【番外編】桃色ウサギと金の花3
本年ラストの更新です。
いつもお読みいただきありがとうございます。
そのままミスキの先導で、一番人の多い広場を抜け、少し木が多くなっている場所へと踏み込んだ。途中何度か曲がったのだがあまり目印のないところなので、また広場に飲み物を取りに行く時は一人で戻って来られなさそうなので誰かに同行してもらわないと、とレンドルフはそんなことを考えていた。
そしてしばらくすると不意に視界が開け、誰もいない広場のようなところに到着していた。
「すごいな、ここ。本当に穴場だ」
「貴族が参加する場合に備えて準備されてる場所なんだ」
「いいのか?勝手に来て」
「ああ、毎年不参加だからな。それにもし参加する時は、ここに来る前に護衛に止められる」
「それもそうだな」
少し小高くなった場所で、一部は木々に遮られているが視界は広く開けている。おそらく貴族が来た際にはそこで楽しむのであろう四阿が設置されていて、数は多くないがランタンも下げられていいる。
「あ、温かい」
確保して来た食べ物などを四阿のテーブルに置こうと足を踏み入れると、その中だけフワリと温かかった。
「いつ貴族が来るか分からないから念の為設置されてるみたいなんだ」
顔を上げると、上から熱を発する魔道具が釣り下がっている。室内のようにまでは行かないが、随分寒さが和らいでいた。
実はこの場所はレンザがユリの為に用意した場所なので、本来の用途としては正しく利用されていた。事前に来る者を知らせているか、ユリと一緒ならばここに来るまで誰にも会うことはないが、それ以外の者が迷い込んだ場合は密かに配置されている護衛が止めるようになっていた。そのことは皆知っているのだが、レンドルフには使っていない貴族用の穴場ということにしておこうと事前に打ち合わせておいたのだ。
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「じゃあ乾杯しようぜ!」
まだ未成年のタイキは、真っ先に葡萄ジュースの入った白いカップを手に取る。酒に興味はあるのだが、周囲の大人達は一舐めすら頑として許さなかった。その為一番ワイン風だということで、タイキは葡萄ジュースを必ず選んでいた。周囲が大人ばかりなので、雰囲気だけでも味わいたいのだろう。
「レンも酒じゃないのかよ」
「ああ。甘い酒がもうないって言われたから」
「酒より甘いの優先なんだ」
自分と同じノンアルコール用の白いカップを手にしたレンドルフを、タイキが目を丸くして見ていた。早く成人を迎えてミスキ達と酌み交わすのを待っているタイキからすると、飲めるのに選択しないレンドルフが不可思議に映るようだった。
カップには保温の付与が施されているようで、手に持った時もまだ湯気が立っていた。銘々カップを手に取って、改めて互いの無事な顔をこうして眺めることが出来たことに笑顔になる。
「じゃあ、今年もお疲れ!」
「来年もよろしく」
タイキが声を上げてカップを上に掲げると、皆も一斉に同じ仕草を返した。
「レンさんも、来年もよろしくね」
「こちらこそよろしく」
レンドルフの隣に座っているユリがカップを差し出して来たので、レンドルフも軽く触れ合わせるように乾杯する。紙のカップなので音は全くしないが、それでも気分は楽しくなる。
「レンさんのそれは、何が入ってるの?」
「ホットヨーグルト。林檎のシロップ煮が入ってるって」
一口すすると、少しとろみのあるせいか思ったよりも熱く感じた。酸味よりも甘みが強く、林檎とシナモンの香りがフワリと口の中に広がる。
「ユリさんのは?」
「ええと…あ、珍しい。芋が原料の蒸留酒だって」
カップに何の酒か分かるようにシールが貼られているので、それを読み上げる。酒精が強い赤いラインの入ったカップはユリとバートンが持っている。
「ちょっと香りは独特だけど、お湯割にしてあるから飲みやすいよ」
「芋かあ。でも甘いわけじゃないんだよね」
