65.キラーアントの最大の敵
久しぶりの侵入者に、キラーアント達も混乱していたのだろうか。
思い切り懐奥に走りこんで来たレンドルフの横薙ぎの剣に、成すすべもなく数体の首が落とされる。キラーアントの体は固い殻で覆われてはいるが、関節の部分は細くくびれていて存外脆い。その部分に正確に刃を入れることが出来れば、仕留めることはそこまで困難ではないのだ。ただ、相手も動き回っているし、的が小さいこともあるのでそれなりの精度が必要ではある。
レンドルフも全ての関節を正確に捉えているわけではなく、多少ズレてはいるがそこは生来の腕力で押し切っていた。
レンドルフと同じようにキラーアントの中に飛び込んだタイキは、極端に弧を描いている剣の特性を生かして、関節からズレた場所に叩き込んでも殻の表面に刃を滑らせてその勢いで関節を切り離していた。撫で斬りや削ぎ切りというような感じで、やはり次々とキラーアントを行動不能にしていく。
ほぼ初手の勢いで、大量にいたキラーアントの三分の一程度はあっという間に首や胴体が切り離された状態になった。
『ヂッ!』
さすがに昆虫と言うべきか、胸と腹の部分を切り離されてもまだしぶとく生きている個体が、床に転がったままの状態でレンドルフに向かってギ酸を吐いて来た。一瞬避けるのが遅れてレンドルフは咄嗟に顔を腕で庇ったが、それが届く前にすかさずバートンが立ち塞がった。
バートンの構えた盾は様々な防御の付与が施されているので、ギ酸がかかった程度ではびくともしない。そのまま盾を叩きつけるように押し付けて、まだ生きている個体にとどめを刺す。
「ありがとうございます」
「ギ酸はワシが受ける。もうちょっと減らしていくぞ」
「はい!」
バートンは飛んでくるギ酸を躊躇なく盾で受け止めるようにしながら、反対の手で盾の陰から短剣を突き出し相手の頭に刃を突き立てて仕留めていた。それと同時に、どんどんと足元に転がる死骸も盾で押し退けるように集めては隙を見てポーチに回収している。おかげで周囲の床に余裕が出来て、レンドルフはどれだけ斬っても足元を気にしなくていい状況になっていた。
ユリが投げた煙玉は、目眩しよりも風の流れを視認する為のもので、薄く白い煙が風に流れて幾つかの穴の向こうに消えて行く。ハッキリと外へ風が流れているのは三箇所で、穴の向こうから蟻が出て来ないのは一箇所だけだった。そこが出口だ。素早くその穴を見分けて、ユリとクリューが走り出す。
ミスキは安全な場所へ退避しているユリとクリューの近くに立ち、次々と何かを取り付けた矢を放っている。それはキラーアントの体ではなく足元に当たると、何か液体のようなものが広がりすぐに固まった。それは空気に触れると粘着性のある固体に変化する糊のようなもので、キラーアントの細い脚に絡まってその場に縫い留めていた。不思議なことに、まるでミスキが矢を放つとその場のキラーアントが逆に集まって道が出来ているようにも見えた。
タイキはギ酸を受けてもその場所をすぐに透明な鱗が覆い、皮膚に到達する前に剥がれて落ちるのを繰り返している。その為一切ギ酸攻撃を気にすることはなく、くるくると回るようにどこか楽し気にキラーアントをバラバラにしていた。その動きには全く疲れは見られない。
「撤退だ!」
ユリとクリューがこのホールの出口に到達して、ミスキがその近くで近寄れないように迎撃している。
「タイキ!」
「おう!」
レンドルフが声をかけると、タイキは元気に答えを返して進む方向にいた数体を蹴り飛ばした。レンドルフも仕留めることは考えずに、道を開けるために剣を振り回す。その為キラーアントの関節には当たらなかったが、胸の殻がべコリとへこんで弾き飛ばされる。
「ウインドカッター」
バートンが追いすがろうとする個体の足元に風魔法を叩き込んで足を切り落とす。先頭の数体が地面に転がると、後続の個体たちが次々と団子状に転がる。
三人が身体強化で速度を上げて出口に到達する。
