか調査することがメインだった。オオムカデや魔狼のような中位レベルでも厄介な種族、しかも魔狼に至っては中級の冒険者でも場合によっては全滅もありうる属性持ちが出現するのは全く情報になかったことだ。とはいえミスキ達も昨日の時点で魔狼の存在は把握していたし、属性持ちの可能性も想定はしていた。だが、それに加えてミノタウロスのレベルが尋常ではなかった。
ミノタウロスは、物理も魔法も耐性がある強い魔獣だが、どちらもそれなりにダメージが入る。しかし今回のように異常に固く、近接していた場合魔法を弱体化させるような特性持ちは、どう考えても想定をはるかに上回る上位種だった。
「レンは折角だし、正規のルートから出たらどうだ?」
「そうよねぇ。そうすれば?」
「え、ええと」
ノルドが外に出た穴をくぐりぬけようとしたレンドルフに、ミスキがそんな提案をして来た。言われてみればダンジョンから脱出する為の転移の魔法陣も確かに未体験だ。だが、どこに出るか分からないのでレンドルフは少々戸惑った。彼らが勧めてくるということは、分かりやすいところに出るのだろうが、ここで別行動を取ってもいいものか迷ったのだ。
「私も魔法陣から出たい!レンさん一緒に行ってもいい?」
「そっか、ユリちゃんもここの迷宮ダンジョンは初踏破だもんねぇ。行ってらっしゃいな」
「向こうの少し段差になってる上にあるぞ。近づけば光ってるからすぐに分かる」
「じゃあ、行ってくる。ユリさん、行こうか」
すぐ側の穴から出れば早いのだが、なかなかこんな機会はないし、とレンドルフはユリと共にミスキの指示した方向へと向かった。
少し行くと、先程までなかった段差が出来ていて、その上には白い線で魔法陣が描かれている。近寄ってみると、ぼんやりと光を帯びる。
「ここに乗れば、外に送ってくれる筈だよ」
「そうなんだ」
大した段差ではなかったが、レンドルフはごく自然に段差を上がってユリに手を差し伸べた。ユリは差し伸べられた手に自分の小さな手をそっと重ね合わせて「ありがとう」と小さく呟いた。
二人が魔法陣の中央に乗ると、周囲の景色は薄くなっていきやがて真っ白になった。そして魔力が流れてほんの一瞬だけクラリとした感覚になったが、次の瞬間には目の前には緑の森と真っ青な空が広がっていた。
「えっ?」
外に出た光が思いの外眩しくて目を瞬かせると、不意に目の前に色とりどりの花が降って来た。その花は雪のようにひらひらと舞うようにレンドルフの目の前で渦を巻くと、足元に落ちる前に溶けるように消えてしまった。
「これは…?」
「無事に初踏破できた冒険者が転移して来ると、こうやって祝福の幻影が出るようになってるんだよ」
「ギルドが設定したらしいわよぉ。改めて無事に踏破おめでとう、レンくん、ユリちゃん」
「ありがとうございます!」
思いもよらない嬉しい結末に、予想以上の苦労はさせられたがレンドルフの初ダンジョン踏破は、何だかんだで良い思い出になったのだった。
「綺麗だったね、レンさん!」
「うん。綺麗だった」
互いの無事と、ダンジョン踏破に和やかに笑いあう彼らを離れたところで眺めていたノルドは、本日一番の功労者としての余裕をみせて、分かりやすく満足げなドヤ顔をしていた。