594.見えない葛藤
パンの袋を抱えながら、レンドルフはどこでこれを食べようかと思案して歩いていた。
今日は天気もいいし温かいので、外で食べるにはちょうど良さそうだった。すっかり慣れたエイスの街なので、候補は幾つか思い付く。その中でレンドルフは、街の中心にある公園に足を向ける。そこには手入れされた花壇が多くあって、その一角をユリが手入れを任されているのだ。
けれどレンドルフはその公園に続く道に数歩踏み出して、不意に向きを変えた。その道は公園とは反対方向で、その先にはゆっくり出来るような施設はない。それでもレンドルフはしっかりとした足取りでその方向に向かっていた。
レンドルフが向かったのは表の大通りから少し入った道で、ランチタイムを終えて夜の営業まで閉めている酒場が並んでいるような場所だった。もう昼を大分回っているので、ほぼ閉まっているため人通りは少ない。
そしてレンドルフは立ち止まって二つ程先の辻の方をジッと見つめ、それからそちらに向かって歩き出した。
「レンさん?」
ずっとそちらの辻を見ていたので、レンドルフは横から声を掛けられるまで気付いていなかった。その聞き間違えようのない声の方向に顔を向けると、そこにはフワリとした柔らかそうな生地の若草色のワンピース姿のユリが立っていた。少しくすんだ色味のピンクの花柄スカーフを首に巻いて、何とも春らしい装いだった。そしてスカーフの下から透明感のある白の魔鉱石のペンダントトップがチラリと覗いている。
「ユ、リさん…」
先程クロウにユリに会わせる顔がない、と悩みを吐露していたばかりなのに、こんなにすぐにユリと遭遇するとは思わずに思わず声が上擦ってしまう。レンドルフは同時にカッと顔が熱くなるのを感じた。クロウには意識しないようにと言われたのだが、むしろ却って意識をしてしまっていた。
ユリはそんなレンドルフの様子に気付いているのかいないのか、小走りに近付いて彼の正面に立って見上げて来た。身長差が大きいので、ユリはレンドルフの近くに立つとほぼ真上を向くような恰好になる。ユリの大きな目の中にある金色の虹彩が真っ直ぐに見上げて来て、レンドルフは緊張の面持ちでおもわず生唾を飲み込んだ。
「レンさん。ユリと言います。薬師見習いです」
「え…?」
そう言ってユリはレンドルフに向かって右手を差し出して来た。一瞬、レンドルフは頭が働かずにキョトンとした顔になってしまったが、すぐにユリと初めて出会った時にこうして自己紹介をして手を差し伸べて来たことを思い出した。
レンドルフが公園とは反対のこの路地に来たのは、すぐそこが絡まれていたユリを助けたその場所だったからだ。そして偶然にも、今日がちょうど一年前の同じ日だったのだ。それを思い出して、レンドルフはここに向かうことにしたのだ。それはどうやらユリも同じだったらしい。だからユリはその時に交わした挨拶と同じことをしているのだと気付く。
「え、ええと…ゴメン。俺は何て言ってったっけ…」
「んーと…確か、『よろしく』とかそんな感じ」
不意打ちでユリの顔を見たせいか、レンドルフは全く頭が回っていなかった。ユリの前でなければ頭を掻きむしっていたかもしれない心境になったが、そこは堪えて差し出されたユリの小さな手を取ろうとした。しかし何故かレンドルフの体はギシリと強張ってしまい、ユリの手の寸前で止まってしまう。
「レンさん?」
固まってしまったレンドルフに、ユリは不思議そうに首を傾げる。最近では意識することなくユリと手を繋ぐことが自然になっていたのに、妙な感情が入り混じってしまうと急にレンドルフの中で躊躇いが生まれてしまう。レンドルフはますます顔が熱くなり、ジワリと背中に汗が滲んだ気がした。
これでは意識しないようにするということから真逆の態度になってしまうと焦るのだが、そう思えば思う程余計に意識してしまうという悪循環に陥りかける。だが、そんな心の葛藤を見透かされたように、不自然な形で止まってしまったレンドルフの手を、ユリの方から握り締めて来た。
小さくひんやりとした手が、レンドルフの指先を包み込む。
「これからもよろしくね、レンさん」
「あ、う、うん。そうだね、よろしく」
「これからミキタさんのお店に行く?」
「ええと…これがあるから。良かったらユリさんもどうかな」
あの時はユリに連れられてミキタの店に行ったのだ。けれど今はパンのまだ沢山入った袋を持っている。レンドルフは手にしていた袋を見せると、ユリはすぐに公園の方向へと手を引いた。
「じゃ、公園で食べない?今、私が担当してる花壇の花が見頃なの」
「うん、そうしよう」
