閑話.コールイ・シオシャ
大変重い話です。
断種や不妊処置に関するエピソードが含まれます。ご注意ください。
コールイが「英雄」と呼ばれる前は「黒の断罪者」と社交界では囁かれていた。
シオシャ公爵家は、王家の血を守る傍系王族として王子の一人が臣籍降下して興った家門だ。その後幾度となく王族を伴侶に迎え、臣下の中では最も王族の血が濃いと言われていた。その為、王家直系によく出る金の髪と淡い紫の瞳の色を持つ者も多く見られ、コールイの父はまさに正しい王家の色を持っていることを誇りとしていた。
そんな中、当主の嫡男であるコールイは、黒髪黒目で生まれた。
コールイの母は、シオシャ家程ではないにしろやはり王家の血を引く侯爵家の令嬢で、赤みがかった金髪に赤が強い紫の目をしていた。
当初は、どちらの一族にも血縁に黒髪、或いは黒目もいなかったことから夫人の不貞が疑われたが、夫人自ら血縁鑑定を申し出て、コールイは間違いなくシオシャ夫妻の子であるとの結果が出た。コールイの父は、いっそ不貞の子か、或いは取り違えられてどちらとも血縁がないという結果を期待していたが、それは叶わなかった。
『血の繋がりがなければ、始末出来たものを』
王家の色を持つことを誇りにしていた父は、コールイとの血の繋がりを嫌悪して当人の目の前でも隠すことなく舌打ちと共に幾度もそう言い放った。けれど公爵家でも、鑑定結果を覆すことは不可能だった。そこで彼は可能な限り、誰が原因で穢れた色が生まれたのか、責任を追及しようとした。そして、妻の実家である侯爵家の先々代当主夫人、コールイからすると曾祖母にあたる人物が、どうやら不貞をしていたということが判明したのだった。
ただそれが判明した時には彼女はとうに亡くなっており、記録には実家から連れて来ていた護衛騎士が黒髪黒目だったと記載されていたことくらいしか分からなかった。その騎士は孤児から腕を買われて成り上がった者で生涯独身を通したらしいが、本当に不貞相手だったのかはやはり亡くなっていた為に確証はない。
ただ分かったことは、鑑定の結果王家の血筋である筈の侯爵家の正当な血統は、既に途切れていたことだけだった。彼女もまさか子や孫の代で出なかった不貞の証拠が、曾孫に現れるとは夢にも思わなかったのだろう。
その事実にシオシャ家当主の怒りは苛烈を極め、妻の実家であっても容赦なく侯爵家を叩き潰した。しかし実家も失い何も知らなかった妻をそのまま捨てるには外聞が悪いと、立場だけはそのままにして病気を理由に幽閉後、然るべき家門から第二夫人を迎えた。
やがて第二夫人との間に王家の色を継いだ異母弟が生まれ、コールイの周辺は急速に血なまぐさい出来事が増え始めた。その目的は誰が見ても明らかであったが、公爵家でありオベリス王国の矛と名高いシオシャ家に逆らえる者はいなかった。
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「このお茶、茶葉の量を間違ったか?」
「コールイ様…」
本来は七歳になると魔法を使うことが許されて教師がつくのだが、それよりも早い段階で闇属性の魔力が発現したコールイは、数少ない闇属性の教師から教えを請う為にアスクレティ大公家に通っていた。大公家嫡男のレンザが偶然にも同じ闇属性だったので、一緒に魔法の授業を受けていたのだ。アスクレティ大公家は、王家に次ぐ地位の家門でありながら王家に阿ることはない一族だ。王家側にいるシオシャ家からすると虫が好かない相手でもあった。
その為コールイは、父からどんな些細なことでもいいから、大公家に一矢報いれるような弱みを掴んで来いと厳命されていた。
その大公家では授業の合間に軽食が提供される。一緒に紅茶も出されるのだが、一口飲んでコールイは顔を顰めた。その紅茶は赤みがかった美しい水色をしているのに、見た目に反して舌が渋れる程に苦かったのだ。一瞬毒かという考えが頭をよぎったが、貴族の常識でもある解毒の装身具は身に着けているので、毒ならば分解されて無味無臭になる。味がするということは、単純に不味いということなのだろう。
思わず口に出してしまったコールイに、教師は眉を下げて残念そうな顔になった。そして正面に座って平然と同じポットで淹れた紅茶を飲んでいるレンザに視線を向けた。
「それは解毒草の味だよ。体に蓄積された毒があれば反応する」
「解毒…そうか…」
「何だ、知っていたのか」
コールイよりも二つ年上だが、細身で童顔のレンザは同い年くらいに見える。しかしそれは外見だけで、彼の言動や物腰は大人の貴族と並んでも遜色がないくらいに洗練されていた。そのレンザがサラリと明かした事実にコールイはすぐに納得したように頷いたので、少しだけ彼が目を見開いた。その表情に、コールイはどこか薄い愉悦の感情を覚えた。
