546.遠い約束と残したもの
「レンさん、今日はタッセル持って来てるよね?」
「うん。俺の大切なお守りだから」
「まだ回復薬を入れてないからお守りとして機能してないと思うんだけど」
「そんなことないよ。ユリさんがくれた品は全部お守りだと思ってるし、実際そうじゃないかな?」
レンドルフは愛用の大剣ではなく、それよりも細身の長剣を持参して来ていた。こちらも長年使っていて手に馴染んだ愛剣の一つではある。いつもの大剣は遠征帰りで調整に出しているので、今回はこちらになったのだ。そして剣の柄の部分に括り付けていたレンドルフの命を救った特別な付与を施されたタッセルは、今はレンドルフの上着の内ポケットにしまい込まれている。
「そのタッセル、エイスの街の入口でロン爺が待ってるから、預けてもらってもいい?」
「ロンさんが?」
「ちょうどエイスの街に用事があって来るって聞いたから、調整も一緒に任せちゃおうと思って」
「いいのかな?忙しいんじゃ」
「二つ返事で受けてくれたよ?ロン爺もレンさんを気に入っているって言ってたし」
ロンは本名はロンディバルティナウドという長いものだが、誰も本名で呼ぶことはなく、親しい者には「ロン」で、そうでない者は「伝説の付与師」などと呼ばれている。現役の頃から引退するまで、彼の右に出る者はいないと評される程の凄腕の付与師で、全盛期は小さな付与一つでも数年待ちという状態だった。引退した今は、自分の趣味でやりたい付与だけを請け負うと宣言していて、古くからの伝手を持つ者だけを相手にしている。
そのロンは、若い頃からユリの祖父レンザと親しくしていて、男孫しかいないせいかユリのことは本当の孫以上に可愛がってくれるのだ。その特権を存分に利用して、ユリは普通の付与師なら不可能と匙を投げたであろうタッセルの仕掛けやイヤーカフの付与などを任せていた。そしてロンはどうやらレンドルフも気に入ったらしく、レンドルフの持ち物の付与なら優先的に付けてやると約束していた。
「そうだ、ユリさんに回復薬のお礼をしないと。何か希望はある?俺に出来ることなら何だってするから」
「え、ええと…」
先頃の遠征で、ユリがタッセルの中に仕込んでおいた特級回復薬のおかげでレンドルフは命拾いをしたのだ。特級回復薬は再生魔法並みの効果をもたらすが非常に高価で、しかも稀少な薬草を惜しげもなく使用するため通常の手段では手に入れることは困難な代物だ。それを短期間の間に二本も使ってしまったレンドルフは、どうしてもユリにそれに見合うだけの礼をしたいと告げていた。最初は回復薬の金額を支払うと申し出たのだが、それはユリの方から勝手にしたかったことだと言われてやんわりと拒否されてしまっていた。レンドルフとしてもそこを押し通しては却って失礼になると思い、何か別の形でユリの希望を聞くと伝えてある。
ユリはしばし視線を泳がせるように逡巡していたが、少しだけレンドルフの顔を覗き込むように体を乗り出した。普段は濃い緑色をしているユリの瞳は、今は変装の魔道具で金色になっている。それはユリの特徴的な金の虹彩を誤摩化す目的で決めていた色なのだが、実際至近距離で正面から目を合わせるとはっきりと色味が違うことが分かる。魔道具で変えた色よりも、天然の金の虹彩は美しい輝きを持っているとレンドルフは今更ながら気付いたのだった。
「ずっと先のことになるんだけど、それでもお願い聞いてくれる?」
「勿論。何ヶ月先でも、何年先でも」
相変わらずの即答に、ユリはこれでいいのかと問いただしたくなる言葉をグッと飲み込んだ。レンドルフとは以前にも何でもユリの言うことを聞く、という約束をしている。その約束はユリが思い付かないということでまだ保留になっていた。今回もその方向で行こうと思ったのだが、あまり一方的に保留のお願いごとを増やすのもレンドルフのプレッシャーになるかもしれないと、ユリは一つの願い事を思い付いたのだ。
「いつか、レンさんの故郷を、案内して欲しい」
「辺境領を?それは構わないけど…面白いものは何もないよ?」
