68.ギョーザの魔法
「わあ!今日は特別デーだ!」
簡素だが品のある手提げ袋に酒瓶を入れてもらって、改めてミキタの店に戻ったところ、「本日特別デー」と大きく書かれた黒板が店の扉の脇に立てかけられていた。それを見たユリが、思わずといった風に歓声を上げた。
「レンさん、今日はついてるわ!美味しいもの食べられるわよ」
「ミキタさんの料理はいつも美味しいけど」
「そうなんだけど、今日は特に人気のあるメニューなの!人気がありすぎて、特別デーはそのメニューだけなのよ!」
妙にテンションの高いユリに引かれるように扉を開けて中に入ると、まだ夕食には早い時間帯なのに、店の中はテーブルが一つとカウンターが数席しか空いていない状態だった。そして客たちはいつも以上に料理とエールを楽しんでいるようだった。見るとテーブルの上にはユリの言った通り、一種類の料理しか乗っていない。
「いらっしゃい!今日は早いんだね。あの子たちも来るのかい?」
「ギルドの報告が終わったら来ます」
「そうかい。じゃあますます張り切って焼かないとね」
カウンターの中のキッチンで、頭にタオルを巻いたミキタが出迎えてくれた。すべてのコンロ口とフライパンを総動員して何かを焼いていて、うっすらと汗ばんで上気した顔をしていた。キッチンからは絶え間なくジュージューと良い音がして、食欲をそそる香ばしい匂いが店内に充満している。
「ミキタさん!あのね、レンさんがDランクになったの!」
「そりゃめでたいね。じゃあお祝いしなくちゃ。おめでとう、レンくん」
「ありがとうございます。その…これを」
ミキタがいつも以上に忙しい様子なので、遠慮がちにレンドルフが紙袋を差し出す。ミキタはキョトンとした顔になったが、一応差し出された袋を受け取った。
「特例の推薦書を書いてくれたのが、ステノスさんなんです」
「…ああ、なるほど。そりゃいい判断だ。後で酒の棚に置いておくよ」
レンドルフが小声で告げると、ミキタはすぐに大っぴらに出来ないステノスへの礼の品だと悟ったようだ。片頬を上げてニヤリとした表情になって、紙袋をカウンターの下に隠すように置いた。
「お手数掛けます」
「いいのよ〜そんなこと気にしないの!」
再びフライパンに向かったミキタは店の中をグルリと見回して、いつもレンドルフ達が使っているソファ席が埋まっているのを確認して声を張り上げた。
「ちょいと奥の席空けとくれ!これから息子たちが来るんだ!」
「いや、そんなわざわざ…」
「いーんだよ、兄ちゃん!ミーちゃんの言うことは絶対じゃ」
「そうじゃそうじゃ。ミーちゃんはわしらの女神様じゃ」
「お世辞言ったって一皿しかまけてやらないよ!」
「さすがミーちゃん!」
ミキタが奥のソファ席に座っている老人に声をかけると、彼らは口々に何故か嬉しそうに自分のジョッキと皿を持って移動し始めた。彼らはランチの時でもしょっちゅう顔を出している長年の常連だった筈だ。レンドルフがあわあわしているうちに、彼らはあっという間に別のテーブルに移ってしまった。しかもついでに隣のテーブルにいた中年男性は、空いたテーブルをせっせと拭いている。
「あの…すみません」
「いいってことよ!アンタ、前にサギヨシ鳥差し入れてくれたんだろ?また仕留めたら頼むぜ!」
すっかり恐縮しているレンドルフの背中をバンバン叩いて、男性は豪快に大口を開けて笑った。
「いつも夜はこんな感じよ。今日は特に賑やかだけど」
レンドルフをいつもの奥まったソファ席に送り込むと、ユリは笑いながらレンドルフに教えてくれた。いつも一人で店を切り盛りしているミキタは、店が混んで来るとよくこうして常連客を使っているらしい。もっとも彼らは気風の良いミキタを気に入っていて、自発的に手伝っているのだとか。
