547.姫と護衛の街歩き
「じゃあ俺はロンさんに預けて来るよ」
「うん。私はすぐに着替えちゃうから」
「急がなくていいよ。女性の身支度は大変だからね」
「…ありがと」
張り切って馬車を引き続けたノルドは、予定よりもかなり早い時間にエイスの街の入口に到着した。
レンドルフが乗っても余裕な大型の馬車は、エイスの街に入るには少々目立ち過ぎるので、一旦入口の門の近くで降りて街に入ることにしていた。もっとも、レンドルフとノルドの組み合わせはエイスの人々にはすっかり慣れた光景で、既に顔馴染みになっている門番が身分証明をする前に勝手に門を開けている。
エイスの街仕様で髪を栗色に変えたレンドルフが馬車から降りて、先にロンが待っているという門に一番近い酒場パープルアイに一足先に向かった。ユリの方は、赤髪の貴族風美女の出で立ちをしているので、こちらもいつもの黒髪に戻してから降りることになっている。その際に、ドレスから普段着に着替えて化粧も落とすので時間が掛かるのだ。
まだ日が高いので看板の出ていない酒場の扉を押すと、中には見知った痩せた中年女性と、その隣にやたら目立つ長身の美女がいた。
「おや、いらっしゃい。てっきりユリちゃんが来るのかと思ってたから素顔のまんまだよ」
「すみません」
「なーんて。冗談だよう。アタシが本気を出して奪っちまったらコトだしねえ」
そう言ってムラサキは大口を開けてカラカラと笑った。この酒場の店主でもあるムラサキは夜になると婀娜めいた美女に変貌するそうだが、昼間しか顔を合わせたことのないレンドルフには、痩せぎすで眉の薄い世話好きの女性だ。
その隣にいる長身の女性は初めて見る顔で、今まで何度もエイスの街に来ているレンドルフも見覚えがない。さすがにこれだけ目立つ容姿をしていれば記憶に残る。
「テンリと言う。近頃世話になった。よろしくな」
「テンリちゃんはミズホ国から最近来たばっかりでね〜。ちょーっとまだ言葉遣いは怪しいけど、悪い子じゃないからね。仲良くしてやっておくれよ」
「レン、です。よろしく」
テンリが右手を差し出して来たので、レンドルフもその手を取って握手を交わす。男性よりは小さいが、思った以上にがっしりとした手で、そして剣を扱っているのか掌は随分固かった。背も高いので、こうして近付くと顔の位置も近い。切れ長の涼しげな目元に、スッキリとした頬のラインは確かに美しいが、どちらかと言うと凛々しさの方が勝っている印象だった。
「あなたは、武士…もとい!騎士か?」
「え…あ、ああ。そうですが」
「この国の剣術を習いたい。手合わせを頼む」
「いや、さすがにそれは…」
彼女もレンドルフの手にある剣ダコで気付いたのか、その手を握り締めたままグイグイと距離を詰めて来る。やんわりと振り解こうにも、それが困難な程度にはテンリの力は強かった。困ったようにムラサキに視線を送って助けを求めると、ムラサキも「落ち着きな」とテンリを宥める。ムラサキの言葉に、テンリは見る間に萎れたように眉を下げた顔になった。
「アンタはこの国に療養に来てるの。実力を磨くのはもっと後でもいいだろ」
「しかし、私はもっと強い王子でいたい」
「王子?」
確かにテンリはスラリとして凛々しい佇まいではあるが、さすがに男性には見えない。細身ではあるが骨っぽさはなく、豊満な体付きとは言えないものの女性らしいまろやかな曲線と細い腰は紛れもなく女性のものだ。レンドルフの疑問が顔に出ていたのか、ムラサキが笑って言葉を足す。
「テンリちゃんはね、あっちで芝居の一座の花形だったんだよ。それこそ王様…ミズホ国だと皇王だったかな。そんなお偉いさんの前で演るような、ね。そんで、王子様役だの騎士役だので大人気だったそうだ」
「ああ、なるほど」
この国ではあまり聞かないが、異国では男性のみや女性のみで構成された芝居があるのはレンドルフも耳にしたことがあった。ムラサキの説明で改めてテンリを見れば、確かにこれで王子の恰好をしたらさぞ女性達が放っておかない魅力的な青年になるだろうと納得した。
「是非、頼む」
「しかし今、ムラサキさんが療養に来ていると」
「ただのフード病。尋ね人に会えば、国に帰れる」
「フード?…ああ、風土病」
