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556.事故多発地帯


「滑りやすいのでお気をつけ下さい」


念願の磯の生物とのふれあいエリアに到着したユリは、明らかにソワソワした様子で係員の説明を聞いていた。


そのエリアは室内全体が磯をイメージした装飾になっていて、隅の方には本当に磯遊びが体験出来るように浅いプールが設置されていた。そのプールには本物の海水が使われていて、磯に棲む小さな生物達が放されている。勿論毒性のあるものや攻撃性の高いものは排除されている。パッと見たところ、小さなカニや魚があちこちに見え隠れしていた。


この日の為にユリは膝丈のキュロットを選んでいたので、ハイソックスと靴を脱げばすぐに水の中に入れる状態だった。説明が終わると同時に勢い良く脱いだ靴下と靴は所定の置き場に入れて、すぐに水の中に足を差し入れていた。レンドルフはスラックスの裾をふくらはぎ辺りまで折り畳んで、ユリよりも少し遅れて後に続く。


「レンさん!ここに小さなエビがいる!」

「どれ?」

「あ!岩陰に隠れちゃった」


ユリに追いついたレンドルフの袖を軽く引いて、ユリは足元の岩場を示した。レンドルフも素直にユリに言われるままにかがみ込んで足元を覗き込んだ。だが、レンドルフの大きな影に驚いたのか、ユリの指した方向には何もいなかった。しかしその場所はほぼユリの足元だったので、エビよりも先にユリの肉付きの良い白い素足が至近距離で目に入ってしまい、レンドルフは慌てて視線を逸らした。

ユリも薬草採取に出掛ける時は動きやすい服装で出掛けることはあるが、今回のように素足を晒すことはない。平民の女性は膝下くらいまでなら足を出すことはあまり気にしないが、貴族女性は短くてもくるぶし丈が大半だった。それに女性騎士や冒険者などは安全の為に露出はないことが基本だ。

レンドルフとしては女性の素足にはほぼ免疫がないので、不意打ちで視線を向けてしまった為に一気に顔に熱が集まる。


以前に水を使用した施設にユリと出掛けた時も、ユリは膝丈の短パンをはいていた。その時も一瞬目のやり場に困ったことを今更になって思い出したのだった。


「あ、あれはイソギンチャクだね」

「ホントだ!あっちはカメノテよね!わあ、本物は初めて!」


視線を逸らした先に、ユラユラとするオレンジ色のイソギンチャクを見付けて、レンドルフは顔が赤くなっているのがユリの目に入る前にと咄嗟に指差した。幸いにもユリは気付かず、はしゃいだ様子でパシャパシャと歩いて行った。



しばらく磯の小さな生き物を見付けてははしゃいでいたユリが、急に立ち止まって声にならない悲鳴を上げ、プルプルと肩を震わせた。


「ユリさん?」

「ヒ、ヒトデ…!ヒトデがいた!!」


ユリの視線の先には、岩の下からヒトデが僅かに見えていた。全体は隠れて見えないが、大きさとしてはユリの片手程度でそこまで大きくはない。レンドルフが見たことがあるのは、レンドルフの両手を広げたよりも少しだけ小さな個体で、赤地に白の斑点があった。ユリが発見したのは岩に隠れる為に保護色になっているのか、地味な茶色の個体だった。おそらくレンドルフの知っているヒトデとは種類が違うのだろう。それでもユリの表情は、まるで貴重な宝石でも見付けたかのようにキラキラとしていた。


ヒトデは魚のように素早く逃げることはないのだが、ユリはソロリと近付いて、両手で下から砂ごと掬い上げるようにして念願のヒトデとの邂逅を果たしたのだった。



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「ふ…ふふふ…やったわ。遂にヒトデを我が手に…」


まるでお宝でも手にしたかのようにヒトデを捧げ持つユリに、少し離れたところにいたクロウは少々残念なものを見る眼差しになってしまった。

クロウはユリが別邸に引き取られてしばらく経った頃に雇われたので、まるで人形のように無反応だったユリのことはよく知らない。その為、古株の使用人達がユリがどんな顔をしていようと喜怒哀楽を出すだけで諸手を上げて喜んでいるのも知っているが、さすがにヒトデを手にしてニヤニヤと笑う姿はどうなのだろうと思ったのだ。


だが、その隣にいるレンドルフにもチラリと視線をやると、それはもう「極甘」としか言いようがない程に目元を緩ませて楽しげにユリを見つめていて、クロウは思わず脱力してしまった。


「まあ…良いことだな」


当人達が満足しているのなら、外野がとやかく言うことではない。クロウはすぐに気を引き締めて、別の岩陰に「アメフラシがいる!」と駆け寄って行ったユリを改めて見守るのだった。