「はいよ!手伝ってくれたサービスだ!一人一皿、持ってきな」
ミキタが焼き上がった料理を皿の上に乗せて、カウンターの上に並べた。それを合図に店の客が立ち上がってワラワラと皿を持っていく。
「レンさん、私ももらってくるね!」
「あ、俺も」
「レンさんだと出入り大変でしょ。ちょっと待ってて」
ユリの言う通りテーブルの幅が狭い店内、更にほぼ満員の状態でレンドルフが動き回るのはあちこちにぶつかって却って迷惑になってしまう。申し訳ないと思いつつ、これ以上迷惑はかけられないとレンドルフは幾分落ち着かない気持ちで席に座っていた。
すぐにユリはテーブルの上に皿を置いた。皿の上には、一口大よりも少しばかり大きな白い三日月形のものが並んでいて、どうやら小麦粉を練ったもののようだ。それを焼き色が付くまで香ばしく焼いてある。
「お待たせ!」
ユリはさらに続いてジョッキに入ったエールと炭酸水の瓶をレンドルフの前に置いた。
「ギョーザには冷えたエールがピッタリなんだけど、レンさんは試して好きな方選んでね」
「ありがとう。この料理がギョーザ?」
「そう!小麦粉で作った皮に、挽き肉と野菜を包んであるの。焼いたラビオリ?みたいな感じ」
「ああ、確かに似てる」
「熱いうちにいただきましょ!ミス兄達もじきに来るだろうし」
確かにこれは焼き立ての方が美味しそうなので、レンドルフはユリに勧められるままに先に食べることにした。先程から店内に充満している香ばしい匂いだけでも既に腹の虫が鳴きそうになっていたのものあった。
「「いただきます」」
ギョーザの皿の隣に何か入った小皿も置いてある。そこに入っているのはギョーザ専用の酸味のあるタレで、それをつけて食べるとユリに教わって、レンドルフは「熱いから気を付けてね」という言葉を耳にしながら隣に座るユリを真似てフォークで刺してギョーザとパクリと一口で頬張った。
「!」
見た目には湯気が立っている訳ではなかったので、多少熱いだろうくらいと思っていたのだが、口の中で皮が破れるとアツアツの肉汁と野菜の水分が一気に口の中にほとばしった。美味しいよりも先に熱さの方に衝撃を受けてしまい、レンドルフは思わず口を押えた。さすがに人前で吐き出すことは出来ないと、全力で口を閉じる。
「レンさん!これ飲んで!」
熱さのあまり涙目になっているレンドルフの前に、水の入ったコップが差し出された。仕方なくレンドルフは最初のギョーザを殆ど味わう暇もなく、冷たい水とともに喉の奥に流し込んだ。
「…こんなに、熱いと、思わなか…た…?あれ?」
まるで息も絶え絶えな様子で口を押えていたレンドルフは、確実に火傷を負ったはずの口の中に痛みを感じないことに気が付いて目を瞬かせた。
「このお水に、ちょっとだけ回復薬垂らしてあるの」
「え…?」
目を丸くしたレンドルフに、ユリはクスクス笑いながら説明した。
飲食店は、万一何かあった時の為に必ず座席数に応じた本数の回復薬を常備しておく制度がある。ミキタの店も当然常備しているのだが、回復薬には保存期限がある。期限の切れた回復薬や、使用済みの瓶をギルドに持ち込むと中身の金額だけで新品を買うことができるのだ。それは使用してもしなくても同じであった。そこでミキタは使わずに中身は捨てられるのは何となく勿体ないと考えて、常備している回復薬の期限が近くなると、こうして不定期に「特別デー」と称したギョーザの日を開催するようになったのだ。もともと時折店で出していたメニューだったのだが、人気が高いが舌を火傷する客が続出した為に、いっそ期限が近い回復薬を水の中に混ぜて舌の火傷を気にせずに思う存分楽しんでもらおうと企画したのだった。この日はメニューはギョーザだけになり、飲み物もエールか炭酸水のみになるのだ。
