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550.先輩と後輩


「レンドルフ先輩〜ここの報告書、どう書いたらいいですか〜?」

「実際俺はいなかったからなあ…」


部隊専用に与えられている談話室で、ショーキがテーブルの上に突っ伏しながら泣き言をしきりに繰り返していた。


「そこは想像で!」

「いや、オスカー隊長にバレるだろ」

「えええ〜」


先程からショーキが取り組んでいるのは、インディゴ領での任務の報告書だった。報告書を書くのが大の苦手なショーキは、期限ギリギリまで手を付けずにいたのだが、さすがにこれはマズいと思ったのかようやく手を付け始めた。だが、追い込まれたからと言って簡単に出来るようになる訳ではない。そこで泣き付かれたレンドルフが面倒を見ているのだが、レンドルフはその場にいなかったので手伝おうにもやりようがないのだ。


「ええと…まず発見したことから時系列に並べて…」

「確か転移の魔道具を…いや、先に妙な匂い…あれ?変な音だったっけ?どっちだと思います?」

「そこはどうにか思い出して欲しい」

「うぬぬ…」


再び唸り出したショーキを見て、レンドルフは立ち上がって棚からカップを取り出した。レンドルフが手助け出来ることと言えば、キッチンを使ってお茶を淹れることくらいだからだ。


「ありがとうございます〜」


少し甘い香りのする紅茶を目の前に置くと、ショーキはズリズリとテーブルの上を這いずるように手を伸ばして紅茶を啜った。決して褒められた行儀ではないが、他に人の目が無いので咎めることもないだろう。それにショーキは怒られそうな人の前ではしないくらいの分別はあるのも知っている。


「先輩はもう報告書は書いたんですか?」

「大した量はなかったから、一日で終わったよ」

「うっ…聞くんじゃなかった…」


今回の任務に関しては、レンドルフが要請を受けて第三騎士団に協力した形になるので、正式な報告書はダンカンが作成していた。レンドルフが書いたところといえば、ダンカンが合流するまでの短い間だけだったので、通常の報告書よりもはるかに少なかった。


「…あの新人二人、騎士団を辞めるみたいですね」

「まあ、仕方ないだろうな。残念だが、無理に続けても却って良くないだろう」

「そうなんですけど…やっぱりモヤモヤはします」

「……そうだな」


本来はまだ見習いとも言うべき新人二人には案内役を頼んでいた筈だった。途中までは確かにその通りで、多少の危険は伴うにしろ安全を考慮していた。けれどカトリナ家が目論んだ卑怯な策略のせいで、彼らは否応無しに最も危険な中心部へと巻き込まれたようなものだった。

勿論、騎士である以上そういった想定外の出来事も覚悟の内だが、それでも今回のことはベテランの騎士でも対処し切れなかっただろう。そのことも鑑みて通常よりも手厚い補償が受けられることにはなっているらしいが、彼らにしてみれば不運としか言いようがなかった。


「同期とか先輩とかが怪我で騎士団を去って行くのは何人か見てるんですけど、後輩ってのは初めてで…思ったよりもキツいもんですね」

「まあな」


レンドルフはそう頷くと同時に、ショーキの左手に視線を走らせた。彼の左の小指と薬指には、黒い革のカバーが嵌められている。これは少し前の魔獣討伐で深手を負って神経に傷が付いたので、それを補う為の魔道具だ。ショーキもこれがなければ騎士団を続けられていたか分からなかった。

その視線に気付いたのか、ショーキは自分の手をキュッと握り締めてから少し照れたように笑った。


「その節はご心配おかけしました」

「そうだな」

「先輩達ってすごいですねえ。長く務めればそれだけそういうことも多いのに」

「俺もそう思う。こればっかりは慣れることはないからな」


何となくしんみりとした空気になりかけたが、ショーキはまだ大半が真っ白の報告書の用紙が目に入って、慌てて姿勢を正してそれに取り組み始めたのだった。



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「ノノカ先輩、こんなところ入って大丈夫なんですか?」

「いいっていいって。あたしの親父のツケだからさ〜」

「余計駄目じゃないですか!?」


フラウは休日に強引に先輩のノノカに誘われて、春物の服を見に来ていた。フラウはまだ昨年に買ったものがあるので眺めるだけだったが、ノノカは今年の流行りらしい襟元にリボンの付いたブラウスをオーダーメイドしていた。ノノカは大変豊かな胸の持ち主な為、上に着るものは既製品ではサイズが合わないそうだ。


