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549.これから


食事を終えて、デザートのミニタルトを大切そうに小さく切り分けているレンドルフを、ユリはコーヒーを飲みながら眺めていた。デザートに辿り着く前にすっかり満腹で白旗を上げたユリは、最初からタルトをレンドルフの皿に盛ってもらい、自分はデミダスカップでブラックコーヒーを楽しんでいる。

レンドルフならば簡単に一口で平らげられそうなサイズだが、味わって食べたいらしく器用に四つ割にしている。そして一口ずつ味わっては幸せそうに口角を上げているレンドルフの顔を見ているだけで、ユリにしてみれば十分に甘いデザートのようなものだった。


「次の休みに、どこか行きたいところはある?」


欠片も残さず四つのミニタルトを完食したレンドルフが、大きめのカップに入ったミルクコーヒーのおかわりを注文してからユリに尋ねた。


「そうね…色々あって迷っちゃう」


ここのところユリには外出制限もあった為に、出掛けるとすると人が入り込まない森の中へ護衛付きで薬草の採取に行くか、調薬した薬を納めにギルドに行くかくらいだったので、行楽的な外出は久しぶりだ。まだ正式にレンザからの許可は出ていないが、次のレンドルフとの予定までには解禁されている筈だ。


「博物館の…あ、ううん。水族館!水族館がいいな」

「ああ、前に行こうって言って行けてなかったね。でも博物館はいいの?」

「うん、大丈夫!今は特に見たい展示はなかったから!」


ユリはそう言ったが、本当は博物館では現在「毒と薬の歴史」という企画展が開催されている。薬師を目指す者からするとかなり興味深い品の展示があると聞いているのだが、さすがにレンドルフをそれに付き合わせるのは避けたのだ。特に目玉展示の一つでもある「暗殺に用いられた毒」のコーナーでは、かつて使用された暗器のレプリカが並んでいるらしく、ユリとしては非常に興味を惹かれていたのだが、あからさまには言いにくかった。

実際水族館も行きたい場所ではあったので嘘は言っていない、とユリは心の中で付け加えた。


「じゃあ良い感じのヒトデがいるか確認しておかないと」

「覚えててくれたの?」

「勿論。前にアナ様の視察で行った時は見るだけだったけど、確か何種類かいたと思うよ」

「わあ、楽しみ!王都じゃ磯の生物の実物を見る機会がなかなかなくて」


王都にもほんの少しだけ海に面している場所があるのだが、そこは小さな漁港で、楽しむような場所ではないのだ。ユリは生まれてしばらくはアスクレティ領にいたらしいが、記憶にないので経験していないのと同じことだ。それに両親は特殊魔力を厭うて育児放棄していたそうなので、海に連れて行くようなことはなかっただろう。


「前に幻の海は見たけど、やっぱり実物を見てみたかったの。ウミウシとかもいるかしら?」

「ユリさんの都合が付けば、本物の海で磯遊びもお供するよ」

「そうね…でも、他にも行きたい場所が多過ぎて、全部行くにはどれだけ掛かるのか分からないよ?」

「俺が引退して辺境を案内する時に、寄り道していっそ国中を回ろうか」

「それもいいわね」


ユリは体質故に王都を出ることは出来ない。いつか、先日交わした約束は空手形だと告げなければならないだろうが、以前レンドルフが「言いたくないことを無理に打ち明ける必要はない」と言ってくれたことに今は甘えることにして、ユリは胸に去来した小さな苦い何かを見ないフリをして飲み下したのだった。



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「ご主人様、いい加減にお返事をしませんと」

「ああ」


アイヴィーが呆れたように主人であるダンカンに声を掛けたが、さっきから返って来るのは生返事ばかりだった。もうかれこれ一時間以上、ダンカンは険しい顔で書類を見つめていた。そんなに分厚い書類ではないので、いつもの彼ならばすぐに読破してしまう程度のものだ。それなのにこうして固まっているのは、どうにか抜け道がないかを探しているからだ。


「もう諦めて承知の旨のご返答をしては」

「……分かっている。だが、もう少し」

「ご主人様も、もう答えは出ているのでしょう?」


書類から目を離そうとしないダンカンにそうアイヴィーが告げると、先程からずっと維持されている眉間の皺がより一層深くなった。それでも返答を返さないのは、どこか意地になっているのかもしれない。

