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558.翌日


見慣れた廊下を、レンザは足音も立てずに足早に歩いていた。白いタイルの塵一つなく清められた廊下に、レンザの黒い影が足元に反射している。そしてそのレンザの後ろを、同じ黒い影のような侍従が付き従う。


長年の専属テーラーの手によって一部の隙なく体に合わせて仕立てられたスーツは、ただ歩いているだけで裾の動きや皺がどの角度でも美しく見えるように計算され尽くしていた。


レンザが向かった先は、この建物の最上階の最奥にある一角だった。長い廊下と許可された者しか通さない魔道具の扉を二つ抜け、ようやく目的の扉の前に到達した。その扉の前には、屈強な護衛が二人守りを固めていて、その二人に挟まれるように猫背の白衣の男性が立っていた。両脇の二人が大柄なせいか、すっかり糊の効果がなくなってしまった白衣のせいか、挟まれた男性はひどく貧相に見える。


「お待ちしておりました」

「様子はどうかな、セイシュー」

「ごく模範的な患者でございますよ」

「そうか」


鷹揚に頷くレンザを確認してから、護衛が一礼して扉を開けた。


「やあ、思った以上に元気そうだね、コールイ」


薄いカーテンによって柔らかく拡散された光の満ちた部屋の中で、ベッドの上で半身を起こした初老の男、コールイ・シオシャに向かって、レンザは穏やかな声で話掛けたのだった。



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ショーキが朝の鍛錬に訓練場に向かうと、既に先に来ていたレンドルフの大きな姿がすぐに目に入った。いつ見ても黙々と鍛錬に励む姿は頼もしく、ショーキの体重よりも重いのではないかと思われる大剣を易々と扱うのは、何度見ても新鮮に驚く。


その様子に、あまりレンドルフと交流のない者は恐れて遠巻きにしているのだが、最近ではその数も随分減った。ショーキは最初からレンドルフに懐いているので、気安く声を掛けて近寄って行く。


「あれ?レンドルフ先輩、その髪…」

「ああ…昨日、ちょっと」


レンドルフに近付くと、彼の薄紅色の髪の一部が毒々しい紫色に染まっていた。


「わざと色を入れた…訳じゃなさそうですね」

「出先でアメフラシにやられたんだ」

「どういう状況です?」


昨日ユリと出掛けた際にアメフラシの体液を浴びてしまったのだが、変装の魔道具で髪色を変えていた為に髪にも掛かっていたのに気付かなかったのだ。確かに髪も一部が濡れていたが、色に変化がなかった為に海水がかかったものと思い込んでいた。その為、色素がしっかりと定着してしまい、何度か洗ったものの完全に落とすことが出来なかったのだ。それに気が付いたのは既に夜だったので、髪を切りに行くにも時間がなかった。取り敢えず今日の夕刻に王城内にある床屋に行くことにして、今日一日は奇妙な色味になった髪で過ごすことになってしまった。


「レンドルフ先輩、意外と災難に遭いますよね」

「そうかな?まあ第四騎士団(こっち)に配属されてから怪我は多少増えたが、そもそも任務が違うしなあ」


レンドルフが第四騎士団に異動になったのは、他国の要人の妙な誤解と言い掛かりで近衛騎士団副団長を解任されたことなので、まさしく災難でしかなかったのだが、当人はあまり気にしていない。むしろ今の方が気楽なので却って良かったと思うこともあるくらいだが、さすがにそれは口には出せない。


近衛騎士団の主な務めは王族や要人の護衛なので、そうそう戦闘が起こることはない。それこそ近衛騎士が頻繁に怪我をするような状況では、騎士団そのものの見直しをしなくてはならない。それに対して第四騎士団は、各地の魔獣対策を任務の主としている。他にも地方で災害などが起こった時に物資の運搬などを担当する遠征多めの団だ。だからこそ怪我は大なり小なり毎回付きものなのだ。