「君は、それでいいのか?」
「いいよ」
「…そうか。先生、授業の再開を」
「か、畏まりました」
そんな短いやり取りだったが、その後アスクレティ家に行くと供される紅茶はずっとひどく苦いものが出続け、コールイは何も言わずに飲み干す日々だった。レンザは何も言わなかったが、コールイも拒否をしなかった。その甲斐もあってか、コールイは確実に体調の良い日が増えていた。
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そんな頃、異母弟が落馬事故で幼い命を落とした。
幸いと言っていいのか、その事故が起こった時刻にはコールイは大公家で魔法の授業を受けていた為に疑いを向けられることはなかった。その代わりに、子を失った第二夫人の怒りと嘆きは夫である公爵に向かった。
彼女は、子が死んだのは苛烈なまでの貴族の範疇から逸脱した厳しい教育にあったのだ、と周囲に触れ回ったのだ。実際、武門の一族であったシオシャ家の教育は通常の貴族家よりも厳しいものであった為、文官の家系だった第二夫人にはそれが虐待に等しいと映ったのだろう。現に異母弟に比べて、コールイはまさしく死ぬかもしれないギリギリのところまでの厳しい課題や稽古を付けられていた。結果的に死んだとしても、シオシャ家に相応しいだけの能力がなかったと周囲に告げるつもりだったのだろう。だからコールイからすれば、異母弟の教育など生温いものだと思っていたが、世間ではそうではなかったらしい。
その事実も手伝って、次の子を断固拒否した第二夫人と離縁をして新たな妻を捜したのだが、子を殺される可能性が高い家に嫁ぐ令嬢は存在していなかった。爵位を下げるか高額な支度金をチラつかせて強引に嫁がせることも考えたが、そういった中に公爵が満足するような血筋の者は皆無だったのだ。
仕方なく彼はコールイを後継に据えて、必ず王女を降嫁させて少しでも血の濃さを取り戻すことに目的を切り換えた。そのおかげでコールイは常に命の危機を感じながら暮らしていた日々から、戸惑う程に丁重に扱われる生活に変わった。そして血を吐くような鍛錬もそこそこに、王城に出向いては王女に気に入られるようなアピールをして来いと茶会に放り込まれるようになった。しかしコールイと最も年の近い王女は10歳も年下で、王女の参加する茶会に強引に参加を捩じ込まされても年齢が違い過ぎて話が合う筈もなかった。
それに死の淵を覗くような実戦ばかりで鍛えられて来たコールイが、いきなり王女が気に入るような貴公子の行動を取れる筈もなく、常に茶会では護衛騎士に混じって外れたところで佇んでいるような状態だった。茶会に参加した王女と同じ年頃の子女の中には、コールイを騎士見習いだと思っていた者もいただろう。
「あの…くろきしさま?」
いつものように護衛騎士に近い壁際に立っていたコールイに、幼い令嬢がそう声を掛けて来た。柔らかなピンク色の髪に新緑を思わせる優しい色の瞳をした丸くふっくらした頬の令嬢は、まるで春の精霊の化身のようなチュールレースを重ねたクリーム色のドレスを纏っていた。真っ黒な髪に同じ色の目、そしてそれを更に強調する色の濃い服ばかりを着ていたコールイからすると、彼女は春の光そのもののように思えた。
「黒騎士、とは?」
「まあ!とってもすてきなきしさまなのよ?ごぞんじないかしら?」
「…申し訳ありません」
自分のイメージが黒い色なのはともかく、騎士の家門よりも厳しい鍛錬を付けられていたとは言え、コールイは騎士ではない。何故見知らぬ幼女にそう問いかけられたのか分からず、コールイは首を傾げた。それを聞いて彼女は、丸い目を更に大きく見開いて丸くすると、フンス、と鼻息荒く「黒騎士」についての説明を滔々と語り出した。
その内容は行きつ戻りつして、全く要領を得なかったが、取り敢えずコールイは物語の中に黒い鎧の騎士が出て来て、その容貌から「黒騎士」と呼ばれているらしいことだけはどうにか理解出来た。そして懸命に舌足らずな口調で説明している彼女は、その黒騎士とやらを非常に気に入っているということも分かった。
「ではまたね!くろきしさま!」
「はあ…」
彼女は一方的に喋って満足したらしく、コールイを勝手に黒騎士認定して去って行った。コールイはすっかり毒気を抜かれて、否定も肯定も出来ずにズンズンと大股に去って行く彼女の後ろ姿を見送ったのだった。
また、と言われたが彼女とはそれきり会うことはなく、10年以上の時を越えて再会して、妻として迎えることになるとはその時のコールイは夢にも思わなかったのだった。