少し発音が違ったので一瞬戸惑ったが、すぐにレンドルフは彼女の言いたいことを悟る。医療の分野に詳しい訳ではないが、どんな地域にも風土病は存在しているとは聞いたことがある。その場所によって現れる症状も原因も様々だが、その土地を離れると改善すると主に言い伝えられている。それにその土地では難病で治療が困難だと言われていても、違う場所に行けばその辺りに生えているような雑草が特効薬になったりもする。
ミズホ国は船で数ヶ月は掛かるほど遠く離れた島国だ。このオベリス王国までわざわざ人を捜しに来たのは、その風土病を治すことの出来る医師か薬師がいるからかもしれない。
「もし協力出来ることがあれば言ってください。そう顔が広い訳ではありませんが、人の集まる場所におりますので」
「では手合わせを」
「テンリちゃん」
レンドルフは尋ね人の協力のつもりで言ったのだが、テンリは手合わせの方を希望して更にズイ、と踏み込んで来た。身長差が少ないので、普通の女性よりも近寄られると非常に顔が近くなる。レンドルフの首筋辺りに、テンリの息が掛かりそうな程の距離だ。しかしムラサキが軽く咳払いをしてテンリの名を呼ぶと、すぐにハッとしたようにレンドルフから数歩離れて距離を取った。ミズホ国の流儀までは分からないが、この国ではダンスの時以外に未婚の男女が近付くには相応しくない距離感だったので、レンドルフは気付かれないようにそっと安堵の息を吐いた。
「申し訳ない。つい夢中になってしまった」
「療養を終えて国に帰る前に機会がありましたら、その時はお手合わせをいたしましょう」
「かたじけない」
「さあさ、奥の部屋でロンさんがお待ちだよ。場所は分かるね?」
「はい。では失礼します」
ムラサキに促されて、レンドルフは足早に店の奥の特別室に向かった。
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その後ろ姿を見送って、ムラサキは名残惜しそうな表情で佇んでいるテンリの肩をちょいと突ついて、カウンターの席に座るように指し示す。テンリはやらかしてしまったということに気付いたのか、ムラサキから目を逸らしながらソロリと椅子に腰を降ろす。
「ちゃんと、嘘、吐いたつもりだった」
「…まあ、嘘を吐いたと言うより事実を言わなかっただけだったけどね。でも、こっちで療養するようにと言われているのはホントのことだろ?」
「……気を付ける、刀自」
「そうしとくれ」
テンリはミズホ国から、現人神、つまり人の形をした神であると伝えられている「天帝」の一族の伴侶候補としてオベリス王国に渡って来た。かつて戦乱のどさくさに紛れてミズホ国から出ることを禁じられている一族の一人が異国に流れてしまい、テンリはその行方不明の者の伴侶だと託宣が降りたため極秘裏にやって来たのだ。そして最終的には天帝の一族との間に子をもうけてミズホ国に戻ることが彼女の使命と告げられていた。
テンリがこの国に来るにはアスクレティ大公家の協力が不可欠だったため、このことは大公家のごく一部の者以外には秘匿すべきと通達されている。
天帝という存在は、実存するとだけは知られているが、他は謎に包まれている。ただミズホ国では宗教的、精神的な国民の大いなる支えとして皇王よりも立場が上とすら言われているのだ。政治的な力は持たないということだが、それでもミズホ国では大きな影響力を持つ一族であるのは間違いない。そんな一族の御落胤が国内にいると分かれば、確実にややこしい事態になることは予想がつく。
無駄な混乱は望むところではないと、一応テンリがこの国に渡って来たのは風土病の治療と療養の為としていた。ムラサキはテンリに懐かれているということもあって、後見人として事情は知らされていた。
「ま、あのレンくんは信頼の出来る良い男だからね。ちゃあんと約束は果たしてくれるさ」
「はい」
ムラサキが笑ってテンリの背中をポンと叩くと、彼女はフワリと柔らかい笑みを浮かべたのだった。
その顔は、まるで幼い少女のように愛らしく無邪気なものだった。
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ロンにタッセルを渡して店を出ると、ちょうど着替えたユリがやって来るところだった。もう寒さも和らいで特に今日は天気も良く温かいので、ユリはくるぶし丈の深緑色のワンピースに柔らかな素材の淡いピンク色のストールを羽織った出で立ちだった。まるで花が咲いたような可愛らしい色合いに、レンドルフは思わず頬が緩んでしまう。
