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552.水族館前の待ち合わせ


ユリと待ち合わせの時間よりも大分早く到着したレンドルフは、スレイプニルのノルドを馬車留めの側に繋いだ。



クロヴァス家の家訓で、滔々と教え込まれる中に「槍が降っても女性を待たせてはならない」というものがある。一体いつから言われ始めて、どんな背景から生まれたのかは分からないが、代々それは重要事項の一つとして語り継がれている。レンドルフも同じように教育を受けて、それを律儀に守っているのだ。

だからこそそれを知って以来ユリは時間のギリギリに来るようにしてくれていた。それはレンドルフのことを気遣ってくれた行動で、大変ありがたいものだった。


現辺境伯である兄夫妻は、義姉は嫁ぐ前は先代辺境伯夫人の護衛騎士であったので、女性を待たせてはいけないと教え込まれた長兄と、仕える主人の子息を待たせるわけにはいかないという忠誠心の義姉の行動が加熱して、どんどん競うように待ち合わせ時間が前倒しになって行ったのだ。最終的にはディナーの約束が当日の夜明け前の待ち合わせに至ったと聞いている。そんな身近な先例があったので、レンドルフとしても素直にありがたくユリの提案を享受したのだった。



いつも持ち歩いている荷物は、その近くにある無料の預け所に持ち込む。今日は大剣は持って来ておらず、護身用の幅の広い片刃の短剣を腰に差し、投擲用の細いナイフを腕に巻いている。水族館で何か起こるとは思えないが、念の為最低限の準備だけはしておいた。

一応中心街の外れではあるが王城の顔見知りに会わないとも限らないので、エイスの街に行くときと同じように髪色は目立たない栗色に変えている。


今日はよく晴れていて、薄手の上着でちょうど良いくらいだった。時折冷え込むこともあるが、そんな日は確実に少なくなって、もうすぐ完全に季節も移り変わるだろう。


風を受けて柔らかな髪を揺らしながら、レンドルフは春の気配を胸に深く吸い込んだ。


(今日は人が少ないのかな?)


水族館のあるフィルオン公園は、果樹園や博物館、美術館なども有している広大な敷地だ。昔は動物園や遊園地もあったと聞いているが、近年来場者が増えて来た為に別の場所に移設され、今は小さく名残程度の施設が幾つか残っているだけだ。空いた土地は緑豊かな庭園にされて、人々の憩いの場だけでなく、祭の開催場所として様々な娯楽に利用されている。


前にユリと来た時は音楽祭を開催していて、各領地の名産品を紹介がてら出店で販売していた。その為大変な人出だったのだが、その祭をユリと大いに楽しんだのは良い思い出だ。


今日は特に祭は開催されていないので前程の混雑はないだろうと思っていたが、それにしては予想よりも人が少ないようだ。塞がっている馬車留めも半分程度だ。ここは全ての施設と共通で使えるものなので、この台数が全体に散らばったらどこもかなりスカスカな状態かもしれない。


それならそれで、ユリとゆっくり水族館を堪能出来るとレンドルフは少し気持ちが弾むのを自覚していた。ユリは通常よりも小柄で、レンドルフはかなりの長身なので、あまり混雑したところで水槽を眺めるのはかなり難しいことになる。ユリは前の人に埋もれず、レンドルフは後ろの人を気にせずに並んで歩けるくらいが望ましい。そんな贅沢な空間は実際に行ってみないと分からないが、レンドルフはなるべく空いているといいと思いながら馬車留めから水族館に向かって行ったのだった。



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「おじい様が過保護すぎる…」


ユリはフィルオン公園に向かう馬車の中でそう呟かずにはいられなかった。


「まあまあ、いつものことではありませんか」

「そうだけど…レンさんが不審に思わないかな…」

「たまたま予定が被ったから、ついでです。ついで」

「もう…」


馬車の中は、いつもユリの護衛で付く顔ぶれとは違っていた。一人は別邸の護衛騎士であるクロウで、以前レンドルフが離れで過ごしていた時に朝の鍛錬などで手合わせをしていたことがある。そしてユリと蜜芋掘りの時にも休暇をよそおって護衛に就いていたので、レンドルフとは顔見知りだ。そしてもう一人はユリからすれば見知った顔だが、レンドルフとは初対面になる女性だ。


