8.優しさと逞しさと
滝のある場所へ到着して、手分けして食事の準備をすることにした。レンドルフは石を並べて簡易のかまどを作り、ユリは薪になりそうな枝を拾いに行った。
「それ、便利だね。空間魔法の付与?」
準備が整って、ユリが持っていた彼女の両手サイズくらいの箱形の魔道具から、それなりの大きさの鍋やポットを取り出すのを見てレンドルフが目を丸くした。
空間魔法は、異空間を作り出して重量や容量を別空間に依存させるので、見た目よりもはるかに大きなものを収納することが出来る魔法だ。鞄などに付与するのが一般的だった。そしてその空間に時間停止の付与を掛ければ、中に入れた物の腐敗や劣化を防ぐことも出来る。しかし空間魔法も時間停止も使い手が極めて少なく、それが付与された魔道具は高位貴族でもおいそれとは手が届かないくらい高価な物だった。
「空間魔法とはちょっと違って、まだ開発中の圧縮魔法の付与付き魔道具なの。知り合いからお試しで使って欲しいって言われてて」
そう言いながらユリは次々と調理道具を取り出した。その中には携帯食ではない普通のパンや、ある程度長持ちする根菜なども入っていた。
空間魔法はどれだけそこに入れても重さの影響はないが、圧縮の場合は圧縮後の大きさに見合った重さになるので、ギュウギュウに詰め込めばそれなりの重さになる。それでも通常より大量の物を運ぶのに便利なのは間違いない。圧縮魔法は対象に直接掛けないと作用しない魔法とされているので、使い手が側にいなければならなかった。しかしこうして付与付き魔道具であれば、圧縮魔法が使えなくても誰でも利用することが出来る。そして何より圧縮魔法の使い手は空間魔法よりも多い為、もしこれが商品化されればもっと手に入れやすい金額になるだろう。
「時間停止とか温度管理とかはまだ付与が出来ないから、傷みやすいものは入れられないとか、反発する魔道具類は無理とか制限はあるけど」
それでも泊まりがけの採取やダンジョンに行く時などは随分と身軽になる優れものだ。ただ、きちんと入れたものを自分で管理しておかないと、うっかり食材を出し忘れて大変なことになったりもする。それにこればかりに頼り切ってしまうと、万一この魔道具ごと紛失した時はそれこそ瞬時に詰む、などといった注意点もある。
「多少の短所は帳消しに出来るくらいの便利な魔道具じゃない?開発中でも十分人気が出そうだけど」
「それがね、やろうと思えば生き物も入れられちゃうのよ…」
「ああ、それはマズいな」
どの程度のものを圧縮可能かは分からないが、生き物も入れられるなら危険な魔獣を生きたままそれこそ国王の謁見の間まで持ち込むことも出来てしまうし、逆に要人を攫うことにも利用できてしまう。
「食材を圧縮可能にすると、どうしても生き物も可能になるらしくて。でも食材を入れられないと入れるものの幅がどうしても狭くなるし」
「採取した薬草とかも生き物に入るの?」
「そうなの。魔獣の素材も生き物扱いだからそれを外しちゃうと、それこそ鍋くらいしか入れるものがないのよねえ。ほら、防具とか武器とかも大抵付与魔法付いてるでしょ。そういうのは魔道具って判断されるみたい。でも生きた魔獣はいいけど魔石は駄目、とかイマイチ基準が不明で」
圧縮可能なものの条件の付加が難しいらしく、開発者が想定して付与した設定も予想しない範疇で影響があるらしい。ユリは、入れられる物が圧縮される事によりどの程度まで影響があるのか確認する為に試作品を預けられている、と説明した。
「難しいね。その辺が解決して売り出されたら絶対買うのに」
レンドルフは、持参していた鋼の細いロープ状のものを縒り合わせるようにして簡単に網状にする。そこに先程捌いた山鳥を乗せて、かまどの上に置いた。この鋼のロープは、使いようによっては武器になったり罠になったりもするし、装備の修理や、網や串状にして調理器具のようにも使える。ほぼ使い捨てに近いが、糸巻きのような道具に収納させておけばかなりの長さが持ち運べる便利なものだ。
ユリの魔道具の中からフライパンも出て来たが、サイズが小さいものであったし、よく脂の乗っている肉なので網で焼いて多少脂を落とした方が美味しい。
レンドルフが山鳥を調理している間、ユリが簡単なスープとパンを準備していた。彼女も慣れているらしく、良い手際だった。
火の傍で作業をしていたレンドルフは、うっすらと額に浮かんだ汗を手の甲で拭って、ヌルリとした感触に先程軟膏を塗ってもらったことを思い出した。
「痛むようならもう一度塗る?」
「いや、大丈夫みたいだ。ちょっと手を洗って来るよ」
「分かった、一応火加減見ておくね」
彼の動作の一部始終で察したらしく、ユリが声を掛けて来た。意識せずに額に触れても痛みは感じなかったので、レンドルフは塗り直しはしないで手に付いた軟膏を洗い落としに水辺に向かった。結構な勢いでぶつけた筈だが、ユリの作った軟膏はよく効いたらしい。
