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58.カラスだけど鷲掴み


「終わりました!」


体感的に15分程度だろうか。ニルスに声を掛けられて、体に掛けられた布を外された。


「今、切った髪を払いますので、もう少し動かないでくださいねー」


首に巻いたタオルを外され、それで額の辺りや首の後ろなどを軽く撫でられる。首に直にタオルの当たる感触がしたので、大分襟足を短くしたようだった。


「こんな感じです!」


ニルスがポケットから手鏡を出してレンドルフに差し出して来た。それを受け取って覗き込むと、いつもより随分と前髪の短くなった自分の顔があった。額に毛先が当たる感触が慣れないせいか少々くすぐったく感じたが、視界がスッキリしているのでこのくらいの長さも悪くないと思えた。手鏡ではよく見えない首の後ろは直接手を触れてみる。かなり短くしたようで、指の間をすり抜ける感触が妙な心地好さを感じた。


「ありがとう。スッキリしたよ」


ニルスに手鏡を返しながら、レンドルフは足元に散らばっている自分の髪にチラリと視線を落とした。さすがに切られた髪には変装の魔道具の効果は無くなるので、薄紅色の髪が思ったよりも沢山散らばっている。貴族がお忍びなどで髪や瞳の色を変えるのはよくあることなので、ニルスも敢えてそのことには触れないでいてくれるようだった。



「いつでも必要な時は気軽にご用命下さい」

「ああ、そうさせてもらうよ」


手早く布を手元に畳みながら、ニルスはニコニコしながら言った。この別荘を間借りするのは討伐期間の一ヶ月の予定なので、この先髪を切るのを頼むことはもうないかもしれないが、レンドルフはそう頷いて返した。



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レンドルフは立ち上がってベンチに近寄って、置いてあったチョーカーが見当たらないことに気付いた。先程外してもらった際に、間違いなくこの場所に置いていたのはレンドルフも確認している。


「え…?無いですね…」


レンドルフが周囲を見回しているのに気付いて、ニルスもチョーカーが見当たらないことにすぐに気付いたようで、焦ったように狼狽えていた。チョーカーを外して置いたのはレンドルフも見ていたし、それから髪を切ってもらっている間に誰かが通ったこともなかった。ニスルもずっとレンドルフの側で作業をしていたので、無くなる筈が無いのだが、現実にはどこにも見当たらない。


「あ!あれです!」


不意にニルスが声を上げて上の方向を指差した。顔を上げると、いつの間にか来ていたのかカラスが木の枝に止まっている。そしてその口元にはキラリと光る琥珀色の石の付いたチョーカーが銜えられていた。


「全く気が付かなかったな…」

「ご主人様、今、網か何かを…」


ニルスがそう言いかけるや否や、レンドルフは身体強化魔法を掛けてカラスのいる枝に一気に飛び移っていた。太い枝の根元に飛び乗ったので、木全体がユサリと揺れたが折れる気配はなかった。

枝に飛び乗ったと同時にレンドルフは手を伸ばして、カラスの胴体を鷲掴みにした。驚いたカラスは「グァ」と口を開けて鳴いたので、銜えていたチョーカーがポロリと落下する。


「わわわっ」


慌てて木の真下に駆け込んで来たニルスが、地面に落ちる前に両手で受け止めた。



ふと木の上から下を見ると、生け垣の向う側、大公家の敷地が目に入った。レンドルフが枝の上に立っている木は、敷地の境になっている生け垣に接するように生えている。その生け垣の側には、花畑のような一角があった。淡いピンク色の花が、細く繊細な茎に支えられて風に揺れていた。


その花畑の中に、少女が立っていた。


少女はつばの広い帽子を被り、フワリとした丈の長い白のワンピースを着ていた。レンドルフに背を向けていたので顔は全く見えなかったが、緩やかに編まれた長い髪が背中で揺れている。片手に篭を下げていて、その中に摘まれた花が入っていた。

一瞬、少女がレンドルフの方を振り返ったようだった。上から見下ろすような場所にいるレンドルフからは、帽子のつばに阻まれて少女の表情は全く伺うことは出来ない。が、こちらを見た、と思った瞬間、少女は全身ビクリと飛び上がるように反応をしたかと思うと、一目散に走り去って行った。


「お、お嬢様!?」

「何奴だ!!」


側に付いていたメイドが、屋敷の方へ駆け出して行ってしまった少女を慌てて追いかけて行った。そして一緒に控えていた三人の護衛が一斉に剣を抜いて、木の上にいるレンドルフに向かって切っ先を突き付けるのはほぼ同時だった。


その時になってレンドルフは、自分の状況が極めて不審者であったことにやっと気が付いたのだった。



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「いや、俺は」

「動くな!こちらの言う通りにせねば容赦しない」


いきなり敷地の向こうの木の上に立って大公家の様子を覗き込む、片手にカラスを掴んでいる大柄の男だ。どう考えても怪しくない要素が無い。しかも少女が目撃した時は、レンドルフはカラスに大切なチョーカーを奪われまいとして自分でもかなり険しい顔になっていたと言う自覚がある。