それなりに長く側にいたアイヴィーからすると、ダンカンの気持ちは分からないでもないが、手にした書類に記されていることは覆らない。


「…私の腹心が二人も取り上げられるのだぞ。せめて譲歩は引き出さんとなるまい」

「元々一人でしたし、今も一人ですよ。それにその申し出自体が譲歩なのですから」


ダンカンが先程から穴が開く程見つめている書類には、アイヴィーとアイヴィスの今後の処遇が記されていた。



元々プロメリアの血を引くトーカ家の人間は、禁術が発覚した時点で親類縁者のかなり遠縁まで処刑対象になった。その中で血が濃いアイヴィスも、本来ならばその対象だったのだ。ただアイヴィスはトーカ家の血の影響が出にくい男性であったし、出生を公にせずに断種の処置を施されることと引き換えに辛うじて処刑を免れていた。それはアイヴィスが王族であったことも大きい。その後はやはり王族である元第三騎士団団長だった亡きエイブリーの遺言と、現団長のダンカンが全ての監督責任を持つとして周囲を押さえこんでいた。


しかし今はアイヴィスの中に元凶の魔女プロメリアの魂が囚われて、共に眠りについている。魔法も使えない状態にはなっているのでそこまでの危険はない筈だが、やはり元凶を生かしておくことを由としない意見が大半だった。その中には、かつてトーカ家と縁付いていた貴族も多かった。彼らはある日突然何も知らなかった妻や子が、トーカの血を引くという理由だけで処刑されたのだ。それが王族というだけで密かに生かされていたという事実は、受け入れ難いものがあったのだろう。プロメリアが国を乗っ取る為に高位貴族に己の血を混ぜようと画策していた為に、その貴族達の地位も権力も決して無視出来るものではなかった。


それにアイヴィーの存在もまた物議を醸していた。

彼女はボルドー家直属の魔法士としてダンカンに仕えていたので、それなりに顔も知られていた。だから魂が入れ替わって元プロメリアであり、犯罪者として裁かれた筈のキダチ・エンジュの体になってしまった為に人前に出られずにいたのだ。それに事情を知る者から、やはりアイヴィーもアイヴィスと同様に危険視されている。今までは魂は女性と言えども体は断種処置された男性のものだった。だが、今は完全に女性の体になっている。しかもキダチ自身、トーカ家の遠縁であった為に、トーカの血を残してしまう可能性が出て来たのだ。


だからこそ、プロメリアを封じる為に尽力したことを鑑みて、彼らの処遇は平民よりも低い身分を落とされた上の処刑ではなく、最も苦しまない毒杯を与えた後にきちんと墓を建てることを許すという方向で話が進んでいた。

ダンカンはそれを王都追放にして、ボルドー領の最も辺鄙な場所に生涯幽閉することに出来ないかと奔走していた。


そんな折、一通の書簡が国王の元に届き、それを読んだ国王から同封されていた書類がダンカンの元へと回されたのだった。



その書類の差出人は、あのアスクレティ大公家当主のレンザからであった。


そこには、アイヴィスは非常に珍しい症例の為、被検体としてアスクレティ家で引き取りたい、という旨が記されていた。そしてアイヴィーは、強力な()()()を活かして特定の薬草の栽培に従事させたいとも続いていたのだ。



魔力を持つ人間には、魔核と呼ばれる器官が存在していて、それが魔力の元となっている。魔獣はそれが魔石という形で見ることが出来るが、魔核は視認することが出来ない。それは神のみが触れられる禁忌の領域の一つで、未だに詳しくは解明されていない。そしてその魔核に異変が起こると、魔力に大きく影響が出るだけでなく、肉体や魂にも響いて来る。魂も魔核と同じように視認することは出来ないが、やはり精神や肉体にも大きく繋がり合っている。肉体が大きく損なわれれば死に至るが、同じように魔核や魂が砕ける程の傷を負えばやはり人は死に至る。


その神の領域に長らく踏み込んで研究をしているのが「医療の」アスクレティ大公家なのだ。肉体だけでなく、魔核や魂も治療することが出来れば、今の医学は飛躍的に前進すると言われている。そして現在、身体的に問題はなくとも眠り続ける奇病の解明の一助にもなるだろう。



