54.油断と錯覚
戦闘あります。ご注意ください。
「レンさん、体調は大丈夫?貧血とかはない?」
「うん、平気。どっちかと言うと骨折とか火傷とかだったから、出血はあんまりしてない」
「ならいいけど…必要なら増血剤もあるから、ちゃんと言ってね」
回復薬には、上級以上は失った血を多少補う為の成分が入っているのだが、中級以下の回復薬には入っていない。その為、出血が多かった場合は合わせて増血剤の投与が推奨されている。ただ、この増血剤も強引に体に働きかけて血を増やすので、体力とのバランスを調整しながらの投与が必要にはなる。
レンドルフは身体強化魔法で周囲を警戒しながらノルドを走らせていた。魔力量は体感では半分を切っていそうだが、元の量が多いのでこの程度なら森を抜ける間くらいなら問題ない。着ているシャツの魔石のボタンは、一番下のものが残っていた。右袖とポケットにも二つ程付いている。何かあった時はそれを使えば事足りるだろう。
「この先、鳥型のがいるな。そんなに大きくないけど、避けて行こうか」
「ちょっと待ってね。迂回路を確認するわ」
一旦ノルドを止めて、レンドルフは行く方向を指し示した。通常の人間では目視出来ない程に遠いが、強化したレンドルフの視界には、種族までは分からないが尖ったクチバシを持った影を捉えている。ユリはレンドルフの言葉にすぐにギルドカードを出して、地図を確認する。
「どれも大分遠回りのルートしかないみたい。その鳥型はたくさんいるみたい?少ないなら強引に突っ切るか倒して真っ直ぐ行った方がいいかも」
「今のところ周辺には見えないな。多分あの形だとサギヨシ鳥だと思う。あれは繁殖期以外は単体で行動するから、一羽だけの可能性は高いけど」
「レンさんは行けそう?体が辛いなら私が前に出るけど」
「あれくらいなら問題ないよ。随分小さな個体みたいだし」
サギヨシ鳥は大型になる鳥系魔獣で、くすんだ緑色の羽根を持ち、自分より大きな相手には逃げるか隠れるかするのだが、小さな相手だと襲って来る習性がある。ただ、そもそもが平均2メートルくらいの大きさなので、人間は大抵襲われる。肉食ではないが、長いクチバシの内側には尖った歯がビッシリ生えていて、噛まれるとかなり痛い。そして飛ぶのは上手くないが、その分脚力が強く蹴られれば確実に骨が折れる程だ。
「このままノルドで突っ込んで行って一気に首を落とす。ユリさんは風魔法で飛ぶのを抑えて援護してくれるかな」
「分かった。気を付けて」
ノルドは普通に歩いたり速歩より、速度を上げて走った方が揺れない。騎乗したまま魔獣を相手にすることも多いクロヴァス領で育てられているので、辺境伯家が所有しているスレイプニルは総じて魔獣を追い込む為に走り回って急旋回する動きに特化した訓練を受けている。ノルドも例外ではない。
不意に、レンドルフの右腕がユリの体の前に回って、ほんの一瞬だが後ろから抱き締められるような体勢になる。しかしレンドルフの長い腕はユリの体に殆ど触れず、微かに彼のシャツの袖が掠めただけだった。反対側の手にした剣を抜く為に手を回しただけのようで、ユリの視線の先でスラリとレンドルフの長剣の銀色の刃が鞘から解き放たれる。それでもレンドルフの両腕に挟まれたような格好になったので、彼の高い体温のせいかフワリと包まれたような錯覚を感じて、ユリの顔に熱が一気に集中したような気がした。
「ごめん、怖かったよね」
剣を抜いた瞬間にユリの体が強張ったような気がしたので、レンドルフは一声掛けるべきだったと急いで謝った。いくら冒険者のランク持ちと言っても、女性の目の前でいきなり剣を抜くのはあまりにも気遣いがなかったとレンドルフは即座に反省して心に刻んだ。あまりにも女性との関わりが少な過ぎたため、咄嗟の時にこうして適切な行動が出来ないので、十二分に気を付けなければと固く誓う。
実のところ、ユリが固まったのは全然違う意味合いだったのだが、そこはレンドルフなので全く気付いていなかったのであった。
「う、ううん、大丈夫!ちょっとビックリしただけ…」
「次はちゃんと声を掛けるから」
「は、はい…」