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コールイがはっきりと「黒の断罪者」と囁かれるようになったのは、成人してすぐに父を追い落とすように公爵家を継いだ時からだった。
生まれて来た瞬間に母方の実家を潰す切っ掛けをもたらし、純粋な事故であった異母弟の死にも関わっていると勝手に周囲は嘯いた。そしてコールイの父である前公爵が追い落とされたのも、コールイが目論んだことだと憶測を呼んだ。
事実は前公爵が王女の降嫁に執着して、他国との縁談にしつこく横槍を入れて一度は破談にまでしたことで王家に疎ましく思われたことが原因だった。だが、そのことを知る者はほんの僅かな人間だけだ。その結果として、コールイは武力だけでなく権謀術数にも長けた存在と社交界で一目置かれる存在となっていた。
しかし実際は、まだ成人したてであったコールイは、当主の座に就く為の後ろ盾になって恩を売られた形で、王家の傀儡として存在していた。
コールイは自ら望んで立候補するように他国の争いやスタンピードなどに無償の義勇軍として参加するようになったのは、その背後に王命があった為だ。その王命は決して表に出ることはなく、全てシオシャ公爵家から軍備や資金などが出されていていわば搾取され続けていた。それでもそのことは誰にも気付かれなかった。その戦場で死をも恐れずコールイが先陣を切って手柄を上げ、シオシャ家にとっても多少の傷は負っても全体として評判と名誉が上がる一方だったからだ。そのこともあって、家門の中でも目立った不満が出なかったことも大きかった。
そうしてコールイの評価が上がれば、それに忠誠を誓われている王家の評判も上昇した。一時期は無能な王家と手の施しようがない呪われた国土と言われ、周辺国に無抵抗で併合を求めても拒否されるところまで落ちたのだ。
そこから押し付けられたとは言え玉座に就いた当時の国王が大胆な政策変更と、旧政権を担っていた貴族を一新させて辛うじて持ち直し、次の世代で他国との貿易を再開させるまでに至った。コールイの活躍は、それを更に大きく前進させる一手でもあったのだ。
そうやって密かに王家の犬として扱われ続けていたコールイが、唯一王家に逆らったことがあった。それは王命によって動向を見張っていたトーカ家の関係者であった、エリカ・ラッセル伯爵令嬢の助命だった。
当初は当然のように反対されたが、コールイは爵位返上も辞さない程に頑なに助命を嘆願し続けた。コールイの実力を惜しんだ王家は、仕方なくそれを認めた。だが、トーカ家に深く関わったエリカを解放する訳にはいかないと、コールイに娶るように命じた。それに関してはコールイは一瞬だけ躊躇したが、他に道はないと観念したのか頷いたのだった。
しかし全く王族の血が入っていないラッセル家との婚姻で、ただでさえ血が薄まっているコールイとの間に子を成せば既に傍系王族を名乗れるに値しないとして、最初から子は作らずに王子の一人を養子として迎えるようにと要求した。コールイはそれには迷うことなく承諾し、即日断種の処置を受けたのだった。
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コールイは妻となったエリカには、お飾りにするつもりはなく後継をもうけることを覚悟しておくように、と告げていたが、実際は戦場に向かうことが落ち着くまでと言い訳をして「白い結婚」のまま過ごしていた。
それに年の離れたエリカとは最初から上手く行く筈がないと思い込んでいたコールイだったが、戦場から戻ると出迎えてくれる彼女が、戦いでひび割れた心のコールイのかけがえのない存在になるのに時間は掛からなかった。かつて戦場にいた時も、国王の叱咤激励よりもただ自分の好きなものを一方的に喋るだけの令嬢との思い出方がよほどコールイを奮い立たせた。争いとは無縁の妻を守ることが、コールイの中で戦う理由となっていたのだ。
自ら望んで戦場に赴く戦闘狂と揶揄されつつ、コールイは殆ど家に戻らない日々が数年続いた。その間、妻がコールイの弱点にならないようにと王家の影が見守ることを約束されていた為、ひたすら愚直なまでに戦場を駆け抜けていた。王命をこなし、王家の評価を上げることが自分の使命だと言い聞かせていた。
しかしある時、次の戦いに向かう前に数日だけ帰還した際、妻は思い詰めたような顔で「せめて御子を授けてください。寂しくて寂しくて、どうにかなってしまいそう」と媚薬を使ってまでコールイに訴えて来た。もともと闇属性の者は毒が利きにくく、そのうえ断種処置をしているコールイには効果はなかったが、その様子があまりにも哀れで、それまで貫いて来た「白い結婚」を解消してしまった。
