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557.白い魚と過去の少女


その後は特に何事もなく、無事に染みも落ちたレンドルフの服も戻って来た。再び着替えてようやく落ち着いたレンドルフは、存分に磯の生物達と戯れたユリと残りのルートを並んで巡った。


最後のエリアは色とりどりの金魚が多数展示されていて、まるで花に囲まれているようだった。


「あの水槽、一匹だけなのね」

「そうだね。…へえ、世界に一匹だけの変異種だって」

「綺麗だけど…何だか寂しそう」


ユリが顔を向けた先には、豪奢な飾りや水草が沈められている水槽があった。中には長く尾ひれをたなびかせた真っ白な金魚がいた。水槽の脇には「宝玉魚」と書かれた看板が並び、品種改良の過程で偶然誕生した変異種で、世界一美しい魚の一つと説明があった。

その薄いヒレは、まるで上質なシルクのように傷一つなく滑らかで透き通るようだった。そして真っ白な動物にはよくある赤い目ではなく、サファイアに似た真っ青な目をしていた。丸い体に並ぶ鱗は一枚一枚が光を反射して、虹色の偏光色がオパールを想起させる。その優美な姿は、確かに宝玉で出来たかのような煌めきを有していた。


おそらくその体を美しく保つために他の個体とは一緒にされていないのだろう。美しく整えられた水槽の中にいるたった一匹の金魚を、ユリは複雑そうな表情で眺めていた。


「ああ…そう言えば、昔、この宝玉魚みたいなご令嬢に会ったことがあるな」

「え…?」

「こんな感じの…青い目をしたご令嬢だったよ」


レンドルフはその宝玉魚を眺めているうちに、ふと遠い記憶が呼び起こされた。



貴族なら通うことを義務とされている学園に入学した最初の年に、まだ入学する年齢ではないくらいの幼い令嬢と会ったことを不意に思い出したのだ。

その令嬢は透き通るような真っ白な髪に、湖水のような大きな青い瞳をしていた。その特徴的な白い髪は、「死に戻り」と呼ばれるものだった。大怪我や大病などをして死にかけた者が奇跡的に回復する際、時折髪が真っ白になることがある。それは血を繋ぎ家門を栄えさせることを最重要としている貴族にとって、あまり歓迎されない。それが元で、子を成すことが困難な体になっていることも多いからだ。


そして「死に戻り」の際に稀少な神からの贈り物と言われる「加護」を得ることが多いのだが、加護なしで死に戻る者もいる。そういった者は、神にも見放された者として白眼視されて来たという歴史がある。現在はそれはただの迷信だと分かっているが、長年の慣習から今でも忌避されることが多い。

レンドルフが出会った彼女は、まさに加護なしの死に戻りだったのだ。



その時に会った名前も知らない令嬢ではあったが、何となく白い髪(死に戻り)のことを言うのは憚られて、レンドルフは目の色を口にするだけに留めた。


「その…ご令嬢とレンさんは」

「その時、困っていたようだったから、少しだけ手を貸しただけだよ。ただ…」

「ただ?」

「何だか寂しそうに見えたから、かな。だから思い出したのかもしれない」

「そう…」


ユリは目の前の宝玉魚に見入っているようだった。少し俯きがちになった為に顔の脇に黒髪が流れて、レンドルフの位置からは表情が見えなくなる。


「会ったのはその時だけだから、どうしてるか分からないけど…」

「うん」

「今は寂しくないといいな、と思ってる」

「……そうだね」


レンドルフも何となく正面の水槽を見つめた。魚に感情はないのだろうが、かつて一度だけ会ったまだ年端も行かないような令嬢の諦観した寂しげな目をつい投影してしまう。


不意にユリがつい、と横に移動して来て、レンドルフの手に指を絡めた。そしてピタリと体をレンドルフの腕に寄り添うようにくっつけて来る。その絡めた指がいつもよりも冷たい気がして、レンドルフはその指先を温めるようにそっと包み込んだ。


