【番外編】桃色ウサギと金の花6
年末年始番外編ラストになります。
いつもお読みいただきありがとうございます!
新年早々、普段よりも多くの方の目に留まっているようでありがたい限りです。
すっかり山の稜線から太陽が姿を現したので、皆はこの場から引き上げる為に後片付けを始めた。
レンドルフが再び魔法で地面に穴を開け、熱の篭った土に冷気を当てるようにして冷まし、また元通りに地面を固め直した。
確認の為に地面に手を当てると、まだほんのりとは温かいものの熱気が立ち上る程ではない。この程度なら二時間くらいで完全に冷えるだろう。
レンドルフがその場所の後始末をしている間に、ミスキ達は四阿に持ち込んだ紙皿やカップの回収を済ませ、バートンが浄化魔法をかけて回っていた。タイキはレンドルフの後始末を近くで見たがったが、ミスキに怒られて渋々ゴミを袋にまとめていた。
「今年はレンのおかげでめちゃくちゃ快適だった。ありがとうな」
「役に立てたなら良かったよ」
帰り道でそうミスキに感謝されて、レンドルフはクロヴァス領で散々鍛えられた甲斐があったな、と思いながら微笑んだ。
「あっ!」
不意に強めの風が吹いて、ユリの頭に乗せるように着けていた仮面がひらりと舞い上がった。
「ちょっと拾って来る!」
大きな木の向こう側に飛んで行ってしまった虎の仮面を追いかけて、一瞬ユリの姿が見えなくなる。しかしすぐに木の影からピョコリと顔を覗かせた。
「レンさん、高い所に引っ掛かっちゃったから、手伝ってもらえる?」
「うん、分かった」
すぐにレンドルフが頷いて少し戻る。
「あたし達は先行ってるから、後で出口で合流しましょ〜」
「分かりました」
クリューがその背中に声を掛けると、レンドルフは一度振り返って返事をしてからユリの元へと駆けて行った。
「…ユリなら、木の上くらい簡単に飛び乗れるだろ?」
レンドルフを見送ったタイキが不思議そうに首を傾げたが、タイキ以外の三人はその反応に深々と溜息を吐いた。
「ユリちゃんもやるようになったわねぇ」
「え?何が?」
風に仮面が飛ばされたのは偶然にしても、その機会をレンドルフと少しだけ二人きりになる理由にしたのだろうと思い、クリューは思わずニンマリしていた。ミスキとバートンも似たようなことを考えていたが、タイキだけ察していなかったのでキョトンとしている。
「タイちゃんも分かるくらいに大きくおなり〜」
「何だよ、それ!」
「いいから、いいから。早く戻ってあいつらを待とうな」
クリューに頭を撫でられ、ミスキに背を押されるようにして、納得行かない顔のタイキはグイグイと連れられて行ったのだった。
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「ユリさん?」
「こっち。あの枝のところ」
レンドルフがユリが顔を出していた木のところを曲がると彼女の姿がなく、戸惑って周囲を見回すと思ったよりも離れた所にユリの姿があった。そして彼女が上を指し示す先に、白い仮面が揺れていた。
「思ったよりも飛ばされたね」
「そうなの。レンさん、取れそう?」
「あれくらいなら大丈夫」
レンドルフが手を伸ばしても更に頭上にあったが、軽く身体強化を掛けてジャンプするくらいで充分手の届く範囲だった。
「ちょっと待ってて」
「気を付けてね」
直線で飛び上がるには手前の枝が邪魔になりそうだったので、一旦別の枝を経由してから仮面が引っ掛かっている枝に飛び乗った。体重のあるレンドルフが乗っても充分耐えられるであろう太さがあったので、足元は安定している。
そこから少し手を伸ばすだけですぐに取れたので、レンドルフはそのまま枝から飛び降りて地面に降り立った。衝撃を緩める為にフワリと片膝を付いて片手も地面に付ける体勢になる。
「ユリさん、取れた…」
レンドルフが手にした仮面を軽く掲げて見せた瞬間、突然ユリが正面から抱き着いて来た。
「ユ、ユリさん!?」
勢いよく首の辺りに両腕を回されるように抱きつかれたが幸いよろけることはなく、仮面を持っていない方の手を咄嗟に彼女の背に回して体を支えた。
一瞬、何か危険でも迫っているのかと警戒して、レンドルフは素早く周辺を見回した。が、特に怪しいものは見えない。とは言え、こんな風に唐突にユリが抱き着いて来るということは、何か異変が起こったのではないかと神経を尖らせて気配を探る。
「えっ?ちょ…ユリさん!?」
スルリと首元にユリの細い指が入りこみレンドルフの首を覆っている襟の部分を捲られ、直接肌に何か温かく柔らかいものが触れるのが分かった。それが彼女の唇だということがすぐに分かって、レンドルフの顔がブワリと赤くなった。