さすがに大公家専属の護衛だけのことはあり、レンドルフに向ける剣先には隙が無い。生け垣を挟んで木の上と下とで距離はあるのだが、下手なことをすれば只では済まないであろうことは容易に想像がついた。


「まずはゆっくり…」

「カァ」

「両手を前に出」

「カァ」

「おかしなことをしたら」

「カァァァァ」

「……取り敢えずカラスを放せ」

「…はい」


レンドルフが手を緩めると、カラスは慌てて飛び去って行った。



「ゆっくりこちらへ降りて来い。おかしな真似をしたらすぐに斬るからな」

「分かりました」


そう言われても、生け垣を飛び越して向う側へどうゆっくり降りたものか、レンドルフは思案しながらソロリと幹に手を掛けた。


「あのぅ…」

「誰だ!」

「僕です、ニルスです」

「おお、庭師のか」


生け垣越しにニルスが声を掛けると、護衛達の空気が和らいだ。

ニルスはゴソゴソと生け垣に突っ込むように入り込むと、ピョコリと向う側に顔を出した。


「おはようございまーす」

「何だ、お前もそこにいたのか」

「あのですね、そこにいるの、ウチのご主人様なんで、勘弁してもらえません?」

「ご主人様!?」


ニルスの言葉に、護衛達は木の枝に立っているレンドルフを二度見した。レンドルフも、少々気恥ずかしくなって木の上からであったが、ペコリと頭を下げたのだった。



----------------------------------------------------------------------------------



ニルスの取りなしで、どうにか大公家の護衛達との緊張は解けて、レンドルフはようやく木の上から降りられた。もしニルスがいなかったらどうなっていたかと思うと冷や汗が出た。


「申し訳ありませんでした」

「いえ…その、今後は軽率な行動はお控えください」

「肝に銘じます」


深々と頭を下げるレンドルフに、護衛の中でも上の地位でありそうな一人が釘を刺して来る。レンドルフにしてみれば、もはやその通り過ぎるのでそれ以外に言えることはない。


「先程のご令嬢にも謝罪をお伝えいただけますでしょうか」

「お言葉はお伝えいたしますが、直接お会いするのはご遠慮ください」

「承知しております。今後も行動には注意をいたします」

「よろしくお願いします」



いきなり自分のような大きな見た目の男性が急に上から出現したので、あの小さな少女はさぞ驚いたことだろうとレンドルフは気の毒に思った。以前に大公家別邸には縁戚の令嬢が療養に来ていると聞いていた。不用意に驚かせてしまって、体調が悪くなってなければいいと心から思ったのだった。


それにあの少女の髪は、編まれていたので分かり難かったがおそらく「死に戻り」の白髪であったと思われた。


レンドルフは過去にも死に戻ったという人物に出会ったことがある。あの独特の透明感のある真っ白な髪は一度見たら忘れられないので、あの少女も間違いないだろう。顔は見えなかったが、まだ年端も行かないような小さな体の少女が死にかける程の病か大怪我を負ったのだ。きっとその為の療養なのだろうと予想がついた。


レンドルフは少女が走り去って行った屋敷の方向に、チラリと心配そうな視線を送ったのだった。



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「ど、どどど、どうしよう…!」


ユリは屋敷の調薬室に一目散に飛び込んで、崩れ落ちるように頭を抱えてソファに座り込んだ。


「お嬢様!」


すぐさま後に続いて、ユリ専属メイドのミリーが駆け込んで来る。


「見られた…絶対見られた…」

「お嬢様!」


ブツブツと茫然自失な様子で呟いているユリの肩を掴んで、ミリーが強めに揺する。それでやっと彼女は我に返ったようだった。


「今、レンさんに見られたわよね…?まだ…そんなつもりじゃなかったのに…」



室内でもまだ帽子をユリは被ったままだったので、ミリーがそっとそれを脱がせる。顔が露になったユリは、ヘニョリと眉を下げて情けない顔をしていた。彼女を幼い頃から知っているミリーは、祖父のレンザが誕生日に急に来られなくなった時のガッカリした顔とつい重ね合わせて思い出してしまって、少しだけ微笑ましい気持ちになった。しかし当人はそれどころではない。


「大丈夫ですよ」

「だって、絶対目が合った…わよ。多分」

「あんなに上の方にいらしたんですよ?あの角度ではお嬢様の帽子で顔は見えなかった筈です」

「そ、うかしら…」


緩く編んで背中に垂らしている髪を前に持って来て、自分の手に乗せて「色も違うし…一瞬なら…?」とユリはしきりに悩んでいる。


「あの…ところでお嬢様。あの方が以前に仰っていた『紳士的な騎士様』ですか?」

「そうよ。説明してるじゃない」



レンドルフのことを正確に知っているのは、この別邸ではごく一部の者だ。知らない者は、パナケア子爵の遠縁の貴族令息が冒険者体験をしたくて王都領まで出て来たと説明してある。多少の嘘は混じっているが、事実とはそこまでかけ離れてはいないし、レンドルフ自身が自分のことをひけらかす質ではないのでその程度の理由で問題ないだろう。

