64.迷宮ダンジョン攻略開始
「東の迷宮」と呼ばれるダンジョンは、比較的行きやすい場所にあった。
森の東側の最奥ではあったが、そこから少しだけ離れた場所に荷下ろし専用の小さな港があり、そこから到着した荷を王都に運ぶ為に馬車が行き来する街道が整備されている。その街道を利用すれば、ダンジョンのかなり近くまで馬車で乗り付けることが可能なのだ。
「今日はまず、どの程度レンがダンジョン内で動けるかの確認をしたいから、踏破を目的とはしなくていい。ボスを狙えるなら行ってもいいし、今日は様子見でもいい。少なくとも三日は掛けられるようにギルドの方には報告してあるしな」
「そうしてもらえるとありがたいよ」
抜け穴を使うのならば、手前にあった安全地帯の方が入り口が近いのだが、正規のルートで行く為にそこは通り過ぎて港まで馬車を進めていた。
港には水夫や荷運びの商人達の為に宿泊施設や食堂、商店や神殿なども建てられていて、エイスの街の一部ではあるが独立した港町のような風情だ。抜け穴が出来る前は、泊まりがけでダンジョンに入る冒険者なども良く利用していたが、ここ最近はその数は減っているそうだ。
まずはダンジョンに入る前に打ち合わせを兼ねて腹ごしらえをしようということで、港の小さな食堂で早めの昼食を取っていた。
「この魚、美味しいな」
「この時期の春魚は旬だからな。後でおふくろにも土産買っておこうか」
「いいわね。ミキティも春魚好きだもんね」
「ワシは干物も買っておきたいの」
春魚と呼ばれている魚は、その名の通り春から初夏にかけてが旬の魚だ。青灰色をした白身の魚で、通常は大変脂が乗っているのだが、冬場などは脂が乗りすぎて却ってあまり味が良くない。気温が上がって程よく脂が抜けた頃が最も美味しいと言われている。さすがに港だけあって新鮮な魚が入荷するので、皆で食べているのはシンプルな塩焼きだった。
香ばしくパリリと焼けた皮の下で、ホクリと割れる身から湯気が立ち上る。そしてその身の間から滲み出る透明な脂が艶めいていて、見た目だけでも食欲をそそった。まだ皮から微かに音を立てている程に熱い身に息を吹きかけながら口に入れると、皮に振られた塩が丁度よく染みた身に脂の甘さが際立っている。
「今まで塩焼きは食べたことなかったけど、一番美味しい食べ方じゃないかな」
「お褒めいただきありがとうございます。良かったら秋には秋魚の塩焼きも食べに来てください。あいつも塩焼きが最高ですよ」
「それは良いことを聞いたな」
春魚も秋魚も比較的安価な魚なので、主に庶民に食べられている。特に塩焼きなどのようなシンプルな調理法は大衆食堂などで出されることが多い。その為、どう見ても貴族のお忍びにしか見えないレンドルフに提供していいか店主の方は悩んでいたようだが、レンドルフが何の抵抗もなくニコニコと舌鼓を打っていたので店主も嬉しくなったのか、この辺りでよく食べられているという巻貝の煮付けをおまけで提供してくれた。小さな貝の中に入っている身を取り出すのに、手の大きなレンドルフは少々てこずっていたが、根気よく慎重に貝を回して途中で身が切れずに取り出せてご満悦な顔をしていた。逆にタイキは強引に引っ張って少ししか出せず、口を尖らせていた。
濃い目の煮汁で味付けられた貝は、小さいながらも磯の風味がしっかりとしており、噛み締めるとコリコリとした歯応えがちょうど良かった。これ以上大きな貝だときっと食べづらいだろう。
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「ダンジョンに入る前に、これを渡しておくよ」
食事がひと段落して食後のお茶を飲む頃に、ミスキは手の中に納まるくらいの黒っぽい箱型の魔道具をレンドルフに手渡してきた。
「これは?」
「ダンジョンの中ではこのギルドカードが使えなくなる場所があるんだ。もしそういう場所で万一はぐれた時は、こいつをどこかの壁に叩きつけて壊してくれ。そうしたら俺の持ってるこいつに反応があるから、俺が必ず迎えに行く」
