67.一足飛びのランカー
「少々お時間よろしいでしょうか」
エイスの街に戻ってギルドに迷宮ダンジョンの報告に行き、帰りに春魚をミキタの店に届けるついでに食事をしようということになった。
全員でギルドの中に入ると、男性のギルド職員がレンドルフに向かって話しかけて来た。自分がいなくても報告に問題はないと思ったが念の為メンバーの方に顔を向けると、すぐに首肯が返って来る。
「はい、大丈夫です」
「こちらへお願いします」
特に何か呼ばれる覚えはないのだが、案内されるまま受付カウンターの一番端に腰を下ろした。何かと思ったのか、職員に許可を得てユリもレンドルフの後ろに着いて行く。
「レン、お互い終わったらオフクロの店で落ち合おうぜ」
「ああ、分かった」
「赤い疾風」のメンバーは、迷宮の地図の変更などを報告する為に別室に移動することになったので、タイキがレンドルフの肩を軽く叩いて二階に上がって行った。ギルドからの依頼を受けているのは彼らのパーティなので、同行者のレンドルフとユリはそのままカウンターに残る。
「こちら、特例の登録が許可されまして、ギルドカードを正式なものに交換となりました」
職員はそう告げると、封筒に入ったカードを取り出してレンドルフの前に差し出したのだった。
「特例の、登録…?」
よく分からなくて目を瞬かせるレンドルフに、ギルド職員はすぐに一枚の書類を差し出して見せた。そしてその内容に当たる箇所を指し示しながら説明を始めた。
「本来は実力や資格などを確認する為に三ヶ月間は仮登録として色付きの新人用カードとなりますが、既に新人以上の実力を有しお人柄においても問題なしとのギルド長の判断と、有力者の推薦が揃いました場合、特例として三ヶ月以内でも正式な冒険者として登録が許可されることになっております」
「正式な冒険者…」
職員の差し出したカードは、正式に登録された者が持つ白いものだった。まだキョトンとしているレンドルフだったが、促されるままに自分の色付きカードを提出して、新たな白いカードを手渡された。仮登録の時点で設定された口座や連絡を取り合う通信許可の相手などは、既に新しいカードに引き継がれていると教えてくれた。
「本日より正式な冒険者となります。どうぞ更なるご活躍と安全をギルド一同お祈り申し上げます。正式に登録されますと受けられる制度も増えますので、こちらの書類もご一読お願いします」
「…ありがとうございます」
「同時にランクの取得もされております。後程ご確認ください」
カードが入っていた封筒には折り畳まれた書類も入っていて、そのままそれも手渡される。
「ランクの取得には一定の依頼の達成と試験も必要も伺いましたが」
「こちらも指名依頼が発生しないDランクまででしたら、登録と同じくギルド長の認可と推薦書のみでも取得が可能です」
そう言われてレンドルフがカードの暗号化された個人番号の場所に触れると、「ランク:D」と追記されていた。
「あ、あの」
「はい」
「有力者の推薦と言われましたが、どなたが…」
「駐屯部隊部隊長ステノス・エニシダ様でございます」
変異種のアーマーボアを倒したことはギルドにも伝わっていたし、レンドルフの身分や騎士団所属の詳細もギルド長は把握していた。そしてこの街では評判の高いステノスの推薦もあれば、レンドルフの特例の登録認定とランク取得がほぼ最速で確定したのは、ギルド内では誰もが当然のことと納得していた。むしろ彼が新人の色付きカードを持っている方が不自然だとさえ思われていたのだ。
ただ、真面目なレンドルフだけが、こんなに簡単にランクをもらっていいものかと悩んでいた。
「レンさん、おめでとう!一気にランク持ちだね」
「あ、うん。ありがとう。ステノスさんにもお礼しないと…」
ユリに祝いの言葉を言われてもまだ戸惑っているレンドルフがカードを眺めていると、ギルド職員が軽く咳払いをして腕をつついた。
「そういったことはあらぬ誤解を招きますので、ギルドからお礼の言葉をお伝えいたします。それからこれは個人的な考えですが、しばらくは人目のないところでお会いになるのも避けた方がよろしいかと。もし何かありましたら、ギルド内の応接室をご利用ください」
「ああ…ご助言感謝します」
彼に小声で言われて、レンドルフもそっと囁き声で返して軽く頭を下げた。ステノスは先日の討伐の共闘を経て推薦書を書いてくれたのだろうが、あらぬ邪推をする人間はどこにでも存在する。純粋に実力を評価してくれたことに不義理で返すことは本意ではない。
レンドルフはギルド職員に礼を言って、カウンターから立ち上がってその場を辞した。
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「レンさん。まだタイキ達は降りて来てないから、ちょっと寄り道してお酒買いに行こう?」
「お酒?」
「うん。二つ向こうの辻にある大きな店舗の商会でね、ミズホ国から輸入したお酒、扱ってるから。ミキタさんに差し入れしよう。そしたら、飲むでしょ?」
「あ…そうだね。そうしよう!」
ユリがギルドを出るとレンドルフを袖を軽く引いて、そんな提案をして来た。レンドルフは彼女が何を言いたいかを察して、嬉しそうに破顔した。
ミスキ達と顔を合わせないようにしながら、ステノスはよくミキタの店で飲んでいると聞いている。ステノスに直接礼を渡すことは出来ないが、ミキタの店に酒を差し入れれば巡り巡ってステノスの口に入るだろう。彼の故郷であるミズホ国の酒であれば更に確実な筈だ。
「ありがとう、ユリさん」
「一緒にレンさんの好きそうな甘いお酒も買わせてね。ランク取得のお祝い」
「え、でも…いや、ありがとう」
「どういたしまして!」
ついいつもの癖で遠慮を口にしかけたレンドルフだったが、少し強めな視線で見上げてくるユリに軽く咳払いをして素直に礼を口にした。
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「さっきDランクは指名依頼が発生しないって言ってたけど、ユリさんはCランクだから受けられるんだよね?受けたことはある?