そして買い物を終えた後、ノノカはフラウの手を掴んで、この辺りでは有名な高級カフェの個室に連れ込んだのだった。


「いいんだって。あたしが年に数回頼み事するのを親父は喜々として叶えるんだからさ〜。これはもう親孝行ってヤツ?」

「そういうものなんですか…?」


ノノカは子爵令嬢だとは聞いているが、家名も名乗っていない上に王都でアパートを借りて一人暮らしをしているので詳しい身上をフラウはよく分かっていない。何となく周辺の雰囲気で、聞いてはいけないことだと察してそのままだったのだ。


「親父はあたしに後ろめたいことがあるからさ、何でもホイホイ言うこときくんだよな。ま、あたしもそれに寄りかかって何でも頼む訳じゃないからさ」


そう言いながらノノカに押し付けられたメニュー表には金額が記載されていなくて、フラウは思わず目が泳いでしまった。これは相手に金額を知らせない摂待かデート用のメニュー表というやつだ。噂には聞いていたが見るのは初めてで、フラウは思わずゴクリと喉を鳴らしてしまった。


フラウはあまりスイーツには縁のない生活をしているので、思わずケーキの一覧に釘付けになっていた。けれどどれも名前を唱えるだけで銀貨がなくなりそうな高貴な名が付いていて、価格帯がさっぱり分からなかった。両親が健在だった頃は中堅よりやや上といったところの伯爵家で決して貧しい訳ではなかったものの、必要以上に贅沢をしない方針だった為に金銭感覚が庶民に近いのだ。


「じゃあこのお茶会セットにしよう。食い切れなかったら持ち帰れるしさ」

「お、お任せします」


見た目は垂れ目でぽってりとした唇に肉感的な体型で、どこか気怠げな色香を漂わせる外見のノノカであるが、性格と口調は平民の少年のような雰囲気がある。


注文してしばらく経つと、店員が立派な銀の三段ティースタンドに軽食や焼き菓子、ケーキなどを数種類乗せたものをセットして行く。どれも手が込んでいるのが一目で分かる品揃えで、フラウの目が釘付けになった。


軽食はキュウリを挟んだサンドイッチにハムとチーズのカナッペ、柔らかく煮込んだ根菜を固めたコンソメのジュレが彩りよく並ぶ。焼き菓子は小ぶりなスコーンに一口サイズのフィナンシェやマドレーヌが並び、小さな器にジャムとクリームが添えられている。そしてケーキは、柑橘の乗ったプチタルトにペリークリームのピンク色の可愛らしいケーキに、チョコレートとナッツのロールケーキ、そして鮮やかな緑色のソースがかかったブランマンジェも乗っている。更にティースタンドの脇にはミニサラダとポタージュスープが置かれた。


「すごい…」

「なかなかのボリュームだろ?こいつは持ち帰れなさそうなのから選んで食うのがコツだ」

「持ち帰り前提なんですね」

「まあ今日は時間制限無しで押さえてあるから、ゆっくり時間を掛けて完食してもいいからな」

「どうしてそこまで…」


早速サラダに手を付けたノノカを、フラウは戸惑ったような顔で眺める。


「フラウが何か抱え込んでるみたいだったからさ。それに一応教育担当として上司から事情は聞いてるし。あ!今日のことは別にあの上司(ハゲ)に言われたからじゃねーからな!」

「……すみません」

「むしろそこは礼だろ?美味いもんでも食って、話したい事吐き出して、ちょっとでもスッキリ出来たらなーってあたしのワガママ」

「…ありがとう、ございます…」

「取り敢えず食おう!空腹だとココロもスッカスカで弱くなる」

「はい…」


フラウは笑いながらモリモリとサラダを平らげるノノカに釣られるように、目を潤ませながらも笑顔でサンドイッチを手に取った。キュウリとバターだけのシンプルなサンドイッチは、キュウリは十分に水分を保ってシャキシャキしているのにパンは全く水っぽさはなく、バターの程良い塩気が良く合っていた。

それを食べてフラウは、以前ヨーカに教わって作っても何故か水分でペシャンコになってしまう自分のサンドイッチを思い出して、どこか舌の根が苦くなったように思えたのだった。