手を洗い終えて、水に映った自分の顔が目に入った。髪色が違うだけで何だか別人のように感じる。普段の薄紅色の髪色は、筋肉質な自分の体には合ってない気がしていたが、栗色の髪はもっと自分に似合っていないように思えた。
ほんの少し、レンドルフは水面を見つめていたが、しばらくして足首に装着していた変装用の魔道具のスイッチを切った。
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「レンさ…ん?」
火の傍に戻ると、元の髪色にしたレンドルフを見てユリが目を丸くした。
「もう一つ嘘を吐いてたことがあったことに気が付いた。ごめん」
「……やっぱり綺麗」
彼の薄紅色の髪色を食い入るように眺め、ユリはまるで意識していなかったかのようにポツリと呟いた。しかし、その直後にすぐ先程レンドルフの顔を綺麗と言ってしまった時の反応を思い出したのだろう。ハッとした顔をして申し訳なさそうな表情になった。
「あ、あの…」
「褒めてくれてありがとう」
レンドルフは、先程ユリに指摘されたような顔にならないように意識しながら微笑んだ。そして再び山鳥を焼いている火の傍に座り込んだ。
「ユリさん、ちょっとだけ俺の情けない愚痴を聞いてくれる?」
「うん、聞く」
「もし途中でどうしようもないなーって思ったら、無視してくれて構わないから」
「うん」
遠めの火でじっくり焼いているので、まだ山鳥が焼き上がるまでには時間が掛かりそうだった。レンドルフは網の上で軽く皮がジクジクし始めた肉をクルリと引っくり返した。上側に溜まった脂が火の上に落ちて、一瞬大きくなった炎がレンドルフの白い顔を赤く照らした。
「俺、すごく母親似なんだ。小さい頃はドレスまでは行かないけど、フリルの沢山付いた服ばかり用意されてて。しかもよく似合ってたんだ。それに、俺自身も可愛いものは好きだったし」
兄二人が父親似の熊男で、どちらの兄の子供も男の子ばかりだった。そして兄ほどではないにしろ、その子供達もどちらかと言えば熊寄りだった。その中で母親の懐妊が発覚したとき、周囲は悪気なく今度こそ母親似の女の子を期待してしまったのだ。そして産まれたのは待望の母親似ではあったが、またしても男の子だった。勿論両親や周囲は性別に関係なく、レンドルフに惜しみない愛情を注いでくれたことは分かっている。しかし、ようやく可愛らしい服や小物が似合う子供が産まれたことにうっかり皆が暴走してしまった。物心ついた頃には、レンドルフの周囲には並の貴族令嬢でも見ないようなレベルで可愛らしいもので溢れ返っていた。
母親似の美しい顔立ちは、幼さが残る頃は可愛らしさも同時に有していて、特有の危うい魅力があった。まだそれほど自我が発達していなかった頃は、周囲も護りを固めてくれていた。だがだんだんと成長して行動範囲も広くなり人前に出ることも多くなって来ると、それだけレンドルフの美貌が多くの人の目に留まるようになって来る。
「まだ子供だった頃は華奢な方だったんだ。だから、街とか茶会とかに出るとやたらと絡まれた。何か、すごく目のギラギラした令嬢に追いかけ回されたりしてさ」
令嬢だけならまだ良かったが、そのうちに令嬢の家の者やそこに頼まれた良からぬ組織やら、どんどんと規模が広がって行き、まさに入れ食い状態だった。一応家からの護衛もついてはいたが、それだけでは対処し切れない数の追っ手がかかることも珍しくなかった。まだそこまで力も強くなかったのと、多勢に無勢ということもあり、とにかく振り切って逃げ出すことを覚えた。当時から俊足ではあったが、更に磨きを掛けた。やがて学園に入学して、騎士科に入って本格的な剣の鍛錬が始まった頃から、攻守共に力を付け、大抵の者は自力で追い払うか逃げるかで凌げるようになった。
「その頃は、多分身長に取られてたのかいくら鍛えても筋肉が付かなくて細いままで。もう必死になって筋トレばっかりしてた。だけど最終学年になった頃、身長の伸びが少し緩やかになって、やっと筋肉が付き始めたんだ」
その頃にはかなりな負荷を掛けて筋トレをすることが日常と化していたので、それに応えるかのように筋肉が育ち始めたことに嬉しくなった。そして面白いように日々変わって行く肉体を鍛え上げ、卒業前の長期休暇で故郷に戻ったときには兄よりも父よりも大きな体に育っていたことに気付いたのだった。
「もともと騎士団に入るつもりだったから、体を鍛えるのも別に問題なかったし、何よりも周辺が静かになったから良かったと思ってたんだ」
どうやら自分にも幼い頃から決められた婚約者候補がいたらしいのだが、儚い美少年を見初めた筈が、成人して改めて見たら見上げるような筋肉騎士に育っていた為に、遠目で見ただけで断りを入れて来たらしい。もっとも、まだ候補だったので互いに瑕疵を受けることも表沙汰になることもなかったのだが。レンドルフに至っては相手の顔すら知らなかった。