「何度かね。でも基本的にはギルドからの正式依頼じゃないと受けないし、話が来ても一応調べてから受けるようにしてる。レンさんも今後ランクが上がったらそうしておいた方がいいよ」
「そうなんだ」
個人でもパーティでも、依頼主やギルドから指名を受けて依頼をされるようになるのはCランク以上になる。一番多いのが依頼主が依頼内容をギルドに提示して、ギルド側からそれに相応しい実力を持った冒険者を紹介する形だ。ギルドの仲介が入るので多少割高にはなるが、適材適所の実力者を紹介されるので失敗も少ないし、受ける側も通常依頼よりも報酬が良い為、依頼主も冒険者も双方にメリットは大きい。その差額を出さずに掲示板などに張り出して募集する通常依頼にした場合、実力不足な冒険者が応募して来て失敗に終わったり、なかなか応募がなかったりするので、そこは募集内容と金額の見極めどころだろう。
もう一つの指名依頼は、その名の通り依頼主が冒険者個人を指名するものだ。これはある程度指名する冒険者の実力や得意分野などを知っている場合や、依頼主と懇意だったりすることが多い。これもギルドに依頼内容を提示して内容の精査は必要だが、数多くいる冒険者から選出する手間がないので、ギルドへの仲介料はそこまで多くはない。
「時々ギルドを通さずに直接依頼をしようとする人がいるけど、殆どが後ろ暗いことを企んでる奴らだから。それを承知で受けて、何かトラブルになってもギルドは一切助けてくれないし、そこは自己責任よね」
「それはそうだ」
「私が受けた指名依頼は、一週間以内に状態の良い薬草20株とか、箱の中の薬草の選別とかかな。ギルドも私が薬草採取に特化した冒険者だって分かってるから、護衛とか討伐同行とかの依頼は回さないし」
以前にユリがソロの冒険者であることに目を付けた男爵令息が、しつこくユリ個人に護衛同行の依頼を申し込んで来ていたことがあったが、目的があからさますぎるのでギルドでは依頼を最初から却下していた。更に何度か厳重注意をした後もギルドを通さずにユリに直接コンタクトを取ろうとしたので、最終的には裁判所から安くはない罰金の支払いと接近禁止の沙汰を下されていた。
「レンさんがCランクになったらすぐに指名依頼殺到しそう」
「それはないと思うよ。俺はランクはこれ以上は上げられない」
「…そっか。レンさんはちゃんと戻る場所があるもんね。最近毎日一緒にいるから、つい忘れてた」
「俺も、こうやって過ごしてるの楽しいから、忘れそうになる」
レンドルフは長期休暇中の騎士だ。休暇中に冒険者の真似事をしているだけであって、その本分は国から認められた正騎士なのは紛れもない事実である。この先の処遇については決まってはいないが、どこかの騎士団に所属するのは間違いないだろう。騎士団に戻れば、当然そちらの任務が優先になるので今のように冒険者として過ごすことは出来なくなる。
忘れようとしていた事実が不意に目の前に飛び出してきて、一瞬だけレンドルフは気持ちが揺らぎそうになったが、すぐに目の前のことに集中する。いくら思い悩んでもこの先避けられないことならば、今無駄に悩むことはない。そう思って頭の中から色々な思考を追い出した。
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「思ったよりもたくさんの種類があるね。ユリさんのおすすめはある?」
ユリに先導されるように連れて来られた棚の前には、幅の広めの棚を三段は埋め尽くしてミズホ国から輸入された酒瓶が並んでいた。この国ではあまり馴染みのない色合いの極彩色のラベルが美しかった。
「ん-、ステノスさんは強くて辛いお酒が好きって言ってたから、これかこれ、かな。この茶色い瓶の方がコメが原料のお酒で、こっちの透明な方は麦が原料だった筈よ」
「どっちも綺麗なお酒だね」
実際に手に取って眺めて見ると、どちらの瓶も透き通った液体が詰められている。少しだけ揺すってみても、そこに滓のようなものは見えない。この国で作られている酒は、そこに原料の粒が沈んでいることが多い。好事家の間では、それが時間を掛けると奇跡のような美酒になることがあるとして珍重されているが、大半は熟成過程で味が落ちてしまうので一年以内の飲むのが通常だ。
「瓶に詰める過程で、上澄みと中ごろと底で分けてるって聞いたことがあるよ。それだけでずいぶん味が違うみたい」