「あ、でもくじ運は最強ですよね」

「まあ…そうだな」

「僕は今年も引かなかったんで、気が楽でした」


先日、食堂で百花祭期間の休暇のくじ引きが行われていた。この祭は数日間に及ぶので、日ごとにくじの箱が用意されていた。そして各自休みたい日にちの箱からくじを引いて休みをもぎ取るのだ。そしてレンドルフは、見事に一番の激戦と言われる最終日の当たりくじを引き当てたのだった。

最終日は最後にランタンを飛ばすイベントが行われる為、それに参加したい者は多いが、最も人出が多く休みを取れる人数自体も少ないのだ。


レンドルフは最近二回連続休みの当たりくじを引いているので、非常に注目されていた。誰もがまさかと思っていたが、それでも固唾を飲んで多くの騎士が見守っていたので、本当に当たりが出た時は食堂が揺れる程の雄叫びが上がったのだった。何故かその後は強運にあやかろうとレンドルフの握手会が開催されてしまい、食堂に一時的に行列が出来てしまって随分と困惑していた。


たださすがに当たり過ぎで恨めしげに見る者もいたので、何ら不正をした訳ではないが、レンドルフはしばらくはくじを引くのは控えようと思ったのだった。


「ショーキは百花祭の時はくじを引かないのか?」

「そうなんですよ。ほら、実家が店をやってますから。祭の日に休みを取ったら間違いなくこき使われるので」


他の祭の日も忙しいのだが、百花祭の時は特に凄いのだ、とショーキは苦笑しながら肩を竦めた。


「他だと焼き菓子を多めに作るくらいで済むんですが、百花祭の時だと特別に花の形をしたものを作るんですよ。それが普通のものの倍くらい手間がかかるんです。あ、祭の前日に休みを貰って焼き菓子を包むのは手伝うんですけど、当日は裏方と接客、どっちもやらされるんですよね…」

「何だか大変そうだな…」


ショーキの家族は二男九女という女系一家なので、父と兄、ショーキの男性陣は裏で運搬などの力仕事を任されるのだが、若く独身なショーキは接客にも引っ張り出されるそうだ。


「しかも百花祭だから、花まみれのエプロンを着けさせられるんですよ」

「花まみれ…」

「今ちょっと似合いそうだとか思いませんでした?」

「ええと…それは…」


実際ちょっと思ってしまったレンドルフは、思わず言葉に詰まって視線を彷徨わせてしまった。それでは白状したも同然である。しかしショーキは気を悪くした様子もなく、「僕もそう思います!」と胸を張って宣言していた。


ショーキは男性の中では少々小柄で細身、そして童顔で可愛らしい顔立ちなのだ。さすがに女性に見えることはないが、未成年の少年でも通用する。リス系獣人の特徴ではあるらしいが、クリクリとした丸く愛らしい目で、常にキュッと口角が上がった形をしているせいだろう。

レンドルフはショーキの両親と兄と妹とは顔を合わせたことがあるが、全員小柄で可愛い系統の良く似た顔立ちをしていた。まだレンドルフとは会ったことはないが、来客を多く見込める時には家族の中でも特に愛らしい容姿の姉達が選出されて接客にあたるそうだ。そしてその基準にショーキも合格しているらしい。


「でも姉達は見た目はともかく、中身は肉食寄りの性格なんで気を付けてくださいね」

「あ、ああ…」


リス系なのに肉食と言われてもレンドルフはいまいちピンと来なかったが、ショーキが日頃から付き合うなら草食系の可愛い獣人の女性が良いと主張している理由の一端を見たような気がした。


