55.黄と赤と黒
サギヨシ鳥を食用の部位とそれ以外に分けて、いつものように土魔法で穴を開けて食用に適さない方を埋める。取れた魔石は淡い緑色をしていて、小さいが透明度が高く質の良い物だった。それなりの金額が付きそうなので、これだけはギルドに持ち込んで買い取ってもらっても良さそうだった。
持参して来た油紙に包んでから布の袋に入れる。クロヴァス領に生息している個体より二回り程小さいが、それでも解体すれば二抱えくらいになりそうな量の肉になる。
「レンさん、氷出すから砕いてもらえる?」
「うん、いいよ」
ユリが少し離れた場所に魔法で氷の塊を出現させた。氷魔法は制御が苦手と言うことで、レンドルフより大きな氷塊を出してしまった。しかし、レンドルフはそれをものともせずに、手にした短剣の柄の部分でガンガンと砕いて、細かくしたものを肉と共に袋の中に入れた。更に布で上から巻き付けたので、これで持ち帰る間くらいは鮮度を保てるだろう。普段なら弱いが保冷の付与が付いている袋に入れるのだが、ユリの圧縮の魔道具は付与付きの道具を入れることは出来ないのだ。
「重さは大丈夫?」
「これくらいなら全然」
保冷対策をした肉を受け取って、ユリは箱形の圧縮の魔道具の中に入れる。物質を圧縮して小さくしているので、重さは元の重さから縮めた大きさに比例したものに小さく変化する。空間魔法の場合は重さの影響を受けないが、こちらの圧縮魔法は多少重さの影響を受ける。
「じゃあ花の採取に行こう。待たせてごめん」
「ううん。花は逃げないし」
お互いに身体強化は使えるので、そのままジャンプして軽々と段差を越えて水が落ちて来る一番上に到達する。
「わあ…」
下からは見えなかったが、上に到達するとかなりの面積でジギスの花が咲いていた。黒に近い色ではあるが、しかし黒と言うよりはやはり紫の部類に入るだろう。
風に揺れる花が、日の光の当たり具合によって艶やかに波打っていた。通常より濃い色のせいか、中央の黄色い色合いがまるで光を放っているように見える。
「黒じゃないけど、普通の紫よりはかなり濃い色ね。持ち帰って効能を確認してみないと。それと側の水も採取しておきたいわね」
「この辺だけでいいの?」
「うん。出来ればもう少し上流からも汲んでおきたいところだけど…今回はちょっと止めておくわ」
「重さが気になるなら俺が持つけど」
「水の採取用の容れ物をあまり持って来てないし、まず花を調べてからにするわ」
「分かった」
ユリは新しい手袋を嵌めて、短剣で花だけを切り取って瓶の中に落として行った。慣れた手つきで、あっという間に大きめの瓶の中に花が一杯になる。黒に近い紫の花で一杯になった瓶は、美しさと同時に少々の不気味さも感じさせた。レンドルフはユリから近い場所で瓶の中に水を入れて行く。レンドルフの片手に余る大きさの瓶なので、ユリからすれば大きめになるだろう。それを三つの瓶いっぱいに汲んで、しっかりと蓋を閉める。
「あれ?入らない?」
花を詰め込んだ瓶は圧縮の魔道具の中に入ったのだが。水を入れた方は反発されているらしく、一向に収まらなかった。
「…水の中に高濃度の魔力が含まれてる可能性があるかも」
「聖魔法を含んだ水の水源が近いとか?」
「ううん。ここは全然違う水源からの流れの筈…だけど」
「さっき解体でここの水使ったけど、大丈夫かな」
「浄化の魔石通した水だから大丈夫と思うけど…街に戻ったら念の為バートンさんに上位の浄化魔法掛けてもらいましょうか」
「そうだね。じゃ、これは俺が持って行くよ」
レンドルフはユリから瓶を受け取って、割れないように一つずつ布でグルグル巻きにした。
「あ!」
「え?何かあった!?」
突然ユリが声を上げたので、レンドルフが慌てて周囲を警戒する。
「…忘れてた」
ユリがヘラリと笑って、上着のポケットからギルドカードを取り出した。見るとレンドルフが見たことがない赤と黄色の派手な色で明滅している。
「何?何かあった…うわ!」
レンドルフも自分のギルドカードを取り出すと、彼女と同じように明滅していた。
「これ、登録相手からの緊急連絡が100件越えると黄色く光って、ギルドからの連絡を無視してると赤く光るの…」
レンドルフが恐る恐る連絡用の画面を呼び出すと、「赤い疾風」のメンバーからの呼びかけがズラリと並んでいた。そしてその合間にはギルドからの連絡もあった。
「そう言えば…連絡忘れてたね」