さすがにずっとユリに手を引かせているのは不自然な気がして、レンドルフは軽く手を握り返して隣に並ぶ。明らかに歩幅の違う二人だが、もうすっかり並んで歩く速度は無理なく自然になっている。レンドルフはまだ気恥ずかしさと申し訳なさで内心グルグルしたものを抱えていたが、それでも大分落ち着いて来た。
「レンさんも、今日だからあの場所に行ったの?」
「うん…ひょっとして、ユリさんも?」
「そうよ。だって、絶対忘れないもの。レンさんが…助けに来てくれた日のことは」
レンドルフは気付いていないが、昨年よりもずっと前にユリはレンドルフに出会っている。だからユリからすれば昨年の出会いは再会で、助けられたのも二度目だったのだが、そのことは言わないでいた。最初の出会いの時は、ユリは変装の魔道具を使用していない死に戻りの白い髪だったのだ。もしユリが死に戻りだと知られれば、なし崩し的に大公女の身分がバレてしまうかもしれない。そう思うと、ユリには最初の出会いのことを話す勇気はまだなかった。
「俺も忘れないよ。あの時、ユリさんが手を差し伸べてくれたことは、俺にとっては何よりも救いだった」
「私はただ、挨拶をしただけよ」
「それでもだよ。今こうしていられるのは、ユリさんのおかげだ」
「……なら、良かった」
はにかむようにユリは少しだけ頬を染めて微笑むと、レンドルフの指を握り締めた自分の手に少しだけ力を込めたのだった。
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「貴女の処分が決まりました」
大公家別邸の地下室に、別邸のメイド長ドゥーラの静かな声が響いた。
ドゥーラの目の前には、項垂れたまま椅子に座らせられたエイカがいた。動きは制限されて、両手両足に拘束具がはめられている。けれどそれ以外は怪我などはなく、少し粗末ではあるが清潔な服を身に纏って、髪も肌も汚れているところはない。この地下室に拘束されてはいたが、自由に動き回る以外はきちんと生活は保証されていた。
「貴女は、筆頭分家が引き取ることになりました。下働きの下級メイドとして、よく仕えなさい」
「……」
「何か言いたいことは」
「その、私がそのような甘い処分では示しがつかないのでは…」
エイカが拘束されて地下に幽閉されていたのは、大公女であるユリに対して攻撃を仕掛けた為だ。勿論彼女に悪意があってしたことではない。魅了と幻覚魔法に囚われて魔力を暴走させたレンドルフを止めるため、わざとユリに向かって睡眠薬を塗った矢を放って、レンドルフがそこに飛び込んで来るように仕向けたのだ。その狙いは当たって、ユリを庇って矢を受けたレンドルフを止めることが出来た。
しかし、成功率が高かったとしても主家の姫君に弓引く行為は許されるものではない。エイカ自身も、罪に問われる覚悟の上での行動だったので、拘束されることに抵抗はなかった。そしてその後の厳しい処分も粛々と受けるつもりでいた。直接的に処分されることはないだろうが、良くてアスクレティ家に関わる土地からの永久追放くらいは当然だと思っていたのだ。
エイカは元はアスクレティ大公領で護衛も出来る影として仕えていたが、実力を認められて別邸のメイドへと打診されていたのだ。敢えて公にしていないが、今の大公家では優秀な使用人は本邸より別邸に集められている。それはユリを守る為に他ならないので、その分給金も待遇も充実させていた。
別邸で仕える使用人の絶対条件は、ユリの特殊魔力に耐えられることと、ユリの身の安全を最優先することだ。エイカは魔力の元を生まれつき持たない魔核なしの体質だったので、他者の魔力に影響を及ぼすユリの特殊魔力にも一切反応しない。別邸の護衛の中にはそういった者も数名いるが、女性の魔核なしで腕の立つ者はまだいなかったのだ。その為、エイカが将来的にユリの一番近くに配備する護衛も出来る専属メイドとして配置する予定だった。だが、今回のことでそれは一度白紙に戻すことになった。
「今回の件は、ユリシーズお嬢様を傷付ける目的ではなかったことと、万一でも軽傷で済むように手を打ったことを差し引いてのことです。それに、お嬢様が直々にご当主様に取りなしをなさいました」
「お嬢様が…」
「慣れぬ場所で一からやり直すのです。それに筆頭分家は本邸並みに厳しいところでもあります。決して甘い処分ではありませんよ」
「はい」
「配属された時点で貴女の罪は終了します。そこからどこを目指すかは貴女次第」
「それではまた…ドゥーラ様に教えを請うことも許される日が来ると…?」
ドゥーラの言葉に、エイカは一瞬だが目を輝かせた。エイカは幼い頃にドゥーラに見出されて、直接戦闘技術を叩き込まれていた。彼女にとって、ドゥーラは心酔している師匠になるのだ。別邸に仕えることを打診された際に迷わず頷いたのは、ドゥーラがいたからに他ならなかった。