「まるでユリさんの周りに春が来たみたいだ。よく似合ってる」
「そ、そう?ありがと…」
ごく自然にレンドルフの手が差し伸べられたので、ユリはそっとそこに自分の手を重ねる。小さなユリの手はレンドルフの大きな手の中に丸ごと収まってしまうので、指先も手の甲も丸ごと温かさに包まれる。
「何だか随分久しぶりだな」
「そうね。今日も…ランチだけなんだけど」
「でも馬車の中で色々と話せたから、俺は楽しかったよ。それに、しばらくは遠征予定はないから今度ゆっくりどこかへ出掛けよう」
「うん!レンさんと行ってみたい場所、まだ沢山あるの!」
ユリが毒にあたって昏睡状態になる前から、市井に危険な毒草がかなり流通していたこともあって、レンザから安全の為にユリには外出の制限を設けていた。その後もユリの体の回復や、レンドルフの遠征などが重なってゆっくり会うことは出来なかったのだ。手紙やギルドカードなどで頻繁にやり取りはしていたが、こうしてエイスの街を一緒に歩いたのは一つ季節が過ぎてしまったくらい前になっていた。
「ミキタさんのところに行くのも久しぶりになるの?」
「そうだね。ユリさんの快気祝いで行った時以来じゃないかな」
その頃はまだ寒くて、ユリに辺境の名産品の一つである白ムジナの革で作ったストールを快気祝いに渡していた。同じく名産品の綿毛兎の一番柔らかな毛を表面にあしらったフワフワした真っ白なストールだったので、小柄なユリが身に付けると小動物的な愛らしさがより際立っていた。レンドルフはその姿を見ると頬が緩みそうになるのを何度も堪えて、頬の内側を噛み締めていた程だった。
「今日のランチは何かしら」
「どれも美味しいから、楽しみだね」
「私はチキンソテーを予想してるんだけど、レンさんは?」
「うーん、そうだな…カレー、とか?」
「あ!それもいいわね!」
クスクスと笑うユリの小さな手が、レンドルフの手の中でキュッと指に絡むように握り締められる。冬場はユリが冷たさを、夏場はレンドルフが汗を気にして手袋をしていることが多いが、今はそれも必要がない季節だ。自分の体温より少しだけ低いユリの細い指を、レンドルフもほんの少しだけ力を入れて握り返したのだった。
「あの店、改装が終わったんだ」
「確か先週だったかな。前より通路が広くなってるから、レンさんも入りやすくなった思うよ」
「そうなんだ。帰りに寄ってみようかな」
そんな何気ない会話も楽しみながら歩いて行く二人の姿は久しぶりで、街の人々も微笑ましさと安堵の温かい眼差しで見つめていることに、二人は全く気付いていないのだった。
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手を繋いで楽しげに笑いながらゆっくりと歩いて行く二人を、邪魔にならない程度の距離を保ちながら平民風の簡素な服に着替えた侍女のエマとサティが付いて行く。その少し離れたところには護衛のマリゴも控えている。
「…あれでお付き合いしてないってんだから、どうかしてるわよね」
ポツリと隣に歩いているエマにしか聞こえない小声でサティが呟いた。その視線の先には、レンドルフの広い背中と、寄り添うような小さなユリの姿がある。平均よりもはるかに大柄なレンドルフと、少々小柄なユリとの体格差はかなり人目を引く。けれど二人はそんなことにも気付かないように楽しげに歩いて行く。明らかにレンドルフの方が加減をしてゆっくりと歩いているのだが、その足の運びはごく自然だ。
「あたしらがとやかく言うことじゃないでしょ」
その呟きを受けて、エマが殆ど口を動かさないで小さく返して来た。仕事モードに入っているエマは表情が極端に少なくなるので、クールな風貌が際立って見える。それに対しサティはどちらかと言うとお調子者で、場を和ませるタイプだ。とは言えどちらも大公家直属のユリの護衛に選ばれるくらいなので極めて能力値は高い。
「そうだけどさぁ、もうちょっとこう…」
「サティ。アンタ、御前にシメられたい?」
「ヒィッ!ええええええ、遠慮します」
そんなやり取りは非常に小さな声で行われていたので、前を歩いているレンドルフ達には全く聞こえていなかった。