【番外編】桃色ウサギと金の花2
日が暮れる頃から、パーティー会場は人が集まり始めていた。本格的に酒や料理が提供されるのは日が落ちてからだが、酒精のない温かい飲み物や摘める菓子などは早めに来た人も楽しめるように用意されている。
「おー、レンだ!久しぶり」
レンドルフが会場の入口から少し離れた場所にある目印のオブジェのところに行くと、既に「赤い疾風」のメンバーが揃っていた。レンドルフが近付く前にタイキが目敏く見つけて、嬉しげに手を振って来た。
「タイキ、元気そうだな」
「おう!レンも相変わらずでっけえな!」
「みんなも元気そうで良かった」
タイキはレンドルフに駆け寄って、じゃれ付くように胸の辺りをパシパシと叩いて来る。少し髪が伸びたようで襟足の辺りで束ねているが、タイキの様子は変わらないようだった。
「しばらくはこっちにいるのか?」
「いや、世話になってる人に新年の挨拶をしたらまたすぐに出発する予定だ。ガタ地方の冬しか行けないダンジョンがあるからな」
「ガタ地方って、あの豪雪地帯の?大変だな」
「でも湖の真ん中にしか出入口がないダンジョンがあるからな。冬場に凍ってないと普段は水没してるから、今しかないんだ」
「そうなんだ。でも気を付けて」
「ああ、ありがとな」
ミスキに今後の予定を尋ねると、そんな返答が戻って来た。冒険者が本業なので、彼らはエイスでの定期討伐がある時以外は色々な場所を渡り歩き、様々なダンジョンなどに挑戦している。近衛騎士で護衛として王族の視察に同行して各地の領都や国外に行ったことはあっても自由に過ごせる訳ではなく、ダンジョンどころか観光のような旅は殆ど行ったことがない。ほぼ王都とその近郊、そして故郷以外を知らないレンドルフは、少しだけ羨ましく思えた。
「みんな早かったんだ!」
通りの向こうから、ユリが小走りにやって来た。まだ待ち合わせた時間には大分早いのだが、何となくソワソワした空気に押されたのか皆早く来てしまったようだ。
ユリはスモーキーなピンク色のポンチョ風のコートだったので、走るとフワリと翻って中に着ている服が覗く。上にモコモコしたセーターを着込んでいるので丈の長いスカートに見えるものの、それはレンドルフが贈ったヘーゼル色のワンピースだった。
「ユリ!元気だったか?」
「うん、勿論!みんなも元気そうね」
時折連絡は取っていたので互いの無事は知っていたが、こうして直接顔を合わせるのはまた安心感が違う。
「ちょっと早いけど、会場に入って何かあったかいものでも飲まない?」
「そうじゃな。入口もまだ空いとるし」
「そうだな!行こうぜ!」
全員揃ったので、この場で立ち話しているよりもいいだろうと、会場の入口の方へ向かう。移動する際、ごく普通のことのようにレンドルフとユリが手を繋いだのを見て、後ろにいたクリューが思わずニンマリしていた。
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「ユリさん、それ、また着てくれたんだ」
「うん。この前はちょっとだけしか着られなかったから」
「俺も着てくれば良かったな」
「あれは今日着て来るにはフォーマルすぎるよ。ノルドにも乗れないでしょ?」
「それもそうか。じゃあ今度会う時は着ていけるような場所にしてもいい?」
「いいよ。後で相談しよう!」
レンドルフの服装は、オフホワイトの柔らかそうな生地のタートルネックに、黒の厚手のコート、茶色のトラウザーズに膝の辺りまである革のブーツという比較的ラフな姿だった。コートの下には護身用の剣を携えてはいるが、こうした平民風の格好をしていると、以前に比べていかにも騎士然とした印象は受けなくなっていた。着慣れて来たのもあるかもしれないが、隣にユリがいつもいることで表情が格段に柔らかくなっているのも大きいのかもしれない。