「貴女は、どなたにお仕えするかをもう少し学びなさい」
そんなエイカの反応に、ドゥーラはほんの少しだけ眉を顰めた。普通の人間なら気付かないであろう僅かな変化を察して、エイカの肩がビクリと跳ねた。
「幼い頃に王都に来て以来、一度も領地を訪れたこともなく、後継教育も貴族の義務も果たしていない唯一の直系。一族の中でそれを疑問に思っている者がいることも、領地では特に民の間にも少なくないことも承知しています。そして貴女にもその気持ちがあることも」
そう言われて、エイカは思わず視線を泳がせた。本当に大公家に仕えるつもりならば、真っ直ぐにドゥーラを見返して否定するべきだと分かっている。主人が道を踏み外しそうになった時にそれを正すのは側近の役割だ。エイカのような影として動く者は、命じられるままに役割を全うすべきだと身に叩き込まれている。
しかし幼い頃からドゥーラの目を誤摩化せたことはなかったのをこれでもかと知っているエイカは、正直な反応しか出来なかった。
アスクレティ大公家当主レンザは厳しいところもあるが、領主として尊敬出来る存在である。領地では代官の報告に丁寧に目を通し、自ら視察に出ては領民の言葉に耳を傾ける。そのおかげかアスクレティ領は常に豊かで、移住したいと言う民が後を絶たない。
そんな有能な領主であるが、唯一の懸念点が後継者を決めていないことだ。あまり優秀ではなかった嫡男が王都で問題を起こして後継から外され、分家から養子を取る筈が未だにその話は宙に浮いたままだった。そんな中で、唯一の直系の孫娘がレンザの元に引き取られた。領民はその孫娘が分家から有能な婿を迎えるのだろうと予想したが、そちらの話も聞こえて来ない。
レンザはまだまだ精力的に領主業をこなしているが、年齢を考えるとずっとこのままではいられないだろう。血筋では最も有力な後継候補の孫娘は加護無しの死に戻りで、体が弱く王都から移動もままならない程だという噂が届くと、ふとした折りに将来の不安を口にするものが現れるのも仕方なかった。
「王都に来て、特にこの別邸との温度差を感じたのでしょう」
領地ではユリの噂は真偽の分からないものも多く含まれているが、領民の中ではうっすらとした不満が感情の底に澱んでいる空気感がある。エイカはユリと直接会っているし、偽りの噂に惑わされることはないが、それでも家の為に役目を果たしていないように見えるユリに「何故?」という疑問が拭えない。
勿論、エイカ個人としてユリは高位貴族らしからぬところのある可愛らしい令嬢で、仕えるのに何ら抵抗はないと思っている。けれど別邸で仕えている使用人達を決定的な違いは、ドゥーラにも指摘されたような疑問の有無だと感じていた。
静かではあるが圧倒されるような感覚に、エイカは暑くもないのにこめかみに汗が伝うのを自覚した。急に周囲の空気が薄くなったような気がして、思わず口で息を吸う。
「…これはわたくしの独り言ですが」
顔色の悪くなったエイカに、ドゥーラはポツリと雫を落とすかのように小さな呟きを漏らす。
「わたくしも、お嬢様のことを全て受け入れ甘やかすだけが良いこととは思いません。貴女のように疑問を持ちながらも忠誠を誓う者も、そしてそれを忠言する者も必要でしょう。でも、それは今ではないのです。それはおそらくご当主様もお考えの上でのこと」
「ご当主様も…」
考え込むようにドゥーラの言葉を繰り返したエイカに、ドゥーラは少しだけ口角を上げる。俯いて考え込んでいたエイカには見えなかったが、そのまなざしはひどく優しかった。
「何故そうであるのかを、貴女はこの先の場所で知りなさい。その答えに辿り着くことが出来れば、また再びここに来ることを許されるでしょう」
「は、い…」
ドゥーラはその後、幾つかの事務的な内容を伝えると、後のことは見張りの騎士に任せて来たときと同じように足早に地下室を後にした。
「疲れた…」
その後すぐにエイカは拘束を解かれて、部屋の扉の鍵を外側から掛ける音を聞いてから、崩れ落ちるように備え付けのベッドに崩れるように倒れ込んだのだった。
お読みいただきありがとうございます!
大公女については、世間(一応貴族間)には加護無しの死に戻りは公表していますが、特殊魔力は国王と宰相のみに伝えています。ただ魔力の感知能力が高い人間は何となく分かってて無言を貫いています。言ったら間違いなく大公家に一族郎党潰されるので。
大公家の使用人には、特殊魔力持ちの他にユリは大公家で引き取る前は母方の実家で酷い扱いを受けていたことと、病弱と称して社交には出さないことは周知しています。薬物による洗脳を知る者はレンザの側近のごく一部のみ。魂の婚姻はレンザとレイのみが知っています。




