【番外編】桃色ウサギと金の花5
「レン、火傷でもしたか?」
「…思ったよりも熱かった」
「あー、初めて飲むヤツは大体するよな」
思わず口元を押さえたので、向かい側にいたミスキにはそう取られたようだった。実際、少々火傷をしたのは事実ではあるが。
先程の無意識で漏れてしまった感情の呟きはどうやらミスキには聞こえていなかったらしく、レンドルフは少しだけホッとした。
初めて飲むアマサケは、真っ先に甘みを感じたが、微かな酸味と苦みもあった。そしてほのかに生姜の香りが遅れて感じられて、思ったよりも飲みやすかった。赤いラインが入っていないので殆ど酒精は分からなかったが、何口か飲むと温度だけではなく体が温まってきたような感覚になったのでやはり酒精はちゃんと含まれているようだった。
「オレのもおんなじミズホ国の『アマサケ』なんだ!」
タイキが少々自慢げに白いカップを差し出してくる。白いカップは未成年用の酒精のない飲み物の筈なのだが、見るとレンドルフのものとよく似た白く濁った飲み物が入っていた。
「こっちは、別な作り方をした、似たような味と見た目だけど酒精のないものよ」
「見た目には全然分からないな」
「こっちも甘いから飲んでみるか?」
「『お休みシロップ』入ってないよな?」
ユリに説明をされて手元の自分のものと見比べてみたが、レンドルフには違いが判らない程よく似ている。そして白いカップをタイキが差し出してきたが、思わずレンドルフは警戒して聞いてしまった。
「これが効く子供は花火が終わったら帰ってるから、シロップ入りのは配ってねえよ」
「それもそうか。じゃ、一口…」
警戒するレンドルフの様子がおかしかったのか、タイキはケラケラ笑いながら否定する。それを聞いてレンドルフももっともだと納得し、タイキからカップを受け取って一口飲んでみた。
やはりこちらも同じようにとろみがあるので熱さを保ったままだった。
「どうだ?似てるか?」
「うーん…似てるような、似てないような…」
「どっちだよ」
レンドルフの感覚では、確かに似てはいるがやはり別物という印象だった。
「ええと…ワインと葡萄ジュース、くらいの違いかな」
「ええ~そうなのか~」
レンドルフの答えに、タイキは明らかにがっかりしたようだった。タイキは近しい中では自分一人が未成年なので、酒への興味はあったようだったが一滴も口にしたことはない。
「ま、飲み比べは成人してからにする!約束だからな!」
「約束?」
「オレが成人したら、オフクロがオレ用に作ってくれた酒を一緒に飲む約束してるんだ!」
「ミキティの故郷の風習でね。子供が生まれて名付けが決まったら、その名前のラベルを付けたお酒を仕込むんですって。それでその子が成人したら封を開けるそうよ」
「いい風習ですね」
「だろ?だからオレも一番最初に飲む酒は、それって決めてるんだ!」
クリューの説明を聞いてレンドルフが感心すると、まるで自分の手柄のようにタイキが自慢げに破顔した。
一時期、タイキは見た目が大人と変わらなくなって周囲の扱いも大人のようになったせいか、本当は未成年なのにこっそり隠れて酒を飲もうとしていた時期があった。ただ単に何となく背伸びをしたかったのと、好奇心からだったのだろう。しかしそれを直前で見つかって、ミキタとミスキに大目玉を食らっていた。その時に、ミキタからタイキの為に用意した秘蔵の酒があることを知らされてから、興味は持つものの一切欲しがらなくなった。代わりに見た目が似たような葡萄ジュースばかりを好んで飲むようになったのだ。
タイキが拾い子であることは当人も周囲も隠してはいなかったし、ミスキ達もそれで腫れ物を扱うようなことはしていなかったが、やはり自分の為に用意されたものがあることは嬉しかったようだ。
「なあ、レンのとこは何か面白い風習とかねぇの?」
「面白い風習か…子供が産まれたら、周囲が赤ん坊と同じ体重の物を贈るってのはあるけど、この辺ではあるのか?」
「えっ?初めて聞いた。何贈るんだ?」
タイキから話題をねだられて、レンドルフはクロヴァス領のことを思い出しながら聞いてみた。ずっとその風習に馴染んでいると、何が面白いのかの判断が難しい。タイキの様子からすると、この辺りでは馴染みはないらしい。
「何でもいいんだ。それを貰うと将来的にそれには困らないって言い伝えがあって、小麦とかチーズみたいな食料品とか、ワインとか銅貨とかが多いかな」
