56.騎士の誓い
サギヨシ鳥を仕留めて肉をミキタのところに預けて来た話をすると、タイキは目を輝かせてすぐにでも食べたそうな顔になっていたが、ミスキに「お前は今日はパン粥!」と怒られて涙目になっていた。すっかり回復しているようだが、一応今日までは大事を取っているらしい。しかし、そう厳しいことを言いつつ、ミスキもタイキに付き合って今日の夕食は同じパン粥であるらしいので、結局は弟には甘いのだろう。
レンドルフとユリは、遅くならないうちにと、彼らの拠点を後にした。明日は夕方の食事会までは特に予定はないので、自由に過ごして大丈夫ということだった。
「ユリさんはまたギルド前の巡回馬車の乗り場までで大丈夫?」
「あ、ええと…討伐期間中は、貸し馬車をエイスの門の前に手配してもらうことになったから」
「…昨日何かあった?」
すっかり暗くなっているので当然のように送るつもりでレンドルフが聞くと、ユリはそう返して来た。昨日の帰り道で色々考えた末に、安全且つレンドルフに分からないようにごまかす策だったのだが、すぐにレンドルフには昨日の帰りに何かあったのではないかと勘付かれて、彼の眉間に皺が寄った。
「……ちょっとだけ気になることがあってね。あ!何かあった訳じゃないのよ。でも一応用心だけはしとこうかと思ったの」
「それならいいけど。気を付け過ぎることはないだろうから」
レンドルフは、ノルドの鼻先を街の門の方に向けた。
「レンさんは、明日は何かする予定はある?」
「急な休みだから特に決めてないけど…ああ、剣の先が少し欠けたから修理に出しに行かないと。ついでにこの装備も焦げたから一緒に直しに行って来るよ」
「替えはあるの?」
「それは勿論。でも予備の方は久しぶりに使うから少し鍛錬しておかないと」
「疲れは大丈夫?結構大きな怪我してたじゃない」
「一晩眠れば回復するよ。見ての通り体は丈夫だから」
「無理はしないでね」
心配そうに見上げて来るユリに、レンドルフは安心させるように微笑んだ。そうやって真っ直ぐに見上げる彼女の独特の金の虹彩は、夜になってもあまり色が変化していないように見えた。日の光とは違う街灯の色が反射しても、瞳の奥が淡く発光しているような輝きを保っている。
「ユリさんこそ、ちゃんと休んだ方がいいよ」
「え?」
「あの花の研究に夢中になりそうだったから。俺の心配より、自分の心配をした方がいいかと思って」
「……バレてた」
「やっぱり」
レンドルフもジギスの花の効能は知っていたし、それで助かる人が多くいることも分かっている。そしてユリの反応からするとあの花は余程特別なのだろう。しかし色々な出来事が起こって、緊張感が絶えない一日ではあったのだ。明日が休みならば、尚のこと今日は休むことが最善だろう。
「気持ちは分からなくもないけど、ユリさんも疲れてるだろうし」
「う…うん。そうします…」
「じゃあ今日は二人ともちゃんと早く寝るって誓いの交換しようか」
「えと…誓いの交換って…」
「あ、これ、騎士同士のヤツか。ユリさん知らないよね。じゃあ他に…」
「どんなのか知りたい!教えて!」
どこから始まったのかは不明だが、騎士科の学生同士でちょっとした約束を交わす時にしている仕草があった。それはそのまま卒業後に騎士団に入団した者にも通用するので、貴族出身の騎士の中では大抵通じる。学園に通っていない平民出身の騎士にもその話は伝わるので、王城の騎士達はほぼ知っていると言っていいだろう。特に強制力も罰則もないものではあるが、騎士の誓いに見立てているので何となく心境として守らねば行けないような気にさせられるので、それなりに効力があった。
予想以上にユリの食い付きが良かったので、レンドルフは少々驚きもしたが、少し道の端に寄って立ち止まって教えることにした。
「利き手の人差し指をこう…剣に見立てて、相手と交差させる」
「こう?」
レンドルフが右手の人差し指を立ててユリの方に差し出すと、ユリも真似をして指を差し出す。その指同士を軽く触れ合わせるようにしてクロスさせる形にする。ユリの小さな手は指の長さも短いので、レンドルフの小指くらいの長さしかなさそうだった。これを剣に見立てるとしたら、長剣と短剣のようだ。
「こうしたまま、約束とか誓いとかを互いに口にするんだ。今回だと『今夜は早く寝ると誓います』って」
「今夜は早く寝ると誓います」
「そうしたら、自分の指で相手の肩に触れる」
