57.優秀で温かい使用人達
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「あの…ご主人様」
席に着くと、キャシーが控え目に声を掛けて来た。普段は無表情に近いキリリとした顔をしている彼女だが、今は少し不安げな色が表に出ている。
「何かな?」
「その…お怪我などは」
「ああ、全く問題ないよ。仲間に優秀な薬師がいるから全て治療してもらったしね」
「然様でございますか。…差し出口を失礼いたしました」
「心配をかけて悪かった」
「いえ」
頭を下げて後ろに控えたキャシーだったが、レンドルフはチラリと彼女の口角が上がっているのに気付いた。そして更にその後ろで控えているメイドは安心した様子がもろに顔に出てしまっている。確か彼女はシンシアだったな、とレンドルフは記憶を辿る。本来ならば使用人としてはあまり表情に出してはいけないのだろうが、レンドルフは何だか温かい居心地の良さを感じてしまったので、それを指摘する気も起きなかった。
「失礼いたします」
従僕のデヴィッドが最初に飲み物と前菜を運んできて、レンドルフの目の前に置いた。ここでは本来なら食前酒などが出て来るのだが、討伐期間中は体調を整えておきたいのでアルコール類は予め断っていた。
グラスを傾けてよく冷えた飲み物を口にすると、少しの苦味と爽やかな香りが喉に落ちて行く。微かに刺激を感じるので、弱い炭酸水にライムを絞ってあるようだった。水分を口にすると、随分喉も渇いていたことを自覚した。つい一気に全て飲み干してしまう。
出て来た前菜は、平たいプレートのような皿に、色鮮やかな野菜が盛りつけられていた。よく見ると、皮ごと焼いて焼いてあるものや蒸してあるもの、茹でてあるものや生野菜など、それぞれが一番美味しさが引き出されるであろう別々の調理法が施されていた。そしてソースは掛かっておらずに、皿の端に塩とマスタードが添えられている。
随分と大胆で手間の掛かる一皿だな、と思いながら焼いたタマネギを口にする。表面は軽く焦げているが、中に水分と甘さが閉じ込められていて、何も付けなくても充分美味しい。次の一口には塩を少しだけ付けると、更に甘みが引き立って、まるで違う野菜のようだった。思わずレンドルフの口角が上がる。
味付けはシンプルだが、野菜のそれぞれの味や歯応えが異なっているので、全く飽きることなくあっという間に食べてしまった。それなりの量はあったが、空腹過ぎて活動を止めていたような状態だった胃袋が程よく動き出したようで、次の皿を既に求めていた。
それから優しい味わいのジャガイモのポタージュ、小魚を丸ごと使ったフリットなどが続き、メインの牛の赤ワイン煮が出て来る。レンドルフに合わせて、通常で提供される大きさの倍はありそうな塊の肉が二切れ乗っている。艶やかな照りのある濃い色のソースがたっぷりと掛かっていて、肉はフォークを刺しただけでホロリと崩れてしまう柔らかさだった。肉の繊維に絡めるようにソースをくぐらせて口に入れると、ソースの香ばしさとほのかな苦味が肉の甘みを引き立てる。口の中で数回噛んだだけで消えてしまうので、もしかしたらこの肉は飲み物の一種などではないだろうか、とレンドルフは割と真面目にそう思ったのだった。
あっという間に消えて行く皿の上の料理を見て、次の皿を運んで来るレオニードの顔に喜色が浮かんでいた。レンドルフも、新人ばかりと聞いていたが、これだけ美味しい料理が作れるシェフを手配してもらえて良かったと顔も知らないパナケア子爵に感謝していた。
「レオニード、とても美味しかったよ」
「…恐れ入ります」
女性ならばそれだけで満腹になってしまいそうな大きな器にたっぷりと盛られたミルクムースとフルーツの盛り合わせのデザートもペロリと平らげ、皿を下げに来たレオニードに声を掛けた。あまり口数の多くない彼は、低い声でポツリと言うと深々と頭を下げた。
「今朝作ってくれた軽食も美味しくてね。仲間も褒めていたよ」
「…ありがとうございます」
「差し支えなければ、その仲間にレシピを教えたいんだが、書き出してもらえるだろうか」
「承知いたしました」
「ありがとう」
レオニードは頭を下げると、食堂を後にした。前日はレンドルフの食事量が掴めていなかったのか少々物足りなくもったが、今日は十分満足な量であった。勿論味も非常に良かった。
「そうだ、明日でも構わないが、ハサミを用意してもらえるかな。ちょっと髪の毛を切りたいんだ」
「髪の毛、でございますか?」
「今日の討伐で前髪を少し焦がしてしまって。理髪店に行く程のことでもないので、自分で切ろうかと」