「あ、だけどレンドルフ先輩なら大丈夫ですね。カノジョさん、いるし」

「え…ええと…そうなる、のかな?」

「え?自覚ナシですか?それはそれで先輩、すごいですね」

「そうか?」


ショーキは獣人の特性が強く出ているのか感覚が鋭敏で、レンドルフが複数と付き合っているとされている相手が実は変装したユリ一人だということを見抜いている。レンドルフには言わないようにユリに言われているので口外する気は一切ないが、ユリが特殊魔力持ちだったためにその魔力で気付いたのだ。一応、ユリの纏っている香水のメーカーが同一のものだったことから気付いた、とはレンドルフに告げている。それも気付く要素の一つだったので嘘ではない。

ただショーキからすると、ユリの特殊魔力は畏怖に近い感覚で本能が刺激されるので、出来ることならあまりお近付きになりたくないと思っていた。


それにショーキの目からは、特殊魔力関係なくユリは確実に肉食中の肉食タイプだと思えたので、それと平然と付き合っているレンドルフならばリス系肉食獣の姉達など問題ないと思ったのだ。


レンドルフの方は、ユリとは親しくしているが恋人のような付き合いではないと思っているのでそんな受け答えになっていた。互いに認識が微妙にズレているのだが、そこは両者とも全く気付いていないのだった。



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「今から場所を押さえられるかしら」

「警護の関係もありますので、しばし選定のお時間をいただけますでしょうか」

「うん、大丈夫。その…出来たら出店も回りたいのだけど…ダメ?」


ユリは別邸の管理を任せている執事長に、上目遣いにお願いをしていた。ユリの場合、誰を相手にしても上目遣いになる身長なのだが、それでもここぞという時に使う角度というものが存在している。その効果は、別邸で最も厳しく最強と名高いメイド長も、五割の高確率で折れてくれる。


「…旦那様にお伺いします」

「はぁい。じゃあおじい様に私から手紙を書くわ」


ユリは水族館に行った翌日、レンドルフから百花祭のお誘いを受けたことを執事長に報告した。報告と言うよりも事後承諾なのだが、ユリに断る選択肢は存在していなかった。

もう既に水族館に配置していた大公家の影から報告は行っていたのだろうが、ユリの報告を聞いて執事長はよく見ていないと分からないくらい微かに眉間に皺を寄せた。


この別邸に来てから、ユリは毎年百花祭はこの別邸で使用人達と敷地内でランタンが夜空に飛ばされるのを眺めていた。昔は別邸を取り囲む林で見えなかったらしいのだが、ユリを迎えるにあたり警護の関係で見晴らしを良くした為に見えるようになったそうだ。今までのユリは祭に興味がない訳ではなかったが、どうしても行きたいという程ではなかった為に、別邸の料理長が出店風の料理を作り、庭にランプと花を飾り付けて使用人達と祭の雰囲気を楽しんでいたのだ。

もしレンザがいればお忍びで連れて出掛けたかもしれないが、まだ学園都市で薬学の講師を務めていたレンザは、この時期に採取出来る貴重な薬草の講義をする為に多忙だったのだ。


もしいつもの年と変わらなければ、レンドルフと祭に行くことも許可は出ただろう。しかしユリの命に関わるミュジカ科の違法薬物を取り扱っていた闇ギルドの関係者がまだ全員捕らえられていない為、まだユリの行動範囲に制限が掛けられているのだ。百花祭までまだ少しあるので、それまでに解決して欲しいものだが、どのくらいの規模で残党がいるのかはユリには知らされていないのだ。


「出店は無理でも、ランタンは見に行けるようにお願いしなくちゃ」


一緒に祭を回るのも楽しいだろうが、少し喧騒から離れた場所でレンドルフとゆっくりと過ごすのも悪くない。それに水族館でレンドルフが購入していたペアグラスでワインと共に再会を祝うのには、静かな方が相応しいだろう。


無意識的にユリは浮かれていたのか、心なしか足取りもステップを踏むように弾んでいた。


その後ろ姿を見送りながら執事長は、レンザが昨年講師を辞しているので今年は百花祭も一緒にいられることをユリに伝えるべきか、それともレンザにユリの様子を報告するべきか真剣に悩んでいたのだった。



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