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7.貴族とスレイプニル


植物のサンプルを保管する小瓶に入れながら、ユリはそれこそリスのようにあちこち動き回っていた。それに対してレンドルフは、見物と言っても一部に黒い染みのような跡が残っているだけの討伐の跡地である。ゆっくり眺めるにも限度があった。

そこでレンドルフは先に結界を出て、付近で狩りをして来ると言ってこの場所から一時離脱していた。通常なら森の中で女性を一人にすることは絶対にしないが、結界内にいればこれ以上安全な場所はない。



少し離れた場所で、レンドルフは丸々とした山鳥二羽と、一角兎(ホーンラビット)一頭を仕留めて来た。ホーンラビットは群れを成す魔獣だが、どうやらはぐれものだったらしく、近くに群れは見られなかった。その為、深追いすることもなく一撃で仕留めることが出来た。


そのくらいでユリの採取はどうなっているかと、レンドルフは一旦様子を見に結界のところまで戻って来ていた。結界内では、ユリは幾つもの瓶に何か書き付けたラベルを貼りながら分類しているところだった。どうやら目的の採取は一通り終わったらしい。


「レンさん、ごめんね!あとちょっとで終わるから!」

「急がなくていいよ。ちょっとそこの水場でこいつらの血抜きして来るから」

「えっ?待って待って!その新鮮なホーンラビットの血貰っていい?」

「え?うん、いいけど」


レンドルフの言葉を聞いて、ユリが大慌てで駆け寄って来る。そして背負って持って来ていた鞄の中から大振りの瓶を取り出した。


「これにホーンラビットの血を入れてくれないかな?可能なら指二本分より多く欲しいんだけど」

「分かった。他に欲しい素材とかはある?」

「いいの?角も出来たら折らないで引っこ抜くみたいにしてもらえると嬉しいんだけど、大丈夫?」

「やっておくよ」

「ごめんね、面倒なこと頼んで」

「大丈夫。実家でも解体は叩き込まれたから、慣れてる」


レンドルフは一旦結界から出て来たユリから瓶を手渡された。ユリの手には両手で抱えるほどだが、レンドルフは余裕で片手で鷲掴みに出来た。

女性というと、故郷を離れて以来周囲には使用人以外はほぼ貴族の令嬢しかいなかったので、魔獣の素材を躊躇なくねだられるのは何だか新鮮だった。



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瓶を片手に、結界から少し離れた湧き水のある場所でレンドルフは獲物を捌くことにした。持参して来た水の魔石をその場所に浸しておく。これは水の浄化をしてくれる魔力を充填してある魔石だ。これならば血抜きの為に洗う水も安全だし、洗った後に流れ出した魔獣の血で下流の水域を汚すこともない。レンドルフも清浄な水を出す程度の水魔法は使えるが、代替えの出来る魔道具や魔石があるうちは魔力は温存しておくことが定石だ。


獲物の解体も久しぶりであったが、幼い頃に叩き込まれた手順は体に染み付いている。


どの獲物も辺境よりも厳しい環境ではないせいか、よく脂が乗っていて肉質も柔らかく、焼くだけでも美味しそうだ。そんなことを考えながら、自分は早めにミキタの店で食事を済ませて来たが、ユリはどうなのだろうかと思い当たった。採集に慣れているのなら携帯食くらいは持って来ているだろうが、苦手でなければ山鳥を焼いてもいいか、などと考えていた。


預けられた瓶にホーンラビットの血を入れると、瓶自体が急速にヒヤリと冷気を纏い始める。初めて見る付与の付いた魔道具だったが、きっと薬師などが使う専門のものなのだろう。


肉が柔らかく筋が少なかったおかげか、予想よりも早く解体が終了した。レンドルフは持参した保存の付与がされている袋に肉と皮を包むと、食用や素材に向かない分は埋めて処理することにした。


土壁(アースウォール)


地面に手の平を向け、小さく呟く。すると一瞬でその場にレンドルフの腕の長さ程度の直径で、腰くらいまでの深さの穴が出現した。その中に廃棄する部位を放り込んで、上から魔獣避けの聖水を撒いてから再び同じことを呟いて地面を元に戻した。これだけ深さがあれば、聖水がなくとも匂いに釣られて魔獣が来ることもないだろうが、用心に越したことはない。