「うん。これはちょっとレンさんには向いてないと思う。あ、そうだ。クリューさんと一緒に頑張って確保して来たケーキ食べて。ユウ兄が来年から出す予定のケーキだって」
「あのユウキさんの?それは楽しみだ」
既に小さな皿に乗っている色とりどりのケーキの、一番手前のものを手にする。野外で立食に近い形式なので食べやすいものにしてあるのだろう。色や切り口は美しかったが、周囲の装飾はシンプルなものだった。レンドルフが手にしたのは、ピンクとクリーム色のストライプ模様になっているスポンジに、鮮やかな淡い緑色のクリームを巻き込んでいるロールケーキだった。
フォークで半分に切ると、スポンジはフワリと殆ど手応えなく沈むのに対し、クリームは外気温が低かったのもあるだろうがしっかりとした感触で切れて行った。
「これは、ピスタチオ、かな。濃厚だけど後味が軽いから食べやすくて美味しい」
淡い緑色のクリームはコクとほんのりとした香ばしさのある味わいで、周りのスポンジはほんのりと酸味がある。食べた瞬間はもったりとした濃厚さだったが、思ったよりも早く溶けてサラリとした後味の印象が残った。
「あいつまた腕を上げたなあ」
「これならまたお客さんが増えるわね」
ミスキとクリューも真っ先にケーキを選んだらしく、口々に嬉しそうに感想を述べていた。
「レン!これも食ってみろよ。オフクロの店の看板料理!」
タイキがそう言って、小皿を差し出して来た。
皿の上には、むき身になった貝とキノコが白っぽいソースで和えてあるようなものだった。
「レンくん、あんまり夜にお酒飲みに来ないものねえ。こういうのは食事には出て来ないから食べたことないんじゃない?使われてるのは比翼貝よ」
「ああ、あの傷薬の。中身は初めてです。いただきます」
クリューに食材を説明されて改めてレンドルフは皿を見つめた。いつも知っている比翼貝は殻だけなので、実際の身を見るのは初めてだった。見た目は他の貝と特に変わりがないようだ。確か比翼貝は、あっさりと癖のない味わいだとどこかで読んだ気がする。
何か味を付けてあるのか、茶色っぽい色の具材に、白いとろみのあるソースを絡めている料理だった。フォークで掬って口に入れると、予想以上に優しい味わいだった。少し甘めの味で煮てあるらしく、貝とキノコを噛み締めると中から旨味のある煮汁がジュワリと滲み出す。外に絡んだ少し酸味とコクのあるソースで全体的にまろやかな風味になっている。
「これは、美味しいな…」
「だろ?レンなら好きそうなヤツだと思ったんだ!」
ミキタの店は夜は酒場になるので酒に合わせた料理なのだろうが、これはパンに乗せても美味しそうだった。レンドルフは飲むよりも腹に溜まるガッツリとした食事メニューばかり注文ししまうので、まだ食べたことのないメニューは多そうだ。機会があればそういった酒のツマミになりそうなものを中心に頼んでみるのもいいかもしれない、と思いながらレンドルフはゆっくりと味わっていた。
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「なー、レンは最近依頼とかは受けてねえの?」
「ユリさんの薬草採取は休みの日に付き合うけど…正式なギルドを通したのはないかな」
「えー!てことは、ランクはまだDのまんまかよ。勿体ねえ」
「タイキ。それは人それぞれだ」
「そうだけどさぁ…」
タイキの言葉をミスキがたしなめる。
冒険者のランクを上げるには、ギルドの出した依頼を受けてクリアして行くことが基本だ。その依頼をクリアした後、幾つかのテストを受けて合格すれば、正式にランクが上がったことになりカードに記載される。人によっては身分証代わりにカードを作る者もいるので、それこそランクは当人の実力よりも個人の事情に因るところも大きい。タイキもそれは十分分かっているだろうが、口に出さずにはいられなかったのだろう。
「タイキ達の方はどうなんだ?」
「オレ達はあとちょっとでパーティランクが上がるんだ!」
「すごいじゃないか。あ、それでガタ地方のダンジョンに行くのか」