「ミス兄の怒りの黒い笑顔が目に浮かぶわ…」
連絡をしていなかったことで、どれだけ皆に心配をかけたのかは想像がつく。ひとまずレンドルフとユリは大急ぎで「無事です」と連絡を入れて、ノルドに乗って戻る最中もひたすらに謝罪することになったのだった。
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皮肉にもミスキが早朝を指定したことが功を奏したのか、ノルドに乗って無事に森を出て、エイスの街に到着した時はまだ空にオレンジの残照が残っている時間帯だった。もしこれが昼時の出発であったら、到着は深夜になっていたか、最悪野営することになっていたかもしれない。
「レンくん!ユリちゃん!!」
ギルドカード経由でギルドから、戻ったら無事の報告に来るように、と文字の向こうからうっすら怒りが透けているような連絡を貰ったので、街に到着してまっすぐギルドへと向かった。
ノルドをギルド脇の馬留めに繋いでいると、どこからともなくいきなりクリューが抱きついて来た。レンドルフは大き過ぎて抱きつけない為、主にユリの方にではあったが、それでもクリューの片手はレンドルフの腕をしっかりと掴んでいた。
「もーう無茶するんだからぁ!ちゃんと連絡くらい寄越しなさいよ!」
「すみません…」
「ごめんなさい、心配かけて」
言葉は怒っているが、顔は完全にベソベソ泣いている。赤い瞳のクリューが、更に真っ赤な目になっていてさながら兎のようだった。
「怪我はないようじゃの」
「ご心配おかけしました。あの、ミスキとタイキは…」
「拠点の家で休んどるよ。タイキがまだ不調での。一人にはしておけんから、ミスキが残った。じゃが、あいつら誰よりも心配しておったから、もし余裕があったら顔見せに寄ってくれんか」
「はい、そうします。ユリさんは…」
「私も行く。……ミス兄に怒られるなら一緒の方がまだマシじゃないかと思うし」
「そうなの!?」
「…まあ、頑張れよ」
バートンはレンドルフの肩を労るようにポンポンと叩いたのだった。
ギルドへの到着報告は思ったよりも簡単に済んだ。もっと色々と聞かれるかと思ったのに拍子抜けしたのが顔に出ていたのか、窓口担当をしていた中年の男性が「駐屯部隊から守秘の連絡が来ていますので」と小さな声で教えてくれた。
「明日は一日お休みしようってことにしたからぁ、ゆっくり休んでちょうだいね〜」
ギルドを出ると、クリューとバートンが待っていて、予定を教えてくれた。
さすがに今日の異常事態で大変な目に遭ったし、当分の間は駐屯部隊があの周辺で調査を行うということで、ギルドからの討伐指定地域が大幅に変更になったそうだ。まだギルド側も対応に追われているので、丁度良い機会だと明日は一日休みにしたのだった。
「タイキの具合は大丈夫そうなの?乗り物酔いじゃなさそうならちゃんと調べておいた方が…」
「同行してた騎士の子の中に、異種族の混血の子がいてね〜。もしかしたら、ってアドバイスくれたから戻ってすぐに神殿で調べてもらったわ。それで原因が分かったから」
「良かった…あ、原因なんでした?薬が必要なら処方しますよ」
「魔力酔いですって」
「魔力酔いですか?一体誰の…」
「レンくんみたいよぉ」
「え!?俺ですか!」
人によって、属性魔法が同じものを使えたとしても、その個人が生まれつき持っている魔力はそれぞれである。幾つかの系統に分かれているので似たような者はいるし、血縁などでそっくりになることもあるが、基本的に一人一人異なっていると言われている。その中に、本当に僅かだが相性の悪い魔力というものが存在していて、人によって全く相容れない場合から、長い間に慣れて平気になって行くこともある。
「タイちゃん、昔から人見知りだから家族以外の人とあんまり接触して来なくってねぇ。でもこないだレンくんとスレイプニルに乗ってずっと接触してたでしょぉ?それで酔っちゃったみたい」
「それは…悪いことを」
「いいのよぉ。それと、昨日馬車に乗せたあの斥候の魔力の残滓が残ってたみたいで、それも原因らしいし」
「ですが…」
「レンくんの側にいる分には今まで大丈夫だったんだし、問題ないわよ。それに、ちょっとずつ慣れてけばいいのよ」
確かにあの時はナナシと一緒の馬車に乗せることは出来なかったし、ノルドもナナシを乗せるのは拒否していた。あの場合はユリとタイキをノルドに乗せて行くのが一番良い選択だったのは間違いなかった。
