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551.蒸しパンと焼き菓子


「これをもう少しふっくらさせたいのよね」

「こちらはふっくらしておりますが…少々酵母のクセが強いですね」

「そうよね…出来立てならまだ良いけど、時間が経つとより香りが強くなるし」


ユリは難しい顔をしながら手元のメモを眺めている。そこには細かい文字と計算式がビッチリと並び、その隣には1グラム以下も正確に計測する秤と、幾つかの粉が置かれている。それだけ見ると、まるで何かの調薬を行っているかのようだが、ここは大公家別邸の厨房である。そして相手にしているのは別邸の食事を預かる料理長だ。


「こちらのモッチリしたものも十分美味しいと思いますが」

「そうなんだけど、子供や老人にはこの噛み切れそうで切れないのが難点なのよ」


ユリが今取り組んでいるのは、長期保存が利くパンの開発だった。元々乾パンやラスクなどの形の非常食はあるが、それを覆すような柔らかなパンを目指していた。潰れないようにしっかりとした形の保存容器に入れる予定なのだが、その中身のパンが理想的な食感には程遠いものだった。最初に出来たものは、パンと言うよりもニョッキに近いものだった。そこから酵母や小麦の種類などを多数試し、ギリギリパンと名乗れるところにまで漕ぎ着けているが、それでもふっくらとは言い難いものがあった。


この保存用のパンは、各地方の集落などで管理してもらって、災害時などに利用出来るようにしたいと考えている。最も馴染みのある騎士や冒険者などは固い物でも食べられるだろうが、災害時では全員が若者や健康体であるとは限らない。そうなると、弱った人々にも食べられるようにしておきたいのだ。スープなどに浸せば食べられるかもしれないが、それすら無い場合を想定しておくに越したことはない。それに幾ら慣れていると言っても、騎士や冒険者も好んで固いパンを食べている者ばかりではない。

彼らが保存容器が嵩張るので利便性を取るか、味を取るかは未知数だが、それなりに需要はあるだろう。


「…いっそ水分を減らしてしまいましょうか」

「それだとパサパサになるわよ」

「その分、ジャムや蜂蜜を一緒に箱の中に詰めるのは如何でしょう。パン生地にももっと甘みを付ければ、少々乾いたパウンドケーキのような風味に出来るかと存じます」

「そうね、その方向も悪くないわ。災害時でも甘い物があるだけでも気持ちが違うでしょうね。でも赤子がいる可能性もあるから、蜂蜜は止めておきましょう」


料理長の助言を受けて、ユリは早速数種類の水分量の違う生地を作るべくレシピを書き付ける。


「お嬢様、こちらの試作の生地は如何なさいますか?」

「そうねえ…具材を包んで蒸す、とか?前に話したでしょ。千年樹ダンジョンに行く前にリバスタン街で食べた蒸しパンのこと」


以前レンドルフと一緒に行った場所で、白くフワフワした生地にひき肉や甘いクリームなどを包んだ蒸しパンを二人で分けあって食べたことを思い出す。今残っている生地はモッチリとした歯応えのあるものだが、味わいはその時の蒸しパンに似ていると思ったのだ。


「では肉などを包んで蒸してみましょう」

「お願いね。明日水族館に行くときに貰って行ってもいい?」

「おや、これは責任重大です」

「大丈夫よ。料理長の作るものは何でも美味しいから」


明日はレンドルフと約束していた水族館に行く予定になっている。調べたところ水族館の中は飲み物は売っているのだが食べ物の販売はなかった。その代わり、隣の敷地の温室が無料で開放されていて、その中でならば持ち込んだ食べ物を食べて良いそうだ。その為温室の周辺には出店も並んでいるらしい。

その出店で購入したものを食べようかと思っていたのだが、そこにユリの祖父レンザから待ったが掛かった。


国内のあちこちでミュジカ科の薬草から精製された違法薬物が出回っていたが、その首領と言うべき人物と販路が押さえられたので収束に向かいつつあった。だが未だに完全に排除出来ている訳ではないので、ミュジカ科の薬草には命に関わる過剰反応が出るユリは、完全に販路が把握出来ている食べ物以外を口にしないようにと厳命されていた。少しでも危険を避ける為に、薬草の香りは徹底して教え込まれているが、香りの強い香辛料に混ぜられていた場合は気付けないこともある。以前よりも行動制限は緩くなったのではあるが、それでもまだレンザはピリピリしているので、ユリとしてもこれ以上心配をかけたくはない。