「ああ!そこをクリア出来たら依頼の目標は達成になるんだ!」
冒険者のランクは、個人のものもあるが、パーティそのもののランクも存在している。これは全体の戦力や戦術などが大きく判断基準になっているので、個人のランクが高くてもパーティのランクが低いことはざらにある。逆に、滅多にはいないがメンバー全員の個人ランクよりもパーティそのもののランクが高い場合もあるのだ。
現在「赤い疾風」はCランクという中堅どころといったポジションだ。リーダーのタイキは基本能力は高いのだが制御が上手くないということで個人でもCランクなので、世間的な評価としては可もなく不可もない、といったところだった。しかしパーティがBランクになると、受けられる依頼も一気に増えて来る。その為、パーティの名が売れ始めるのはBランクが分水嶺だと言われていた。
「ガタの冬季ダンジョンが上手く行ったら、パーティで魔馬を買えるだけの資金も溜まるんだ」
「そうなんだ。もう目星は付けてたりする?」
「ああ。ちょっと気難しくて買い手が付かなかったヤツなんだけど、タイキには懐いてるんだ。馬主にはちょっとだけ安くしてもらったから、次でいよいよ、な」
タイキは竜種の血が僅かに入っているため、動物全般、特に馬には怯えられる体質だ。しかし冒険者としてやって行く以上、やはり足は重要だ。タイキの体質でも魔獣であるスレイプニルか、魔獣との混血種の魔馬であれば相性さえ良ければ何とかなる。スレイプニルはさすがに価格も維持費も高額で、貴族や大きな商家のような潤沢な資金がない限り入手は困難なので、相性の良い魔馬を探していたのだ。勿論、魔馬も通常の馬よりはずっと高額なので、入手までの資金を準備するにはかなりの困難があった筈だ。しかしそんな苦労を一切見せずに、その話をするミスキの顔はタイキよりも嬉しそうだった。
「今度の定期討伐には連れて戻って来るからな!すっげぇ美人なんだぜ、オレのレディ!」
「レディ?」
「魔馬の名前よ。雌だしね。タイちゃんが幾つか候補出したら、それがいいって自分で選んで来たのよ」
「賢いだろ?早くオフクロにもオレのレディ紹介したいんだ」
フンス、と鼻息荒く自慢げに話しているタイキだが、その名前だと何故か違う意味に聞こえてしまう。とは言え、レンドルフの所有しているスレイプニルのノルド以外にタイキが騎乗しても大丈夫な魔馬と出会えたのは幸運ではあるので、なるべくならこの縁が繋がればいいとレンドルフは思った。
「まあ、ミキティなら大丈夫だと思うけど」
「何か問題がありそうなんですか?」
タイキが魔馬のことをレンドルフに詳しく説明しているのを横目で見ながら、聞こえないように零れたクリューの呟きに、ユリが同じように小声で聞いた。なかなか買い手がつかないと言っていたので、もしかしたらタイキ以外に扱えないのかもしれないのかと思って少々心配になる。基本的にはタイキが騎乗する為の魔馬ではあるが、他のメンバーが世話をしたり乗ることも想定している筈だ。あまりにも他のメンバーにすら懐かないとなると、この先少々厄介だろう。
「んー…端的に言うとすごい『オンナ』なのよ」
「それは、雌だから、ですか?」
「そうなんだけど…ええと、タイちゃんの側にいると、ものすごい勝ち誇ったような顔であたしを見下す、みたいな態度をするのよ…。まああからさまに噛み付いたりはして来ないんだけど、地味〜な嫌がらせはして来るかな」
「嫌がらせ、ですか?」
「そう。タイちゃんが見てない隙に服で鼻をかまれるとか、バレないように頭の後ろに藁を差し込まれるとか…それもあたしだけ。いやまあ、タイちゃんにはラブラブだからいいんだけどね」
「…それは、『オンナ』ですね」
それを聞いたユリも、ほんの少しだけ困ったような表情になってクリューに同意したのだった。
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後日、ようやく手に入れたレディを連れてタイキがミキタの元に連れて行ったのだが、ミキタに対しても彼女は尊大な態度を崩そうとはしなかった。