ユリは、見上げたレンドルフの左耳に装着されている、新しいイヤーカフに目を留めた。元は金色の彫金細工に白と黒の魔貝から採れる真珠が控え目に付いているシンプルな品だが、後から取り外し出来るように追加したらしい黒の留金に金色の鎖が耳の裏側に垂れて、その先に小さなリングのような部品が付いていて耳たぶを挟んでいるデザインになっていた。首筋の辺りで弧を描く金の鎖が、レンドルフの動きでキラリと揺れていた。
最近のレンドルフは、小物などを新調する際には黒と金の組み合わせを選んでいることが多い。ユリは自分を意識してもらっているようで、何だか嬉しくなってしまった。ユリの視線に気が付いたのか、レンドルフが彼女に顔を向けた後にイヤーカフのことに気が付いたようだった。一瞬だけ耳の方に視線を動かすと、少しだけ照れたように微笑んだ。
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「こちらで入場料をお支払下さい」
会場の入口は、華やかな造花などが飾り付けられたゲートが作られていた。まだ人が少ないが、これから増えることを見越してか受付場所は数カ所設置されていた。
「この魔道具にギルドカードを当てると、口座から支払われるよ」
「これ、便利だよね。ちょっと買い物に行く時とかに助かってる」
騎士団で冒険者登録は禁止はされていないが、暗黙の了解的にあまり推奨されてないのでこうしたギルドカードを持っている者は少ない。しかし、レンドルフが街中で財布要らずで手軽に使用しているのを見て、仲の良い騎士の中で数名が登録してカードを作っていた。
「この箱の中から一つお選びください」
受付で示された箱の中には、仮面の入った紙袋が山盛りになっていた。これだと中身が何かが分からない。まるでくじ引きのようなワクワクした気分になって、レンドルフは少しだけ下の方から一つを引っ張り出した。
見るとタイキは思い切り腕を突っ込んで、かなり奥の方から選び出していた。
全員選び出してから、一斉に中を引っ張り出した。一緒に来た友人達とこうして互いの引いた仮面を見せ合うのも楽しみの一つであるのだ。
「…猿だ」
「ワシは…牛だな」
仮面は丈夫な紙製のもので、顔の上半分を覆うようになっているタイプだ。その為、動物の種類によってはすぐに判断が付かないものもある。元にした神話が馴染みのない国のものだとこの国にはいない動物もいるので、仮面の裏側に元になった神話の概要と動物の種類が印刷されている。
ミスキとバートンはそれぞれ見ただけで分かりやすい動物だった。
「オレのは何だ?」
タイキが取り出したのは、緑色の毛足の長そうな謎の生物だった。
「…毛長ヤギ?魔獣じゃねえんだ」
裏を確認すると聞いたこともないような国の神話で、神に愛され過ぎた為に長命となり、長い毛に苔が生えて緑色になってしまったヤギと記されていた。そのヤギがいる場所は苔が生えて、不毛の大地を潤した為に神獣と伝えられているらしい。
「あたしは何で今年も凶暴なヤツなのよ」
昨年はワニを引き当てたクリューは、今年は鮫を引いていた。
「白い虎…あ、ビャッコって書いてある」
そしてユリも昨年の獅子に続いて肉食獣を引き当てている。その人の本質を引き寄せると言われているのに、二年連続で肉食生物を引き当てた女性陣は複雑な顔をしていた。
「俺は……ウサギだ」
レンドルフが紙袋から取り出したのは、ピンク色のフワフワした可愛らしいウサギだった。こちらも複雑な顔になっていた。
皆で何となく無言になって、それぞれに引いた仮面を被った。