ミスキが手にしているのは、何か丸めたシート状のものだった。レンドルフに渡した方の魔道具を壊すと、特殊な信号が出てミスキの持っているシートに信号が発信された位置が表示されるそうだ。ミスキには一度通った道は完璧に覚える特技を持っているし、行ったことがない場所でもある程度構造が分かるので、もしはぐれた場合でも信号の出た場所に辿り着いて、回収して出口まで連れ帰れるのだ。
「ただし、壊した場所からは移動するなよ。さすがにあのダンジョンの道は全部把握しててもそこまでは俺でも無理だ」
「そりゃそうだろう」
「何度かやらかした奴がいるからな」
「うっ…」
ミスキがチラリとタイキに目をやった。すかさずタイキがそっぽを向いたので、レンドルフは何となく察した。確かにタイキならやらかしそうである。
「作戦は昨日話した通り、ある程度クリューの雷魔法が効く奴はそれで撃退して進んでいく。その際にバートンの生活魔法の『洗い』で床と壁を濡らすから、そこに踏み込まないようにな。あそこに生息してるキラーアントは雷耐性があるから、そいつらはタイキとレンで叩いてくれ。バートンはギ酸攻撃のフォロー。今回はユリは完全に後衛の支援で頼むな」
「分かった」
昆虫型魔獣は雷に耐性を持つものが多いため、今までは大量に出現した時などユリの氷魔法に頼ることがあったのだが、あまり制御が得意ではないのと、タイキの予想出来ない速い動きが重なってしまい、危うくタイキを氷漬けにしそうになったことも何度かあった。今回はレンドルフが参加しているので、彼女の氷魔法には頼らない方向で行こうということになったのだ。勿論、臨機応変に変わることもあるだろうが、基本的な方針は確認しておく。
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港から森に入り、歩いて30分程度で「東の迷宮」の入り口に到着する。途中幸運にも魔獣には遭遇しなかったので、ほぼ体力は万全という良いコンディションで挑めることになった。
東側の森の最奥に当たるので、それなりに木々は鬱蒼としている。その中に、突如ぽっかりと迷宮の入り口が出現した。かつて多くの冒険者たちがここから挑んでいた時は周囲から奇妙に浮いていた建造物が、あまりにも人が来ないため半ば蔦に覆われて、入り口周辺の石畳は苔むしてすっかり周囲の森に溶け込みつつある。
「こりゃ入る前に少し掃除しとかないとな」
「掃除?」
少し入り口に近付いたミスキは、すぐに引き返して来て全員距離を取らせた。そして何故か鼻歌交じりで矢に何かを取り付け出した。
「少しの間、身体強化は解除しててくれ」
そうミスキは告げると、何か小さな筒のような物を矢尻に取り付けた矢を、入口に向かってつがえた。
ミスキの放った矢は、違うことなく迷宮の入口に吸い込まれるように消えて行った。そこから一拍遅れて、何やら小さな鳴き声のようなものが奥から聞こえてきた。
「今の…」
「魔獣避けの笛の強力改良版。身体強化してなきゃ人の耳には殆ど聞こえないだろ?」
矢が放たれた瞬間、何か耳を塞がれたような違和感があったのだが、どうやら魔獣にしか聞こえないような周波数の音が出る笛を取り付けたせいらしい。
「おー、落ちてる落ちてる」
迷宮内は光が届かずにいるので、光の魔石を使ったランタンを片手に内部に足を踏み入れた。随分長く人が通ってないのか、床は埃と苔で覆われていて、湿った匂いが鼻を突く。どのくらい人がそこを利用していないのか、床の上に点々と足跡が残ったが、自分たち以外のものは全く見当たらなかった。
その中に、何か黒っぽいハンカチ大のくしゃっとしたものがあちこちに落ちていた。ランタンで照らして見ると、コウモリ型の魔獣だった。見た目も習性もコウモリに似ているが、時折人里に降りてきては集団で家畜や人を襲う小型ながらも侮れない魔獣だ。ごく稀に病原体を保有している個体もいるので、噛まれたら専用の血清が必要になる。
「結構な数じゃな」