が、その後何が起こったのか翌朝、それこそ馬が変わったかのようにクリューだけでなく誰に対しても従順な魔馬に変貌していた。
時折、涙目でミキタを見つめていたのではあるが、一体一晩で何があったのかは誰も聞くことは出来なかったのだった。
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レンドルフは一瞬、意識が途切れたような気がして、ハッと顔を上げた。
「レンさん?」
隣に座っているユリがすぐに気付いて顔を覗き込んで来る。レンドルフは大丈夫だと口を開きかけたのだが、手に持っていたフォークがスルリと手から滑り落ちた。
「レンさん?体調でも悪い…」
ユリの声は聞こえているのだが、目の前が暗転する。そのまま体がグラリと傾くのが分かったが、ユリの方に倒れ込んでしまっては彼女を潰してしまうという意識が最後に働いて、レンドルフは重たくて自由に動かない体を強引に後ろに傾けた。
「レンさん!?」
背中に何か当たったような感覚がしたが、痛みは感じなかった。そしてはるか遠くでユリの呼ぶ声が聞こえたような気がして、そのままレンドルフの意識は暗転したのだった。
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「レン!」
「レンくん!?」
皆で近況報告をしつつ和やかに過ごしていたのだが、不意にレンドルフの体か傾いたかと思うと、四阿のベンチから転げ落ちるように倒れ込んだ。背中には低い手すり兼背もたれがあったのだが、妙な勢いで後ろに倒れ込んだせいかレンドルフの体を支え切れずに折れてしまい、彼の体は四阿の外に放り出されるような形で転がってしまった。それは、一瞬隣にいたユリの方に倒れかけたのを、レンドルフが強引に方向を修正したのが原因だと誰の目にも明らかだった。
「レン!大丈夫か!?」
慌てて四阿の手すりを直接飛び越えてタイキが駆け寄る。しかし同じようにスカートなのもお構いなしに飛び越えたユリに、服を掴まれて止められた。
「動かさないで!」
「あ、ああ…」
この中で医療の心得が最もあるのはユリだ。そのユリの指示には従った方がいいと、タイキは素直に後ろに引いた。
「レンさん!レンさん、聞こえる?」
レンドルフの耳元に顔を近付けて大きな声で呼んだが、目を開ける気配はない。鼻と口の前に手を翳してみると、手の平に空気の動きを感じ取れた。呼気はしっかりと自発的にしているようだし、乱れている様子もない。その後ユリは手早くレンドルフのコートの前を大きく開いて、胸に耳を押し当てたり、首筋に触れたりしてみたが特に異常は見当たらなかった。
「深く眠ってるみたい…だけど。何で急に」
緊急を要するところは見当たらなかったので、ユリはゆっくりと息を吐いてその場に座り込んだ。草の上ではあったが、安心して力が抜けてしまったのだった。
「念の為、回復薬を少しだけ飲ませておくね」
「手伝うか?」
「うん。ちょっとだけ頭を持ち上げてくれる?」
「おう」
ユリはポンチョの下にいつも身に付けているポーチから回復薬の瓶を取り出す。タイキがレンドルフの頭上の位置に座り込んで両手で彼の頭を慎重に持ち上げたので、ユリは軽くレンドルフの唇に指を添えて僅かに開かせると、そこにほんの少しだけ回復薬を垂らした。少々口の端から零れたものの、一度だけレンドルフの喉が動いて無事に嚥下したのを確認して、ユリは自分のハンカチを軽く当てて彼の唇に付いた水分を拭う。レンドルフの様子は、どう見ても眠っているだけにしか思えないが、それでも見た目には分からない何らかの原因があるかもしれない。何事もないのに回復薬を飲ませるのもあまり体には良くないので、最低限に留めてしばらく様子を見ることにした。
「今のところ、ただ眠ってるだけみたい。でも何で急にこうなったのかは分からないわ」