この仮面は、なるべく被ることを勧められてはいるが、やや視界が狭くなるので身に付けていればいいとされている。ただ一目で分かるところに付けていないと、入場料を払わなかったのではないかと不正を疑われて、場内を見回っている係員に見咎められることもある。こっそり過去の仮面を持ち込んでタダで入ろうとする者もいたらしいのだが、その年ごとに特殊な色インクを使用していて、係員の掛けている眼鏡で見ると即座に分かってしまうようになっている。
「レン、意外と似合うな」
「いや、結構恥ずかしいんだけど」
感心したようにミスキが感想を述べたが、レンドルフとしてはあまり嬉しくなかった。平均的な男性よりも頭一つ以上大柄なレンドルフが、ランダムで引き当てたとは言えピンク色の可愛らしいウサギの仮面を付けているので、どうしても視線が集中していた。それを感じて、彼の耳がほんのりと赤みを帯びている。
「そのうち人が増えて来ると酒も入って気にされなくなるって」
「だといいんだが」
タイキは最初から顔には装着せずに頭の上に乗せていた。やはり誰も知らないような動物だったらしく、離れたところで「何だあれ…?」「あれで神獣?」などと囁かれていた。
レンドルフはタイキのように頭に乗せてしまおうかとも思ったが、頭にウサギを乗せて素顔を晒すよりも、こうして顔を半分隠している方がマシな気がしていた。
「レンさんの、可愛くていいなあ」
「ユリさんも割と可愛いと思うけど。猫っぽいし」
「猫にしては険しい顔だけどね…」
小柄な女性が被っているのを考慮すると、ユリの仮面は多少可愛らしく見えなくもなかった。
「どう見ても可愛さのカケラもないわ…」
見事に鮫だとすぐに分かる仮面を装着して、クリューは低い声でボソリと愚痴を零していた。クリューの瞳は赤いので、こうした凶悪な顔の仮面を付けると一層禍々しさが増す。昨年のワニもすれ違った子供に泣かれたが、今年もそうなりそうな気配だった。
可もなく不可もなくひっそりと牛の仮面を被ったバートンは、少し離れた場所で引いた仮面に一喜一憂している仲間達を眺めていた。そして内心密かに「本質を引き寄せるのは本当かもしれんな…」などと思っていたが、そこは口に出さずに心の中に厳重に封印したのだった。
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「じゃあ各自任務完了したらレンくんの前に集合ね!」
日が落ちてすっかり辺りが暗くなり、パーティー会場にランタンの火が点りだす。参加者もかなり増えていて、皆が色々な動物の仮面を身に付けていた。紙に印刷されているだけの簡素な仮面であるが、ランタンの明かりに照らされていると存外本物のように見える瞬間がある。レンドルフも随分顔見知りも増えているのだが、仮面一つでまるで見知らぬ異界に迷い込んだような気分になった。
本格的にパーティーが始まると、あちこちで料理や酒などが提供される。人気のメニューなどはすぐになくなってしまうため、毎年手分けして食べ物や飲み物を確保して、少し離れた場所でゆっくりと花火を待つのが定番だということだった。今回初参加のレンドルフもクリューの指示の元、飲み物担当になっていた。
「どれにしましょう!」
人がごった返している中、どうにか飲み物を貰えるカウンターに辿り着いたのだが、色々な種類の飲み物の入ったカップが並んでいて、レンドルフは一瞬固まってしまった。
「いくつご用意しましょうか?」
「え、ええと六人分」
レンドルフが慣れていないことに気付いたのか、カウンターに立っている男性が聞いて来てくれた。人数を確認すると、彼は手早くカップを差し込んで安定させる為に穴の空いている紙製のトレイを組み立てた。一つのトレイに二つの穴が開いていて、それを連結させて数を調整していた。
「酒はいくつ用意しましょう」
「甘くないのは…」
「ああ、今日は早々に甘いのは無くなってしまったんで、今あるのは辛いのだけなんですよ」
「じゃあ酒精が弱いのと強いのを二つずつ」
「はいよ!」