目が暗さに慣れてくると、辺り一面に落ちている。ざっと見ただけで50体近くはいるだろう。バートンは背負っていた空間魔法付きのポーチを下ろすと、手袋をしてどんどん中に放り込んで行く。
「このサイズなら死んでるとは思うけど、念の為タイキとレンは確認して生きてるのがいたらトドメ刺しておいてくれるか」
「おう!」
「分かった」
ミスキの指示でタイキとレンドルフは短剣片手に落ちているコウモリ型魔獣を照らし出して、生存の有無を確認した。その間に他のメンバーは手袋を装着して拾い集めて行く。
ミスキだけはどちらにも参加せずに、腕に付けたクロスボウをいつでも発射出来るように構えながら周囲を油断なく伺っていた。
このコウモリ型魔獣は、視力が殆ど無いが聴覚が発達している。そこに強力に改造された魔獣避けの音を発する矢を打ち込まれたのだ。そのショックでほぼ入口付近の群れは壊滅したようだった。群れのボスだったのか、二体ほど少し大きな個体が僅かに体を痙攣させていたので、頭に短剣を突き立てて念の為完全に絶命させておく。
「ユリはこの辺で採取するもんはあるか?」
「まだ入口付近だから特には無いよ。もうちょっと奥に営巣地があればフンのサンプルが欲しいかな。餌の苔を調べたいの」
「了解。途中何かあったら言ってくれ」
ランタンで周囲を見回して全て回収したのを確認してから、道を全て覚えているミスキを先頭に移動する。途中、何体か同じコウモリ型魔獣がいたが、ミスキの矢で何なく仕留められてレンドルフの出番はなかった。
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「ここ、道が増えてるな」
「構造が変わったってことか?」
「みたいだな。古い道だとまだ分かれるのは先なんだが…」
ミスキの前には、三つに分かれた道があった。
まるで最初からそこに作られていたかのように、きちんと石造りの迷宮の壁と同じもので出来ている。ここ数年地図は更新されてなかったと言うことなので、その間に崩落などがあって変化したのかもしれない。
「三年前に来た時は一つだった。多分、元からあった道は真ん中だな。下に積もってる埃の厚みが微妙に違う」
ミスキがそれぞれの道の入口でしゃがみこんで、軽く地面に触れて様子を観察する。レンドルフは、その観察眼に感心しきりだった。地図を広げて、その場所にさらさらと道を描き足す。
「少し、この道を調査してもいいか?」
振り返って確認して、全員が肯首すると、ミスキは先程のように再び矢に何かを取り付けた。見た目は魔獣除けの笛と同じように見える。
「それはさっきの?」
「まあな。ただ、こっちは音の出るヤツで、そこまで強力じゃない。距離を測るのが目的だからな」
そう言ってミスキは矢をまずは右、左と一本ずつ放った。矢は「ピィッ」と甲高い音を立てて暗闇の中に吸い込まれていった。そしてその音に耳を澄ませて、音の長さと残響である程度の奥行きを判断しているらしい。
「真ん中の古い道の奥が塞がってるみたいだな。それでこの道ができたのかもしれない。左は行き止まりか曲がっているかで、右の方は結構続いてるな。もしかしたらこの元の道の代わりに先で繋がってる可能性が高いな」
まずは一番短そうな中央の道の様子を見てみることにした。しばらく進むと、ミスキの予想通り途中で天井が崩落していて、土と岩で阻まれて先ヘ進めなさそうだった。その道を塞いでいる土の中に、放たれた矢が刺さっている。
「ちょっと待って。あそこに月光茸がある。ちょっと採取してきていい?」
「ああ。足元に気をつけろよ」
「うん」
ユリが積み上がった岩の隙間に生えている白っぽいキノコを見つけ、ヒョイヒョイと身軽に登っていく。
「月光茸があるってことは、外とは繋がってないな。ここから魔獣が出たってことはなさそうだな」
月光茸は日の光を極端に嫌うキノコなので、迷宮の一部が崩落して外と繋がってしまっていたら干からびていた可能性が高い。
「このキノコ、干してからスープに入れると美味しいのよ!」