一般的には食べ物の系統を贈ることが多い。高価な物は数人で持ち寄ることもあるし、それこそ色々な事情でお金を掛けられない場合は畑の土や井戸水でも構わない。どちらも生活には欠かせないものであるし、祝う気持ちが重要とされている。
ただ、現当主のレンドルフの兄が産まれた時は、大多数の領民がお祝いに自ら仕留めた魔獣の肉を持参した為に城の保管庫が破裂しかけたということがあって以来、なるべく両親の希望を聞いてから贈るようにと領主権限で異例の通達がなされたと聞いている。
「レンが産まれた時は何を贈られたのか知ってるのか?」
「ああ。親戚一同から魔鋼鉄の塊を貰ったらしい。成人したらそれで剣を作るように、って」
「おぉ〜何かカッコいいな!じゃあいつも使ってる剣がそれ?」
「いや、それが…父がうっかり使って折ったんだ」
貴族の子女は学園の卒業と同時に成人を迎えるのが慣例で、それに合わせて領地で職人が張り切って作った剣を渡す為に数十年ぶりに父親が王都へ来る筈だったのが、途中で野盗の襲撃に遭いうっかり渡す筈の剣を使って折ってしまった。
殺しはしなかったものさすがに人を斬った上に折れた剣を成人祝いとして渡す訳には行かず、仕方なく剣と共に領地に引き返した父に対して母が静かに激怒したらしく、1ヶ月寝室を別にされたと聞いた。
「それは…」
「まあ父が使ってすぐに折れたなら、多分俺も一回で折ってたかもしれない。おかげで俺が無事に済んだと思うよ」
「レン…心広いな…」
感心しているのか呆れているのか、どちらとも取れるような表情でタイキが唸った。
その後折れた剣は一度溶かして神殿で浄化をしてもらった後、より丈夫な素材を追加して打ち直し、今度はレンドルフが正騎士の認定を受けた際に贈る予定でいたらしいのだが、レンドルフが約二年は掛かる研修期間をほぼ飛ばして正騎士になった為に制作が間に合わなかった。
今その剣は、レンドルフが結婚する時の祝い用として、クロヴァス家の宝物庫に丁重に保管されて、出番を静かに待っているのだった。
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そのまま和やかに他愛ない話をしながら皿の上のつまみなどが空になった頃、タイキがウトウトと船を漕ぎ出した。クリューが慣れた様子で自分の膝を軽く叩くと、吸い寄せられるようにタイキがコロリと頭を乗せてすぐに寝息を立て始める。長い手足を折りたたんで丸まっている姿は猫のようだ。その上からミスキが大判のストールをフワリと掛けていた。
他の皆はバートンの生活魔法で瓶のワインを温めて貰って、まだ保温の付与が効いているカップでホットワインを楽しみながらゆったりと朝日を待つことにした。
明け方が近くなって空気がより冷えて来たのか、魔道具で温めていてもシンとした冷たさが忍び寄って来る。
耐えられない程ではないが、少々冷え始めた指先をカップを包み込むようにしてユリが暖を取っていると、隣にいるレンドルフが小さな巾着袋を目の前に差し出して来ていた。
「これ…」
「まだ温かいから、使って」
「ありがとう。でもレンさんは大丈夫?」
レンドルフから手渡された巾着には、中に温石が入っていて優しい温かさを伝えて来た。受け取る時に触れた彼の手も同じくらい温かかったが、それでも少し心配になって確認してしまう。
「まだ他にも隠し持ってるから」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
そうレンドルフは優しい笑みを浮かべたので、ユリは素直に受け取って、胸元に抱える。ジワリと服越しに伝わる温度が心地よい。
「あと一時間もすれば明るくなって来るな。そうすると一気に冷えるから気を付けた方がいいぞ」
「そうなんだ。それならそこの土の部分、少し焼き固めたらまずいかな?」
「焼き固める?」
ミスキがそう助言すると、レンドルフは四阿の外に顔を向けて、一部草が枯れきって土が露出している部分を指差す。
「土を火魔法で焼いて、その上から土魔法で蓋をして固めるんだ。かまどの熾火みたいな感じかな。そうすると地面から温かい熱が上がって来るからかなり寒さが楽になるよ。多分、こっちの上から熱を送る魔道具よりも下からの分、温かさが違うと思う」
「それはありがたいが…」