「待っ…」
完全に混乱したレンドルフは、口をパクパクさせながら抱きつかれたまま動けずにいた。この状態はいくら何でもよろしくないとは頭では分かっていても、体が動かなかった。
そのうちに、更に皮膚の表面を柔らかいものがチロリと蠢き、軽くチリッとした感覚が走った。何をされているかはレンドルフにも察することは出来たが、考えてはいけないと必死で頭の中から追い出そうと思考がぐるぐると渦巻いた。
『私に、食べられて』
いつもより少し低い、妙に艶のあるユリの声が耳元で囁いた瞬間、まるで蝋燭の火を吹き消したかのようにレンドルフの意識はプツリと途絶えた。
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「ユリさん」
「レンさん!?どうしたの?」
「あっちの枝に引っ掛かってた」
飛ばされたと思った方を見回してみたが、仮面が見当たらずにキョロキョロしていたところ、不意に後ろから現れたレンドルフに声を掛けられた。
見ると、彼が片手にユリの引いた白い虎の仮面を持っていた。
「全然違う方に飛ばされてたんだ。ありがとう、拾ってくれて」
ユリが小走りにレンドルフに近寄って、彼が手にした仮面を受け取ろうと手を伸ばすと、それが届く直前でスイッと上に掲げられてしまった。当然、ユリよりもはるかに背の高いレンドルフにそんなことをされると、頭上に手を伸ばしても全く届かなくなる。
「レンさん…?」
普段なら絶対そんな態度を取る筈がないと確信しているユリは、訝しげに小首を傾げてレンドルフを見上げた。しかし彼の表情はいつものように柔らかい微笑みを浮かべている。
「あの……えっ!?レンさん?」
突然、レンドルフが覆い被さるようにユリを抱き締めて来た。彼に対してこれまでに築き上げて来た信頼と、不意を突かれたことで咄嗟に反応が出来ず、ユリは完全に動きを封じられる体勢になってしまった。
彼の片腕は小さなユリの体に回されて両腕を拘束された状態になり、抜け出して距離を取ろうと踏み込んだ足はしゃがみ込んだ彼の太腿に挟まれてしまう。圧倒的な体格差にあっという間に身動きが取れなくなる。
本気で自分に身体強化魔法を掛けて抵抗すれば抜け出すことも出来るが、その場合レンドルフが無傷では済まされないのが分かっている為に、ユリはすぐに実行出来ずにいた。それに、常に身に付けている悪意を持って不埒な真似をする相手を撃退する魔道具が、一切反応を示していないことも躊躇う理由だった。
「レンさん!どうしたの!?」
両腕を拘束していないもう片方の手をユリの頭の後ろに回し、背後から長い指が防寒の為に幾重にも重ねた服の襟元を弄る。そして布に包まれたユリの細い首を探り当てると、その場所に顔を埋めて直接唇を押し当てられた。
『俺を、食べて?』
「…くっ!」
彼の唇が触れたまま、低い声で呟く。
次の瞬間、ユリは僅かに自由になる指を動かして、自分に装着している魔力遮断の魔道具の一部の動作を停止させた。
「…!」
ユリが直接触れた状態で特殊魔力を解放した為、彼の体が拒絶反応を起こして大きく弾かれるように離れる。その隙を突いて、ユリは素早く後方に飛び退いた。
彼女の特殊魔力遮断の為の魔道具は、ちょっとやそっとでは外れたり停止したりはしないが、ある特定の手の動きをすることで一部の機能を停めることが可能になっている。万一に備えての緊急手段として付けられた機能だ。
魔力量の多いレンドルフは、ユリの特殊魔力に拒否反応を示すことは以前に実証済みだ。
「…あなた、誰?」
ユリがすぐさまポーチから短剣を引き出して顔の前に構える。油断なく剣を向けながら、ユリは膝を付いている相手を見据えた。しかし相手の姿形はレンドルフであるし、気配も彼そのものであることに、ユリは背中にゾワリと嫌な感覚が走るのを感じていた。
不意に、彼の背後の空間が陽炎のように揺らいで、真っ黒な大型の獣が出現した。
「なっ…!」
その獣は、レンドルフと大差ない程の大きさで、流線形の美しい肢体に長い尻尾が付いていた。その艶やかな黒光りする毛並みが、朝の光を反射している。そしてネコ科特有の縦に長い虹彩に吊り上がった金色の目がユリをじっと見つめていた。
大型の肉食獣だとは分かったが、それが目の前にいても不思議とユリは恐ろしく感じなかった。ただ、とにかく美しく、そして圧倒されるような気配に呆然としていた。
『ウサギは、皆を満たす為に自らの肉を焼いて与えてしまう。その前に、望まれた者が食べてやるといい』
