表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
606/626

545.クロヴァス家のタウンハウスにて


「手間を掛けさせてすみません…」

「いえ、こちらこそお嬢様の都合に付き合っていただきまして」


そう言いながら、ユリの護衛騎士であるマリゴは手を止めることなく馬車にクロヴァス家所有のスレイプニルのノルドを繋いでいた。その手の動きは正確で、時折マリゴが機械のように見えてしまう程だ。



遠征帰りのレンドルフは、本日から三日間の休暇を貰っていた。その初日にエイスの街でユリとランチを共にして、手紙を入れる箱を買い求めに行く予定だ。ユリの都合がランチまでしか合わなかったので、買い物は一人で行くことになっている。

朝からノルドを飛ばして前日にエイスの街に戻っているユリと待ち合わせることになっていたが、ユリの方の予定が変わり、一緒にエイスの街へ移動することになったのだ。その為にユリの方がレンドルフと乗っても窮屈でない大型の馬車を手配して、クロヴァス家のタウンハウスに迎えに行ったのだ。


本当は距離としては王城からエイスの街に向かった方が近いのだが、今回タウンハウスに立ち寄ってもらったのは、馬車を引く馬をノルドに変更する為だ。

久しぶりにエイスの街に行けると思っていたノルドが、連れて行ってもらえないと知るとすっかり拗ねてしまったのだ。まさかここまで人語を理解しているとは思わなかったのだが、ひとえにエイスの街に行くと預け所で貰える甘いカーエの葉(おやつ)を楽しみにしていたからのようだ。その為レンドルフはユリが馬車に乗って、その脇をノルドに騎乗したレンドルフが並走する形でエイスの街に向かうことを提案した。

それに対するユリの返答は、まだレンドルフは怪我をして遠征から戻って来たばかりなので、いっそノルドに馬車を引いてもらってレンドルフは馬車に同乗するのはどうかというものだった。提案された手紙には「少しでもレンさんとお話がしたい」と綴られていて、レンドルフは思わず口元が緩んでしまうのを抑えられなかった。


こうして今、タウンハウスに来てもらって馬とノルドを交替させる作業をしていた。二頭立ての馬車をノルド一頭に変更するので、入れ替えはそれなりに時間が掛かる。並みの馬や魔馬ならば一頭では到底引くことは難しいが、力の強いスレイプニルならば一頭でも楽に引くことも出来るし、ノルドも騎乗だけでなく訓練されているので馬車に繋がれていても問題はない。


「レン殿は戻らなくて大丈夫ですかな?」

「そうですね…そろそろ戻らないとユリさんが大変か」

「あと少しで作業も終わります。お任せください」

「ではお言葉に甘えて」


レンドルフはペコリとマリゴに向かって頭を下げると、タウンハウスの中へと戻って行った。



------------------------------------------------------------------------------------



本日のユリは、赤髪の妖艶美女に変装している。いつもの黒髪で訪れたのでは誰の目に留まるか分からないので、これまで宝石商やそれなりに格式のあるレストランなどに行く際にしていた変装で訪ねることにしたのだ。とは言ってもいつもの妖艶さは控え目にして、露出が少なくあまり体のラインを強調しない地味なドレスを選んでいた。別に何をする訳ではないが、初めてレンドルフの実家のタウンハウスに足を踏み入れるのだから、レンドルフを弄んでいるのでは?と疑惑の目を向けられるのは避けたいという気持ちもあった。


そして馬の交換が行われている間に、ユリにはしばしタウンハウスで待っていてもらうことになったのだが、そこで使用人達が大盛り上がりを見せた。勿論、王都にタウンハウスを持つような貴族家に仕える使用人達であるので、我を忘れてはしゃぐような態度は見せなかったが、それでも彼らは完全に浮き足立っていた。何せレンドルフが初めて親戚以外で連れて来た女性ということで、沸き上がらない訳がないのだ。しかもレンドルフが以前にパーティーに参加すると言ってクロヴァス家の礼服を着た際のパートナーだったと紹介された時の声にならない歓声は、もし心の声が目に見えたのであれば屋敷中を埋め尽くしていたであろう。