「ご自身で…よくそうされているのでしょうか…?」
「いや。定期的に理髪店で整えてもらっていたから自分で切ったことはないな」
「明日、理髪師をこちらに来るよう手配いたしますので、ご自身ではお止めください」
「わ、分かった…」
キャシーにハサミを頼んだところ、やけに強めの勢いで止められてしまった。
団員寮にいた時は、施設内に併設されていた理髪店に定期的に呼び出されていたので髪型のことは気にする必要がなかったのだが、やはり自分で切るのは差し障りがあるのだろうか、とレンドルフは考える。近衛騎士団の団員は、王族や国賓の他国の貴族の前に出る機会が多いので、身だしなみを整えるのも任務の一環として予定に組み込まれていたのだ。
レンドルフには、父を始めとするクロヴァス家遺伝の脅威の発毛力がほぼ存在しない。母に似たのは顔だけではないようなのだ。半日放置しただけでジョリジョリ、三日もそのままなら猟師に狙われるレベルでフサフサになる父や兄と違い、レンドルフはひと月放置したとしても殆どツルリとしているのだ。そのせいか、髪型も含めて自身に気を配ることはあまり考えてなかった。
キャシーからすると、自分で髪を切るのは平民でも理髪店に行けない程貧しい場合が大半だと知っているので、いくら貴族らしからぬレンドルフとは言えさせる訳には行かなかった。それに、今まで髪を切ったことがないのに、いきなり切らせてしまう不安もあったのだ。
理髪師の手配はキャシーに任せて、明日は討伐は休みになったことと、昼過ぎから出掛けて夕食は必要ないことなど予定を告げ、レンドルフは自室へ戻った。
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寝室とは扉で繋がっている書斎のような部屋で、レンドルフはクロヴァス家のタウンハウスの執事に手紙を書く。
明日は剣と装備を修理に出したいので、職人の手配を依頼しておいた。こちらの別荘にも予備の物を持参してはいるが、こんなに早く修理に出すことになると思わなかったので、もう一つ追加で持って来ていた方がいいかもしれない。そう思い、装備を一揃え追加したい旨も書き加える。何せ体格が規格外のレンドルフなので、身につける物は早め早めに準備しておかなくてはならない。
基本的に貴族は身につける物はオーダーメイドではあるが、レンドルフの場合は下手をすると素材自体が不足する可能性もある。服ならともかく、装備に関しては簡単に別物で代用と言う訳には行かないのだ。
全てを書き終えて伝書鳥で手紙を飛ばすと、やはり疲れていたのか眠気が押し寄せて来る。このままだと机に向かった状態で居眠りしてしまいそうだ。
レンドルフは欠伸を一つすると、明日の準備は後回しにして早々にベッドに潜り込むことにした。
瞼を閉じると、その裏に今日の出来事の様々が浮かんでは消えて行った。
その大半がユリのことであり、服を脱がされかけたり押し倒されそうになったことも浮かんで来たが、幸いなことにそれを思い出して悶々とする暇もない程急速にレンドルフは眠りの中に引き込まれて行ったのだった。
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いつもの時間に目が覚めたレンドルフは、すっかり疲れが取れていることを確認した。念の為、あちこち体を伸ばして見たが、特に違和感はなかったので、予備の剣を携えて日課の朝の鍛錬の為に庭に出る。
「あ、おはようございまーす」
「お早う」
庭に出ると、もう庭師のニルスが篭を小脇に抱えて生け垣の手入れをしていた。篭の中には小さな葉が摘み取られて半分くらいの量が溜まっていた。
「あのう、ご主人様」
「ん?」
レンドルフが鍛錬をしようと、元は畑に使われていたらしい土が剥き出しになっている裏手へ向かうためニルスの脇を通り過ぎかけると、少し遠慮がちに声を掛けられた。
「今日、理髪師を屋敷に呼ぶと伺いましたが…」
「ああ、キャシーが手配してくれると言っていたが」
「あの、それ、僕がやっちゃ駄目ですかね?」
「君…ええと、ニルス、だったかな。君が髪を?」
「はい!僕、理髪師の資格も持ってるんで、良かったら!」
「そうなのか?」
ニルスが言うには、元は吟遊詩人の師匠に付いて多くの弟子達と各地を渡り歩く生活をしていたのだが、その弟子達に様々な前職持ちがいて、色々と教わったそうだ。何せ弟子はまだ芸だけで食べて行くことは出来ず、自分の生活費は自分でどうにかしなければならなかった。その為、自然と弟子達も手に職を持っている者か、実家が資産持ちの者ばかりになっていた。ニルスは人当たりの良さと器用さを遺憾なく発揮して、ちゃっかり弟子仲間から教わって多くの技術を身に付け、しっかり資格まで取得していたのだ。