レンドルフの提案に、ミスキは迷ってチラリとユリに目をやった。レンドルフには使われない貴族の席と言ってはあるが、実際にはユリの為に用意された場所だ。彼のことだからひどく場を荒らすようなことは避けるとは思うが、それでも土を燃やすとなれば簡単に判断は出来ない。
ユリがどう考えているかとミスキは視線を送ったのだが、どうやら彼女の好奇心に引火したらしく、目をキラキラさせていて明らかに賛成方向だった。その様子を見てミスキは内心ユリに向かって「御前に怒られたらフォローしてくれよ」と思いつつ軽く頷く。
「火事とか起こさなけりゃ大丈夫じゃないか?ええと…レンのことだから危険はないと思うが、任せて大丈夫なんだよな?」
「ああ、慣れてる」
「慣れてるんだ…」
「実家が北の方だから、冬場の狩りで夜営する時はそうしないと地面ごと凍って、体に貼り付いて危険だから」
「お、おう…」
「俺がいる時は土魔法で蓋が出来るから必ずやらされてたんだ。いない時は火魔法で土を燃やすだけだから、翌朝みんな煤まみれで真っ黒になってたよ」
「すごいな…」
同じ国内でも土地が変われば文化も変わるのはミスキも理解しているが、時折クロヴァス領の豪快さは理解を超えて来る。
「レンさん、作るとこ近くで見てもいい?」
「完成するまでは寒いと思うけど、大丈夫?」
「大丈夫!」
「じゃあ行こうか」
レンドルフは立ち上がると、ごく自然にユリに向かって手を差し伸べた。
手を繋いで四阿から出て行く二人を見送って、バートンが軽く溜め息を吐いた。
「ワシも間近で見物したかったんじゃがな」
「馬に蹴られたいなら行けばぁ?」
「行ける訳なかろうが」
あまりにも自然に二人が寄り添って行くので、そこに参入する度胸は誰にもなかった。もしいるとすればタイキくらいかもしれないが、今は夢の中だ。何か良い夢でも見ているのか、口をモグモグさせてニンマリと笑っている。
「後でタイちゃんには文句言われるかもねぇ。『オレも見たかったー』って」
そうクスクスと笑いながらクリューはタイキの赤い髪を撫でた。それが心地良かったのか、眠りながらタイキの口角が更に上がった。
その寝顔を眺めながら、四阿に残った三人は穏やかな気持ちでカップのホットワインをゆっくりと味わったのだった。
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「この辺でいいかな。…アースウォール」
土が露出している場所まで来て、周囲にも特に問題ないことを確認してからレンドルフはユリの手を離して少し下がってもらった。
土魔法で壁を作る魔法だが、それを地中に向かって発動させることで四阿と同じくらいの敷地が陥没する。
「ファイヤーボール」
今度はその穴の中に熱量の高い火球をいくつか放り込む。
「アースランス」
火球同士がぶつかり合って火柱が立ち上る直前、それを突き刺すように穴の壁面から無数の土の槍が出現して空間を埋め尽くし、高温の炎に焼かれて真っ赤に染まった。そして脆くなった土の槍は崩れ落ちて、穴の中に積み上がって行く。
「これ…ほぼ溶岩よね…」
「溶岩よりは温度が低い筈だよ」
少し離れた場所にいるユリのところにも、熱が伝わって来る。レンドルフはさすがに慣れているのか、もっと近い場所にいるのだが平然としていた。
「レンさんのご実家の方って、こういうのの上で夜営するの!?」
「さすがにそれはないよ。日暮れ前に作っておいて、ある程度冷え固まるまでこの上に鍋を置いてスープを煮込んだりして待つんだ」
「無駄がないのね…」
「気温がここよりずっと低いから、冷えるのも早いよ。それに俺がいる時はすぐに完成するから待たなくてもいいし。…アースウォール」
レンドルフが再び手を伸ばして魔法を実行すると、赤く熱を放っている焼けた土の上に被さるように土の壁が出現し、一瞬にして元の通りになった。しかしよく見ると、その場所はきれいな真四角に少しだけ色が変わっている。
「…すごい」
「確認するからもう少し待ってて」
目を丸くしながら近寄ろうとしたユリに、レンドルフがやんわりと手で制した。そしてレンドルフがその場にしゃがみ込んで地面に手を触れる。その手からじんわりと熱が伝わって来て、温度が熱すぎないことを確認する。それから身体強化を掛けた手を握りしめて、ガツン、と地面に叩き込んだ。頑丈に固めた土で覆っているので、強化したレンドルフの拳でもびくともしなかった。
更に念には念を入れて、魔法を掛けた場所を歩き回って何度か踵で蹴って強度を調べた。