一応レンドルフがユリについては詮索禁止を言い渡していたので、彼らも当然のようにユリに必要以上に問いかけるような真似はしない。それでもレンドルフをこよなく可愛がっている使用人達は、せっせとユリが快適に過ごせるようにと下にも置かないもてなしを繰り広げていた。一人一人は些細なことだったかもしれないが、結果的に全員ともなればかなり手厚い歓迎ぶりになってしまった。

しかしユリとしても心から歓迎されているのが分かっているので、無碍にすることは出来ない。


そのうちに他のメイドを制して自らユリのお茶を振る舞った古参のメイドが、かつてのレンドルフの乳母を務めていたという話をし始めた辺りからユリが前のめりになり出した。その様子を察して、優秀な彼らはユリが喜ぶ話題であると正確に読み取ったのだ。そこからはレンドルフの幼い頃の話題が次々と披露され、レンドルフは止めようにもユリが上機嫌であるのに水を差せる筈もなく、最終的には居たたまれなくなって「ノルドの様子を見て来る」と言って応接室を出て来たのだった。



レンドルフがユリをもてなしている応接室に戻ると、執事と侍女長、そして元乳母のメイドがユリの正面に座って談笑していた。本来ならば有り得ない光景だが、おそらくユリが望んだことなのだろう。そうでなければ彼らもそんな行動は取らないのをレンドルフも分かっている。


「若様」


入室して来たレンドルフに気付くと、彼らはすぐに席を立って後ろに下がった。いつもタウンハウスで呼ばれている名称だが、ユリの前で言われると改めて少しばかり気恥ずかしい気がした。


「そろそろ馬車の準備が終わるから、迎えに来たよ」

「ありがとう、レンさん。素敵なお話をありがとう。とても良い時間でしたわ」


レンドルフに手を借りて立ち上がると、ユリは使用人達に向かってにっこりと微笑んで胸に手を当てた。レンドルフはしっかりと教育されて来た淑女ばかりが周辺にいたので、ユリの所作が完全に高位貴族のものだったことに特に疑問も湧かなかったが、侍女長や執事などはユリの出自はかなりの身分だということは敏感に察知していた。それにユリが連れて来ていた侍女二人や護衛騎士も、見た限りかなりしっかりとした教育を受けているのは同じ使用人同士で分かるものだ。


「一体何を聞いたの?」

「ふふ…レンさんの良い話よ」

「……それはちょっと怖いな」


元乳母なのだから、それこそレンドルフの幼い頃の話なら幾らでも出て来るだろう。元乳母だけでなく、このタウンハウスにいる使用人の殆どがクロヴァス領から来ている。王都に来る前のレンドルフを知る者も少なくない。

クスクスと笑うユリの手を引いて、レンドルフは少し困ったような顔のまま応接室を後にしたのだった。



------------------------------------------------------------------------------------



ご機嫌なノルドが引く馬車を使用人一同が見送って、タウンハウスの門扉を閉ざして全員が屋敷の中に入った瞬間、彼らは一斉に思い思いの快哉を上げた。中にはハンカチで目元を拭っている者までいる。


「とうとう若様にも春が参りましたな」

「あんなに綺麗なご令嬢を」

「しかもお相手のお嬢様も若様のことを満更でもないご様子」

「むしろ若様のことを可愛いと思っていらっしゃる…何とお目の高いお嬢様なのでしょう…!」


感極まった元乳母のメイドが声高に言い切ると、周囲にいた使用人達が一様に頷いた。


どう見ても思いを寄せているとしか見えない態度のレンドルフに、使用人達は少しでもユリに良いところを伝えて株を上げようと、気合いを入れてレンドルフの凛々しさや誠実さを伝える気で待ち構えていた。しかし予想に反してユリの反応は、明らかに幼いレンドルフの可愛らしいエピソードの方に食い付いていた。さすがに淑女らしく口元を隠すように控え目に笑ってはいたが、レンドルフが可愛かった時代の話になると体が前のめりになっていたのだ。しかも受け答えの中でユリは何度も「今と変わりませんのね」と楽しげに頷いていた。つまり彼女は現在進行形で成長したレンドルフを可愛いと思っているということだ。