「私は田舎から出て来た幼馴染みのエイカ嬢を王都観光で案内しているところです。だからお嬢様とデートコースが被っても何ら不思議はありません」

「デートって訳じゃ…」

「いい加減観念したらどうです?」

「観念って何、観念て!?」

「クロウ」

「あ〜エイカさん、すみません」


クロウの隣に座っていた女性が、あまりにも気安い態度だった彼を大きな目でジロリと睨んだ。クロウは言葉では恐縮しつつも、悪びれない様子でヒョイと肩を竦めて頭を掻いた。

傍から見ればどう考えてもレンドルフの外出はデートにしか思えないのだが、ユリは何故か頑に否定する節がある。クロウはその素直ではない態度に故郷の妹の幼い頃を思い出してしまい、つい軽口を叩いてしまった。


基本的に別邸で雇われている護衛や使用人達は、主人のレンザに忠誠を近い、その孫のユリに対しても忠実な家臣でもある。ただユリの場合は将来的に貴族籍を離れる可能性が高いとして、市井で生きて行くことに慣れる為に敢えて気安い距離感で接するようにと命じられている。とは言え、先程のやり取りは明らかにクロウの素ではあったが。


「これは御前の(めい)なので、私が礼を失している訳じゃないですからね」

「…そういうことにしておきます」

「恩に着ます」


クロウにエイカと呼ばれた女性は、少々思うところはあるようだが軽く目を伏せて頷く。

エイカは普段はアスクレティ領内で優秀な影として働くレンザからの信頼も厚い女性で、それが本名なのかはユリも知らない。ただ猫のような大きなアーモンド型の目と細い顎、黒髪に出るところはしっかり出ている体型は少しユリに似ていた。詳しい出自は聞かされていないが、アスクレティ領出身ならば遠い血縁なのかもしれない。

だからこそ王都に出て来てユリと使用人達の距離感に未だに違和感を覚えているようだが、内情は聞かされているので仕方なく認めているといったところだろう。



「一応、館内の職員と客は全て大公家から出していますので、お嬢様は安心してお楽しみください」

「むしろ落ち着かない気がする…」

「仕方ありませんよ。水族館の内部は薄暗くて入り組んでいますから、いつもみたいに人に紛れて影を付けるのが難しいんです」

「う…分かった」


違法薬物を売り捌いていた闇ギルドの関係者はほぼ捕らえていたが、それでも一掃出来た訳ではない。それに闇ギルド自体を潰せてはいないので、今回の件で大公家を逆恨みにしている勢力もある。その為ユリの安全を鑑みて、今日の水族館は大公家が貸し切りにしたのだ。勿論周辺も客をよそおった大公家の手の者で固めてある。


「何かあったら私が駆け付けますから」

「レンさんが側にいてくれれば大丈夫だと思うんだけど」

「だからこそ、ですよ。あの方と顔見知りで無害認定されてないと、一緒に斬られないとも限りませんから」

「レンさんはそこまで見境なくないわよ」

「用心ですよ。念の為です」

「分かったわよ」


普段ユリに付いてもらっている護衛や侍女もレンドルフとはすっかり顔馴染みになっているのだが、今回は別任務で動いている為、臨時としてクロウが付くことになったのだ。設定としては、たまたま同じ日に水族館に行く予定が被っていたので、ついでに一緒の馬車でやって来たということにする手筈だ。


「…ちゃんと、ヒトデは用意してあるの?」

「ええと…はい!多分!」

「多分って!」


ユリが何より楽しみにしていたのは、磯遊びが体験出来るふれあいコーナーと呼ばれる場所だ。そこでは磯にいる生き物に触れることが出来て、中でもヒトデに大きな期待を寄せていたのだ。


「……ヒトデの他に、サンゴウミウシと、アメフラシのブルーオーシャンはご用意しました」

「本当に!?わあ!すごい!!楽しみ!」


そんなやり取りを聞いていたエイカが、ポツリと言葉を漏らした。その内容にたちまちユリの目が輝く。サンゴウミウシはサンゴのような赤い体色のウミウシで、アメフラシの方は敵の目を欺く為に真っ青な体液を噴出する特徴を持っている。ユリにとってはどちらも図鑑でしか見たことのない魅惑の生物だ。