レンドルフの一番得意としているのはこの土魔法であった。父親の得意な火魔法と母親の得意な水魔法も両方受け継いだので使うことは出来るが、そこまで強力なものではない。父方の血縁は火魔法の使い手が多いのだが、曾祖母が一族には珍しく強力な土魔法の使い手だったらしく、おそらくそれが発現したのだろうと聞いている。



山鳥の肉はすぐに焼いて食べられるくらいクセがないが、ホーンラビットの肉はハーブなどで下処理が必要なので、一度屋敷に持ち帰った方がいいだろう。ホーンラビットの毛皮と山鳥の羽根も状態が良かったので一応確保しておいたが、よく考えたら売る伝手がなかったことに気付いた。辺境領にいた頃は領民とはほぼ顔馴染みだったのでいくらでも引き取り手がいたが、王都に来てからはよく考えたら売ったことがなかった。学園の授業の一環で魔獣討伐や、護衛騎士として王族の狩猟に行ったことはあるが、それらで仕留めた獲物は担当の者に渡して終わりだった。

ユリが冒険者のランク持ちと言っていたので、彼女経由で冒険者ギルドに売ってもらうことは可能だろうか、などと考えながらレンドルフは浄化の魔石を水から引き上げたのだった。



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全てを片付けて再度結界の場所に戻ると、何やらユリがナイフを構えて上を向いている。


「ユリさん!」


何か切羽詰まった様子ではないので危険が迫っているようではないが、採取の為にしては見ている方向がおかしい。足早に近寄ったレンドルフは、ガツリと何か固いものに阻まれた。


「レンさん!だ、大丈夫!?」


思わず額を強打して、一瞬目の前に星が飛んだ。


「…だ、大丈夫。それよりユリさんこそ、何か危険でも…」

「あ、ああ、あの…上の枝を落とそうと思っただけなの。ごめんなさい、驚かせて」

「な、何もないなら、良かった」


うっかり結界の距離感を間違えて踏み込んでしまったため、思い切り額をぶつけてしまったようだった。レンドルフは痛いやら恥ずかしいやらで額を抱えて蹲る。反射的にジワリと涙が滲んでしまったので、それを隠すように下を向いた。


「結構な勢いだったじゃない。傷薬、出すから」

「いや、別にどこか切った訳じゃないから」

「でもアザとかコブになってるかも。これは打ち身にも効くし」


慌てて鞄の中から比翼貝を取り出してユリが駆け寄って来る。彼女は通行証を持っているので、レンドルフのようにぶつかることなくスルリと結界を抜けた。


「レンさん、ちょっと見せて。…ほら、手を退けて」

「……はい」


ソロリとレンドルフが押さえていた手を退けると、彼の額は切れてはいなかったがしっかり赤くなっていた。


「赤くなっちゃってる。ちょっと動かないでね。レンさん綺麗な顔してるから、傷じゃなくて良かった」


比翼貝を開いて、ユリは自分の小さな指先に軟膏を乗せる。少し青みがかった白い軟膏は、ほんの少しハーブのような香りがした。そしてレンドルフの額に触れるか触れないかの距離でそっと軟膏を乗せると、体温で少し柔らかくなるのを待ってからスルスルと塗り広げて行く。


「…ごめんなさい」


あまり打ち身になっている箇所に力を入れないようにゆっくりと皮膚に馴染ませながら、ユリはぽつりと言った。


「…え?」

「私、失言したよね」

「えと…綺麗な顔ってこと?褒め言葉…だと思うけど」

「でも貴方、泣きそうな顔してる」


一瞬、額の打ち身のせいにしようかとも思ったが、言葉が咄嗟に紡げずにレンドルフは視線を泳がせた。

膝をついた自分の前で、眉を下げた表情で軟膏を塗っているユリをチラリと見る。彼女は敢えてなのか軟膏を塗ることに集中したいのか、レンドルフとはこんなに距離が近いのに視線が全く合わなかった。


「あの…」


レンドルフが何を言うかは決めないまま、しかし何か言わなくてはと口を開いた瞬間、目の前でグウウゥ…と音がした。一瞬、何の音だろうと思ったが、すぐにそれがユリの腹の辺りから聞こえて来たものだと気が付いて思わず固まる。