けれど幾ら彼女が望んでも子供が授かることはないのだ。その罪悪感から、コールイは戦場に立つ機会を少し減らそうと王家に申し出ようとした。だがそんな折り、妻の懐妊が発覚した。
コールイはその時点で、寂しいと訴えていた彼女の涙は、もしかしたら不貞の子を孕んだかもしれない恐怖をかき消す為の涙だったのと知った。
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後にコールイは「命は守っても尊厳を守れぬ無能な影は王家には必要ないと判断しました」と複数の肉片の詰まった袋を王の足元に放り投げたと言われている。そしてその褒美に、その年に生まれた王子をまだ産まれていない娘の婚約者にするように約束を取り付けたのだった。
「産まれる子は、必ず娘だと誓いましょう。子を産めぬ至らぬ娘でございますれば、王子殿下が婿入りしたあかつきには相応しき愛妾との間に子を成していただき、シオシャ家は再び傍系王家としての血を保つお役目を果たすことにいたしましょう。それが我がシオシャ家の悲願でございます」
その言葉に国王をはじめ、側にいた側近達は、望んで従っているものと思っていたコールイの裡に押しこめられていた狂気の噴出を目の当たりにして、ただ無言で誓約を交わす以外になかったのだった。
やがてシオシャ家に「娘」が産まれ、約定通り王子が婿入りする為に婚約が調えられた。その王子の盾になるようにとコールイは娘に対して苛烈なまでに厳しい教育を施し、結果的に娘はコールイを蛇蝎のように嫌い抜いて、下位貴族の令息と駆け落ちをした。
その償いとしてシオシャ家は王子を婿ではなく養子に迎え、頃合いを見計らって妻を娶らせれば本来の傍系王族としての役割に戻るかのように思われた。
しかし娘が赤子を連れて戻り、王子はその子を遠ざけるどころか我が子のように可愛がったのは予想外だった。このままではシオシャ家の傍系王族としての価値がなくなると懸念されていた頃、娘の駆け落ち相手が自分と不貞をした子爵の次男だと知った妻が、衝動的に無理心中を計り、妻と娘が亡くなる事件が起こった。
やがて養子に迎えた王子も事故で早逝し、コールイの手元には血の繋がらない孫のハリだけが残された。
ハリは聖人に認定されているので、公爵家は継がずに神殿に入ることが確定している。そして現在、シオシャ家の後継は決まらないままだ。病に冒されて余命宣告を受けているコールイは、それでも後継を急ぎ決める素振りはない。
もしコールイが後継を決めないままこの世を去れば、交易に多大な影響が及ぶだろう。今の王家には、それを御するだけの力がないのはコールイ自身も分かっている。しかし敢えてそれを放置することが、コールイの本当の復讐であった。
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「私は、何を言えば良かったのだろうな…」
コールイは病室に持ち込むことを許された銀色のロケットを手に取った。その中には赤子の娘を抱いた妻の肖像画と、二人の遺髪が入っている。しかしそれは入れた時から一度も開かれたことはない。コールイの記憶の中に残るのは初めて会った時の幼いエリカの姿なのか、それにそっくりだった娘の記憶なのかひどく曖昧だった。ただ春を思わせる髪と瞳の少女が一人だけ、曖昧な姿のままふんわりと瞼の裏を横切るだけだ。
「きっと、死んでも君に会わないことが君の幸せなのだろうな」
そう呟いたコールイの声は、少しばかりの自嘲と諦観の感情を乗せたまま虚空へと消えて行ったのだった。
お読みいただきありがとうございます!
コールイと妻、世間的には孫のハリに関わるエピソードは「490.コールイとハリ」「491.見合いと睨み合い」に登場します。
結局のところ、ホシノ女子爵と元婚約者の伯爵を両親に持つ令息と、ホシノ子爵家婿(アスクレティ分家)とエリカとの娘だったので、駆け落ちして本当に子供が生まれたところで本来は何ら問題はなかったのです。コールイが断種、娘も不妊処置済みなのを黙していた為に誤解が生じ、悲劇が起こりました。
ただ王命により秘密裏に現シオシャ家の血筋はコールイの代で消滅させて、新たな王族が継ぐことを魔法で誓約させられていたので、コールイは言えなかったのです。と言いつつ、コールイ自身は誓約を解くことは可能な能力はあります。それをしなかったのは、王家にエサ(シオシャ家)を与えて自滅を誘いたかったから。