レンドルフは左手だけで手綱を掴むと、そのまま腕をユリの正面に出した。
「ユリさん俺の腕掴むのは大丈夫?もし不安だったら抱えるけど…」
「そこまでじゃなくても大丈夫!さっきノルドで全力で走ったから、安定してるのは分かってる」
「うん。絶対ユリさんには怪我させないから、安心して」
「出来ればレンさんも怪我しないで欲しいんだけど」
「……努力します」
チラリと振り返って下からレンドルフの顔を覗き込むユリに、レンドルフは少しだけ済まなさそうな表情で苦笑しながらそう答えた。嘘でもしないと言わないところがレンドルフらしかった。
「…仕方ないなあ。その時は私が絶対手当てしますからね」
「お手柔らかにお願いします」
ユリがレンドルフの左の手首付近を両手で握りしめた。彼女の小さな手ではレンドルフの手首付近でも半周くらいしか届かない。それでもまるで固定された金属の手すりのようにしっかりと安定した彼の腕に、ユリは安心感を覚える。
「大丈夫?」
「はい」
「じゃ、ノルド。…狩るぞ」
レンドルフはいつもより低めの声で呟くと、軽くノルドの脇腹を蹴った。彼の手綱を握る左手は一切動いていないのに、ノルドは滑り出すように走り出し、一切速度を落とさないままに木々の間を抜けて行く。ある程度ノルドの判断で自由に走らせているのだろう。動きに合わせてレンドルフが手綱を操っている気配はあまり感じられなかった。
あっという間にユリが目視出来る位置まで、目標の姿が近付いて来ていた。やはり予想通りサギヨシ鳥で、風下から一気に近寄ったので気付くのが遅れたようだ。一瞬、滑稽にも見える程にキョトンとした丸い目をしてこちらを振り返った。
「ウィンドカッター!」
しかしさすがにこちらを攻撃対象と定めた判断は早く、相手は即座に威嚇するかのように翼を広げて口を開いて「ギャア」と濁った声で鳴いた。そうやって口を開くと、鳥というよりは爬虫類のようだった。
しかし、地面を蹴って飛び上がる前にユリの風魔法が広げた羽根の先を不規則に切り落し、上や斜めの方向から気流を掻き回す。
たまらず片足を上げた格好でグラリと体が傾いた瞬間、すぐ脇をノルドが駆け抜け、レンドルフの構えた剣の刃が真横に一閃した。
ノルドはそのまま駆け抜け、十分な距離を取ったところで足を止めて振り返る。
振り返った時には、大型の鳥は首の半ばから上が無くなっており、羽根を広げて片足を上げたままの姿勢でドサリと地面に転がった。そして一拍遅れて切り落された頭の部分が体から離れた場所にポトリと落ちて来た。
「すご…一撃…」
「ユリさんの援護のおかげだよ」
レンドルフはサラリと褒めて、ノルドを倒したサギヨシ鳥の側まで誘導した。勿論首を落とされているので、完全に絶命してピクリとも動かない。
「これ、どうしようか。魔石だけ取って埋める?」
「私の使ってる圧縮の魔道具があるから、魔石だけ取れば入るよ」
「じゃああっちの水場で解体しよう」
少し離れたところに川が流れていたのは地図で確認していた。レンドルフはノルドの手綱はユリに任せて自分は降りると自身の身長と大差ない大きさの鳥の体をヒョイ、と片手で担ぎ上げた。反対の手には、落とした首の方を下げている。頭の方はあまり使い道がないが、そのままにしておいては他の魔獣を寄せてしまうことがある。解体の際に出る要らない部位とともに埋めてしまわないとならない。
「ユリさんはノルドの誘導を頼むよ」
「分かった」
----------------------------------------------------------------------------------
川の側は、少し高いところから落ちている場所があって、三段程の小さな滝のようになっていた。その近くでは飛沫がかなり飛んで来るので、少し離れた場所に仕留めた鳥を置いた。
レンドルフは自分の荷物の中から幅広の刃の短剣と、水の浄化の魔石を取り出す。
「レンさん、何か手伝うことはある?」
「あんまり大きな個体じゃないし、これくらいなら一人でもすぐに解体出来るよ。ユリさんは近くで周囲に注意を払っててくれるかな。あと、欲しい部位はある?」