「私は王都以外は知らないから、別の土地を見てみたいの。それに、北の国境の森は豊かなところで薬草やキノコの固有種も多いって聞いたことがあるし、魔獣から取れる素材だって王都に入って来るのとは違うだろうし」
「そういうことなら、いくらでも。ユリさんが安全に過ごせるように、護衛とガイドを頑張るよ」
「楽しみにしてる。でも、連れて行ってもらうのはレンさんが騎士を定年で引退してからね」
「定年…それは、随分先だね」
レンドルフの故郷の北の辺境までは、スレイプニルを休みなく飛ばし続けて五日という最短記録はあるが、それは元騎士団長が打ち立てたもので、余程の体力と強い意志がなければ有り得ない日程だ。きちんと休憩と宿泊を挟んで、スレイプニルか魔馬を交換しながら単騎で駆け抜けても最低二週間はかかる距離だ。ユリを連れて行くのなら、乗り心地の良い馬車ときちんとした宿を手配するのは必須になる。そうなると片道でひと月は掛かるだろう。それからユリの望むだけ辺境に滞在して、再び王都に帰るのにひと月と考えると、三ヶ月くらいは掛かるだろう。そこまでまとまった休みを取るとしたら、ユリの言うように引退後という手段もあるが、実のところそれよりも早く願いを叶える方法がない訳でもない。
「だって、途中で良い薬草とか生えてるのを見たら寄り道して採取したくなるし、現地の薬師の話も聞いてみたいし…すごく長くなりそうな気がするのよ」
「お嬢様が満足するまでどこまでもお供いたします」
あれこれとしてみたいことを指折り数えるユリに、レンドルフは笑って敢えて仰々しく胸に手を当てて騎士の礼をしてみせた。それがおかしかったのかユリははしゃいだように笑い声を上げた。今はいつもよりも大人の色気を漂わせる装いになっているが、中身はいつものユリと全く変わらないのだ。
「ああ、楽しみ!レンさんがクタクタになるまで連れ回しちゃうかも」
「その時まで体力は落とさないようにしておくよ」
あまりにもユリが喜んでいるので、レンドルフは引退前よりも連れて行ける手段をきちんと調べておこうと密かに考えていたのだった。
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(叶わないのは分かってるけど…少しだけつもりになって夢を見てもいいよね)
ユリは生まれつきの強大な特殊魔力を抑える為に、王都の防御の魔法陣の力を借りて生活している。それでも魔力制御の魔道具を三つも身に着けていないと、人と関わって生活するのに支障が出てしまう。そしてその状態のままずっと過ごしていると体への負担が大きいので、中心街の大公家本邸と、エイスの街に近い別邸に特殊な魔法陣を敷いて二重の効果を維持することで、その屋敷内に限り魔道具を外すことが出来るようにしているのだ。
そんな危うい状態のユリにとっては、王都の外に出ることは禁忌となっている。魔法陣の効果の届かない王都を出ればすぐ、魔道具の出力を全て最大限にする必要があり、それが数日続けば体調を崩してしまうと言われている。更にその状態のままだと命にも関わる。本来は王都内でも、屋敷以外の場所で泊まりがけで出掛けることも避けるようにしているくらいなのだ。
ユリはそれを承知の上で、敢えてレンドルフに願ったのだ。最初から不可能だと分かっているのだが、レンドルフが引退する頃にはきっと有耶無耶になってしまうだろうと考えて思い付いた願いなのだ。いっそ忘れてくれた方がいいとすら思っていた。
(出来ることなら、レンさんが怪我や病で早期引退なんてことにならないように、心の隅にでも約束を覚えてくれていたらいいんだけど)
しかし忘れることを期待しながらも、ユリはレンドルフがこの約束をどこかで覚えていて、この世に留める小さな楔の一つになって欲しいと思っている。矛盾しているという自覚はあったが、ユリはそう願わずにはいられなかった。
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レンドルフは、自分が知っている長期休暇を取れる可能性を思い出していた。