「取り敢えず、レンをそっちに移そうぜ。このままじゃ寒いだろ」
四阿から出てしまったので、吊り下げられている魔道具の効果は届いていない。慌てていたので全く自覚していなかったが、ユリはホッとした今になって急に足元から震えが上がって来るのに気付いた。しかしこの震えは寒さだけのせいではなさそうだった。
「じゃあ私がこっちを持つから…」
「ワシらで運ぼう。ユリは少し落ち着くんじゃ」
「それは…」
大丈夫だと言いかけてユリは口をつぐんだ。突然倒れた人への対処は体が勝手に動いたところもあったが、今はひどく手が冷えていることと、僅かに膝が震えていることを考えたら、バートンに任せておいた方がいいとユリは自分に言い聞かせる。手をギュッと胸の前に握りこんで、ユリはコクリと頷いた。
「念の為、なるべく揺らさないようにお願いします」
「分かった」
バートンがレンドルフの上半身を抱え上げ、タイキは両足を持ち上げた。入口の段差に注意しながら慎重にレンドルフの体を四阿に運び込み、一番幅の広い場所に横たえた。先にミスキが自分に巻き付けていた大判のストールを敷いて置いてくれていたので、そのまま木のベンチに寝かされるよりは多少はマシだろう。バートンとタイキも、持参していたマフラーなどをレンドルフの体の上に掛けた。体の大きなレンドルフでは腹と足の半ばくらいまでしか覆えていないが、それでも大分違う筈だ。
「…何か、まるで一服盛られたみたいな寝落ちだったわよね」
「それは…ないと思うんですけど」
クリューは、ただ眠っているだけにしか見えないレンドルフの顔を覗き込んで眉を顰めた。ユリは軽くレンドルフの首の辺りに服の上から触れて、それからタートルネックで覆われている首元をそっとめくって下に装着されているチョーカーを確認した。
「これ、ヒュドラの討伐跡地に採取に行った時に持って行ってた装身具だから、ちょっとやそっとの眠り薬じゃ効果はない筈です」
そもそもこのパーティー会場で提供される飲食物は、念の為に悪い物が混ざってないか確認する為の魔道具に通されている。過去に、スープの具材にサンバマッシュルームと呼ばれる毒キノコが混入していたことや、珍しいキラービーを漬けた酒の熟成があまくて毒素が抜け切ってなかったことなどがあった。どちらも軽めの毒だったので大事にならずには済んだが、それ以来、検査は念入りに行われているのだ。
「あ、これ、『お休みシロップ』だ」
タイキが落ちていたレンドルフのカップを拾い上げて匂いを嗅ぎ、縁に残っていたヨーグルトを指で掬ってペロリと舐めた。
「え…?お、お休みシロップ!?」
「嘘でしょ!?」
「いや、間違いねぇよ」
思いも寄らなかった名称が出て来て、ユリとクリューはタイキとレンドルフを交互に眺めた。
「お休みシロップなら、防毒の装身具は効かないわよねぇ…」
「確かに…そうなんですけど」
お休みシロップというのは、なかなか眠らなかったり夜泣きなどがひどい子供に使われる、眠気を誘う無害な甘味料だ。今日は特別に深夜まで起きていても怒られることはなく、新年の花火も間近で見られることもあって、興奮状態になって眠れずに新年早々体調を崩す子供が多い為、パーティー会場で「子供向け」と言われる飲み物に使用されているのだ。緩やかな眠気を誘発するだけなので、パーティーが始まってすぐに飲ませれば、帰宅する頃にちょうど眠くなる程度の効能だった。大体10歳未満の子供にしか効果はないと言われている。そしてそのシロップ入りの飲み物を渡すのは子供連れと確認できる者だけで、渡す側はきちんと大人に「子供向け」だと知らせている。
効力は眠気を誘うものだがそもそも体に害がない上に甘味料の分野なので、防毒の装身具を装着していても効果はないのだ。
「ごく稀に、初めて口にした子供がその場で寝てしまうことはあるけど…」
「レンくん、ああ見えてタイちゃんみたいに実はすごく若いとか?」
「そりゃないだろ」
眉根を顰めたユリに気楽な様子で口を挟むクリューへ、ミスキは呆れたように突っ込みを入れる。