「んー…サギヨシ鳥って肉以外はあんまり使い道ないのよね。肉は美味しいんだけど」
「じゃあこれはギルドに出さないでみんなで分けて食べようか」
「いいの?レンさんが仕留めたものなのに」
「ユリさんと一緒に、じゃない?」
「え、ええと…じゃあお言葉に甘えて」
「仕留めた特権で、もも肉は優先的に貰おう」
「それはいいわね」
サギヨシ鳥は少々歯応えはあるが大変味が良い肉で、煮込みなどで食べるのに適している。特にもも肉は、とろけるまで何時間も煮込んでも肉の味が抜けない上に良い出汁も出るので、取り扱う肉屋などでは入荷するとすぐに売れてしまう程の人気の部位だった。
レンドルフが浄化の魔石を水に沈めて血抜きをしながら解体を始める。手早く次々と羽根を毟って、いとも簡単に根元から抜いていく。肉の中に羽根の根元が残っていると味が落ちるのだが、力を入れないと抜けないが入れすぎると途中で折れてしまうので、実は結構なコツのいる作業だ。見る間にレンドルフの足元には緑色の羽根の山が積み上がる。
思わずユリはその手際の良さに見入ってしまったが、ハッとして周囲の警戒に気を回した。これでは何の為に解体をレンドルフに任せていたか分からない。
「あ…」
「ユリさん?何かあった?」
周囲を見渡していた時、滝のように水が落ちている場所の一番上の川岸に、ジギスの花が咲いているのが見えた。その花の色は、遠目には黒のように見える。
「レンさん、あそこにジギスが!」
黒い色の花は薬効が非常に高いが、幻と言われる程稀少なものだった。遠目なので完全に黒いかは採取してみないことには分からないが、少なくともよくある紫とは一線を画した色だった。
「黒…っぽい?」
「そうよね?やっぱり黒っぽいわよね」
ユリは少し興奮気味に声を弾ませると、ポーチから手袋を取り出して装着した。花粉以外は毒性のある植物なので、採取の際には防毒の手袋が必須になる。あの幻の黒い花のジギスがあれば、他の色では症状を抑える程度にしかならない心臓に重い病を抱えている者や、先天的な心疾患を持った子供の症状を軽減出来る。無理さえしなければ日常生活を送れるくらいまで回復が可能なのだ。
もしあれが完全な黒でなくとも通常の紫などより濃い色であるので、薬効が普通よりも高いかもしれない。それに未だに黒の花が咲く条件は分かっていなかった。ジギスの花はこれまでの研究で、土の影響は殆ど受けないが水の状態によって色が変わるとわかっている。花と一緒に水質の状態を調べれば、もしかしたら黒の花が咲く条件の手掛かりになるかもしれない。
「レンさん、ちょっと採取して来るわ」
「待って、ユリさん」
「すぐそこだし、今は魔獣も見えないし」
「ダメだ!」
突如大きめの声を上げたレンドルフが立ち上がって走って来たかと思うと、ユリの手をガシリと掴んだ。解体の最中だったのでレンドルフの手には血が付いていたが、それを落とさないまま握りしめたのでユリの嵌めている手袋に血が移る。
「レンさん…?あの、私なら」
「一人で行動は駄目だ」
「すぐそこの見えるところだし」
「それでも駄目だ」
レンドルフがいつもの様子とは違い、青ざめたような顔色でユリの手を強めに握りしめる。その変わり様に、ユリは困ったようにレンドルフを見上げた。
「ユリさんを…ユリさんの実力を侮ってる訳じゃないんだ…その、一人にするのも、されるのも、俺が怖いんだ…」
レンドルフはユリとは目を合わせないで、手を握りしめたまま俯いていた。固く握られた手が、手袋越しにも冷えていることにユリが気付く。解体の為に水を使っていたせいなのかもしれないが、それだけではないような気がした。
「分かった。ごめんなさい、心配かけて。レンさんの解体が終わったら、一緒に採取に行ってくれる?」
「うん」
ユリの言葉に少し落ち着いたのか、レンドルフは握りしめていた手を緩めて、そこでやっと手に付いていた血がユリの手袋にも移ってしまっていたことに気が付いたようだった。
「あ!ご、ごめん、手袋…」
「替えは沢山持ってるから大丈夫」