「明日のうちに馬車を交換してもらうようにしてあるし、タイキも大分マシになっとるよ。お前さんも気にするな」
「はい…」
それでも気にしていることが顔に出てしまっているレンドルフに、バートンがポンポンと背中を軽く叩いた。それを見て、クリューもレンドルフの腕をポンポンと叩き、何故かユリまで手の辺りを叩きはじめたのだった。レンドルフは意味が分からないと思いつつも、その手の温かさが何だか嬉しかった。
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「あらあらまあまあ、い〜いお肉ねえ」
解体しておいたサギヨシ鳥の肉を念の為バートンに浄化魔法を重ねがけしてもらい、皆でどう分けるかという話になったのだが、クリューの提案でミキタに渡して食事会でもしようという話になった。
討伐を開始してまだ二日なのに色々なことがあり過ぎたので、明日の休みに美味しいものでも食べて皆で英気を養おうとなったのだ。
早速店に持ち込んでミキタに肉を見せると、満面の笑みで受け取ってくれた。サギヨシ鳥は人慣れしない魔獣なので養殖することは出来ず、肉を入手するには冒険者などが仕留めて来るしかない。倒すのにそれほど難しい魔獣ではないが、単独行動が多い為に狙って遭遇することが難しいのだ。通常の肉に比べて定期的に入荷するものではないので、入手するには運も必要になって来る。肉は店で売っているものと違って全部の部位が大量にあるので、手間賃も兼ねて二割はミキタに好きに使ってもらうことにする。
「明日の夕方くらいに予約していい?あんまり遅くなるとユリちゃんのおじい様が心配するだろうし、少し早めの夕食ってことで」
「ま、ワシらも翌日に響くのはマズいしな」
レンドルフとユリが承諾すると、クリューがギルドカードでミスキ達に連絡を入れた。
「何にしようかしら〜。レンくんは何か食べたいものはある?」
「俺はミキタさんの料理なら何でも楽しみです」
「嬉しいこと言ってくれるわね〜。じゃあもも肉はユリちゃんの好きなクリーム煮込みにでもしようかね」
「わあ!楽しみ!」
「良いカボチャも入ってるからね。期待しておいで」
ユリが頬を紅潮させてニコニコと笑っている様子を見て、レンドルフは「クリーム煮が好きなのか」としっかり記憶に刻んでおいた。
夕食を食べて行くかとミキタに聞かれたが、レンドルフはおそらく別荘で既に準備してくれているだろうと思い辞退した。ユリも今日採取して来たジギスの花の処理を済ませてしまいたいということで、ミスキ達に顔を見せたらすぐに帰宅すると言った。クリュー達は一旦拠点に戻ってタイキの様子を見てから食べに来ると告げて店を後にした。
すっかり日が落ちて街灯や看板などが華やかに色づきはじめた街を、ゾロゾロと拠点のある地区へと歩く。ノルドを連れているとさすがに目立つが、まだ人通りは多くないので大通りでも歩くのは困難ではない。あまり人が多くなると危険なので、その場合は荷馬車優先の道を使用することになるのだが、そうするとどうしても遠回りになりがちであった。
基本的に街中で馬などを連れて歩くのは問題ないが、騎乗は禁止されている。それはスレイプニルも同じであった。
まだ時間は早いので酒場などは人はそれほど入っていないが、準備の為に店員が忙しなく動き回っている姿が窓越しに見える。
「レンくんはお酒とかはイケるクチ?」
「呑めなくはないですが、そんなに好んで呑まないです」
「あら、ミスキと同じタイプだわぁ」
「甘い方が好きなんですが、この見た目なんで、どっちかというと辛いのを勧められてしまうので…」
「ああ、ユリちゃんと逆なのねえ」
クリューがしみじみとした様子で呟いた。
小柄で可愛らしいユリは、見た目に反して甘いものはそこまで得意ではない。甘いものに目がないレンドルフとは正反対だが、悩みの根っこはよく似ていた。
「じゃあ明日はいっそお酒なしにしちゃう?タイちゃんが隙あらば味見したがるし。バートンには悪いけど」
「ワシは部屋で一人でチビチビ呑んだ方が気楽でいいからの。別に構わんぞ」
「あの、タイキって未成年なんですか?」
「あ、言ってなかった?ああ見えてまだ14…再来月で15になるわ」
「やっぱりそうなんですね」
「…そんなに驚かないのね」
「まあ…見た目よりは若いのかなって」