おかげで吟遊詩人の師匠から破門されて追い出された後、食いつなぐのには苦労しなかったとニルスは笑いながら言った。
「ほんの少し焦がした前髪を切ってもらうだけなんだが…」
「だったら尚のこと僕に任せてくださいよ。ちょっとキャシーさんに許可貰って来ますね!」
レンドルフの返答の前にパッと屋敷に行ってしまったニルスを見て、レンドルフはふと近衛騎士団にいた一番若い後輩を思い出した。彼もニルスのように元気ですぐに行動するタイプだった。それでも落ち着きがないようには見えず、周囲を明るくするような才があった。その辺りはニルスとよく似ている。
彼はどうしているだろうか、とぼんやりと考えていると、ニルスが小走りに片手にシーツのような布と小ぶりな鞄を抱え、もう片方の手には小さな踏み台のようなものを持って戻って来た。
「許可貰って来ました!早速始めましょう!」
「今ここで?」
「はい!ご主人様、これから朝の鍛錬ですよね?汗掻くと切った髪が顔に貼り付くので、乾いてるうちにやっちゃいましょう」
「確かにその通りだな」
ニルスの言い分に納得して、レンドルフは勧められるままに芝生の上に設置された踏み台の上に腰を下ろした。低い台なので、背の高いレンドルフは半ば膝を抱える格好に近い状態になってしまう。
「すみません。ご主人様、背が高いので、そこにあるベンチだと位置が高過ぎちゃうんで。すぐに終わらせるようにしますね」
レンドルフが窮屈そうにしているのにすぐに気付いたのだろう。確かに平均よりも少し小柄なニルスでは、普通の椅子や傍らにあるベンチに座ったレンドルフの頭の位置では、おそらく高過ぎて作業し辛いだろう。
「あ、あの、首のチョーカーを念の為外していいですか?大丈夫ですけど、万一傷付けるのも嫌ですし」
「ああ、頼むよ」
ユリと交換したチョーカーなので、レンドルフとしても万一にも傷は付けたくない。ニルスに外してもらって、少し離れたところにあるベンチの上に置いてもらった。
「じゃ、ちょっと失礼しますねー」
ニルスはそう言って、レンドルフの首に持って来ていたタオルを軽く巻き付けて、その上から大きなシーツのような布を掛けて体全体を覆うようにした。どこから持って来たのか、レンドルフの大きな体も座っている足元まですっぽりと包まれる。
「ああ、ここですね。ここだけ切るとバランス悪くなるんで、少し全体的に短くしていいですか?」
「任せるよ」
焦げた側の前髪に触れたニルスが確認をして来たので、レンドルフがあっさりと承諾すると、聞いた側の彼がビックリしたような顔で見つめ返して来た。
「あの…僕から言っておいてなんですけど、もう少し拘りとか、注文とか、そういうのは…」
「ああ…ずっと同じところに任せきりだったのでそういうのはないんだ。邪魔にならなければいいかと思っているくらいで」
「そうなんですか!?勿体無いなあ。じゃあ折角なんで、全体的に短くして、襟足をもっとスッキリしちゃいますね」
「ああ」
「お任せください!旦那様の素材を更に引き立たせてみせます!」
レンドルフは一瞬、今の栗色に合わせてもらったら本来の自分の髪色にした時に違和感があるのではないかと思ったが、どうせ数ヶ月もすれば伸びるのだから構わないかと思い直す。もし違和感があるのなら前髪を上げて固めてしまえばいいだろう。
基本的に拘りのないレンドルフは、そんなことを考えていた。
ニルスは持って来た鞄の中から布に包んだハサミや櫛を取り出す。ハサミも何種類もあって、かなり本格的だ。ニルスはレンドルフの髪を櫛で整えつつサクサクと切りはじめた。確かに資格を持っている人間らしく、その手際は迷いがないように感じられた。もっとも理髪店のように鏡がなく野外で切っているので、どうなっているかは全く想像もつかないのではあるが。
興が乗って来たのか、ニルスはレンドルフの髪を切りながら鼻歌を歌っていた。その気持ち良さそうなハミングを耳元で聞きながら、レンドルフはニルスが先程吟遊詩人の師匠から破門になって追い出されたと言っていたが、それについては追求しない方がいいのだろうな…、と個性的な音程に耳を傾けながら思っていた。
本当は、興行先で天然人たらしなニルスが次々と女の子を落として行くので師匠に嫉妬されたのが理由であるのだが、レンドルフは敢えて詳しい理由を聞こうとしなかったので、この先長らくニルスはレンドルフに破門になった理由を誤解されたままになるのだった。
まさかのニルス音痴疑惑。