「レンさんが助けたんだもの。きっともう、寂しくない…」

「だと、いいな」

「ふふ…レンさんはすごい騎士様だもの。そんな人に助けてもらったなら、ずっと光栄に思うわ」

「うん…ありがとう」


色々な思惑が絡んだとは言え、レンドルフは僅か半年足らずではあったが王国史上最年少で近衛騎士団の副団長に任命され、更に騎士の中では最高の栄誉とも言われる永年正騎士の資格も得た。レンドルフ自身は、その栄誉ある評価には自分は足りないものが多すぎると思ってはいるが、だからと言って謙遜し過ぎるのも失礼になると思った為、ユリの褒め言葉を素直に受け止める。

もう何年も前の話だがあの時の令嬢にはきちんと名乗っておいたので、ほんの少しでも立派な騎士になったと伝わって、良い思い出の一つとして彼女の中に残ってくれればいいと考えることにした。


「私も、レンさんに助けてもらった一人だからね。気持ちは分かるよ」

「そう言ってもらえると嬉しいな。俺だってユリさんに助けられてるよ。幾ら感謝しても足りないくらいだ」

「それなら、私も嬉しい」


ユリはクスリと小さく笑って、レンドルフの腕にコテリと頭を凭れ掛からせた。



ユリは、レンドルフが言っている令嬢は自分のことだろうと確信していた。

今は変装の魔道具で髪も目の色も変えているが、初めて会った時は白い髪に青い瞳の本来の姿だった。それに当時に比べると大分成長したので、レンドルフが別人だと思っていても無理はない。レンドルフならばそんなことはないと思いたいが、人々に忌避されやすい「死に戻り」の姿を見せる勇気をユリはまだ持てないままだった。だからレンドルフは、ユリのことを黒髪で濃い緑の目をした容姿だと思っている。

その出会いでユリはレンドルフの行動に救われたし、実際それが切っ掛けで、ユリは最悪の環境から抜け出すことが出来たのも事実だ。

今の穏やかで幸せを感じることの出来る日々は、レンドルフとの出会いから始まっていると言っても過言ではないとユリは信じている。



そのまま二人は黙って宝玉魚の水槽を眺めていた。そんな二人の視線には気付かない様子で、宝玉魚は美しい尾びれを靡かせて優雅に体を反転させたのだった。



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「ヒトデは…ないんだ…」


たっぷりとヒトデやアメフラシと戯れて、水族館全てを回って最後の売店でユリは落胆していた。そこには水族館にいる生物のマスコットが並んでいたが、その中にヒトデはなかったのだ。


「ユリさん!アメフラシはあるよ!」


何故か派手な青と黄色の体色を持つアメフラシのぬいぐるみは存在していた。レンドルフがユリの目の前に差し出したが、ユリは「解せない…」と渋い顔で呟いていた。

しかしその後は、しっかりと一番大きなアメフラシのぬいぐるみを抱きかかえてお買い上げをしていた。


「レンさんは何を買うの?」

「ええと…その…あれを買おうかな、と」


レンドルフは、宝玉魚を彫り込んである片手くらいのペアグラスを指差した。削って白くなったガラスが宝玉魚の薄いヒレを上手く表していて、飾るだけでも十分に目を楽しませてくれる美しい品だった。大抵一緒に出掛けた時にレンドルフが購入するのは甘い物など消えものが多い。彼にしては珍しいチョイスに、ユリは思わず目を瞬かせてしまった。


「その…ユリさん、もし良かったら俺と『百花祭(ひゃっかさい)』に行って欲しいんだ」

「え?」

「夜に、ランタンを眺めながら、あのグラスで乾杯とか出来たらなー…とか。あ!もう予定があるなら無理にとは言わないから!」


百花祭とは、春を司る神とその眷属を呼ぶ為に花を模した紙で王都中を飾り立てて祝う行事だ。祭の期間は観光客も多く訪れるので、その客足を見込んで屋台や食事処は特別メニューなどを提供し、王都はいつも以上に華やかに賑わう。

そして最終日の夜には、花の形をした小型気球ランタンに火を点して空に放つイベントがある。夜空に無数の光る花のランタンが舞う様は幻想的で美しく、祭の中でも最も盛り上がる瞬間だった。それは王都中で行われるので、少し高台から眺める光景は非常に美しく圧巻の一言に尽きる。