タイキは背が高いのもあって、成人年齢を超えているように見えるが、時々言動が随分幼く見えることもあった。レンドルフは、タイキには竜種の血統の影響が何かしら出ているのかもしれないとは思っていた。
「タイちゃんはね、五年前から今の見た目になっちゃったの」
「五年前と言うと…」
「ステノスから聞いた?」
「すみません」
「いいのよ。そのうち話すつもりだったし。じゃあアイツのせいでタイちゃんが攫われかけたことは?」
「聞きました」
レンドルフは、ステノスから聞いた五年前のスラム街解体作戦で、住人と間違われて捕まり、貴族に売られかけたことを話した。
「じゃあタイちゃんが急に育った話は?」
「急に?それはまだ」
「…タイちゃんはね、多分血筋のせいだと思うけど、本来はすごく成長の遅い子なの。でも大怪我したり、高熱出したりすると一年とか二年分くらい体が一気に成長するのね。神官様が言うには、体が危機に陥ると成長させて生命力の器?みたいなのを大きくして乗り切る防衛本能だろうって」
五年前のタイキは、もうすぐ10歳になろうという年頃だったが、体はせいぜい6、7歳くらいの見た目だったとクリューは説明した。
「でも貴族に攫われかけたのを保護されてあたし達と再会した時は、もうああなってた。昔、高い木の上のてっぺんから落ちてアバラ三本折って内臓に刺さった時でも二歳分程度しか成長しなかったのに。それが少なくとも10歳以上一気に育ったって…どれだけの目に遭ったのか…考えるだけで今でもゾッとするわ」
クリューは少々顔を顰める。話を聞くだけでも、タイキは死んでもおかしくない程のひどい目に遭ったのだろうとレンドルフも想像がついた。
「今は体の方が頑丈になったせいか、一気に成長することはそれ以降ないからの。余程のことがない限り大丈夫じゃとは思うが…まあ、もしいきなりタイキの姿が変わっても、あまり距離を取らないでやってくれるとワシらとしてもありがたい」
「そうね。無理にとは言わないけど、レンくんも、ユリちゃんも、タイちゃんは気に入ってるみたいだから、少し頭の隅にでも入れといてもらえたら嬉しいわ」
「はい」
「…私、気に入られてるのかな…いつも回復薬を無理矢理飲ませてるから、怖がられてない…?」
「ユリさんは頼られてるんじゃないかな」
「そ、そうかな」
レンドルフに言われて少し照れたようにほんのり頬を赤くするユリを、クリューはチラリと眺めて「やっぱり出来る子だわ…」とそっと聞こえない声で呟いたのだった。
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拠点の家を訪ねると、体調が悪い筈のタイキが飛び出すような勢いで出て来て、レンドルフにガッチリと抱きついた。
「これ…大丈夫なんですか?」
「…まあ、気分が悪くなったら自分から剥がれるでしょ」
先程、タイキの体調不良の原因が自分にもあったのを聞いたばかりなので、レンドルフは戸惑って隣にいたクリューに思わず尋ねてしまった。
「レン、どっか怪我してねえ?」
「大丈夫。この通りピンピンしてる」
「ゴメン…オレがちゃんと出来なかったせいで…」
「まさか魔力酔いするなんて思わなかったし、これは誰のせいでもないよ」
ギュウギュウと抱きついて来るタイキに、思わずレンドルフはその頭を撫でてしまった。一瞬嫌がられるかと思ったが、大人しくタイキはされるがままになっている。少し固めで張りのある尖った手触りの赤い髪が、指の間に冷たい感触を残す。
レンドルフは末っ子だったし、甥にあたる兄の子供達もレンドルフより年上だったので、弟がいたらこんな感じなのだろうか、と少々感慨深く思っていた。
「レン、ユリ、疲れてるとこ悪いが、色々と聞きたいことがあるんだが」
タイキを構っていると、背後から声を掛けられてレンドルフは思わずギシリ、と動きを止めてしまった。声のトーンはいつものミスキのものなのだが、漂って来る気配が明らかに黒い。これは振り返ってはいけないヤツではないだろうか…と思って横にいるユリにチラリと視線だけ向けてみると、彼女も引きつった顔のまま動きを止めていた。
その後、さすがに気の毒に思われたのかクリューとバートンが取りなしてくれてミスキの説教は短めで済んだのだが、その分大変凝縮されたものだった気がしないでもない。そしてレンドルフは、今後は何があっても絶対連絡は怠らない、と固く心に誓ったのだった。