幾度となくクロヴァス領でも作って来たので、安全性には絶対的な自信はあったが、ユリ達が乗ることを考えていつも以上に念入り確認する。
「うん、大丈夫だ。ユリさん」
寒い場所で待っているユリを迎えるように足早に戻って、レンドルフは手を伸ばした。
「ありがとう」
レンドルフの手を取って、一切躊躇いなくユリはスタスタと足を踏み入れる。
「わぁ…あったかい…」
一歩踏み入れると、地面から立ち上る熱にフワリと柔らかく包まれる。少し風が吹いているが、その程度では熱気は散らないようだった。
「すごいね!気持ちがいいくらいあったかい!」
「この気候なら半日は温度を保てるよ。一応ここを出る時には一度崩して温度を下げてから行くようにするから」
「これで真冬の夜営も大丈夫なのね。ホントにすごいわ!」
「そこまで感心されると照れるな…」
頬を紅潮させて目をキラキラさせながら感激した様子のユリに、レンドルフは少し恥ずかしげに頭を掻いた。
「ここに寝転びたくなるね」
「俺のコート敷くから転がる?」
「いやいやいや、それはダメでしょ!」
「ユリさんならはみ出さないで転がれると思うけど」
「そうじゃなくて!レンさんが寒いでしょ!」
冗談とも本気とも付かないことを言われて、ユリは慌てて首を横に振った。あっさりと自分のコートを敷物に差し出そうとするのも、妙齢の女性に地面に寝そべるのを勧めるのもどうかと思う案件だ。ユリは内心、レンドルフの大らかさに色々と心配になった。
「おー、こりゃすごいな」
完成を眺めていたのだが、やはり好奇心を抑えられなくなったらしくバートンが四阿から出て近寄って来た。
「バートンさん!すごいよ!あったかいよ!」
すっかりはしゃいだ様子のユリが手を振ると、それに誘われるようにバートンは足を踏み入れた。しかしさすがに先程の作る過程を見ていたので、地面に赤く熱せられた土があることを意識してしまうらしく、最初の一歩は慎重だった。だがその中に入ってみると、全く他の場所と変わらない足元の感覚と、予想以上の温かさに目をみはる。
「これは思ったより快適じゃな!ユリの言うように寝そべりたくなるのも分かる」
「でしょ!すごい魔法よね!」
バートンの言葉に、ユリは自分のことのように嬉しそうに同意していた。レンドルフは、自分のことよりもそのユリの様子に嬉しげな顔をしていた。
「これは敷物でも持って来れば良かったかの」
「ホントよね。ここでゴロゴロしたい」
「それなら俺のコート…」
「だからそれはダメだって!」
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少し空が白み始めた頃、強引に起こされたタイキと共に全員がレンドルフの作った温かい場所へ移動して来た。
タイキは寝起きなのもあってか案の定「魔法見たかった!」と口を尖らせてむくれていたが、地面が温かいという初めての体験にすぐに機嫌を直して、直接土の上でゴロゴロしていた。
全員座って日の出を待つことにしたがさすがに女性を直に地面に座らせるのはよろしくないということで、ミスキの大判ストールを提供してもらってユリとクリューが並んで座ることになった。
男性陣は直接土の上に座っているが、後でバートンに浄化の魔法を掛けてもらえば問題はない。
「あぁ〜気持ちいいな…レン、すげえな…」
「そのまま寝るなよ、タイキ。せっかく日の出を見る為に待ってるんだから」
「分かってるよ〜」
寝そべっているタイキは、何だか表情がトロリとして来たので、ミスキに強引に体を起こされた。
空の半分以上が白み始め、東の山の端からオレンジ色に染まり出す。空気はより一層鋭く冴え冴えとしたが、レンドルフが作った場は温かい空気に包まれていた。
主神キュロスは太陽を象徴とする神なので、年明け最初の太陽の光には魔を祓う効果があるとされている。そしてオベリス国に限らず、キュロス神を主神と定める地域は多いのだが、その地域は必ず新年最初の日は晴れるのだ。可能な限り辿れる記録全てにおいて、新年最初は必ず日の出が観測されている。その目に見えて分かる神の奇跡が、世界でキュロス神が最も信仰されている所以なのだろう。
遠い山の稜線から、金色の光が差した。
皆その瞬間は黙って頭を下げ、太陽に向かって祈りを捧げたのだった。
アマサケのイメージは、酒精あり・酒粕で作った甘酒、酒精なし・米麹で作った甘酒という感じです。