かなりの数の足止めには成功しているが、このままでは追ってくるのではないかと思いレンドルフが出口の付近で振り返ると、すれ違うように足元を抜けてユリが一歩前に出る。
「氷盾」
ユリが両手を前に出して、制御に気を使うことなく通過してきたホールに向かって氷魔法を発動した。振り返っていたレンドルフの顔に、刺すような冷気が跳ね返って来て、思わず顔の前に腕を掲げて防御していた。それでも腕の隙間から小さな氷の粒がチリチリと顔に当たった。
「ユリ…えげつねぇ…」
冷気の風が治まってレンドルフが腕を下ろすのと、隣にいたタイキが呟くのはほぼ同時だった。
目の前には、真冬のクロヴァス領でも見たことがないほどの見事な氷のドームが出来上がっていた。その中で樹氷のように見えるのはそのまま氷漬けになったキラーアントだろうが、どれも分厚い氷に封じ込められているので黒い体が全く見えない。見渡す限り一面の真っ白な世界が広がっていた。
「気にしないで魔法が打てるって、楽でいいね!」
レンドルフの前にいたユリが、白い息を吐きながら満面の笑みでそう言って振り返ったのだった。
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あの氷漬けになったドームは帰りや明日以降はどうなるのかと思ったのだが、ミスキ曰く、帰りはワープゾーンがあるので最奥から入口まで一気に戻ることもできるし、ここから少し先に途中で撤退可能な抜け穴もあるので大丈夫だということだった。そしてこのような迷宮ダンジョンは、どんな状態になっていても一日経つと基本的に元に戻っているので問題はないそうだ。それを知っていて、ユリも気兼ねなく魔法を発動させたようだった。最初からダンジョンとは縁がないものと思ってそこまで詳しくなかったレンドルフには、色々衝撃的な出来事であった。
「いつもより数が多かったからどうなるかと思ったけど、レンくんのおかげで楽だったわぁ」
「そうでなんですか?」
「ああ、いつもの倍はいたな。でもレンがかなりの数仕留めてくれたからやりやすかった」
「それなら良かった」
最奥への近道が出来た後も、ユリの薬草採取の関係で「赤い疾風」はあのキラーアントの待ち構える場所は通過する必要があった。その為、いつもはレンドルフのいたポジションにユリが入ることが多かったそうだ。しかしユリの場合、直接攻撃よりは制御の苦手な氷魔法を使うことになるので、お互いに攻撃しあわないように気を遣って必要以上に消耗する場所らしい。
「バートンさんにはずいぶんフォローしてもらいました。ありがとうございます」
「なんのなんの。ワシもお前さんが後ろにいてくれると安心して任せられるしの」
「周囲にタンクはいなかったので、あんなに盾が色々なことができるとは思いませんでした」
バートンの盾の技は防御だけでなく攻撃なども多彩で、相手の動きを止めつつ一気に押し退けて戦いやすい足場を作るなど、レンドルフには見たこともない技が満載だった。自身が戦っているのでじっくり見ている余裕がないのが惜しまれた。
「タンクは冒険者の中でも少ない職種じゃからそうじゃろうな」
冒険者の職種の中では回復や浄化を使える魔法士が引く手数多の人気職ではあるが、ランクの高いパーティではタンクを重視していることが多い。ハイリスクハイリターンなダンジョンに挑むパーティでは必要不可欠な存在なのだ。しかし、前衛に出て攻撃を受けるタンクは怪我が絶えず、冒険者として活躍出来る年数は極端に短い。更に体格や体力もある程度恵まれていなければ務まらないというのもあって、なり手は常に不足していた。
「レンも向いてると思うがの」
「そうですか?」
「興味があるなら、今度教えてやるぞ」
「是非!」
クロヴァス領でも学園の騎士科でも、専門のタンクがいないのできちんと学ぶ機会はなかった。体格は自分でも向いているとは思うが、素質があるかはレンドルフ自身でも分からない。もし素質があるなら今後の戦闘スタイルに取り入れることも出来るだろうし、ものにならなくても学びで得るものは大きい筈だ。