ミリーはユリ専属メイドなので、詳しい話はユリから聞いている。ミリーからするとユリから「聞かされている」のだが。



「あの、朝っぱらからカラスを掴んですごい形相で木の上に仁王立ちしてる方が、ですか?」

「それ、誰のことよ」

「あの騎士様ですよ、騎士様!!お嬢様は一体どこをご覧になられてたんですか!?」

「………髪型が変わったなー、て」

「…はあ」

「何か、全体的に短くなって、襟足なんかほぼ刈り込んであるくらい短くなってるから綺麗な首筋がよく見えてて。前髪もあれくらいだと視界を妨げない上に、子供っぽくもならないように適度に梳いて流してあるからより一層顔が凛々し…」

「分かりました!分かりましたから!」


見たのは一瞬な筈であったが、レンドルフの髪型を細かく説明しようとするユリをミリーは一旦止める。取り敢えず、あの衝撃的なカラス鷲掴みはユリの記憶には一切残っていないことはよく分かった。


「あ!そうだ!ミリー、護衛のみんなにレンさんは怪しい人じゃないからって言って来て!」

「…それ、私が説明するんですか?」

「ちょっとビックリしただけだからって。それと……その、レンさんに正体がバレてないかどうかもさり気なく確認して来てもらえる…かな?」


あれだけ怪しい登場をした人物を、どう怪しくないか説明するという難題を出されて、ミリーは困惑していた。しかし基本的にこの屋敷にいる使用人達は、レンザ直々に選抜されたユリを守る為に特化された者達ばかりである。あんな邂逅をしてしまったレンドルフに対して、護衛達が何か厳しい対処をしていないとも限らない。


「畏まりました。すぐに行って、護衛達が失礼をしていないか確認して来ます」

「お願いね」


来た時と同じように走って外に出て行くミリーを見送って、ユリはズルズルとソファの上に倒れ込んだ。普段の服の上から大きめの白衣を着ているので、その襟元がずり上がって半分顔まで埋もれて亀のような状態になっている。この姿をメイド長に見られたら間違いなくお説教コースだったが、幸いこの調薬室に入れる使用人はミリーと薬師の資格を持った従僕の二人しかいない。


「見られてない…よね?多分、大丈夫!…の筈」


白衣の袖で顔を覆うようにして、寝そべったままユリはひたすらに祈りを捧げていた。



レンドルフから見えていたユリの姿は、ゆったりとした白衣のおかげで体型が分からなかったことと、上からの角度だったので彼女の身長もきちんと把握されなかったのもあり、花畑にいた少女とユリを繋げて考えられることは一切無かった。だが、それが分かるまでユリはひたすらハラハラしながら祈り続けていたのだった。



レンドルフが以前に、自分が貴族と分かってしまったらユリとの気安い距離感が無くなってしまうのを惜しんだ時のように、ユリもまたレンドルフとの今の関係を崩したくなかった。

いつか自分が大公家を継ぐことになれば、こうして別邸で暮らすことも出来なくなる。そして家の為に相応しい伴侶を迎えることになるだろう。せめてそれが決まるまではただの薬師見習いのユリでいたかったのだ。



「…お嬢様」


しばらくしてミリーが戻って来て、ユリはガバリと跳ね起きた。


「どうだった?護衛のみんなは?レンさん、何か言ってなかった?」

「ええと…」


矢継ぎ早に質問をするユリに、ミリーは何とも言い難い表情で、何だか戸惑っているかのようだった。


「何かあったの…?」

「あ!いいえ、特にない…と言うか、何と言うか…」


歯切れの悪いミリーの言葉に、ユリが不安そうに眉根を寄せる。


「あの騎士様は、ウチの護衛達と一緒に鍛錬をしておいででした…」

「何でよ!?」


全く予想外の答えが返って来て、ユリは思わず大きな声を出していた。



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ユリからの懇願を受けてミリーが護衛達から詳細を聞き出したところ、何故かパナケア子爵家の見習い使用人として雇った庭師がレンドルフと護衛達を取り持って、気が付いたら共に鍛錬をしていたそうだ。護衛達も、レンドルフの確かな腕前と、最初の謎の行動はともかく素直な人柄を認めたらしく、今後は朝の鍛錬を合同で行うことになっていた。

そしてやはりミリーの読み通り、レンドルフはユリの顔は全く見ておらず、幼い令嬢が暮らしていると思っていると聞き出して来た。



それを聞いたユリは正体がバレなかったことに安堵すると同時に、幼い子供と思われていることに少なからずのショックと、朝一で庭の薬草摘みに行けなくなったことに、別の意味で頭を抱える羽目になったのだった。




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