「…その、ご存知かと思いますが、先日婚約を解消しまして」

「ああ、相手の実家がやらかしたとかってアレかあ。やっぱ伯爵家当主としては、犯罪者を出した家と縁続きになるのは難しかった、ってとこか?」


軽食と焼き菓子は全て食べ終わり、ケーキに移行する前にフラウは一旦手を止めてそう切り出した。何となくそれを察していたのか、ノノカもカトラリーを置いてほんのりと花の香りのする紅茶を楽しむように手を止めて話をしやすいタイミングを作ってくれていた。


「まあ…世間的にはそうなりますね」


フラウは手元の小皿に取り分けたプチタルトを軽くフォークの先で弄んだ。行儀が悪いのは分かっているが、何かしながらでないとどこに視線を向けていいのか分からなかったのだ。


「…でも本当は、別の理由があったんです」



実家を継いでいた兄が犯罪に手を染めて、貴族籍の剥奪と当主交替、更に降爵されてカトリナ家は男爵になることが決まっている。そしてカトリナ家の正式な後継者に指名されたのは、異国に婿入りした次男の末息子だった。ただその息子は幼いので、跡を継げる年になるまでの中継ぎとしてヨーカが仮当主になったのだ。

長年結んで来たフラウとの婚約も、ヨーカの方が仮とは言え当主同士の婚姻は避けた方がいいと互いに判断して、円満に解消されたということになっている。


フラウは元々平民になるつもりで爵位も領地も国に返還した。その後、両親がこれまで築いて来た功績が認められて、家名と爵位はフラウが継ぐことを許可されたが、最初はそれも断るつもりだったのだ。それをヨーカが「義父上と義母上の名を残す為にも受けるべきだ」と強く主張したので、フラウもヨーカが望むならばと名ばかりではあるが伯爵家当主となった経緯がある。だからフラウからすれば、貴族でいること自体に何の拘りもなかった。

ヨーカには家門を繋ぎたいとは告げたが、フラウ自身は自分の中に流れる血と記憶を引き継げればそれで十分だった。だからこそ再び爵位を返上し、一平民としてヨーカとの婚約を継続することも出来なくはなかったのだ。



「私の家族は、突然開いたダンジョンから溢れた魔獣に襲われて亡くなりました」

「ああ、聞いてるよ。あの悲劇は王都にも聞こえて来てたからな」

「確かにインディゴ領は成長型のダンジョンが領内にあって、どこで起こってもおかしくはなかったんですが…」


成長型のダンジョンは、確かにいつ何処で新たなダンジョンが出来るかは正確には分からない。しかしある程度ダンジョン内部にいる魔獣の数を制限しておけば、そちらのダンジョンを維持する為にエネルギーが割かれるのか成長を抑えることが出来ると研究の結果分かっている。それにダンジョン内に成長して欲しくない方向に結界の魔道具を設置することで、多少は新たなダンジョンの場所を操ることが可能なのだ。

それを知っていた代々のインディゴ家の当主は、きちんとした対応を行って、ダンジョンを資源として長らく活用して来た。だからこそ観光地であり領民の憩いの場であった湖周辺は、特に守りを固めていた筈だった。


しかしそれを越える数の魔獣が発生したのか、最悪の形であの凄惨な事故は起こってしまった。


それは偶然が引き起こした不幸な悲劇の筈であった。だが、ずっとそう思っていたフラウの元にもたらされたカトリナ家の卑劣な行為の事実は、フラウの胸に小さく消えない影と疑惑を落とした。


カトリナ家がインディゴ領のダンジョンから無断で魔獣を密猟するには、きちんと管理下に置かれている場所では難しい。把握している魔獣の数がおかしいとすぐにバレてしまうからだ。だから良い素材を無限に得るために、カトリナ家はダンジョン内に魔獣寄せの魔道具を密かに設置した。魔獣が増えればどれだけ密猟しても見つかることは少なくなるし、それで魔獣が外に溢れてもカトリナ領には関係のないことだからだ。

そうやって10年以上にも渡って、闇ギルドと手を組んであちこちのダンジョンに魔獣寄せと素材を運搬する転移の魔道具を設置してカトリナ家は私腹を肥やして来た。


その事実が明るみに出て、フラウの元にも当然のようにその話は告げられた。その時にフラウの胸に去来したのは、あの日の惨劇だった。



「もしかしたら、あの日に開いたダンジョンは……元婚約者の家が仕掛けた魔道具のせいで起こったのかもしれない、と気付いてしまったんです」



そのことについてはヨーカは一切関係はないし、むしろ大怪我をしてまで戦ってくれたヨーカは、フラウにとっては英雄に等しい。その気持ちに変わりはないが、それでもフラウの心に落ちた染みは一向に消えることがなかった。


