560.百花祭の前に
今回は二人のほのぼの回です。不穏はないです。
「ごめんね、やっぱり用心の為に屋台は駄目だって」
「仕方ないよ、この前まで大変な目に遭ってたんだから。アレクサンダーさんの気持ちは分かるよ」
「でも…」
「それに、ランタンは一緒に見られるから十分だよ」
「ん…ありがと」
レンドルフと百花祭に出掛ける約束をしたものの、やはり不特定多数の手を介している屋台での食事はユリの安全の為に許可は出来ないとレンザから申し渡されてしまった。ただ、あまりにも落胆していたユリに気を遣ってくれたのかくれたのか、昨年のエイスの森の定期討伐に参加したレンドルフが一時的に使用していた大公家別邸の離れを特別に開放してくれることになった。
レンドルフには、アスクレティ大公家の寄子であるパナケア子爵家の別荘だと言ってある上に、大公家当主レンザのことはパナケア子爵の執事「アレクサンダー」だと思わせている。当時はユリと大公家の繋がりを知られて擦り寄られるのを防ぐ為にひと芝居打ったのだが、それは未だに続いているのだ。
「でもわざわざ開けてくれるんだよね?今度の休みに俺が掃除に行こうか?」
「だ、大丈夫よ!専門の人に頼むって言ってたから」
「何だか悪いな」
「ほら、使ってなくてもたまに手入れしないと痛むから。ちょうどその時期だっておじい様も言ってたし」
「そう?それでもちゃんとお礼がしたいから、何か欲しいものがあったら聞いておいてもらえるかな」
「うん、分かった、聞いておくね」
本当ならば、レンドルフと明るいうちから祭の為の花飾りを一緒に見て回るつもりだった。そして屋台などを巡りつつ、祭の最後に行われる空にランタンを放つ時間までを過ごす気でいたのだ。けれどユリのことを心配しているレンザの言うことが尤もなのも理解出来てしまう。幸いにもレンドルフは全く気を悪くした様子もなく、懐かしい場所に行けると喜んでくれたのだった。
------------------------------------------------------------------------------------
「ああ、やっぱり花柄の服が多いね」
「うん。レンさんはどれが良いと思う?」
「ええと…どれもユリさんに似合う、けど」
今日はユリが百花祭の前に着て行く服を見たいということで、お互いに休みを合わせてエイスの街の大型商店に連れ立って来ていた。春を祝う祭でもあるので、花をモチーフにした商品がズラリと並んでいる。特に女性用の服売り場は、一足先に満開の花園のようだった。
「見立ててもらったら嬉しいな」
「俺に!?それはちょっとどうなんだろう…」
ユリに言われて、レンドルフは急に汗が出て来たような気がした。何せユリと出掛けるようになってからマシになったものの、それはほぼユリが見立ててくれたものだからだ。自分基準で選ぶとなると、まず体が入るものが最優先という非常に残念なチョイスになるのだ。それに自分ならともかく、ユリに迂闊な恰好をさせる訳にはいかない。
頑張って周囲を見回すものの一向に視点が定まらない様子のレンドルフに、側に付いていた女性店員がさり気なくユリの後ろからヒラヒラと何枚かの服を振って見せた。
「あ!あの、服とか、どうかな…その、グレーの」
「あれ?わあ、生地がステキね!」
「ご試着なさいますか?」
「是非!」
どうやら正解だったようで、レンドルフは試着の為にハンガーから外している女性店員に視線だけで感謝の意を表した。彼女の方も「分かってます」と軽く頷いてみせた。
試着室で持って来てもらったグレーのワンピースに着替えたものの、やはり小柄なユリは裾を引きずってしまう。けれど丈さえ直せば、なかなか上品な雰囲気のワンピースだった。柔らかなグレーにピンクの小花が全体に散っている生地で、光沢としっとりとした程良いトロみがあって、細かいドレープが美しく見える。フレンチスリーブに裾の切り返しが少々幼いデザインに思えるが、生地のおかげで大人っぽさのバランスが良い。特に少し重さのある生地は体に添いやすく、胸に取られて生地が体から浮くと太って見えるが、ぴったりし過ぎでも品がなくなってしまうユリの体型にはちょうど良い具合だった。