威勢のいい返答と共に、彼は色味の違う中身の入っているカップを穴に差し込む。
「黄色いカップはアルコール入りで、赤いラインが入っているのは強いヤツなんで。未成年にうっかり渡さないようにお願いしますよ」
「分かりました。あとは葡萄ジュースと…」
「これがオススメだよ、ウサギさん」
もう一つをどうしようかと白いノンアルコールのカップに目を向けたとき、不意にレンドルフのすぐ足元で可愛らしい声がした。驚いて下を向くと、いつの間にかレンドルフとカウンターの間に幼い男の子が立っていた。全く曇りのない、としか表現しようのない輝くような金髪に、黒猫の仮面の下から同じような色合いの金の瞳が見上げていた。
「これ…」
男の子が一番手前に並んでいるカップを指差している。中身は何か白い液体が入っているが、何かは分からなかった。
「それはホットヨーグルトですよ。下に甘いシロップで煮た林檎が入ってます」
「じゃああと一つはこれを」
「子供向けですが、大丈夫ですかい?」
「大丈夫です」
「お好みでシナモンを振り掛けますが、どうしましょ?」
「それもお願いします」
男性はササッと茶色い粉を振り掛けた。温かい湯気に混じって、フワリとシナモンの香りが鼻をくすぐる。
「お待たせしました!お気を付けて!」
「ありがとうございます」
「年が明けたら祝い用の酒を出しますんで、またどうぞ!」
六人分の飲み物を受け取り、レンドルフは少しトレイを持ち上げて人混みを抜けた。その人々が途切れた場所に、先程足元にいた黒猫の仮面を付けた男の子が立ってレンドルフをニコニコ笑いながら見つめていた。
「さっきは教えてくれてありがとう」
「どういたしまして。ウサギさん可愛いから、気を付けてね」
「あ、ああ。気をつけるよ」
「あんまり肉食獣に近付いちゃダメだよ。こんな風に」
ヒョイ、と無造作に男の子が距離を詰めて来たので、レンドルフは戸惑って一歩後ずさってしまった。最初は黒猫だと思っていたのだが、よく見ると普通の猫よりも耳が小さめで丸い形をしている。確か異国にいる大型の動物にそんなのがいたような気がした。
「ああ、もう印がついてるね」
「?ええと…」
「残念。可愛いウサギさんだったのに。でも、食べられたがってるんじゃしょうがないよね」
「食べられ…?」
「じゃあね。可愛いウサギさん」
男の子は急にクルリと回れ右をして、かき消すように人混みの中に消えて行った。後に残されたレンドルフは、何度か目を瞬かせてその場でしばらく佇んでいた。
「なり切ってた、のかな…」
よく分からなかったが、強い動物の仮面を引き当てた男の子がなり切って遊びを仕掛けて来ていたのかもしれない。それならばもう少し遊びに乗ってあげれば良かったかと思ったが、もう男の子はどこかに行ってしまった。
レンドルフも幼い頃、年のほぼ変わらない甥達と当時大人気だった児童書「ドラゴンと黒騎士」ごっこをして遊んでいたことを思い出した。その頃の可愛らしかったレンドルフは、大体黒騎士に助けられる姫役をやらされていたが。
「あ、どこか目立つところに移動しておかないとな」
皆は花火が見えるのに人は来ない穴場を知っていて毎年そこに行くそうなのだが、今年は場所を知らないレンドルフがいるのでひとまず全員集まってから移動しようと言われていた。そしてレンドルフが飲み物を確保したらどこかに立って、皆に見つけてもらうことになっていた。言わば動く待ち合わせ場所である。
「あ、レンいた!」
「レンさん、ケーキ確保出来たよ!」
レンドルフが人の少なくなっている場所でなるべく明かりのある方がいいだろうとランタンの下に移動した途端、左右から皆が集まって来た。只でさえ頭一つは突出している上に、今はウサギの仮面の長い耳がピョコリと上を向いているのだ。レンドルフはいつも以上に人混みの中からでも見つけやすい状態になっていた。