バートンの提案に、レンドルフは即答していた。
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「ユリはいつもの採取して行くだろ?」
「うん。そのままだといいんだけど」
キラーアントの群れの棲むポイントを通過してしばらく行くと脇道があって、そこに需要の高い薬に必要な苔が生えている。青銅苔という青緑色の苔で、肺や呼吸器などの炎症を鎮める薬の成分の一つだ。比較的採取は難しくない素材ではあるが、年中それなりの量を必要とするので常に薬師ギルドでは依頼が出ている。この迷宮ダンジョンに生えているものは品質が良く、通常より一割程度買取価格が高いし、それで作った薬も効能が高いのだ。
「さっきの場所も出口の場所がズレてたわよねぇ。入口が変わった影響かしらね」
「多分そうですね。まずはサンプル採って調べてみないとですけど、環境が変わると薬効も変わるから…」
あのドーム状の場所から先に進む為の出口の位置が、手持ちの地図とはズレていた。慣れた場所でもきちんと煙玉で出口を確認しておいて良かったのだ。この一手間を惜しんで、間違って袋小路に退避したらギ酸の集中砲火を浴びる危険もあっただろう。
「あー、確かにちょっとズレてるな」
2回角を曲がると、少し先の壁に横穴が空いているのが見えた。ミスキはそれを目視して、すぐに位置が変わっていることに気が付いた。
位置が変わったということは、これまで脇道にいなかった魔獣がいる可能性もあるので、ミスキはソロリといつでも発射出来るように矢をつがえた。
「タイキ、何かいそうか?」
「特に何も気配はなさそう。…でも、妙な匂いがする」
「匂い?」
「嗅いだことない匂いだ」
タイキは軽く目を閉じて嗅覚に集中している。しかしそれが何か記憶にないのか、じっと眉根を寄せていた。
ミスキは脇道の入口の付近まで近寄って、奥をランタンで照らすように確認した。中は特に崩落などはなく、ランタンの灯りが届くギリギリのところ程度の深さしかなかった。ランタンを動かして壁や天井を照らしてみたが、特に魔獣らしき影は見当たらなかった。
「青銅苔も生えてるみたい」
「ここは場所が変わっただけ…か?」
「待て。もう一度天井を照らしてくれるか」
「あ、ああ」
床の奥に青緑色の染みのようなものが広がっているのが見える。ユリの判断では、以前と同じように青銅苔も生えているようだった。
しかしレンドルフは一瞬だけ照らし出された天井とその付近の壁にあったものが気になって、ミスキに再度ランタンで照らしてもらうよう頼む。少しだけレンドルフの声が固くなっているのを察知して、メンバーの間に緊張感が走る。
「…傷?」
「ユリさん、あれはどうしても必要?」
「あるに越したことはないけど、絶対って訳じゃ…」
「じゃあ、このまま引いた方がいい」
天井近くの壁から天井に掛けて、幾つかの傷が走っているのが見えた。まるで引っ掻き傷のようにも見える。
「多分、あれはオオムカデの足跡だ」
「分かった。引くぞ」
声を潜めたレンドルフに、ミスキは即座にランタンを下ろして下がった。
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皆でその脇道から速やかに距離を取って、三回ほど道を曲がって、また数メートル奥に入っただけの脇道を見つけた。その場所はタイキが気配を探ってもおかしなことはなかったので、入口のところに結界の魔道具を発動させて臨時の安全地帯にして休憩を取ることにした。
ランタンを中心にして車座に座り込むと少々狭く感じるが、何となくこの閉塞感が安心を与えて来る気がした。
「さっきの場所、オオムカデがいたのか?」
温かいものでも少し飲もうと、火の魔石を中心に据えた簡易カマドを作って、小鍋で湯を沸かす。それが沸くのを待つ間、ミスキはレンドルフに確認を取る。