(大丈夫かな…クロヴァス卿、引かないかな…)


ユリの喜び様から興味の方向がズレているような気がしてクロウは少々心配になったが、口を挟めないままフィルオン公園に到着したのだった。



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レンドルフは、水族館の隣にある誰でも入ることの出来る温室の前のベンチに座っていた。

今日はユリがランチを用意して来てくれるので、荷物を持つ為に迎えに行こうかとギルドカードで連絡をしたが、馬車をどこに留めるかは到着してみないと分からないのと、同行者がいるから大丈夫だと返信が来ていた。フィルオン公園は敷地が広いため、あちこちに分散して馬車留めが設置されている。混み具合によってはどこに留められるか分からないからの返信だったが、あの空き具合ならいっそ馬車留めで待ち合わせれば良かったと思いながらユリを待っていた。


「レンさん、お待たせ!」


待ち合わせ時間の少し前に、ユリが少し離れたところから手を振りながらやって来た。レンドルフも軽く片手を上げて笑顔で返してから、その隣にいる巨大なバスケットをぶら下げている男性にチラリと視線を向ける。


「レン殿、蜜芋採取以来ですね」

「クロウさん、お久しぶりです」


ユリの同行者が顔見知りと分かって明らかに安堵した様子のレンドルフが、大股で歩み寄って来てクロウの持っているバスケットを受け取った。受け取る際に小さく「ありがとうございます」と呟いて、かなり重いバスケットをまるで中身がなくなったかのように軽々と片手で回収するレンドルフに、クロウは一瞬だけ僅かに目を瞠った。クロウも大公家の中でも精鋭とされる別邸の護衛騎士だ。身体強化魔法に頼らなくてもそれなりに鍛えていると自負していたが、それでもレンドルフの腕力に感心したのだ。


「今日は偶然クロウさんも水族館に行く予定だったみたいで、送ってくれたの」

「ユリ嬢には普段から職業柄お世話になってますからね。その感謝のようなものです。あ、こちらは俺の幼馴染みのエイカ嬢です。彼女が水族館を見たいと言ったので連れて来たんです」


クロウの後ろに立っていたエイカを紹介すると、彼女はスルリとクロウの真横にくっつくような位置で前に出る。


「初めまして。エイカと申します」

「初めまして、レンです」


幼馴染みとは言っても、まるで恋人同士のような距離感でクロウの隣に立つエイカを見て、レンドルフの目の奥に微かに安堵の色が宿ったのをエイカはしっかりと確認していた。エイカも馬車の中で、レンドルフはユリの正体が大公女であることを知らないので、絶対秘密にしていて欲しいと何度もユリに言われていた。エイカからすればユリとクロウは主従関係であることは分かっているが、何も知らないレンドルフからすると妙齢の男女が馬車に相乗りして来ることに多少の懸念があったのだろうと察しがつく。


挨拶を交わした後、レンドルフ達は先に早めのランチを食べるということで温室に向かい、クロウ達は先に館内を見たいということにして、安全確認と職員に扮した大公家の護衛達と打ち合わせの為に水族館の中に入って行った。



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「元近衛騎士だったんでしょ?位置取りがいいわね」

「エイカさんのお眼鏡にも適いましたか。剣の腕も立つし、先日見せてもらった魔法もなかなかいい感じでしたよ」


水族館の中に入ると、エイカはクロウと組んでいた腕をパッと放して、温度のない視線に変わった。


「それだけ優秀ならとっとと囲い込めばいいのに」

「お嬢様がお望みじゃないからですよ」


レンドルフの出自は別邸に仕える人間全員が把握している。辺境伯の末弟である身分も、真面目な性分も実力も大公家に仕えるには申し分ないと誰もが言うだろう。だがユリが望んでいるのは主従関係ではないのだ。


「厄介だこと。旦那様が甘やかし過ぎでは?」

「それ、王都(こっち)では控えてくださいよ」

「分かってるわ。私は旦那様の意向に従うことが仕事だもの」


感情の籠っていない平坦な口調で答えながら、エイカは油断なく周囲に注意を払っている。その態度に、クロウは王都と領地での温度差を如実に感じたのだった。


前日に大公家の影が清掃員として安全確認をしているが、視点が変われば見落としがそれだけ少なくなる。クロウも知っている顔もチラホラ客として既に入館している。まだユリ達が入館していないので、客と言うよりも完全に護衛の顔付きになっていた。



