閑話.三叉路の先に(ヨーカ、レイロク、フラウ)
ヨーカ、レイロク、フラウの進む先です。ちょいほろ苦。
フラウの休みに合わせて、ヨーカとレイロクは騎士団の談話室を借りて集まることにした。
木製のテーブルと椅子、湯を沸かす程度のキッチンが設置されているシンプルな部屋だ。そのテーブルの上には、団員寮の食堂から持ち帰って来たランチを並べている。食材に無駄が出ないように事前申請の為にヨーカとレイロクの二人分しか頼んでいなかったのだが、大盛りにしてもらったのでフラウが一緒に食べても十分な量が並んでいる。
「今、お茶を淹れるね」
少し遅れてやって来たフラウが、せっせと食器を並べているヨーカを見てキッチンへと向かった。眼鏡を掛けてはいるが人よりもかなり視力の悪いレイロクは、こんな時は動かずにすまなさそうな顔でじっとしている。そうでないと色々と物を落としたりして大変なのを二人とも分かっているので、慣れた光景だった。
「騎士団の食堂のメニューって一度食べてみたかったの」
「運が良ければケーキなんかもあるけど、今日はなかった。悪いな」
「いいわよ、別に。それに、来る途中の購買でクッキー買って来たわ」
フラウが務めている文官棟にも食堂はあるが、やはり騎士とは違って軽めのメニューが多い。そこは家族や知人などが訪ねて来た際にも利用出来るようにカフェも併設されているので、全体的に女性向けの内容になっている。そのため少々割高でもあるので、フラウは倹約の為に食事はほぼ自炊で昼食も持参していた。今日はヨーカ達がランチを用意してくれると聞いたので、フラウもたまにしか立ち寄らない購買で買い物をして来たのだ。
お茶の準備を終えると、それぞれの前にカップを置いて席に着く。いつもは婚約者同士なのでヨーカとフラウが横に並び、レイロクが正面に座るのだが、今はレイロクの視力の問題もあってフラウが二人の正面に座っていた。
席に着くと、ヨーカが早速分厚いポークソテーを食べやすいように切り分けて、切れ込みの入ったパンにサラダの葉野菜やタマネギを肉と一緒に挟み込んであっという間にサンドイッチにしてしまった。そしてそれを溢れないようにササッと紙ナプキンで包んでから半分に切る。
フラウも王都で一人暮らしをするようになってから料理も大分出来るようになったが、未だにヨーカの手際の良さには足下にも及ばない。
付け合わせの野菜のフリットやチーズなども綺麗に皿に並べてから、フラウの前にサーブする時のヨーカは得意気な笑みを浮かべていた。それは昔から変わらないが、ただ違うのはヨーカの片目に眼帯が付けられているところだ。
先日フラウの故郷でもある元インディゴ伯爵領で起こった魔獣の大量発生を抑える為に派遣された際に、隣のヨーカの実家であるカトリナ伯爵家に匿われていた凶悪犯と鉢合わせをして負った怪我だと聞き及んでいる。右腕にも大怪我を負って、日常的なことならば出来るようにまで治療してもらったが、まだ剣を持つことは許可が下りていない。
レイロクもそれに巻き込まれて、視力の補助として使役していた蜘蛛を失っている。その代わりになるような蜘蛛を捕らえられないかと試しているが、未だに成果はないままだった。
今日の集まりは互いの今後についての話し合いの場であったが、食事中は無意識的にその話題を避けようとしたのか誰もそのことを口には出さなかった。
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「これからのことなんだけど」
それでもいつかは食事は終わる。何となく探るような空気の中で口火を切ったのはレイロクだった。レイロクはヨーカに手渡された冷ました紅茶の入ったカップを握り締めたまま、いつもと変わらぬ穏やかな口調で切り出す。
「僕は、騎士団を辞めて故郷に帰ろうと思う」
何の気負いもなく普通の様子でサラリと告げたレイロクに、一瞬ヨーカもフラウの息を呑んで固まってしまった。おそらくレイロクにはその様子は見えていないのだろうが、予想していたのか気配で察したのか、彼は小さくクスリと笑いを漏らした。
「僕の場合は良くなるならないじゃなくて、もうどうしようもないものだから。それに、アイツらと出会ったのは子供の頃だし、もしかしたらあっちに同じようなヤツがいるかもしれないからね」
「そうね…レイロクはその方がいいのかもね」
レイロクは視力が悪くなる前から、蜘蛛のみを使役する珍しいテイマー能力を発揮していた。もし故郷にいる蜘蛛だけにその能力の効果が及ぶのだとしたら、戻った方がいいのかもしれないのだ。それにこのままでは、レイロクは人の手を借りなければまともに生活をすることも困難なのだ。そんな不自由な体で生きて行くのならば、王都よりも長年慣れ親しんだ故郷の方がレイロクも生きやすいだろう。