「レンさん、どうかな?」
裾が長いのは仕方ないので両手でスカート部分を摘むようにして試着室から出ると、レンドルフはニコニコしながら「すごく可愛いよ!」と即答してくれた。もうそれだけでユリの中では確実にお買い上げが確定した。
「ああ、でも祭は夜だから、寒くないかな?」
「あ、そっか。じゃあ何か羽織るもの…どれがいい?」
「え!?そ、それも?え…ええと…」
レンドルフは困って、一番はじめに目に付いた無難な紺色のボレロを軽く摘んだ。試しにユリが肩に掛けてくれたが、少し太めの糸で幾何学模様に編まれたボレロは上品な作りではあったが、グレーのワンピースと組み合わせると何故か祖母が着るような地味なものに早変わりした。どちらも悪いものではなかったのに、どうしてこうなったとレンドルフは心の中で叫んでいた。
「こちらですと防寒には向きませんので、こういったものの方がよろしいかと存じます」
ユリが姿見の方を向く前に、女性店員がすかさず濃い薔薇色のボレロをサッと上から重ねた。おかげで地味な雰囲気は隠されて、一気に華やかな雰囲気になった。鏡を見たユリも「確かにそうかも」と頷いていた。そのありがたいフォローに、レンドルフは今日はユリが試着した服は自分が全部買い求めようと心に決めたのだった。
その後、たとえどんな地味に見えてもレンドルフが選んでくれた紺色のボレロもユリは購入する気だったので、女性店員のアドバイスでそれに合う服を選んでもらった。
「あ、これなら胸が目立たないですね」
彼女に勧めてもらった白のリボンタイの付いたブラウスに、ハイウエストのマーメイドラインのピンクのスカートは、一見ユリの胸を強調してしまうデザインだったが、ボレロを纏った途端に清楚で知的な雰囲気に様変わりした。縦のラインが目立つ幾何学模様のおかげで、スラリとして見えるのもあるだろう。試着室から出てレンドルフに見てもらったところ、こちらも即答で「すごく可愛い」と絶賛してもらったのですっかりユリはご機嫌になっていた。
「レンさん、あともう少し試してもいい?」
「いくらでも、好きなだけ付き合うよ」
「でもレンさん、疲れない?」
「全然。見てるだけで楽しいよ」
「そ、そう?じゃあ、あと一着だけ…」
実際、レンドルフとしてはユリがウキウキと服を選んでいる姿を見るのが楽しかったので素直に答えたのだが、あまりにも素直過ぎてユリの方が少し戸惑ってしまった。
最後にユリが試着室に持ち込んだのは、淡い緑色のイブニングドレスだった。少しだけくすんだ黄色みを帯びていて、レンドルフの瞳の色を連想させた。以前にレンドルフに贈ってもらったワンピースの方がよりそっくりだったが、あれは冬用のものだ。こちらは暖かい季節向けなので、レンドルフの深みのある虹彩周辺の色味とは異なるが、その分軽やかな印象だ。デザインとしては胸元が大きく開いて袖がない形のものだが、肌の露出部分は同色のレースで覆われている。細かいレースなので、肌が透けているという感じはないので、ユリとしても安心して着られるものだった。
「……でも、ちょっと地味かしらね」
シンプルなデザインなので、装飾は殆ど付いていない。片方の膝の辺りから歩きやすいようにスリットが入って、歩く度に揺れるように細かいダーツが入っているが、それ以外は緩やかに体に添った形になっている。夜会などの光量の多い場所ならば、髪とメイクを整えて上質な宝飾品を纏うだけでユリならば十分人目を惹くだろう。けれど祭の最後に合わせて飛ばされるランタンを眺めるのは暗い場所になるので、些か地味に見えてしまう。
「百花祭で着られるご予定ですか?」
「そうなの。あの…ランタンを一緒に眺めようって誘われて」
ユリがほんのりと頬を染めて喜びを隠せない様子で呟いた瞬間、試着室で着替えを手伝っていた女性店員の目がギラリと光った。
「少々お待ちください。とっておきの品がございます!」
彼女はそう言い残すと、目にも留まらぬ早さで試着室を出て行き、出た時と同じ勢いですぐに両手にカラフルな塊を抱えて戻って来た。見ると布製の花束のようなものだった。
「こちら、新作のストールになります!」
そう言って満面の笑顔で、彼女は手にした花束を広げて見せたのだった。