「どこから情報を入手したのかは不明だが、大公家ならば造作もないことだろうな。アイヴィスの魂の件も、お前の魔法属性が変わったことも把握しているとはな」


渋い顔をしてダンカンが呟く。そして何度も読んでほぼ暗記してしまった書類を無造作に振った。


人の魔核は、脳の一部に存在していると研究の結果分かっている。それが魔力の根源であるので、魂だけが交替した現在のアイヴィーは、かつてキダチが得意としていた緑魔法を使えるようになっていたのだ。しかしその代わりに、稀少な光魔法は全く発動することがなくなっていた。どうやら魔法は発動出来なかったアイヴィスの魔核に、その属性があったようだ。完全な魔力無しは生まれつき魔核が体内に存在していないのだが、魔法が発動しないが魔核を持つ者も一定数存在していて珍しいものではない。


「……そう酷い実験を行うことはない、と思いたいのだが」

「私は構いません」

「お前の兄だぞ」

「ご主人様、私と兄は最初からずっと、プロメリアと共に消えるつもりだったのです。それが王族でもあり、トーカの血を引く者の最後の使命だと胸に刻んで生きて来ました」


迷いのないアイヴィーの言葉にダンカンは無表情を貫いたものの、書類の手にした部分の皺が深くなったのを彼女は見逃さなかった。冷静で徹底した合理主義者と名高いダンカンだが、その中身は違うことをアイヴィーはよく知っている。彼の冷たさはそれを守る為の盾であり鎧なのだと。


「レンドルフに頼むことは…」

「旦那様。これ以上あの方を巻き込んではなりません」


ダンカンは、どんなに変装をしていてもその所作で正体を見破る特技を有している。そしてユリが大公女として参加した数少ない夜会で直接見かけていたため、レンドルフの側にいる女性が大公女であることを正確に把握しているのだ。

ただダンカンの誤算は、ユリの正体をレンドルフも知っていると勘違いしていることだった。さすがに大公家唯一の直系と理無(わりな)い仲であるというのは色々と問題が持ち上がってしまいかねないので、根回しを終えて正式に婚約を公表するまでは周囲に隠しているのだろうという貴族的な対応だと思い込んでいたのだ。他国の王族同士の政略などは、互いに利のある国同士の条約締結まで縁談を秘匿することは珍しくないので、国外に赴くことの多いダンカンからするとそんな感覚だった。


「そうだな…大公閣下はそこまで甘い方ではない、か」


当主のレンザは唯一の孫を溺愛しているのは貴族の間では有名だが、その伴侶候補まで甘いとは限らない。ユリの気持ちを慮ってかレンザ自身もレンドルフを気に掛けてはいるようだが、ただ孫の相手となればむしろ敵認定していてもおかしくない。下手に突ついて薮から蛇を出すことは避けたい。


「せめてこの薬草の栽培場所を王都の近くか、ウチの領に作れないかで交渉するか。特に場所の指定はないようだしな。あとは定期的な訪問の要件を捩じ込むか…」

「あまり無茶はなさいませんよう」

「身内の訪問だ。何も問題はない。堂々と要求するさ」


確かにアイヴィスは王家の血も引いているのでダンカンからすれば身内だが、アイヴィーは魂はともかくその身には王家の血は流れていない。わざわざ口に出すことはないが、ほんの少しだけ浮かべている笑みに苦いものが混ざってしまったアイヴィーに、ダンカンは書類を手に立ち上がって手元でくるくると丸めた。


「お前も私の身内で腹心のアイヴィーには変わりはない。堂々としてろ」


そう言ってダンカンは丸めた書類でアイヴィーの頭をポンと叩いた。叩くと言うよりは触れさせると言った方が正しいかもしれないくらいのものだった。


「これから大公閣下に面会の打診をして来る。食事時だろうが何だろうが、捩じ込ませるからな」

「またそんな無茶を…」

「あちらとて稀少な被検体は喉から手が出る程欲しい筈だ。せいぜい足下を見てやるさ」


開き直ったのか虚勢なのかはアイヴィーの目にも分からなかったが、ダンカンはあくまでも不遜な態度を崩さずに、先触れを出すべく執務室を後にした。


あっという間に去ってしまったダンカンに出て行った扉をアイヴィーはしばらく感慨深い様子で見つめ、やがて小さく「ご武運を」と呟いたのだった。


お読みいただきありがとうございます!


ユリと水族館デートの約束をしたのは「224.ヒトデの期待と牡蠣の楽しみ」にあります。

レンドルフとしてはラッコやペンギンみたいなのと戯れるユリを見たいのですが、ユリはヒトデやウミウシを両手で鷲掴みにすることしか考えていないのでレンドルフの方が合わせる感じになりました。


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