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「すごいわ…右手にヒトデ、左手にアメフラシ…」


感無量な様子で呟くユリは、言葉の通り両手に軟体生物を乗せてうっとりとしている。大抵の女性はあまり歓迎しない生物であるが、かねてより興味津々だったユリはものともしない。もともと薬草園の手入れをしているので、ミミズや芋虫などは慣れている。虫なども、毒持ちや刺して来るものは避けるが、益虫などはどうということはないのだ。


側にいるレンドルフも辺境の逞しい女性達で慣れているので、ユリがヒトデやアメフラシを手の上に乗せて喜んでいる姿は十分可愛らしく映っている。何せ両手に抱える程の大きさの芋虫の姿をした魔獣を素手で楽々絞めることも、鉈を片手にワイルドボアを仕留めて解体まで行うことも、集落の婦人会の日常な土地柄なのだ。それにこの磯遊び体験のエリアにいる生物は無毒で危険のない個体のみと説明を受けているので、ユリが磯の生物達と思う存分触れ合ってはしゃいでいる姿を安心して眺めていられるのだ。


「あっ…!」


そろそろヒトデとアメフラシを水に戻そうと岩場に向かって足を踏み出した瞬間、ユリの足元に滑り込むようにカニが飛び出して来た。踏んではいけないと慌てて降ろしかけた足を持ち上げたのだが、両手が塞がっていたためバランスを崩してしまった。


「ユリさん!」


ユリがよろけたのと同時に、レンドルフが何の躊躇いもなく片膝を付いてユリを抱き止めた。ふくらはぎ部分までしか裾を捲り上げていなかったので、当然のように膝の辺りまで履いていたスラックスが海水で濡れてしまう。抱きとめられたユリの方は、レンドルフの立てた太腿の上に座り込む体勢になり、ポスリと広い胸に上半身を預けるような形になった。


「レンさん、ごめ…」

「ユリさん、大丈…」


必要以上に直接触れないようにユリの背中を腕で支えるようにしていたレンドルフは顔を低い位置に下げ、ユリはレンドルフの胸に凭れ掛かったまま振り返るように顔を上げた。そのタイミングが絶妙に合わさったことで互いの予想以上に顔同士が近くなり、振り返ると同時にユリの頬に柔らかく温かなものが触れた。


「え…?」

「っっっ…!!」


一瞬ユリは何が起こったか分からなかったが、レンドルフは弾けるような勢いで姿勢を正して上を向いた。


(え…!?まさか!?)


レンドルフは真上を向いたままでもユリがバランスを崩さないように片腕で支えながら、空いた方の手で顔を覆っていた。しかし全てを隠し切れていない為、隙間から真っ赤に熟れたリンゴのようになった顔が見えている。勿論全く隠していない耳も同じように赤く染まっていた。


ユリは頬に触れたものの正体に気付いて、そこを中心に顔が熱くなるのを感じた。


びしゃあ


ユリが口を開きかけた瞬間、手にしていたアメフラシから奇妙な音がして、紫の体液がレンドルフの白いシャツにたっぷりと降り注いだ。


「ぎゃーーーーっっ!!!」


ボタボタと足元の海水にも紫のインクのようなアメフラシの体液が落ちて広がり、ユリの片手も当然のように紫色に染まった。しかしそれよりもレンドルフの惨状に、ユリは思わず淑女らしくない悲鳴を上げてしまったのだった。



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なかなかの惨事になってしまったレンドルフは、係員に連れられて更衣室に案内された。


今回のように服を濡らしたり汚してしまった客の為に、洗濯が出来る魔道具と着替えを水族館で用意しているのだ。


「レンさん、ごめんね」

「すぐ落ちるって言うから、大丈夫だよ。ユリさんこそ大丈夫?」

「私は服には掛からなかったし。石鹸で洗えばすぐに落ちるから」


ユリの方は幸いにもアメフラシを乗せていた手に紫の体液が掛かっただけだったので、主にレンドルフが被害に遭ったのだ。その為、ユリはすっかりしょげ返っていた。足元は海水で濡れ、シャツは半分紫色に染まってしまったレンドルフは腹を立てた様子は微塵もなく、ただほんのりと心なしか赤い顔をしながら「ユリさんに怪我がなくて良かった」と笑っていた。


「着替えるまでヒトデを見てて…って言いたいところだけど、危ないかもしれないからここで待っててくれる?急いで戻るよ」

「う、うん…分かった。待ってる」


一応安全性を考慮して作られているが、先程のように絶対とは限らない。幼い子供ではないのだから、と主張したいところだが、すっかり迷惑を掛けているユリは、さすがに待っている間も一人でヒトデと戯れたいとは言えなかった。


更衣室の扉の向こうへ消えて行くレンドルフを見送ってから、ユリは無意識的に自分の頬に触れようとした。が、そうするよりも前にいつの間にか側に来ていたエイカに手首をそっと掴まれた。