思ったよりも収穫があったのか、膨らんだ袋を片手にご満悦な様子でユリが下りてきた。その袋はミスキが受け取って担いでいるポーチに入れていた。ミスキが持っているのも空間魔法が付与されたものではあるが、こちらは時間停止の付与は付いていない方だ。
その道を引き返して、今度は左側の道を進む。こちらは少し行くと、道が大きく左側にほぼ直角に曲がって更に続いていた。その先は暗く、どの程度続いているかは不明だった。
「タイキ、この奥の気配は分かるか?」
「うーん…なんか、いる」
暗がりの方にタイキは目を向けて、その大きな目を見開いて一点を凝視していたが、はっきりとは分からない様子だった。タイキの細い虹彩が一層細くなる時は集中しているらしい。
「そんなに大きくないのが複数は分かるけど、ちょっとそれ以上は分かんねえな。レンは何か分かったりしねえの?」
「俺は身体強化の応用だから、ちょっと無理だな。さっき試しに聴覚を上げてみたけど、反響してて音の根源が全く分からなかった」
「じゃあ、この先は次以降にするか。まずは正規のルートで最奥まで続いてそうな方に行こう」
ミスキはこの場所を再び地図に描き加えると、そのまま引き返して右の道を進むことを選択した。右の道は緩やかに斜めに進んでいるようで、どうやらミスキの予想通り元の塞がっていた道の替わりに出現した通路のようだった。
「このまま行くと、おそらく少しばかり広い場所に出る。そこはよくキラーアントが出現してたから用心してくれよ」
「分かった」
キラーアントは、約二メートルはある大型の蟻だ。縄張り意識が強く、入り込んだものを問答無用で攻撃して来る習性がある。この迷宮に出現するものはこの場を縄張りにしているらしく、出会うと間違いなく襲って来る。顎の力が強く噛まれたらひとたまりもない上に、吐き出すギ酸もまともに食らえば大火傷になる。そして群れで行動しているのでそれなりに厄介な魔獣だった。
「あ、やっぱりいるな」
キラーアントの縄張りが近くなって気配を察することができるようになって来たらしく、タイキが声を潜めてスラリと左手で腰の剣を抜いて臨戦態勢をとる。彼の愛用している長剣は異国の物なのか、この辺りではあまり見かけないくらい大きく弧を描いている。タイキの動きに合わせて、レンドルフも自分の長剣を抜く。この先どのくらいの広さか分からないので、いつもより少しだけ根元に近い方を握りこむ。
「ユリ、煙玉の準備は?」
「出来てる。蟻の出て来ない煙の流れる出口の穴を確認してクリューさんと援護しつつ避難、でしょ」
「任せた」
キラーアントは、耐火耐雷属性のある魔獣の為、クリューの魔法は効果がない。この場においては真っ先に安全を確保してもらう必要がある。
「タイキとレンは様子見ながらユリとクリューの避難した穴に向かってくれ。目標は…半数以下くらいを目指したいところだが、無理はするな。あと、俺が撤退って言ったら絶対な」
「了解」
「分かってるって」
レンドルフの耳にも、はっきりとこの先にいるキラーアントの足音と体の堅い外殻の擦れる音が聞こえて来ている。壁の反響で数まで把握できないが、それなりの数はいそうだった。タイキはもっと敏感にその気配を察知しているらしく、剣を握った左腕からパリパリと音を立てて透明な鱗が薄く覆い始めている。少し興奮しているのか、彼の固そうな赤い直毛が少し逆立つように広がっていた。
「行くぞ」
ミスキがサッと体を低くして飛び出すと、そこは天井が高くホールのようになっている広い空間があった。半球のドーム状になった空間で、壁にはいくつか出入口のような穴が開いているのが見える。そしてそのホールには、半分近くを埋めるように大量にキラーアントがひしめいていた。
「いつもより量が多くない!?」
巨大な蟻の黒光りする目が、一斉に侵入者を捉えた。
レンドルフは半ば悲鳴に近いクリューの声を背に受けながら、これなら思う存分剣を振るっても問題はないと、最も馴染んだ柄の場所に握りしめた手を滑らせ、一気に黒い集団に向かって走り出した。