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「これ、かなり重いけど何が入ってるの?」

「昨日試作品が出来たばかりの保温の魔道具が入ってるの。ごめんね、重たいよね。そこのテーブルが空いてるし、そこで…」

「いや、これくらいなら大丈夫だよ。それにお勧めの四阿まであと少しだし」


レンドルフならば身体強化を使わずとも片手で持てるくらいのバスケットだが、それでも手に伝わる重量はランチが入っているとは思えない程ズシリとしていた。


温室に入ると、空調が利いていて暑くもなく寒くもない快適な気温だった。どちらかと言うと暑がりのレンドルフには、上着を脱いだくらいがちょうど良さそうだ。この中は常に一定の気温が保たれていて、王都よりも南方の植物が植えられて年中花盛りになっている。


天井から吊るされた球体の植物は、赤や紫の小花が咲いていて空中に浮かんでいるような見た目になっている。長身のレンドルフは、少しだけ垂れ下がっている葉が頭を少し掠めるが、固い物ではないので避ける程ではない。


「あ、あの場所よ!」

「良かった、ちょうど空いてたね」


ユリが先導するようにして向かった先には、温室の中央にある噴水だった。そしてその噴水が良く見える位置に四阿が建っている。白い石で作られた四阿は、手すりのところに蔦植物を這わせていて、そこにも可愛らしい白い小花が満開になっていた。白い石の上の鮮やかな緑の葉と、白い花のコントラストが非常に美しい。


「試作品の魔道具はちょっと操作がいるから私が準備するね」

「うん、ありがとう。あ、ちょっと待って」


レンドルフが白い石のテーブルにバスケットを置くと、ユリが蓋を開けて中身を取り出した。そこから何やら見慣れない円筒形の籠のようなものが出て来た。そして座って作業をしようとするユリに、レンドルフはサッとハンカチを取り出してベンチに敷いた。


「あ、ありがと…」


相変わらずの流れるような紳士ぶりのレンドルフに、ユリは照れながら礼を言って座った。大抵外で食事をする時はこうしてレンドルフが椅子に何か敷いてくれるのだが、ユリからすると毎回新鮮に気恥ずかしいような嬉しいようなくすぐったい感覚になるのだった。


「ええと…ここに魔石をセットして…」

「それは火の魔石?」

「うん、そう。それで中心には水の魔石」


試作品という魔道具は、蓋の付いた丸い籠で、底は二重になっていた。ユリは引き出しのように底の部分を引っ張り出して、中にある窪みに小さな赤い魔石を数個並べた。そして中央にある小さなカップ状の中に透明な魔石をコロリと入れる。それもごく小さな、一般的には屑魔石と呼ばれるようなサイズで、大抵のものは一度使うと砕けてしまうようなものだった。


魔石をセットしてから再び籠の底に戻し入れて、今度は籠の中央辺りから垂れ下がっている紐をユリが一気に引き抜いた。そしてすぐさまその籠をテーブルの中央に押しやった。


「これは?」

「んーと、まだ正式名称は決まってないけど、携帯用の蒸し器だって。下からの熱と蒸気で、上の部分に乗せてあるパンを蒸し上げるの」

「へえ。じゃあここで出来立てが楽しめるってことだ」

「火を使わないから、火が起こせない状況とかでも温かいものが食べられることを目指したんだって。でも蒸気を使うから、火傷には注意は必要なのよね」

「それでも使い道は広そうだ。試作品ってことは、いつか発売するんだよね」

「そうね。これは実用化しそうって聞いてる」


そんな話をしているうちに、シューッという音がして湯気が立ち始めた。その様子をレンドルフは興味津々で目を輝かせながら見つめていた。


そんなレンドルフの顔をユリはそっと横目で眺めながら、なかなか賛同は得られないがやっぱり可愛らしいと思っていたのだった。



お読みいただきありがとうございます!


フィルオン公園の音楽祭の話は「282.フィルオン公園音楽祭」、クロウが出て来た話は「370.クロヴァス辺境領の誉」にあります。


ユリが持って来た試作品の魔道具は、紐を引っ張ると温まるお弁当の蒸篭型とでも思っていただければ。


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