慌てて手を離してオロオロし出すレンドルフに、ユリは軽く笑って手袋を外す。
「あ、あの…すぐに解体、終わらせるから」
「焦らなくても大丈夫よ。花は逃げないのに、私の方こそ焦ってごめんね」
少しだけぎこちない空気のまま、レンドルフは解体を再開させた。全て羽根を毟り終えて、内蔵を傷付けないように丁寧に腹に切り込みを入れて行く。一部の内蔵は食用になるが、下手に内蔵を傷付けると肉に臭みが移ってしまう。
ユリは先程よりもレンドルフに少し近い場所の大きな岩の上に腰を下ろして周囲を見回して警戒しながら、時折レンドルフの解体の様子を見守っていた。レンドルフは平静を装っているのか、ただ熱中しているだけなのか、ずっと俯きがちのまま無言で解体を進めている。
不意にレンドルフの耳に掛けていた前髪の一部がハラリと滑り落ちてこめかみの辺りに垂れたが、その毛先が僅かに焦げていることにユリは気が付いた。本来の薄紅色の髪ならばすぐに気が付いただろうが、栗色に変えていた為に目立たなくて分からなかった。回復薬で傷は治せても、髪まではさすがに回復しない。
「ユリさん」
髪のことを教えようとユリが口を開きかけた時、僅かにレンドルフの方が早く彼女の名を呼んだ。
「どうしたの?」
「……さっきは、ごめん」
「レンさんは悪いことしてないよ。つい気が逸っちゃった私が悪いから」
「その…ここが少し故郷の森に似てたから、錯覚した」
「錯覚?」
「俺、クロヴァス領の生まれなんだ」
「……北の、辺境領ね」
ユリからすれば、既にレンドルフの生家のことは知ってはいるが、こうして彼自身の口から言われるのは初めてのことだった。以前にレンドルフが貴族であることは話しているので、こうして出身地を告げてしまうということは、家名を名乗ったも同然だった。レンドルフがそれに気付いているのかは、ユリには判断が付かなかった。
「そこには、すごく強い騎士や、腕の良い猟師がたくさんいたよ。俺よりもずっと強い人達だった」
「すごいところね」
「うん。でも、そういう人達でも、死ぬこともある。そうならないように皆、注意を払うし、準備もする」
レンドルフは、翼の付け根に刃を入れて骨の間を探り当て、ズブリと押し入れる。綺麗に骨の間に入ったので、まるで抵抗もなく本体から外される。ここまで来ると、生き物というよりも食材の方にずっと近くなる。
血と脂が付いて少し切れ味が悪く感じたので、レンドルフは川で一度短剣を洗う。浄化の魔石のおかげで、血が川に流れてもあっという間に透き通った水に戻る。
「それでもやっぱり死者はゼロにはならない。魔獣を狩る人間は覚悟はしてる。だけど、その中で一番辛くて、それなのに一番多いのが、『これくらいなら』なんだ」
短剣を川から引き上げてレンドルフは立ち上がる。ユリからは体は横向きになっているが、顔は僅かに背けられて表情を伺うことは出来なかった。手にした短剣と握りしめた手から水滴が零れ落ちる。
「ほんの一瞬なんだ。『ほんの少し』『見える場所だから』皆、慣れてるし、周囲には何もいないように見えたから、そう思った時に、どうしてか必ず零れ落ちてしまうんだ」
レンドルフの脳裏には、幾人もの騎士が、領民が消えた瞬間が浮かんだ。巨大な魔獣に襲われて一撃で無惨な姿になった者や、大怪我を負って途中で息絶え戻ることが出来なかった者もいた。そういった場面に立ち会ったことも幾度もあった。そのことだって辛く悲しい。けれど、ほんの僅かな油断の隙を突かれて、今まで共に歩いて来た仲間の命が零れ落ちた瞬間の絶望は言葉にならない。
誰もが覚悟して討伐に挑んでいる。注意も充分に払っている。それなのに、まるでぽっかりと穴の開いたように誰もが「これくらいなら」と思ってしまう瞬間があるのだ。そして、そんな時に限って呆気無い程に悲劇が起こる。いつもの水場で水を汲むだけ、見晴らしのいい場所で少し離れただけ、落とし物を拾いにちょっと引き返しただけ。誰も同行せず、当人も大丈夫と確信して僅かに一人離れた瞬間の惨劇。
気の弛みと言ってしまえばそれまでだが、あの時もし声を掛けていれば、共にわずかな距離でも行動を共にしていれば、と残された者の後悔と絶望は深く刻まれる。