その獣は、先程ユリの耳元で囁いたのと同じ声で言った。いや、実際には口は人のように動いていなかったので、聞こえた、と言った方がいいのかもしれない。
『望みが叶うのは、幸運なことだよ』
目の前の獣が掻き消えた瞬間、ユリの意識はそこでプツリと途絶えた。
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ユリは瞬きをすると、すっかり葉の落ちた枝が網目のように青い空に広がっていた。
「あれ…?」
一瞬、ユリは自分が何をしようとしていたのか分からず首を傾げたが、すぐに飛ばされた仮面を探しに来たことを思い出した。
「ユリ、さん…?」
「レンさん?」
声のした方に顔を向けると、いつの間に来たのかレンドルフが跪くような体勢でそこにしゃがみ込んでいた。彼もどことなくキョトンとした表情をしているように見えた。
「あ、その仮面」
レンドルフの片手には、先程飛ばされてしまった白い虎の仮面が握られていた。
「ええと、上の枝に」
「そんなところにあったんだ。取ってくれたの?ありがとう、レンさん」
「あ、ああ…」
どことなく戸惑った感じでレンドルフは立ち上がって、ユリに仮面を差し出す。ユリも彼に近寄って仮面に手を伸ばしかけて、不自然に動きを止めた。
一瞬、奇妙な沈黙が二人の間に落ちた。
「ありがとう、レンさん」
「どう、いたしまして」
どこかぎこちない様子で、仮面を受け渡す。そしてどちらともなく、無意識に自分の首に手を当てていた。
「みんな、先に行っちゃったみたいね」
「ああ、出口で合流しようって」
「そっか。じゃあ、行きましょうか」
互いにいつもより何故か距離を取って、固い空気感のまま歩き出した。
「ねぇ、レンさん」
「何?」
「レンさんが引いた、そのウサギの仮面。何の神獣か知ってる?」
もう帰るだけなので、レンドルフは装着しないでコートのポケットに仮面を入れていた。黒いポケットから、収まり切らなかったウサギのピンクの耳の部分がチラリと見えているのが少し可愛らしい。
「そう言えば見てなかったな。裏側に印刷してあるんだっけ。…あれ?書いて、ない?」
「印刷ミスかしら」
「そうみたいだ。ウサギの神話は結構あるから、どれか分からないのはちょっと残念だな」
確認したピンクのウサギの仮面の裏には、何も書かれていなかった。レンドルフは少し残念そうに再びポケットにしまい込んだ。
「女神の眷属で、月で大切に世話をされてる、とかね」
「あと、力はないけど知恵で悪さをする獣をやっつける話とかあったな。それと、毛をむしられて苦しんでいるところを、手当てして貰った神の妻になる…だったっけ?」
「それもあったわね。結構多いのね」
「そうだね。他にも自分から火に飛び込んで肉を与える…」
レンドルフが言いかけると、不意にユリが手を掴んだ。
「ユリさん?」
「あの…ええと…やっぱり落ち着かなくて!レンさんと歩く時は、こうじゃないと、不安、と言うか…」
「…うん」
ユリが少し顔を赤らめながら早口に言うと、レンドルフは柔らかく蕩けるような笑顔で彼女の手を包み込んだ。
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「ユリさんの虎は何の神獣?」
「そう言えばまだ見てなかった。ええと…あ、印刷が滲んじゃってる。さっき飛ばされた時かな」
「読めなさそう?」
ユリは眉根を寄せて難しい顔で何とか読み解こうとしてみたが、やはり半分以上の文字が滲んでしまっていた。
「うーんと…『女神の』…くらいしか。あ、でも後半の『またはミズホ国では聖なる四体の獣のひとつ』っていうのは分かる」
「ミズホ国に縁があるのはユリさんらしい」
「それだと、やっぱり引いた仮面の動物が本質を表すってこと?」
「そうすると俺はウサギってことか…」
真顔で考え込んだレンドルフの様子が妙におかしくて、ユリは思わずクスリと笑いを漏らしていた。その様子に、レンドルフもつられて笑顔になっていた。そこにはもう、先ほどまでの奇妙な距離感は消えてなくなっていた。
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ミスキ達と合流して、その後は新年の挨拶がてらミキタの店に顔を出した。それは恒例になっているらしく、ミキタもいろいろと料理を用意して待っていてくれていた。
「今年も、怪我なく健康でいなさいね」