------------------------------------------------------------------------------------
ユリもレンドルフも全く知らなかったのだが、百花祭の最終日のランタンを空に放つイベントで、意中の相手に告白をしたり求婚をしたりすることが一般的だと言われていた。いつから始まったことか分からないが、空に飛ばすランタンに願いを込めて祈ると神の眷属に届いて叶うという言い伝えがある。その夜に想いが叶った恋人達が、互いの幸福な未来を祈って飛ばすのだ。
この女性店員は、仲睦まじげに手を繋いで現れたユリとレンドルフを婚約者同士だと判断した。二人とも互いの瞳の色にそっくりな指輪を嵌めていたし、レンドルフのユリを見つめる目が甘くて優しげだった。そんな様子の彼からランタンを見ようと誘われたと言うのなら、これは間違いなく求婚をする気なのだと察したのだ。
傍から見ていると大抵の人はそう思うのだが、残念なことに当人達はそのことに一切気付いていないのだった。
------------------------------------------------------------------------------------
「わあ、綺麗ね」
「こちら、まだ若いデザイナーですが腕前は確かです。こちらは一点ものになりますので、特別な日に纏うのに相応しい品かと」
広げたストールは、布で立体的に作られた花のモチーフが縫い付けられていた。モスグリーンの布地に、ピンクやオレンジの花が一見不規則に、しかし遠目で見ると美しいグラデーションになっていると分かる。そして生地の一番端は黒に近い赤の花になり、縁には金色の刺繍が施されている。一歩間違えば派手派手しい色になりそうだが、全体的にスモーキーな色味の生地が選ばれているのでそれが統一感を産んでいる。
女性店員がそれをごく簡単にユリの腰に巻き付けると、たったそれだけで実に華やかなドレスが誕生していた。立体的な飾りのストールなので、ただ巻き付けただけの方がよく映えるようだ。足元が豪華になった分、上半身のシンプルさが標準よりも大分サイズの大きな胸元なユリのスタイルを目立たなくしているような気もした。
「すごく素敵…」
「よくお似合いです。巻き方で長さの調整も出来ますので、どんな高さのヒールにも合わせやすいと思います」
「そうね」
今回は落ち着いた場所でレンドルフとゆっくりと過ごすのだから、いつもよりも少し高いヒールを履くのもいいかもしれない、と思いながらユリはレンドルフに見せようと試着室を出た。
試着室から出ると、レンドルフは少し離れたところで背を向けてリボンを眺めていた。そう言えば試着室から出るといつも背を向けていたことにユリは気付いて、それがレンドルフの気配りなのだと分かって少しくすぐったいような気分になる。
「レンさん、どう?」
「…っ!」
ユリに声を掛けられてすぐに振り返ったが、何故かレンドルフは硬直したように動きを止めた。てっきり先程のようにすぐに感想を言ってくれるものだと思ったので、何か見えてはいけないものでも見えているのだろうかと慌てて自分の姿を見下ろす。しかし特に妙なところは見当たらないし、あれば試着室から出る前に店員が声を掛けてくれるだろう。
それでは何かレンドルフに気に入らない要素でもあったのだろうかと、ユリは急に不安になって困ったような顔でレンドルフを見上げた。
「あ…!その!いや…いきなり、綺麗、だったから」
「え…」
「さっきまで可愛かったのに、急にすごく綺麗なユリさんが出て来たから、ビックリして!」
「ええと…」
ユリの表情で察したのか、レンドルフは大慌てでユリに近寄るとアタフタと説明をしだした。その顔は既に真っ赤になっていて、それでも何度も「綺麗だ」と声に出して繰り返している。そんな様子のレンドルフに最初はユリはキョトンとしていたのだが、やがて浴びる程の褒め言葉にユリの顔も赤くなって行った。
その二人の姿を少し離れたところで見守っていた女性店員は、静かな接客用の笑みを浮かべていたのだが、その内心では両手で拳を握りしめて空に突き出しながら快哉を上げている心境になっていたのだった。