ソロソロとユリに視線を向けると、彼女は何事もなかったかのような表情でせっせと軟膏を塗る作業を続けているが、その顔は真っ赤になっていた。


「ユリさん、冒険者のランク持ちって言ってたよね?山鳥とか食べられる?」

「え?え、うん…大丈夫。山鳥、好き…」

「すこし東の方に行くと、滝の傍に開けた場所があるから、そこで山鳥焼いて食べよう」

「でも、それはレンさんの獲物だし」

「結界の中に入れてもらったのと、この薬塗ってもらったお礼」


レンドルフは少々わざとらしいくらいに明るく言って立ち上がる。そして戸惑うユリに畳み掛けるように荷物をまとめてもらった。

レンドルフは、来た時よりも膨らんでいる彼女の鞄をヒョイと肩に担ぎ上げると、自分の狩って来た獲物の袋と纏めて軽々と片手で持ち上げてしまう。彼のごく自然な行動に、一瞬ユリはキョトンとしていたが、慌てて恐縮して荷物を返してもらおうとした。だが、レンドルフは気に留めない様子で歩き出す。ユリはその背中に礼を言って、その後に続いた。


「ユリさんの馬は?」

「ううん、私は徒歩で来たから」

「じゃあ俺のノル…スレイプニルで行こうか。一緒に騎乗することになるけど…大丈夫かな。抵抗あるなら俺が走っ」

「平気!何なら荷物と一緒に括り付けてもらっても大丈夫だし!」

「そんなことしないよ」


少しばかり歩くと、レンドルフが連れて来た黒っぽい毛並みのスレイプニルがのんびりと水辺を闊歩していた。一見真っ黒に見えるが本当は濃紺に近い色なので、光が当たる場所にいると青光りしている。本来は魔獣であるが賢く人慣れしやすいので、きちんと躾けられていれば持ち主が離れていてもどこかに繋いでおく必要がなく、言い聞かせておくだけで遠くに行くことはない。



レンドルフの姿を見ると、すぐに弾む足取りで小走りに近寄って来た。クロヴァス家のタウンハウスにいるスレイプニルの中では一番若く、陽気で元気のいい固体だ。少々陽気が過ぎてお調子者なところがあるが、クロヴァス家の中では一番レンドルフと気が合うらしくよく懐いている。レンドルフもこの固体に「ノルド」と名前を付けて、自らの手で世話をすることも多かった。

レンドルフはノルドの首筋を軽く撫でてやると、腰のポーチから角砂糖を二つ取り出して口に放り込んでやった。飼い主に似たのか、このノルドも甘いものが特に好きであった。


「ユリさんは馬かスレイプニルの騎乗経験は?」

「どっちもあるから大丈夫。やっぱり良い毛並みね」


持って来た荷をレンドルフは慣れた手つきでノルドに括り付ける。レンドルフを乗せて遠駆けをしてもケロリとしている体力なので、レンドルフが片手で持てる程度の荷物と、小柄なユリが乗っても全く影響はないだろう。


ノルドはユリの存在に気付いて、彼女を黒い目でジッと見つめた。

全く知らない人間が近付いて来れば警戒はするが、主人が一緒にいるなら何の問題もない。それに自分の主人と敵対しているか否かくらいは大抵のスレイプニルは判断するし、主人が嫌いな相手だが仕方なく乗せなければならない状況もきちんと場を読んで背に乗せる。ただし多少荒っぽい走りにはなるが。


「乗る時は俺を踏み台替わりにするか、抱え上げるかになるけど…」


全ての荷を括り付けたレンドルフがそう言いかけると、不意にノルドが動いてユリの前に頭を下げて前脚を折り畳むようにして上体を下げた。


「…!ノルド!?」


レンドルフも今までに見たことのない態度を取ったノルドに、驚いて思わず声を上げた。まるで背の低いユリに対して乗りやすいように跪いたような体勢である。


「乗っても、いいってことなのかしら」

「う、うん。大丈夫」


ユリは躊躇なく手綱を握ってヒョイ、とノルドに跨がった。その身のこなしは明らかに乗馬などに慣れている様子だった。彼女が乗って体勢が落ち着くのを見計らって、知らせなくともノルドはゆっくりと立ち上がる。


「貴方ノルド、って言うの?さすが騎士様のスレイプニルねえ。行動まで騎士様みたいに素敵だわ」


感心したような声でユリがそっとノルドの首の辺りを撫でる。褒められているのが分かっているのだろう。ノルドは完全に得意気な顔をして鼻面を上に向けた。いつもより少しばかり鼻の穴が広がっているようで、どこからどうみてもドヤ顔をしている。その顔は幸いにも真後ろのユリには見えなかったが、全部見えているレンドルフはノルドがお調子者と言われる所以を目の当たりにして「そういうとこだぞ」と内心突っ込みを入れるしかなかった。