レンドルフが触れるか触れないか程度にチョイ、とユリの肩の辺りに人差し指を乗せた。着込んでいる装備の肩当てに僅かに触れているだけなので、ユリからするとレンドルフの指の感覚は全くなかった。レンドルフも同じ騎士同士なら互いにしっかりと肩を叩くようにしているのだが、さすがにユリ相手に同じようには出来ない。
「同じように返して」
レンドルフは身長差から届かないユリに向かって、かがみ込むようにして肩を差し出した。ユリも教えられた通りにそっとレンドルフの肩に指を乗せる。
「これでおしまい。騎士の誓いにちょっと似てるから、騎士同士でやると割と守らなきゃって気分になるんだよね」
「なるほどねえ。確かに騎士の誓いに似てるわ。ふふ…でもさすがに手首に誓約紋は付かないわね」
「これで付いたら大変だ」
騎士の誓いは、主人に自らの剣を捧げて、主人がその剣を受け取って騎士の肩に当てて忠誠の誓約を述べる儀式だ。レンドルフも正騎士の資格を得た際に、国に忠誠を誓う為に国王に剣を捧げている。これは国内の全ての正騎士が行う儀式だ。正騎士の資格はないものの騎士団に入団した者は、出生地の領主と行うとされている。とは言え、出生地が遠方であったりする者も多数存在する為、儀式自体省略されることも多い。その為、王に剣を捧げる儀式は騎士を目指す者達の中では憧れの対象でもあった。
更に個人同士で強い忠誠を望む場合、神殿で魔法の付与の誓約書を作成してもらって魂からの誓いを刻む特別な儀式が存在する。その場合、互いの手首に同じ柄の誓約紋が浮かび上がる。魂からの誓いと言ってもそれほどの強い魔法ではないので、実際は解消も上書きも難しいものではない。しかし騎士そのものの在り方と矜持を掛けたものであるので、慣習としては重要視されている。
かつて正騎士の資格を取る前に、自分の婚約者に誓いを立てて誓約紋を刻んだ見習い騎士がいた。国や国王に忠誠を誓う前に、より上の誓約を他の者と結ぶのは不敬に当たるのではないかと議論されたことがあったが、当時の国王がそれを認めた例があった。後にその騎士は騎士団長にまで上り詰め、国に多大なる功績を残した。それだけの功績は、その時に不敬に問わなかったことへの国王への感謝が原動力であったと言われている。
「この誓い、もし守れなかったらどうなるの?」
「うーん、大体この誓いを立てる時は守ることが前提だからなあ…じゃあ、守れなかったら、明日のもも肉のクリーム煮を肉なしにする、ってのはどうかな」
「レンさん、それは私に不利じゃない!?」
「誓いを守ればいいだけだよ?」
「ううう…」
守ったかどうかは自己申告なものなので、実際ユリがそれを言わなければ分からないのだが、やはり言葉に出して誓ってしまった以上は嘘を吐くのは罪悪感がある。しばらくユリは困ったように唸っていたが、やがて「分かった…早く寝ます」と渋々呟いていた。
もも肉のクリーム煮は思ったより偉大だった。
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街の出入口になる門を抜けるとすぐに、一台の小さな馬車が側に停まった。飾り気のない簡素な馬車ではあるが、走って来る様子から随分静かで安定性が優れているようだ。見た目よりもはるかに性能が良いものだとレンドルフは判断する。馬車の扉には有名な貸し馬車業の紋が入っていた。これは朝にユリが乗って来たのと同じだったことに気付く。
「この馬車?」
「うん。送ってくれてありがとう。レンさんも気を付けて戻ってね」
「ユリさんも気を付けて」
レンドルフが持っていた荷物の中から採取した水の入った瓶をユリの許可を得て彼女の荷物の中に入れると、重たいので彼女には手渡さずにそのまま直接馬車の中にサッと積み込んだ。
「ありがとう」
「どういたしまして」
「また明日ね」
レンドルフが差し伸べた手に捕まってユリが乗り込むと、そっと扉を閉めた。馬車に付いている窓のカーテンを開けて、中からユリが手を振っていたのでレンドルフも軽く振り返す。そしてレンドルフが馬車から離れたのを見計らって、馭者の男がペコリと一礼して走り去って行った。
それを見送ってから、レンドルフがノルドに騎乗して帰り道の方向を示した。が、何故かノルドはその場を離れ難そうにウロウロとし始めた。
「ノルド?どうした具合でも悪いのか?」
一旦ノルドから降りてレンドルフは顔を覗き込んだ。表情の豊かなノルドは、少し瞳を潤ませて何かを切実に訴えているような顔をしていた。
「腹が減ってるのか?戻ればすぐに…」
レンドルフはそう言いかけて、ふと思い当たることがあって言葉を切る。そして難しい顔でポツリと呟いた。
「カーエの葉」