改めて乾杯をしてからそう言ったミキタに、言い方は違うがクロヴァス領にいた頃は毎年母にも似たようなことを言われていたとレンドルフは懐かしく思い出していた。
「あ、これ美味しいですね」
「やっぱりレンくんはそう言うと思ったよ。レンくんへのお土産に用意してるから、帰りに忘れずに持ち帰るんだよ」
「ありがとうございます」
レンドルフが食べたのは、メニューの中でも一際鮮やかな黄色のロールケーキのようなものだった。食べてみるとフワリとしたスフレのオムレツのような卵料理で、ケーキのような甘さではないが優しい甘さとほんのりとした塩味のバランスが絶妙だった。この卵料理の他にも、いくつも見たことも食べたこともないメニューが並んでいるので、きっと誰かの故郷の料理なのだろう。中には見た目と違うびっくりするような味のものもあったが、好き嫌いのないレンドルフはどの料理も楽しく食べていた。
「あれ?レンさん、首のところに何か付いてる。虫刺され?」
「え?全然気付かなかった」
レンドルフの隣に座っていたユリが、彼の首に付いている襟元からチラチラと見え隠れしている赤い痕に気が付いた。それを指摘した瞬間、タイキ以外の全員が奇妙に一瞬動きを止めた。
「痛かったり痒かったりする?」
「全く。ユリさんに言われてもどこだか分からないや」
レンドルフは自分で首の辺りを確認しようとしているが、全く自覚がないので見当違いの場所に触れている。見かねて隣のユリがチョン、と指先で触れて示したが、それでも分からないようだった。
「塗り薬とかいる?」
「大丈夫だと思うよ。後で戻ったら鏡で確認しとく」
そう言って、レンドルフは甘く煮込まれた豆を美味しそうにパクリと口に入れた。
その場にいたタイキ以外の人間は、ずっとレンドルフの襟元から見え隠れしていた赤い痕をてっきりキスマークではないかと思って内心色々と気を使っていたのだが、当人たちが全くそこに思考が至っていないようなので、安心したような気が抜けたような気持ちになっていたのだった。
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「レンドルフ、お前『女神の夜祭』に引き続いてまた休み当てたのか?」
昼近くになって王城に戻ってきたレンドルフは、寮に戻る途中で同期の騎士に声を掛けられた。先日の「女神の夜祭」で戻って来た時も似たような場所で遭遇していた。今は騎士服を着てはいるが帯剣していないので、勤務が終わって寮に戻るところだろう。
「ああ、運が良かったみたいだ。そうだ、新年おめでとう」
「そうだった。新年おめでとう。もう年明けから一年分は言ったから誰に言ったのかも覚えてないな」
「それは大変だったな」
彼は昨夜から今まで警護の勤務だった為、少しばかり目の下に隈を作りながらクワリと大きく欠伸をした。
「レンドルフ、そんなにくじ運良かったっけ?」
「どっちかと言うと今までそんなに良かった覚えはないな」
「じゃあ今付き合ってる相手が幸運の女神ってことだな」
「幸運の女神…」
「あ、悪い。こないだの相手と違ったか」
「いや、同じ人だよ」
先日の祭りで、女性連れにも関わらずレンドルフが魔獣を倒しに行ってしまったことを当人から聞いていたので、フラれたのではないかと少しばかり気になっていたのだった。しかしどうやらまだ件の女性とはご縁が続いているようで安堵する。
「まあ、その女神様とずっと一緒にいられるといいな」
「ああ、そうだな」
学生時代から真面目で浮いた話のなかったレンドルフを半ば冷やすようなつもりで彼は言ったのだったが、レンドルフの満面の蕩けるような笑顔で真っ直ぐに返されてしまい、却って彼のほうがダメージを食らったような気分にさせられた。
そして更にレンドルフの首にどう見てもキスマークにしか思えない赤い痕を発見してしまい、彼は追い打ちを掛けられてしまったのだった。
「ああ~いいよな、相手がいるヤツは!」
「あれ?前に」
「聞くな!」
「お…おう…」
その後、一人の騎士が新年の太陽に向かって何やら熱心に願掛けをしていた姿が見られたのだが、一体何を祈っていたのかは、それこそ神のみぞ知る、であった。
ウサギの神話で出てきた話の大元は、仏教神話、かちかち山、因幡の白兎から。
番外編2つに神様っぽい存在が登場しますが、正確には神そのものではなくて神の眷属、または人の住む世界にチャンネルを合わせた神のデバイス、的なものです。人が認識できるレベルの存在がそれにあたる感じで。
たとえて言うなら、熱帯魚(人)、水槽(世界)、飼い主(神の眷属)、水道局(神)みたいな感じです。