ユリを前に抱えるようにしてレンドルフがノルドに騎乗し、ゆっくりと歩みを進める。言葉通りユリは乗馬に慣れているらしく、きちんと自力で姿勢を保っていた。レンドルフは過去に幼い王族の護衛時に、何度かねだられて今のように相乗りをしたことがある。しかしまだ乗馬に慣れていない幼い子だったので、ほぼ包み込むように体全体で支えながらの騎乗になっていた。だが彼女はそんなことはなく、ノルドの歩みの揺れで時折小さな背中がレンドルフの胸に触れる程度であった。


「レンさん」

「ん?何?」

「このコ、ノルド。レンさんの家のスレイプニルだよね」

「あ…ええと…」

「このコが付けてる手綱と鞍の金具の意匠、レンさんの持ってる剣にも付いてる金具と一緒」

「あ……うん、ゴメン」

「てことは、レンさ…ん、貴族、だよね?」


ユリが敬称を付ける場所で不自然に言葉を切ったのは、レンドルフをこれまでのように「さん」と呼ぶか、貴族であるから「様」付けで呼ぶか一瞬迷ったからだろう。


「……ごめん」

「ううん。何となく、分かってたし。こっちこそ馴れ馴れしくてごめんなさい」

「そんなこと…!その、俺は貴族って言っても三男だから、爵位とか持ってる訳じゃなくて……いつもこんな感じだから、騙すとか、そんなつもりはなくて…」


何を言っても言い訳のようになってしまい、レンドルフの声は次第に小さくなる。手綱を握りしめた指先が白くなっていた。主人の様子がおかしいことに気が付いたのか、ノルドがチラリと少しだけ顔を向けて来た。レンドルフはすぐに手綱を操ってノルドの顔を正面に向ける。


「別に嘘は吐いてないでしょ?」

「え、でも…」

「だってレンさん、自分のこと『平民です』とか名乗ってないじゃない。こっちが騎士様かって聞いたらちゃんと答えてくれたし。嘘を言ったのは、このコを借りたって言ったくらいじゃない?」

「それは…」


ユリは真上を向いてレンドルフの顔を見上げた。彼女の深い緑色の瞳が真っ直ぐに見つめる。虹彩が金という珍しい色の瞳は、よく見るとその金色が微かに光を帯びているようにも見える。その姿勢では完全に後ろのレンドルフに体を預けるような形になるが、彼のがっしりした体はそれくらいでは揺らぐことはなかった。


「あのね、別に責めるつもりとかはないから。ただ、ちゃんと確認しておこうと思って。ほら、前に家の薬草園の話をしたでしょ。そこで結構貴族とかと関わることがあって、中には馴れ馴れしくしちゃいけない身分の方とかいて。ちゃんと対応しなきゃいけないこともあるから…レンさんはあまり気にしてないみたいだけど、このまま気楽に接してていいのかな、って」

「それは全然!その…俺としては、こうやってユリさんと気兼ねなく話せることが嬉しかったから、変に畏まられるのが嫌だなって思ったから、つい…」

「良かった」


ユリが上を向いたまま笑った。その屈託ない笑顔に、不意にレンドルフの視界が歪んだ。


「ご、ごめん、ちょっと前向いてもらえると」

「う、うん」


レンドルフの顔の真下で上を向いていると、このままではユリの顔の上に色々と垂らしてしまう危険性がある。彼女の方もそれを察したのか、すぐに顔を前に戻して身体を離す。


「レンさん、もう一つ確認していい?」

「うん?何?」


レンドルフが腰のポーチからハンカチを引っ張り出していると、前を向いたままのユリに話しかけられた。


「貴族って、幼い頃から婚約者がいたりするじゃない。レンさんとのこの距離感大丈夫?有責とかになったりしない?」

「いや!だ、大丈夫!全然大丈夫!!そういうの、ないから!全くいないから!!」


前を向いているユリにはレンドルフの顔は見えなかったが、声の調子でどんな顔をしているか手に取るように想像がついてしまい、微かに笑い声を漏らしてしまった。きっと彼は真っ赤な顔をして見えてもいないのに頭をブンブン振っていそうだった。実際にそうだったが。


「良かった」


レンドルフには聞こえないであろう小さな声で、ユリはもう一度そっと呟いた。ただ最も耳が近い位置にあったノルドにだけは届いたらしい。その長い耳だけがしっかり後ろを向いていて、一度だけピルッと揺れた。



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