「元婚約者は、全く知らなかったし、ダンジョンが開いたのも偶然かもしれません。……でも、もしかしたら、と思うと…」


ヨーカのことは今も大切に思っているし、離れると決断した後もフラウの胸の奥はジクジクと痛んだ。


「今となってはもう何が原因かは分かりません。だから、本当に無関係なのかもしれない。だけど…何かの弾みで、ヨーカを責めて、ひどいことを言ってしまうかもと思うと、一緒にいるのが怖くなってしまったんです」


ヨーカはいつも不遜な言動で厄介な性格だと思われることも多いが、それは幼い頃から両親や兄達から身を守る為に身に着けた刺の鎧だ。そんな鎧を纏わなくてはならないくらい中身は繊細なことをフラウは知っている。それを知っていても、フラウとて自身が聖人君子ではないことくらい十分自覚しているので、何かの弾みでポロリと口にしてしまうことがないとは言い切れない。


もしそれを口にしてしまっても、ヨーカはきっと困ったような顔をするだけで、その後は何事もなかったようにいつもの態度を貫くだろうことは簡単に想像が付く。けれどその心は誰よりも深く傷付いている筈だ。

フラウも彼を傷付けることは決して望んではいないが、心のどこかでカトリナ家を憎む気持ちがあるのも確かだ。いくら頭ではヨーカは無関係だと分かっていても、まだ心の整理が付いていないのだ。


「ずっと、ずっと一緒にいたのに…!これからも、一緒だと、思ってたのに…っ!」


これまでは自分が想像していたよりも平気かと思ったのだが、こうして声に出すと胸の中に空いた大きな空洞に虚しさが反響して、一気に喪失感が襲って来た。フラウの手からカラリとフォークが落ちて、彼女は大きくしゃくり上げた。


「う…ううぅ…」


歯を食いしばっても漏れる嗚咽を隠すように、フラウは手で顔を覆う。しかし溢れた感情と共に流れる涙は、押さえた手の指の間から流れ落ちてテーブルクロスやスカートの上に点々と染みを作った。


そうして視界を塞いでいるフラウを、柔らかで甘い香りのするものが包み込んだ。顔を上げると、いつの間にかノノカが席を立ってフラウを抱きしめていた。


「仲の良い奴でも、家族でも、許せないことだってあるさ。ちゃんと考えて傷付けない為に距離を取ったフラウは偉いよ」

「ノノカ先輩…」


ポンポンと優しく背中を叩かれて、フラウはノノカに抱きついて声を上げて泣いていた。ノノカもフラウが落ち着くまで、そのまま抱きしめてくれていたのだった。



後日、フラウはノノカに礼と共にドライフルーツ入りの紅茶を渡しながら少し照れくさそうなはにかんだ顔で「ちょっと母を思い出しました」と告げたところ、「そこは姉じゃないのかよ!」とカラカラと笑いながらノノカに強めに背中を叩かれたのだった。



お読みいただきありがとうございます!


フラウ、ノノカパートが伸びてしまいました。これは閑話にしても良かった気が…


ノノカは子爵令嬢ではありますが、両親共に侯爵家の生まれで、結婚時に実家が持っていた爵位と領地を貰った家の為、実際実家がかなり太いです。だから伯爵家当主のフラウの教育担当に選ばれたという裏話があります。

両親は領地経営に携わっているので、ノノカは「地方拠点の田舎貴族」とだけ周囲に言っています(嘘ではない)

ノノカは上に二人兄がいるので政略の必要もなかったけれど、平民の冒険者の恋人との仲を父親に猛反対され、仕方なく別れて父の持ち込んだ縁談を受けたのだが、三連続で最悪な相手を引っ張って来た為にブチ切れて王都に出て来たという経緯があります。反対した理由が、一人娘のノノカを近くに置いておきたかったから、だったことがトドメになりました。

今は多少怒りは解けたものの、連絡は母か兄経由で、父は家族中から塩対応を受けています。


ノノカの口調は、兄二人と元恋人の冒険者の影響。


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