「最初はみんなそうなるよな!」
「そうそう、俺らみたいなベテランになると、熱っ!」
「言ったそばからこれかよ」
「面目ねえ」
誰もが通る道なので、親近感を覚えながら皆レンドルフに声を掛ける。その間にも焼きたてのギョーザとエール、そして合間に回復薬入りの水がどんどんと消えていく。
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「今日は特別デーだ!」
「おかえり。いい日に早く帰ったね」
扉が開くと、早速のいい匂いに歓迎されてタイキが頬を紅潮させて満面の笑顔になって入って来た。
「レン、ギョーザは初めてか?」
「ああ…早速洗礼を食らった」
「誰もが通る道よねえ」
皆も覚えがあるのか、うんうんと頷きながら慣れた様子でカウンターに次々と並ぶ焼きたてギョーザの皿とエールの注がれたジョッキを手にしてテーブルに着く。タイキだけ少し遅れて席に座ったのだが、その手には黄色い色付きガラスのジョッキが握られている。
「これはオレの特製ジョッキ!」
不思議そうな顔でレンドルフが眺めていたのに気が付いたのか、タイキは自慢げに目の前でそのジョッキに炭酸水を注ぎ入れた。少し高めの位置から注ぎ入れたので、炭酸の泡が勢いよくシュワシュワと音を立てた。
「見ろよ!エールみたいだろ!」
「確かに」
幼い頃にタイキが「皆と同じのが飲みたい!」と泣いて駄々を捏ねたので、ある年の誕生日に工房に注文して作ってもらった特製ジョッキだった。わざわざ全てではなく本体の八分目まで黄色い色を付けて、通常のグラスよりも内側をざらついた素材にして泡が立ちやすいように加工してもらっている。もう何年も愛用しているタイキの宝物だった。
「取り敢えず、冷めないうちに食おうぜ」
しばらくの間、皆は熱いギョーザの前に無言になった。
レンドルフは今度は気を付けてフウフウと息を吹きかけて、一口ではなく真ん中あたりに歯を立てた。焼き目のついたところはさくりと香ばしく、重なった部分のモチモチした触感の皮は薄さの割に弾力があり、それが裂けるとどこにこれほどの量が入っていたのかと思う程の熱い汁が次々と零れだす。慌てて汁気を吸い込もうとしたが、間に合わずに皮の外側を伝ってポタポタと皿の上に滴り落ちた。そしてその中から勢いよく白い湯気が立ち上り、ジワジワと更なる汁気が湧き出てくる。レンドルフは最初の一口を急いで咀嚼して飲み込み、残った半分を口の中に入れる。この湧き出る旨味たっぷりのスープが零れてしまうのが勿体なかった。
夢中になって食べて、気が付くと目の前に皿が山のように積み重なっていた。少々がっつきすぎてしまったかとチラリとテーブルの上に目をやると、レンドルフほどではないが皆の前にもそれなりに皿が積み上がっていた。
「一旦皿を持って行くぞ」
ミスキとクリューが連携してキッチンまで皿を下げに行き、カウンターの側でバートンがサッと生活魔法で皿を浄化して綺麗にした。ミキタも生活魔法を使用してどんどん皿やジョッキを綺麗にしているが、バートンの方が魔力量が多いので一度に浄化できる数が違う。
「助かるよ、バートン」
「お安い御用じゃ」
先ほどから絶え間なくギョーザを焼き続けているミキタは、額の汗を拭いながら自分の手元にあったジョッキを一気に半分ほど呷った。その様子はずいぶんサマになっていて、クリューがそれを眺めて「カッコいい…」とうっとりとした顔で見惚れていた。
「レンさんはあんまりこういう賑やかなの抵抗ないんだね」
「うん。小さい頃から父にこういう酒場に連れて来られたから。何だか懐かしいよ」