騎士団の任務中の出来事ではあるが、実際レイロクが怪我を負った訳ではない。これまでにテイマー能力のある者が騎士団に所属していたことが殆どないので、前例もなくどの程度補償をしていいものか上層部でも紛糾したらしいと聞いていた。そして様々な規約と照らし合わせた結果、身体補助具の魔道具を破損して修復は不可能だった場合に近いだろうということで、視力補助の魔道具相当の補償金が支払われることになった。例外的に見習いでありながら正式な騎士と同じだけの額を出してもらえたのは、偶然だったとは言え凶悪犯の捕縛に協力したと第三騎士団団長からの口添えがあった為だった。
それがあれば当分は生活には困らないだろうが、騎士を続けることはレイロクには不可能だった。
「それにライル商会の養父さんが、生活に慣れるまでは面倒を見てくれるって連絡が来てさ。商会の伝手で、視力補助の魔道具職人も紹介してくれるって」
「そう、か…それなら…」
「うん。もう僕はヨーカとは一緒に行けない」
「……そっか」
ヨーカは少し長い間の後、小さく頷いた。いつもは気が強くて不遜なまでに態度の大きいヨーカとは思えない程、弱々しい反応だった。
レイロクは、元はヨーカの実家カトリナ伯爵家の寄子の子爵家の末っ子だった。同い年の末っ子同士ということでヨーカとは幼い頃から交流があった。
ただレイロクの特殊能力から家族の一部と折り合いが悪く、それを案じた実父がそれなりに手広く商会をやっているライル家に彼を養子に出した。そしてそこの跡取りとして商人になる予定だったのだが、養父に実子が見つかったことで揉めごとに発展しそうだったところを、ヨーカが自分の側付きに取り立てると言い張って強引に引き抜いたのだ。
その時点でヨーカはフラウの実家インディゴ伯爵家に婿入りすることが確定していて、フラウの両親もレイロクを受け入れてくれた為に成立した条件だった。だが今はフラウの家族は亡くなり、インディゴ伯爵家の領地は国に返還して名だけが残った。
ヨーカとフラウの婚約は継続されたが、二人の生活は少し裕福な平民とさほど変わらない状況になった。その時点でヨーカは強引に引っ張って来たレイロクの将来も潰したも同然だったのだが、レイロクは全く気にした様子もなく「僕はヨーカが大成するって信じてるから、将来おこぼれに預かるんだ」とニコニコしながらヨーカの側を離れなかった。
そのレイロクがきっぱりと別離を告げた。ヨーカとしても引き留める理由がないので頷く以外の選択肢はないのだが、それでもずっと側にいてくれた存在を失うことは思っていたよりも堪えた。
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続きの言葉が出て来なくて俯いたヨーカを、フラウは複雑な表情で眺めていた。チラリとヨーカの隣のレイロクに視線を送ったが、目の悪いレイロクは一瞬だけ向けられたフラウの視線がやけに厳しいものだったことには気付かなかった。
これからヨーカに告げることを考えると、先を越されてしまったことに少しばかりフラウは八つ当たりをしたくなったのだ。けれどこればかりは伝えなくてはならないと、フラウは大きく息を吸って両手をギュッと握り締めた。
そのフラウの息遣いが耳に入ったのか、ヨーカが顔を上げた。そこで何かを決意したかのようなフラウの顔を見て、何かを察したのか更にヨーカの表情が曇った。その顔を見て、フラウの「ああ、もう分かっているのね」と少しの安堵と、締め付けられるような苦しさを覚えた。
「ヨーカ、私達、婚約を解消しましょう」
フラウの言葉にヨーカがヒュッと息を呑んで固まった。その顔は一瞬だけ朱が差し、すぐに血の気が引いて行った。
「あ…そ、そんな…フラウ…」
「私はインディゴ伯爵当主なの。だから…この婚約を続けることは出来ない」
「違っ…俺は、カトリナ家は継がない!」
「でも少なくとも10年近くは当主になるのでしょう?」
「正式な当主じゃない!」
ヨーカの実家カトリナ伯爵家は、少なくとも先代から10年以上に渡る不正な領地侵害によってインディゴ伯爵家に被害を齎し、国をも欺いていた。大して領政には力を入れず、税収は最低限を国に納めていた。カトリナ領は農業が主産業であったが決して豊かな土地ではなかった為に、国からも不審に思われなかったのだ。しかしその裏で勝手にインディゴ領から奪ったダンジョンから産出される素材を、全て自分達の私腹を肥やすことに使っていた。
それが今回のことで明るみになった今、カトリナ家の現当主と先代当主であったヨーカの長兄と父は貴族籍を剥奪され罪人となって裁かれた。まだ正式な沙汰は下っていないが、犯罪奴隷として鉱山に送られ、おそらく生涯掛けても出て来ることはないだろう。
そして知っていてその贅沢を享受していた妻達は、やはり似たような犯罪者を収容している修道院で奉仕活動に従事することになっている。
カトリナ家は辛うじて廃爵は免れたものの、男爵位に降爵され、広大だった領地は半分に割譲された。その取り上げられた領地は一旦国の管理下に置かれるが、カトリナ家の犯罪とは無関係だった寄子の家に分割して与えられる予定になっている。