レンドルフにも予め、ユリから昼食は用意すると告げてある。既にそのメニューは考えてあるが、この試作品が美味しく出来たならそれも追加してもレンドルフなら大丈夫だろう。


「その…中に入れる肉は少し大きめにお願い出来る?」

「ええ、リクエストに添えるよう頑張りますよ」


遠慮がちに言い出したユリに、料理長はすぐに大きく頷いて請け負う。その打てば響く返答は、もうレンドルフを意識したメニューにして欲しいという希望をすぐに察したのだろう。


レンドルフは基本的に好き嫌いはない。時折、慣れないスパイスなどに戸惑ったような表情を浮かべることはあるが、何でも試してみようとするし、手を付けたものは完食する。それでも何度も食事を一緒にしていれば、自然に好みも分かって来るものだ。

どちらかと言うとレンドルフは肉を好んで選ぶことが多い。勿論魚も美味しそうに食べているが、体が資本の騎士だけにやはり肉の方をチョイスする習慣になっているのかもしれない。そして割としっかりとした歯応えのある肉を特に好んでいるようだ。だからこそユリは、絹のように滑らかに細かく挽いた肉よりも、粗挽きの肉をリクエストしたのだ。


「よく煮込んだ塊肉をそのまま包んでしまうのもよろしいかもしれませんね」

「あ、それも美味しそう!」

「一つの大きさは小ぶりにして生地を薄くして包みましょうか。そうすれば色々な味が楽しめますでしょう」

「ありがとう、お願いするわ」


ウキウキとした様子で配合比率の違う粉を準備する為に秤に向かうユリを見て、料理長は彼女に分からないようにそっと頬を緩める。この別邸に来たばかりの頃は、食が細くてどんな味付けにも無反応だったユリが、今ではすっかり食いしん坊の部類に成長した。そのことを確認する度に嬉しくなって、料理長は書かれたレシピ通りに生地を捏ねながら頭の中では蒸しパンの中にユリが喜びそうな具材をどう組み合わせようか段取りを立てていたのだった。



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「まだ大丈夫でしょうか」


あまり広くない店内にノソリと扉をくぐるように入って来た大きな男性に、そろそろ売れ残りの確認をしなくてはと店頭に出た少女は思わず固まってしまった。


平均的な女性よりも小柄な少女は、女系家族な上に全員小柄ということもあってあまり大柄な男性には馴染みがない。真上を見上げても視界からはみ出しそうな男性に、接客の言葉を掛けようとしても一瞬喉の奥が引き攣ってしまった。


「クロヴァス卿!?あ、い、いらっしゃいませ!」

「こんばんは」


様子がおかしいことに気付いた少女の兄が奥から飛び出して来て、少し困ったような顔になっている男性を見て慌てて声を掛けた。


「え…?あ、と、ええと…小兄(ちいにい)ちゃんの…?」


少女は兄の言葉に、下の兄が務めている王城騎士団の先輩の名だと気付いて、サッと顔色を悪くした。


以前に下の兄とともに店に来たことがあるが、対応したのは両親と上の兄だったので少女は話に聞いただけだった。見上げるような大男で身分も高い貴族らしいが、平民で獣人でもある下の兄と仲良くしてもらっていると両親が自慢げに話していた。少女は身振り手振りで話す両親の話を多少は誇張しているのだろうと思って聞き流していたのだが、実際目の前にしたその相手は、想像をはるかに超える巨大な体をしていた。


しかし、まだ未成年とは言え店で接客を手伝っている少女は、自分のしてしまった失態に気付いて慌てて頭を下げた。



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レンドルフは昼間の通常勤務が終わってから、王城を出て急いでショーキの実家が営んでいる焼き菓子を扱う店にやって来ていた。