「じゃあこれは上澄みなのかな」
「ミズホ国にお詳しいお嬢様ですね」
「あ、いえ、ちょっと聞きかじっただけです」
棚の前で話をしていると、この売り場の担当をしているらしい上質なスーツを着込んだ押し出しの良い紳士がにこやかに話しかけて来た。
「何かお探しのものがございましたらお伺いいたしますが」
「ありがとうございます。贈答用のものを探しています」
「さようでございますか。どういったものをお好みかご存じでしょうか?」
「強めの辛いもので、出来ればミズホ国のものを」
「ああ、それでしたら先程お手にされていた二本が最適でございます。博識でいらっしゃる」
彼は感心したように頷くと、少し高いところにあった細身の瓶を手に取った。薄氷を思わせるような薄い青の瓶で、流線型の形が美しかった。こちらの中身も透き通って、一見すると水のようにも見えてしまう透明度だった。
「こちらは少々酒精は弱めですが、僅かな期間にしか取れない稀少なものでございます。通常の製造過程からわざとひと手間省いて、その分新鮮でフルーティな香りと瑞々しさを出しているのです。華やかな香りが特に素晴らしいと評されております。よろしければお味見をなさいませんか」
レンドルフは甘いものを好むだけで、飲めない訳ではない。飲んだことのないミズホ国の酒に興味も覚えたが、それよりもチラリと隣を盗み見るとユリが表情を抑えようとはしているが目がキラキラしているのが隠しきれていなかったことの方が気になった。ここでレンドルフが辞退してしまうとユリだけ味見がしたいとは言いにくいだろう。
「ありがとうございます。それではお言葉に甘えて。ユリさんはどうする?」
「え?レンさんはいいの?」
「俺は飲めない訳じゃないよ。それにミズホ国のお酒は興味あるから」
「それではこちらをどうぞ」
片手に簡単に収まってしまうほどの小さな味見用のグラスを手渡されて、青い瓶から中身を注がれた。トク、と耳馴染みの良い音と共に注がれた透明な液体は、本当に清水のようにしか見えないほど見事な透明度だったが、注がれると同時にフワリと酒精を含んだ甘い香りがした。確かに言われていた通り、まるで果物をいくつも混ぜたような華やかな香りがした。そしてそれほど複雑な香りなのに、まったく濁ったような印象がないところにレンドルフは少々驚いていた。
「これは…こちらも原料はコメ、なのですか?」
「はい、おっしゃる通りでございます」
「すごいな…言われなければ果実酒かと思ってしまいそうだ」
味見程度なので一口でも飲めてしまう量だが、レンドルフは丁寧に味わいたくて半量ほど口に含む。口に入れると、まず華やかな香りが広がり思ったよりも甘い味が舌の上に感じた。そこから少し遅れて酒精のほのかな刺激がやってくる。酒精が弱いと紹介されたが、喉の奥に滑り落ちた時の熱さは弱いとは思えなかった。香りだけでなく、味わいも果実酒のようなフルーティーさだったが、驚くほど後口がすっきりしていた。口の中と鼻腔にあれだけの香りと味わいが広がっていたのに、喉を滑り落ちると一切の痕跡がなく、まるでそれこそ水を口にしていたかのようだった。ただ、やはり飲んだ証しとて、胃の辺りが軽く熱を帯びたようになっている。
「思ったよりも飲みやすいお酒です。香りも爽やかで」
「すごく後味がすっきりしていますね」
ユリはよほど美味しかったのか、蕩けるような表情でホウッと溜息を吐いた。甘いものをそこまで好まない彼女であるが、どうやらこれはいたく気に入ったようだった。
「他にもお試しになりますか?」
「今日はこの後に予定もありますので。貴重なものをありがとうございました」
ミキタの店に差し入れるのは、最初にユリが勧めてくれた二本のものにした。あまりにも礼として分かりやすくして貰わないように、包装は簡素なもので頼んだ。
「じゃあ私、その間にレンさんへのお酒見てくるね」
待っている間に、ということで、ユリは他の女性店員を伴って別のコーナーに行ってしまった。ユリが少し離れたところで、店員の説明に熱心に耳を傾けているのをチラリと確認したレンドルフは、酒瓶を準備している店員にこっそりと声を掛けた。
「あの…先程の味見したものを、別に包んでもらえますか?」
「はい、かしこまりました」
「後日、取りに来ますので」
レンドルフが耳打ちをするように頼んできた意図を察して、彼も一瞬だけユリに視線を向けて得心がいったように深々と頭を下げた。