「俺は…その、多分父の家系だろうけど、身体強化を掛けなくても常人より力が強かったんだ。そこに強化を掛けるもんだから、それこそ化物じみた力が出るみたいでさ。その…見習い騎士達の御前試合で、ちょっとやらかして…引かれたんだ」
人とみれば襲って来るような魔獣を返り討ちすることに抵抗はなかった。しかし、人を相手にするのはどうしても抵抗があった為、相手の武器を圧倒的な力で壊すか取り上げるかして戦意喪失をさせる戦闘スタイルを身に付けていた。その時の御前試合でも、相手の武器を自分の剣で弾き飛ばして降参を引き出す形で試合を進めていた。それが一部の者には、己の力を見せつけるひどく傲慢な戦い方だと思われたようだったと、レンドルフは後に聞かされた。
準決勝での試合の相手もそう思っていた者の一人で、どんな形でもレンドルフに一泡吹かせてやろうという考えだった。その為、禁止されている強化された武器を使用し、それは刃は潰していなければならないという基本的なことすら守られていなかった。その相手はレンドルフよりも高位の貴族であったので、それで何かあっても揉み消せるという驕りもあったのだろう。
だがレンドルフはそれを全くものともせずに、ただ相手がうっかり目に攻撃を入れて来たので反射的に強化を掛けた素手で払い退けた。最高の素材に極限まで付与した攻撃力を誇っていた筈の剣は、レンドルフの前にあっさり手折られた。その後余りにも様子がおかしいのでレンドルフが何か不正をしたのではないかと詳しく調べられたところ、逆に相手側に盛大な違反が発覚したのだった。
「それってあんまりじゃない?」
「うん…そうなんだろうけど、その時は全然こっちに被害がなかったから、剣を折ってしまって申し訳ないと思ってた」
「お人好しが過ぎる!」
その後、レンドルフは自分が周囲の人から距離を置かれていることに気が付いた。
体格や体力で目立ってしまったレンドルフは、自分が考えている以上に相手に威圧感を与えてしまうことを自覚した。たとえ相手に悪意があっても、やり方によっては自分の方が悪く捉えられることも。
母親譲りの美しい顔はそのままで、それが鍛え上げられた肉体の上に乗っている。もともと持っていた能力が高かったことで嫉妬の対象に上げられていたこともあり、そのアンバランスさな見た目を揶揄する者があまりにも多かった。それ以外に大きな瑕疵もなかったこともあったのだろうが、自分でもどうにもならない部分で中傷されるのはさすがにそれなりに堪えていた。一旦育ってしまった体を縮めることは出来ないが、せめて態度では少しでも威圧感を与えないように、周辺に注意を払って極力控え目に振る舞うように尽力した。
そうやってその周囲をよく見る控えめな姿勢が上層部から認められたおかげで、異例のスピードで配属が決まったのだった。そして幸いなことに同僚としばらく行動を共にすれば、慣れて来たのか皆レンドルフを受け入れ、それなりに上手くやって行けるようになった。…筈だった。
「まだ陰では顔と体を切り離して別のところから持って来た、みたいに言われてたのも分かってたんだけど…周りが慣れて来たからちょっと油断してたのもあって、初対面の…貴族令嬢に近付き過ぎた」
「レンさんのことだから、ないとは思うけど、変な意味で迫った、とかではないわよね?」
「それはないよ!絶対無い!」
「ごめん、変な言い方して」
「いいよ、俺の言い方もおかしかった。……その、護衛というか、警護というか、そんな任務だったんだ。それで、その距離が近過ぎたみたいで」
あの時はきちんと所定の位置に控えてはいたのだが、今思えば正面に近い位置に立つのではなく、別の者に任せて自分はもっと柱の陰に立っていれば良かったのだと思っていた。今となっては後の祭りだが。
「そのご令嬢に、そのつもりはなかったけど威圧感を与えた、ってことで……任務を外された」
「それ…いくら何でもあんまりじゃない!護衛騎士なら、顔なんて関係ないし、体が大きいのはむしろ安心材料でしょう!」
「でも、自分で鏡見ても顔と体が合ってなくてたまに気持ち悪いな、って思うくらいだから、初対面のご令嬢にも不気味だったんだと、今は思ってる」
「そんなこと、ないのに…!」
「ありがとう」
もう自分の中では慣れてしまって卑下した気はないのだが、ユリの眉を下げた表情を見て、レンドルフは少々余計なことを言ってしまった、と内心反省する。それに、正面切ってこんなふうに言われては、ユリも肯定する筈がないだろう。
「何か気が楽になった。嘘でもいいから、誰かに『そんなことない』って言ってもらいたかったんだ」
「私は本気で言ったんだけど」
「だったら尚のこと嬉しいよ。ありがとう、俺の情けない話に付き合ってくれて」
「情けないって言うより、納得行かない話じゃない」
「それは申し訳ない」
少しおどけたように言って、レンドルフは大分良い焼き色が付いた山鳥の肉をもう一度引っくり返す。再び上に溜まっていた脂が落ちて、派手な音を立てた。