次の瞬間、まるでパアァ!と音がしそうな感じでノルドの表情が明るくなった。その分かりやすさにレンドルフは思わず額に手を当てる。
「…今日は色々あったからな。今日だけだぞ」
仕方なく一旦出た門の中に「忘れ物をしたので」と言って引き返して、いつも利用していた馬の預かりどころに顔を出した。さすがに夜なので受付は大人の男性が担当している。スレイプニルもレンドルフ自身も目立つので、先程通過して行ったばかりなのに再びやって来たことに不思議そうな顔をしていた。
理由を話して数枚の銅貨を渡すと、快く裏に回ってカーエの葉を持って来てくれた。ノルドは既に待ち切れないと言う風にソワソワしている。
「あのぅ…私も一枚だけ差し上げてもよろしいでしょうか…」
聞くと男性は以前からノルドを遠くから見ていたそうなのだが、なかなか勤務時間と餌の時間が合わなくて一度餌を食べさせてみたいと思っていたそうだ。彼は大の馬好きで、スレイプニルにもずっと憧れを抱いていたらしい。
レンドルフが承諾すると、彼はまるで憧れの役者にでも逢ったかのように頬を紅潮させ、キラキラした目でそっとカーエの葉をノルドに差し出した。いつもなら躊躇いなくパクリと食べるのだが、何故か優雅に唇の端を彼の指先に触れるように上品に指から抜き取った。その仕草を見て、彼の目がより一層輝いてもはや潤んでいる。
「ありがとうございます!一生手は洗いません!!」
「あの…また来ますから、洗って下さい」
すっかり感激した様子の男性に礼を言って、レンドルフはその場を辞した。彼はその後ろ姿が見えなくなるまで見送ってくれた。
「……お前、そういうの、どこで覚えて来るんだ」
すっかり大好物になったカーエの葉を貰ってご機嫌なノルドを見て、レンドルフはますます中に人が入っているのではないか疑惑を深めたのだった。
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パナケア子爵別荘へ戻って、レンドルフは夕食の前に体の汚れを落とす為に浴室へ向かった。
鏡を覗いて改めて客観的に全身を眺めると、帰宅した際にキャシーをはじめ出迎えてくれた使用人達が一瞬息を呑んだ理由が分かった。身に付けていた革の装備が、半分以上黒く焦げていたのだ。浄化はしてもらっているが、さすがに焦げた部分を直すことは出来ない。様々な付与で防御力を高めてあるので致命傷は避けられただろうが、この焦げ具合からすると装備の下の体も全くの無傷では済まなかっただろう。あの時は殆ど痛みを自覚していなかったので、どれだけ興奮状態であったのかがよく分かった。ステノスに回復薬を勧められた訳である。
装備を外して、ボタンの殆ど無くなったシャツを脱ぐ。魔石に自分の魔力を蓄えたボタンはクロヴァス家のタウンハウスに在庫は十分用意しているが、このシャツはさすがに廃棄すべきだろう。装備だけでは防ぎ切れなかった左袖が半分焼け落ちてしまっている。幾つかボタンは残っているので、装備品と共にタウンハウスに持って行って処理してもらおうとランドリーバッグには入れずに別の袋にまとめて置く。
全ての身に付けているものを外して、足に装着していた変装の魔道具も停止させて鏡の前に置いた。
元の髪色に戻ったレンドルフは、焦げてしまった髪を確認した。薄紅色の髪だと、耳に掛かる前髪の一部が焦げて茶色くなって縮れているのがよく分かった。眉も鏡に近付いて眺めてみたが、ほんの僅かに無くなっているだけだったので、顔の印象はそこまで変わっていないことにホッとした。
そうやって安堵したことに気付いて、レンドルフは思わず苦笑していた。
かつてあまりにも顔立ちと体型の不釣り合いさを揶揄され過ぎることにほとほと嫌気がさして、いっそ回復薬でも無理な程に顔の形が変わるような大怪我でもしてしまえば、騎士としての箔が付くのではないかと一時思い悩んだことさえあったのだ。その自分がごく自然に顔の印象が変わってないことに安堵したのが、何だかおかしくなったのだ。
幼い頃から母親に似て優美な顔立ちと可愛らしい色合いの髪。体が大きくなってからは自分でも違和感があったこの姿を、凛として美しく神のいる場所に咲く花のようだとユリに言われた時からだろうか。少しだけそれを誇らしいと思えた瞬間から、胸の奥に僅かに詰まっていた何かが溶けて、息をするのが楽になった気がした。
温かな湯を浴びてようやく体がほぐれて来たのか、髪を洗っている最中に腹がグゥ、と鳴った。よく考えたら、朝に作ってもらった軽食を昼頃にユリとステノスと分け合って食べたきりだった。
レンドルフは急いで全身を洗い清めて、身支度をして食堂へ降りて行ったのだった。