「お嬢様、お顔に色が付きます」

「あ…そ、そうね。つい…」

「あちらに洗い場がございます」


先程、ユリの頬、鼻よりも少し下の付近に一瞬だけ触れた柔らかいもの。不意打ち過ぎて確認のしようはなかったが、位置とレンドルフの反応を見ていると彼の唇が触れたのは間違いないだろう。


(直接触れられたのって…初めてじゃないかしら…)


ゴシゴシと石鹸を泡立てて手を洗いながら、ユリはレンドルフとの()()()()について思考を巡らせていた。


以前、レンドルフと恋人同士のフリをしてパーティに参加した際に、その一環として手首と手の平の中間くらいの位置に唇を落として来られたことがある。ただそれは手袋越しであったし、周囲にパートナーとして認識させる目的があった。それにその時はユリは変装をしていたので、芝居としての行動だったとユリは認識している。あとはユリが「酔ったから」と言い張って戯れにレンドルフの旋毛にしたキスを、お返しとばかりに後日同じようにして来た時だ。


どちらも直接肌に触れていなかったのを思い出すと、ユリはますます顔に熱が集まるのを感じていた。


(いやいやいや、あれは事故のようなものだし!そ、それにほっぺた同士かもしれないし!)


必要以上に長時間手を洗っていたのですっかり冷えてしまった指先を、ユリは却って良かったとばかりに自分の頬を挟み込むようにして熱を冷ましていたのだった。



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「予想はしてましたけど、それ以上ですね。レン殿は着痩せするタイプでしたか…」

「もう少し大きいものは…」

「申し訳ありません、こちらが一番大きいものです」


更衣室で汚れてしまったシャツとスラックスを預けて、用意してもらった貸し出し用の着替えを身に着けたレンドルフを見て、心配して着いて来てくれたらしいクロウと係員は何とも言えない表情になっていた。


一応水族館側も、どんな体型でも対応出来るようにかなり大きなサイズで、伸縮性のある素材の着替えを用意していた。レンドルフも一番大きなサイズのシャツと七分丈のパンツを借りたのだが、明らかにサイズが合っていなかった。


パンツの方は、ふくよかな人用なので紐で絞めればウエストサイズは問題がなかったが、丈は完全に膝上のハーフパンツと化していた。そちらはそれくらいならば許容範囲かもしれないが、問題はシャツの方だった。こちらもふくよか用の丸首の半袖シャツなのだが、鍛え上げたレンドルフの胸板と二の腕が生地の伸縮性の限界に挑戦するかのようにパツパツになっていた。そこまで分厚い生地ではない上に伸び切っているので、もはやアンダーシャツと変わらない程、筋肉の盛り上がりがくっきりと判別出来る。更に胸板に取られているせいで丈もかなり短くなり、見事に割れた腹筋の一段分が丸見えになっていた。


レンドルフは恥ずかしそうに裾を引っ張っているが、前側を引っ張ると今度は背中が半分くらい丸出しになる。それに洗濯が終わるまでの借り物なので、あまり無茶は出来ない。


「ええと、預け所にいつも持参している着替えを取りに行くというのは」

「その頃には洗濯は終わってると思います」

「そ、そうですか…」

「レン殿、いつも着替えを持ってるんですか?」

「この体型なので、着るものが準備出来ないこともあるので万一に備えて…」


今まさにその状況なのだが、まさか水族館で着替えが必要な事態になるとは思っていなかった為に、馬車留めの側の預け所に置いて来てしまっていたのだ。それを取って来ると、結局洗濯が終わってしまう。レンドルフとしては、折角ヒトデと会うのを楽しみにしていたユリを待たせているので、早く戻りたいのもあって葛藤していた。そのままユリにヒトデを見ながら待っててと言っておけば良かったかもしれないが、つい怪我でもしないか心配でその場で待ってて欲しいと告げてしまったのだ。


レンドルフはしばし悩んでいたが、やはりユリの楽しみを奪うことを避ける方を選択して、思い切って更衣室の外に出ることにしたのだった。



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更衣室から恥ずかしげに出て来たレンドルフを見た瞬間ユリは思わずその腹筋に釘付けになってしまい、つい「すごい立派…」と口走って、違うと分かっていながらもユリの視線が下の方に向けられていた為にレンドルフは今日一番真っ赤になってしまった。


因みにユリは、この時の言動をしっかりと別邸のメイド長に報告されてしまい、帰宅後にガッツリとお説教をされたのだった。



お読みいただきありがとうございます!


キスの話は「79.新たな約束」「102.未来の約束」「135.薄紅色のラストダンス」に出て来ます。

本当は「【一周年記念番外編】もどかしい二人(後編)」にもありますが、番外編でどこの時間軸かの設定はないので、一応ノーカンで。あと、回復薬を飲ませる為にレンドルフの口をこじ開けてもいますが、それは医療行為なのでユリとしては触れたという認識すらありません。そのエピソードの付近にそれっぽい描写がありますが、レンドルフの記憶にないのでユリとしても忘れることにしています。

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