「そっかあ。私は成人してからだから、最初はびっくりした。でもすごく楽しい」
ユリは両手で抱えるようにして大きなジョッキのエールをゴクリと飲んだ。小柄な彼女にはずいぶん不釣り合いに見えるが、もう数杯はおかわりしている。少しだけ酔いが回っているのか、熱いギョーザを食べているせいなのか、いつもよりほんのりと白い頬が上気しているように見えた。
「そうそう、ユリは最初ギョーザを食う時『ナイフはどこですか?』って言ってたもんなあ」
「ちょ…タイキ!そんな前のこと、バラさないでよ!」
「俺も先にユリさんに教えてもらえなかったら言ってたかも」
ここでは馴染みの人気メニューのようだが、レンドルフは聞いたことも食べたこともないメニューだった。そこまで珍しい食材を使用している訳ではなさそうなのに、いくら食べても一向に飽きが来ないのはまるで魔法でも掛かっているかのようだ。もういったい何皿平らげたのか、レンドルフにも分からなかった。
「これ、西の大陸の料理をこっち向けにしたって聞いたわよぉ」
「西の大陸ですか」
「向こうは家族が多いから、たくさん作って大鍋で一気に焼くんですって」
新たに焼かれたギョーザの皿を慣れた様子で運んできたクリューが、テーブルの上に並べながら教えてくれた。もう大分食べているはずなのに、皿の上でチリチリと微かに油の爆ぜる音と皮の焼けた香ばしい匂いが充満すると、もう口の中に唾液が湧き上がってくる。
「本場では羊の肉で、たくさんの香草を入れるって。でもこっちじゃ食べなれてない人が多いから、食べやすい豚肉と手に入りやすい野菜にしたみたいよぉ」
「そ、この店の前のオーナー夫妻の名物料理でね」
レンドルフが来た時より少し客が減ったのか、余裕のできたミキタがカウンターからジョッキを一気に抱えて持ってきて、ドン、とテーブルの上に置いた。
「なかなかその味が再現できてないんだけどね。レシピは聞いてるけど、どうにもあの味にならなくてさ」
「前のオーナー、このギョーザの味付けだけは奥様が担当してたわよねぇ。これだけは敵わないって言って」
この店の前のオーナーを知るのはどうやらミキタとクリューだけらしい。二人が口を揃えて褒めているギョーザも気にはなったが、この目の前に並んでいるギョーザも手が止まらないくらいに美味しい。
「これも十分美味しいですよ」
「そうかい?まだまだあるから、腹いっぱい食べて行きな」
「ありがとうございます」
「レンくんのランク取得祝いは、また別の日にね」
「え!?レン、ランク取ったの?」
ミキタに言われて目を丸くしたタイキを見て、レンドルフは「そう言えばまだ知らせてなかった」と思い出した。
「ギョーザに夢中で忘れてた」
「分からなくもないけど、そこはちゃんと言ってくれよ…」
「すまない」
思わずジト目で呆れたようにミスキが呟いて、レンドルフは眉を下げて苦笑しながら頭を掻いた。
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どれだけ食べたのか分からないくらい幾度も皿の山を築いて、これ以上食べられない程満腹になった。このままここでゆっくりしたいところだが、まだまだ今日のギョーザを目当てに客足が途絶えないので、ひとまず近くのカフェへ移動することにした。
「あ、これ春魚。港で買ったから鮮度はいいよ」
「おや、ありがたくいただくよ」
バートンが帰りがけにありったけの空いた皿とジョッキに浄化を魔法を掛けている間に思い出したのか、ミスキが時間停止の付与がかかっているポーチから春魚の入った紙包をミキタに手渡した。
「ギョーザに夢中で忘れてたんだろ?レンくんのこと言えたギリじゃないねぇ」
「もっともだ」
今度はミスキが苦笑する番だった。