残されるカトリナ男爵家は、異国に婿入りした次男の息子達の中で、幼い末っ子が後継になることに決まった。だがまだ分別もつかない程に幼い為に、その中継ぎとして仮当主にヨーカが指名されたのだった。
正式な次期後継者となったヨーカの甥は本当に幼い。一人前になるにはそれこそ10年どころかそれ以上掛かるかもしれない。それならばこの国に暮らしているヨーカが当主になっても良かったのだが、そこは次兄とその婚家から異議が出された。次兄は実家から犯罪者が出たとして婚家では肩身の狭い思いをしている上に、末の息子に与えるだけの資産もない為に、少しでも婚家に恩を売ろうと必死になっていた。スペアにもならない末っ子を異国の貴族に据えることで、何かしらの利を得ようと画策したのだ。
もしヨーカが以前のように騎士として十分な実力を備えたままであったならば、その剣の腕を惜しまれて騎士団に残ることは出来たかもしれない。けれど今のヨーカに残されたのは、先輩後輩誰彼構わず噛み付いて問題を起こすような、難のある厄介な性格をしているという評価だけだ。
しかも身内が犯罪者となったことで、このまま残るにはあまりにも互いの為にならないと諭され、ヨーカはその話を受けるしかなかったのだ。
「私は、領地も領民の一人もいない名ばかりの伯爵家当主だけど…貴族として血を繋ぐ義務があるの。ううん、義務だけじゃない。父様や母様、そして兄様の血を、生きた証を繋いで行きたい。…だから、ヨーカとの婚約は継続出来ない」
「だけど…!」
「領地経営に詳しい補佐官を付けてもらえるのでしょう?私みたいな新人文官よりもずっと役に立つわ」
「そうじゃない!俺がフラウに来てもらいたいのはそうじゃなくて…!」
やはりカトリナ領に共に来て欲しかったのか、とフラウは内心そっと溜息を吐く。けれどそれだけはどうあっても出来ない相談なのだ。
領地も持たない名ばかりとは言えフラウは伯爵だ。ヨーカはこのまま行けば男爵家当主の代理として一代限りの爵位くらい与えられるだろうが、フラウとは身分差が生じる。この状態で婚約を継続、やがて婚姻したとなれば、世間ではフラウがカトリナ領を乗っ取ったと見られるだろう。しかも次期後継者が決まっていたとしても、二人の間に子が生まれれば後継争いが生じるのは火を見るより明らかだ。当人達が望まなくても、周囲が放ってくれる筈がないのだ。しかも次期後継者は異国の貴族だ。王都から離れた地方の男爵家の争いであっても、国同士の摩擦となれば後々の影響は計り知れない。
「ヨーカ、私は貴方とは一緒には行けない」
「フラウ…」
温度のない声で突き放すように言ったフラウに、ヨーカの顔がクシャリと歪んだ。ヨーカとて分かっているのだろうが、それでも感情がついて行かないようだ。
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しばし重い沈黙が談話室の中を支配した。
どのくらい時が経ったのか、長い沈黙の後、最初に口を開いたのはレイロクだった。
「ヨーカ…僕は、僕たちは、自由に先を走って行くヨーカの背中を見るのが好きだったよ。ヨーカが走って行く先には見たことのない景色が広がって、次に連れて行ってくれる先はどこだろうとワクワクしてた」
「レイロク…」
「だけどいつかは一緒に走れなくなる。それが今なんだ。遅かれ早かれ、いつか来たことだよ」
静かなレイロクの言葉に、ヨーカは口を引き結んだ。そして力を入れて堪えているのに、目に溜まった涙が決壊してポタポタとヨーカの頬を伝って握り締めた手の甲に落ちた。
「ヨーカ、私達は離れるけど、遠くからいつだって貴方の幸せを祈ってるわ」
「おっ、俺も、祈る…!フラウの、レイロクの、幸せを、祈ってやるからな!」
ヨーカは涙でグシャグシャになりながら、鼻水まで垂らしながらも強気な顔を保ったまま半ば叫ぶように宣言した。
その相変わらずの態度を保とうとする様子に、フラウもレイロクも思わず笑ってしまった。しかし笑いながらも、彼らの目元から光るものが零れ落ちたのは止めることが出来なかったのだった。
お読みいただきありがとうございます!
色々と彼らの話は候補がありましたが、ちょっとビター寄りになりました。
一応ふんわりとですが、その後はハピエンになる予定。
ヨーカとフラウは元サヤになります。ただそれが何年後になるかは未定。今回ヨーカと婚約解消を選んだのは、もう一つ別の理由もあるのですが、そちらは次回にチラリと出す予定です。
レイロクは、ライル商会の実子ちゃん(女児)の初恋の相手だった為に呼び戻されたのが一番の理由なので、戻ったら多分グイグイ迫られます。商会長も、養父が義父になるのは大差ないよね?くらいなノリなので、結構外堀は埋められてます。
ついでに実父の子爵は、今回カトリナ領から割譲された領地をレイロクに託す為の根回し中。多分准男爵あたりの地位ならどうにか出来る。
なので後はレイロクの選択次第、ってところです。