「もしかしたらレン、初めてのお休みシロップだったかもしれないだろ?しばらく様子見て、目が覚めなかったり異常が現れたら神殿連れてこうぜ」
「うん…」
ユリはそれでもまだ浮かない顔で、食事の為に頭の上に乗せていたレンドルフのウサギの仮面をそっと外した。そうされても彼は起きる気配はなく、閉じられた目もそのままだった。
「レンも落ち着いてるみたいだし、ちょっと俺達は新年用の酒、取りに行って来るよ。ついでにレンが飲んだヤツを提供した店も確認して来る。もし違うモン混ぜてたらあっちでも騒ぎになってる筈だろ?」
ミスキは、タイキが手にしていたカップを受け取ると、カップの外側に貼ってある店名を確認する。パーティー会場で提供する飲食物は、カップや紙皿の裏に提供した場所と、作られた店の名前が印刷されたシールが貼られている。気に入ったものがあれば再度貰いに行くのも容易くなるし、パーティーが終わった後も店の売上にも貢献している。
「レンのことはユリに任せるから、俺達は何か調達して来るよ。何かあったらギルドカードで連絡してくれ」
「そうね。花火が上がる頃には戻って来るわ。ユリちゃんもそれで大丈夫?」
「はい。今のところレンさんに変わった様子はないし…」
「こっちも何かあったら連絡するわぁ。じゃ、よろしくね」
そう言い残して、彼らは四阿を後にして行った。
残されたユリは、大きく溜め息を吐いてベンチに座り込んだ。そして変わらない様子で眠り込んでいるレンドルフの顔を見て、安心したのか一気に体の力が抜け、顔を覆って蹲るように背中を丸めた。思わず覆った目の奥がジワリと熱くなるのを感じた。
「…良かった」
誰に見られる訳ではないが、しばらくユリはそのままの姿勢でいたのだった。
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「ねえ、あんたが仕込んだワケじゃないわよね?」
「んなことする訳ないだろ。第一、いい大人が『お休みシロップ』で眠り込むなんて誰が予想するよ」
「それもそうよねぇ」
「それに、俺ならもうちょっとスマートにやる」
四阿のある場所から、パーティーのメイン広場へ向かいながらクリューがミスキをつついた。一瞬、ミスキがユリとレンドルフを二人きりにする為に何か仕掛けたのではないかとも思ったのだ。しかし、さすがに子供にしか効果がないと言われている「お休みシロップ」で眠り込んでしまうなど誰が予想できただろうか。つつかれたミスキは心外だ、と言わんばかりの渋い顔をクリューに返した。
「それで?ワシらはどこで花火を見物するかの」
「昔使ってた西側の坂でいいじゃないか?あそこなら今もそれほど混んでないだろ」
「そうね。何かあったらカードで知らせてくるだろうし」
「オレ、あの串肉食いたい!」
「んじゃ、俺は飲み物、バートンとタイキはつまみ、クリューは西側に行って場所取りを頼むわ」
既に彼らはレンドルフは完全にユリに任せるつもりで、別場所で花火を見る算段を立てている。
「早く戻ってきてよ。女一人で場所取りしてて絡まれるの、嫌だからね」
「その鮫かぶってたら誰も近寄らねえんじゃねえ?」
「タイちゃん、失礼でしょ!」
タイキがからかい口調で言って来たので、クリューはむくれてタイキの肩の辺りをペチリと叩いた。とはいえ本気で叩いているわけではないので、タイキはヘラリと笑っている。
「じゃ、また後でな。俺たちは並んでてカードをすぐに確認できないだろうから、クリューが気を付けててくれ」
「分かってるわよぉ。レンくんがユリちゃんに襲われてるってヘルプ以外はすぐに駆け付けるわ」
「……そこは助けに行ってやろうぜ」
クリューの身も蓋もない言いように、ミスキはレンドルフが少々気の毒になってポツリと呟いたのだった。
自分の好みを思う存分詰め込んでいる物語ではありますが、読んでいただいた方が面白かった、続きが気になる、など思っていただけましたら幸いです。来年も引き続きよろしくお願いいたします。