これまでに何度もレンドルフはユリとディナーを共にしていたが、祭が終わる時間はそれよりも遅くなる。だから誘っても断られるかもしれないとは思ったが、レンドルフは玉砕覚悟で申し込んだのだ。


「いいよ」

「え…い、いいの!?」

「うん。いつもしよ…親戚と一緒に見てるんだけど、レンさんとなら大丈夫だと思うし」


うっかり使用人と言いかけたが、ユリは慌てて誤摩化した。幸いにもレンドルフはユリがあっさりと頷いた方に気を取られて、その不自然さには気付いていなかった。


「じゃあユリさんが帰りやすいようにエイスの街で見やすい場所を確保するよ!ちゃんと馬車も手配するから!」

「場所なら心当たりがあるから、そっちは私が手配するよ」

「でも誘ったのは俺だし」

「一緒に計画立てようよ。その方が楽しいよ」

「うん、そうだね。そうしようか」


ユリからの承諾を受けて、レンドルフはペアグラスとこの水族館のみで買えるという青いワインを早速購入していた。宝玉魚の姿が浮き上がるグラスに注げば、さぞ美しいだろうと想像が付く。


「レンさんはお休みは大丈夫?」

「勿論。もう申請は通ってる」

「用意周到ね」

「うん…どうしてもユリさんと一緒に行きたくて」

「そうなの?えと、嬉しいけど、何かあったっけ?」


包んでもらった商品の紙袋を大切そうに抱えたレンドルフは何故か妙に嬉しそうに思えて、ユリは首を傾げながら尋ねる。その問いかけに、レンドルフは僅かに視線を泳がせた。


「その…ユリさんと出会った日に、近いから…お祝いを、したくて」

「あ…そう言えば」

「あの、本当はもう少し後なのは分かってるんだけど、その頃になると遠征が入りそうだから!い、いや、その、俺の勝手な願望なんだけど」


本当のところはユリとはすでに数年前に出会っているのだが、レンドルフはその時に出会った人物がユリと同一人物と気付いていない。レンドルフからすると、エイスの街でユリがナンパされて困っていたところを助けに入った日が最初の出会いなのだ。その日は百花祭が終わって数日後のことだった。

その時の百花祭は、レンドルフが近衛騎士団を解任されたばかりで長期休暇と称してタウンハウスに引きこもっていた為、見物に行こうという気も起きなかった。


「あの日のことは、ちゃんと覚えてるよ。ふふ、レンさんも覚えててくれて嬉しい」

「忘れる筈ないよ。……ちょっと失敗したから覚えてて欲しくないような…いや、やっぱり覚えてて欲しい」

「うん。絶対忘れたりしないからね」


ユリはクスクスと笑いながら、空いている方の手でレンドルフの手を握り締めた。反対側の手には、巨大なアメフラシのぬいぐるみが抱えられている。ぬいぐるみなのでフカフカした肌触りの良い生地が使われているが、中に入っている綿が特殊なのかモチモチとした弾力がある。最初はレンドルフが持つと申し出てくれたのだが、あまりの感触の良さに手放せなかったのだ。



(大丈夫、もう寂しくないよ)


レンドルフの温かな手の体温をしっかりと確認しながら、ユリは過去の自分に向けて心の中でそう告げたのだった。



お読みいただきありがとうございます!


百花祭は、レンドルフの両親の話「赤熊辺境伯の百夜通い」にも出て来ます。ほぼ初デートだったので、レンドルフ達三兄弟はその話を何度も聞かされています。


ユリとレンドルフの本当の最初の出会いは「144.【過去編】騎士科一年生」に出て来ます。


レンドルフも一応貴族なので、大公女が加護なしの死に戻りということは把握しています。けれど年齢も知っていた為に、当時実年齢よりもかなり幼く見えたユリと大公女が同一人物だとは思いませんでした。

その時の少女をレンドルフは夜会の警護をする際にたまに気にしていましたが、家の恥ともなりかねない存在として領地に送られるか、他国に養子に出されたりすることも珍しくないので、心の底に引っかかっているような存在となっています。


本当はすぐ隣にいるんですけど。

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