一度崩壊しかけたこの国では、かつては騎士団を維持することも困難だった。特に時の為政者達は、民を幾らでも無尽蔵に使い捨て出来る存在価値の軽い資源と考えていた為、本格的な崩壊の兆し以前から騎士のなり手が激減していた。ただ国の役に立つ高位貴族を守る盾になることが何よりの栄誉だとして、それに見合う報酬も環境も無視し続けていた為に齎された当然の結果だ。
そしていざ本格的に騎士団が盾としての役割も果たせない程に手薄になった際、異国から腕の立つ傭兵を好待遇で招致しようという案も出た。しかしそれは国内のなり手を更に激減させ犯罪者をも招き入れる結果になり、辛うじてまだ機能していた騎士団長達が精鋭を率いて押さえ込んだ。が、全てを潰せた訳ではなく、今もその逃げ延びた者達が闇ギルドを作って暗躍している。
それを経験してやっと国の中枢を担う者達も危機感を覚え、騎士団の在り方そのものを根本から改善させて騎士の待遇を向上させたおかげで、今はどうにか体裁を保てる程度まで騎士を目指す者が増えた。だがどれだけ色々と手厚くしたとしても、騎士の任務は通常よりも危険が伴うのは避けられない。
そこで少しでも長く任期を務めた者には、区切りの良い年にその年数に応じた長期休暇と報償金が出る制度が誕生した。
(確か20年目にはふた月の休暇とその分の給金がでたな)
騎士に与えられる休暇は、ほぼ使わずに二、三年程度溜め込めばひと月くらいになるのは、少し前の「辺境の赤熊の誤訃報」の件で分かっている。確か報賞の長期休暇と合わせて期間を延ばしても問題なかった筈だ。それを利用すれば、定年よりも早くユリを辺境領にまで連れて行ける。とは言え、その20年目に至るには、レンドルフにはまだ10年以上先の話である。
(それ以外にも…あるにはあるが…)
実のところ、レンドルフの頭には別のことで長期休暇を貰える術を既に思い出していた。だが、それはあまり考えないようにと頭の中から追い出そうとした。
「レンさん?大丈夫?何か顔が赤いけど…」
「い、いや!大丈夫!!ちょっと浮かれただけだから!」
「浮かれた…?」
「その、ユリさんを辺境に連れて行くことが!考えたら、楽しみだなって!」
「ずっと先のことなのに。もう、レンさんったら、気が早過ぎでしょ」
完全に頭から追い出せてなくて、レンドルフはどうにか誤摩化した。実際多少浮かれていたというのは間違いではない。
レンドルフが思い出していたのは、伴侶を迎えた騎士が報告や結婚式を挙げる為に帰郷する休暇だった。
親族が王都に来る場合はともかく、様々な事情で来られない場合は前もって申請を出しておけば帰郷が叶うのだ。特にレンドルフの実家のクロヴァス辺境伯家は防衛の最前線であるので、そうそう簡単に家を空けるわけにはいかないのは周知の事実だ。レンドルフの父などは、先代が急逝したため学園を休学して領地に戻り、特別措置によって領地にいたまま学園の卒業資格を貰った先例もある。
だからクロヴァス家から強い要望があれば、伴侶のことも考慮した余裕のある行程で往復するだけの休暇は貰える筈だ。そしてそこから結婚した際の特別休暇を合わせればそれこそ三ヶ月近くになるだろう。更にレンドルフが結婚すると実家に伝えれば、間違いなく家族総出で帰郷しろと要請が飛ぶのは確実に予想が付く。
ただそういう休暇もあるという事実を告げるのは、さすがに憚られた。
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「俺は、ユリさんとの先の約束が増えるのは嬉しいよ」
「う、うん…そうね!」
それも間違いなく本心なので、レンドルフはまだ心の片隅にこびり付くような感覚を残しながらも振り切るように微笑んだ。相変わらず至近距離で浴びるレンドルフの微笑みの破壊力にユリは一瞬詰まりながらも、ユリも何かを振り切るように笑って頷いた。
そのほんの少しだけ互いの心に残した「何か」は、自分達でも自覚がない程に静かに深い場所へと沈んで行ったのだった。
お読みいただきありがとうございます!
レンドルフとの約束のエピソードは「242.覚醒と追跡」「275.譲れない想い」辺りにあります。随分前の話ですが、まだ有効で保留のままです。
あと今回は空気に徹していますが、ちゃんと侍女二人も馬車に同乗しています。