「前みたいに、森の浅いところなら大丈夫だったんだけど、ここはちょっとクロヴァス領の森に似てる。だから、つい思い出して怖くなったんだ」
「レンさん…」
確かにここは最深部に近い森の中ではあるが、国内有数の魔獣の生息するクロヴァス領とは生態系が違う。レンドルフの危惧するような事態になることは少ないかもしれないが、ゼロではない。いくら希少な植物を見つけたからといって、自分の行動の軽率さにユリは反省をした。そして何よりもレンドルフの思い出したくない記憶を刺激してしまったことに、言いようもない罪悪感が沸き上がる。
「ごめんなさい。私が軽率だった。これからはこういう場所では離れずにちゃんと一緒にいるから」
ユリは岩の上から降りると、立っているレンドルフの側に駆け寄って空いている手をギュッと握った。水に触れていたせいか、珍しく彼の手は冷えていたので、ユリは自分の手の熱を移すように両手で包み込んだ。それでもレンドルフの手は大きいので、ユリの両手でも彼の片手全部を包み切れなかった。
「俺もごめん。怖がらせるようなこと言って」
ようやくユリに顔を向けたレンドルフの表情は、顔は笑ってはいたが少しだけ泣きそうな顔にも見えた。
「あ、レンさん」
ユリはその顔を見上げていて、ふと気が付くことがあって手をレンドルフの顔に向かって伸ばした。しかし、ユリの身長では手を真上に伸ばしてもレンドルフの顔には全く届かなかった。
最初、レンドルフは彼女が何をしているのか分からなかったようだが、顔に向かって何かしようとしていると悟ったのか不思議そうな顔をしてしゃがみ込んだ。
「ああ、やっぱり。ここの眉毛もちょっと焼けちゃってる」
「え、ええ?」
しゃがみ込んだレンドルフに顔を近付けて、ユリは額に掛かるレンドルフの前髪を軽くかき上げるようにしてそっと眉に指で触れた。前髪に隠れていて分からなかったが、レンドルフの形の良い眉の眉尻の方がほんの僅かだったが無くなってしまっている。前髪も少し焦げていたのと同じ側だったので、顔に火傷を負っていたのかもしれない。
「ちょっとだけだし目立たないと思うけど」
「え…と。全然気付かなかった」
ユリは更に顔を近付けて、指でその付近を撫でた。視界の端でレンドルフの耳があっという間に赤くなったのが見えたが、毛根にまで影響が出てないか確認の為には必要なので、お構いなく何度か指先を往復させて撫でるように触れる。
「そこまでひどく焼けた訳じゃないみたいだから、しばらくすればちゃんと生え揃うと思うわ」
「あ、ありがとう…」
「あと、前髪も一部焦げちゃってるから、後で少し切った方がいいよ」
「そうか…あのアーマーボアの毛に火魔法使った時か」
腕を毛の中に深く突っ込んで火魔法を発動したので、手と腕の装備全体が焦げていた記憶はあるのだが、あの時は必死になっていたので痛みを自覚していなかった。
レンドルフは自分の前髪にそっと触れて、柔らかな部分と明らかに手触りの違う箇所を指で確認した。毛先の僅かな部分が固くなっているが、思ったよりは被害は大きくなさそうだった。眉もユリが触れていた辺りを自分でも触れてみたが、こちらも眉尻の指先程度の幅で無くなっているだけのようだ。
「もし生え揃わないようなら育毛剤も作るから」
「そういうのもあるんだ」
「多少手助けする程度だけどね」
「まあ無かったら無かったで父とお揃いだから母が喜ぶかもしれないけど」
「お揃い?」
「昔、顔に大火傷したらしくて、片方の眉が半分無いんだ」
「私だったらそういうお揃いは嬉しくないと思うけど」
「そうかな」
傷跡は残らなかったにしろ、眉毛が再生不能になってしまった程の大火傷だったとは聞いているが、母がことあるごとにその父の眉が無くなってしまった部分に嬉しげに触れていた記憶がある。レンドルフは父親に顔立ちは全く似ていないので、どこか共通項があれば喜ばれるのではないかと思ったのだが、ユリからすると嬉しくないようだ。それならやはり生え揃っていた方がいいな、とレンドルフはそんなことを思ったのだった。