「あの独特の少し生臭い匂いは間違いない。おそらく今は回遊してて不在なだけだ」
「そうか。タイキ、その匂い覚えててくれよ。俺には感じ取れなかった」
「分かった。大丈夫、覚えてる」
オオムカデは、多足の昆虫型魔獣だ。体長は二メートルから五メートルくらいの大型で、多足を活かして壁も天井も何なく這い回る。食欲旺盛で、動くものは何でも口にしようとする悪食だ。
昆虫型によくある硬質な外殻を持ち、動きが速いので関節を狙うことが困難な上、生命力が非常に高い為に細かく分断してもすぐには死なない。
切らなければ死なないし、切ったら切ったで実質敵が増えるようなものなので、あの狭い場所で遭遇したら戦闘はかなり厳しくなるのは目に見えている。
「アイツ、雷無効にする上に弾いて来るのよね。引いて正解だわ」
「次に来る時はムカデ避けの香を持って来た方がいいだろうな。ユリ、調合頼めるか?」
「うん、大丈夫。材料なら家に揃ってる」
湯が沸いたので、各自のカップに注ぐ。レンドルフはそのまま白湯を飲むのかと思ったら、ユリが幾つかの紙袋を取り出した。
「これが普通のお茶で、こっちが甘いお茶。こっちは粉末スープね」
ユリが示した紙袋には折口に色が付いていて、それで中身を見分けているようだ。
「レンさんは甘いのにする?」
「あ、うん。ありがとう」
そう聞かれて頷くと、ユリは赤い折口の袋から薬包のような物を取り出してレンドルフの手の上に乗せる。
「これ、お湯に溶けるから」
言われるままに包みを開けると、中には茶色と白の粒状の物が入っている。それをそっとカップに振り入れると、あっという間に湯に溶けてしまった。一緒に手渡された木製のマドラーでかき混ぜると、完全に湯に溶け切ってしまう。
全てが溶け切ると、白湯が一瞬で透明な琥珀色の液体に変わった。そっと一口啜ると、少し薄めだが甘い紅茶の味と香りが広がった。
「すごい、こんなに簡単にお茶が飲めるんだ」
「薬草の抽出液を凍らせてから水分を飛ばす調薬の魔道具があって、それをお茶にも応用してみたの。あ、ちゃんと食品用で使い分けてるからね!」
「大丈夫だよ、そこは心配してないから」
以前にもユリに乾燥させた海藻を粉末にしたものを貰った際に同じようなことを言っていたのを思い出して、レンドルフは思わず笑ってしまった。
「これ、便利だから商品化して欲しいんだよなあ」
ミスキは両手で包むようにカップを持って、溶かしたスープを少しずつ啜りながら言った。
「調薬用の魔道具だから、大量には出来ないのよね。それに氷属性の魔石も大きな装置動かせるほどのサイズって希少だし」
「だよなぁ。俺達はユリの趣味のおかげで助かってるけど」
本来の調薬目的の場合、一度に出来る物が数十グラムでも充分な量なのだが、お茶やスープになるとカップ一杯分でも装置を三回は動かさなくてはならない。個人的な趣味で作るならともかく、販売用の量を作るには今の魔道具ではコストがかかり過ぎるのだ。
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「この先はどうするつもりなんだ?」
「内部に変化がなければ今日でもボスにアタックも行けそうなんだが…今までいなかったオオムカデが生息してるとなると、今回は途中の退避口から出た方がいいかもな」
この後の作戦を尋ねたレンドルフに、ミスキは地図を広げてこの先のルートを指で辿った。ミスキの指は、この場所からそれほど離れていない出口を指し示す。その場所が途中で迷宮から脱出可能な退避口らしく、手前の分れ道は更に奥に続いていた。
「その退避口も変わっている可能性もあるじゃろ。道だけ確認して、ミノタウロスだけ当たるつもりで行ったらどうじゃ?」
「それもアリ、か」
バートンの意見も一理ある、とミスキは顎に手を当ててしばし考え込んでいた。
「ひとまず、退避口付近まではなるべく戦闘を避けて進むか。確実に逃げ道を確保してからボスに行くか改めて決めよう」
ミスキの作戦に、全員が頷いた。