「遅くに申し訳ありませんが、まだ買い物は出来ますか?」

「も、勿論です!どうぞ、ご覧になって行ってください!」


閉店間際ではあるが、まだ看板は出しているので何の問題はない。それでもレンドルフは出来るだけ柔らかな口調で、以前会ったショーキの兄に向かってそう問いかけた。


前回来た時はショーキも一緒で、彼らの両親が主に対応してくれていたので、彼ときちんと言葉を交わすのは初めてに近い。いつも店頭には両親が出ているとショーキに聞いていたので大丈夫かと思ったのだが、やはり先触れでも出しておくべきだったろうかと申し訳なく思った。実際平民の店に行くのにその気遣いは全く必要ないのだが、レンドルフはどこがずれたことを考えていた。


レンドルフはチラリと足元で頭を下げたまま固まっている少女の手元に、在庫確認の数を書き付けているメモを見つけて柔らかく微笑む。そして小さな店内をグルリと見渡してまだ残っている商品を確認してから、少しだけ後ろに下がってゆっくりと少女の前にしゃがみ込んだ。


「この棚にある品を全て買いたいのだが、袋に詰めるのを手伝ってもらってもいいかな?」


レンドルフの言葉に、少女はビックリしたように伏せていた顔を上げた。淡い黄緑色の瞳はショーキとは色が違っているが、フワフワした柔らかな茶髪と丸くつぶらな目をした顔立ちはそっくりだった。


「ぜ、全部、ですか…?」

「ああ、全部」


この店の焼き菓子は、量り売りの方式だ。ちょっとした手土産用に袋に詰めているものもあるが、基本的にクッキーやマドレーヌなどの小さなサイズのものなので、それぞれを必要なだけ袋に詰めて重さに応じて金額が決まる。リス系獣人が家族で営んでいる店なので、ナッツの目利きが良いらしく商品もナッツ類を使った焼き菓子が多い。その為一つ一つにバラツキが出てしまう為、こうして量り売りにしているのだと以前ショーキに聞いていた。

レンドルフが見た限りで、残っているのは数種類のクッキーとチーズクラッカー、そしてドライフルーツの入ったパウンドケーキが二本だった。他の人はどのくらい購入するのかは分からないが、この程度ならレンドルフなら十分許容量だ。それに元々、明日ユリと出掛けた際にランチを用意してもらうので、食後のおやつに摘めるものと思い立って買いに来たのだ。そこまで甘い物の得意ではないユリに、甘さのないチーズクラッカーは最適だろう。


「は、はいっ!かしこまりましたぁ!」

「頼んだよ」


レンドルフが笑顔を向けると、少女は見る間に元気になって勢いよく返事をした。先程まで顔色を悪くしていたのだが、今は頬を紅潮させている。どうやら大丈夫だったようでレンドルフも内心安堵していた。


とにかく大柄なレンドルフは、子供と鉢合わせをすると高確率で怯えられる。その為、幼い子供と接する時はしゃがみ込んで笑顔を向けると多少マシになることを過去から学んで来た。今回もそれが成功したのだと思ったのだった。


しかしレンドルフは、そうした際の成功率は女性相手の場合が非常に高いということに全く気付いていなかった。何せレンドルフは見上げるような巨躯ではあるが、顔立ちは優美で非常に整っている。その顔が至近距離で優しく微笑むのだから、なかなかの破壊力で相手の恐怖心を粉砕していた。

それはそれで別の意味で厄介なことではあるのだが、それを指摘するものがいないまま今に至っている。



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「ありがとうございました!」

「こちらこそありがとう」

「またのお越しをお待ちしております!」

「ああ、また寄らせてもらうよ」


最後の売れ残りとは言え、全部になるとかなりの量になった。しかしレンドルフは全く気にした様子もなく、少女から手渡された袋を片手でヒョイと抱えると少し頭を低くして店の扉をくぐって去って行った。


見送りをしようとした兄を押し退けて去って行くレンドルフを見送る少女の顔は、明らかにキラキラと輝いていた。


押し退けられた兄はそんな妹の姿を複雑そうな顔で眺めながら、弟のショーキに一応報告しておこうとそっと溜息を吐いたのだった。



お読みいただきありがとうございます!


蒸しパンの話は「83.リバスタン街と蒸しパン」に出て来ます。何故蒸しパンの話になったかと言うと、今回の話数のせいです!(笑)


レンドルフは自覚はありませんが実は結構な初恋泥棒だったりします。

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