いくら体が大きく成長しても、昔からレンドルフを知る者にとっては可愛らしさの残る世話の焼ける末っ子なのだ。ただ成長してからのレンドルフしか知らない者にはなかなか理解されないのだが、ユリと使用人達とは完全に解釈が一致していた。

特に最近になって複数の女性と付き合いがあるような噂もあったので、ここに連れて来たと言うことは彼女一人に決めたと言うことだろうと彼らは思ったのだ。実際は全て変装したユリなので、誤解ではあるが彼らはそれを知らない。



「まずご当主様にご報告して、それからどこのご家門のご令嬢か調べなくては」

「いや、まだ早いだろう。若様が詮索無用と仰ったのだから、事情があるのかもしれん」

「そうですわ!急いては事を仕損じます。見たところ騙されているようには思えませんし、ここは静観した方がよろしいですわ」

「しかしあれだけ美しいご令嬢だ。引く手数多なのではないか?」

「若様とて十分な身分も実力もあります!そんじょそこらの馬の骨など打ち砕いてみせますよ!」


使用人達の間で、相手の女性の素性を調べるべきか止めて見守るべきかで意見が割れたが、どちらにしろ全力でレンドルフを応援していることに変わりはない。


結果的に、王都で情報を探る為の伝手はクロヴァス家にはほぼないことから、すぐに調べる派の勢いは失速してしまった。そして彼らは、何かあったらレンドルフの母の実家であるデュライ伯爵家に協力を仰ごうという形で話が纏まったのであった。デュライ家は王都を拠点にして、魔法士や文官を多く輩出している、クロヴァス家とは正反対の家門だ。王都から最も遠く、子飼いの諜報員は魔獣の動きや国境付近の警備に全て回っているクロヴァス家とは対極にある。

それにデュライ伯爵現当主も、孫のような年頃の甥のレンドルフを殊の外気に掛けている。いざとなれば令嬢の素性くらいすぐに調べてくれるだろうと、一旦見守り体勢に入ることで使用人達は合意した。


その後、昼間からタウンハウスの中では使用人一同が祝杯を上げて、夜が更けるまでずっと邸内は浮かれた空気に満たされていたのだった。



------------------------------------------------------------------------------------




「ユリさん、大丈夫だった?疲れてない?」

「大丈夫。最初はちょっと緊張したけど、皆良くしていただいたし」

「いや、何か圧がすごくなかった…?」

「…ちょっとだけね。あ!でもそれってレンさんの良さを伝えようとしてくれてたのはすごく分かったし、楽しかったのは間違いないから!」

「それはそれで恥ずかしいな…」


馬車の席に向かい合わせに座ったレンドルフは、照れ隠しのように軽く頭を掻いた。色白のレンドルフは、感情で顔が赤くなるとすぐに分かってしまう。特に耳の先が分かりやすいと元乳母のメイドから聞いていたユリは、その耳にチラリと視線を送る。以前ユリが贈ったイヤーカフが嵌まっている少し上の部分が、かなり赤くなっているのが見えて、ユリは内心密かに喜んでいた。元々レンドルフは私的な場面では感情が表情に出やすいが、それでも何だか得をしたような気持ちになったのだ。


「レンさん、愛されてるね」

「それは…うん、まあ…」


もし使用人の中に若い女性がいたら、疑いはしないものの多少は気になったかもしれないが、クロヴァス家のタウンハウスにはどう見てもレンドルフよりも年上の者しかいなかった。そのせいかレンドルフを見る目が兄や姉、それどころか祖父母のような温かさを持っていた。その中にほんの少しだけ加えてもらって、ユリは大公家別邸にいる時のような居心地の良さを感じていた。


「でもあんまりレンさんが顔を出してくれないって、ちょっと嘆いてたわよ」

「う…それを言われると耳が痛いな。なるべく努力します」

「じゃあ執事さんに伝えておくね」

「え!?ちょっと待って、いつの間に…!?」


ユリはギルドカードを取り出して、ささっとメッセージを送ってしまう。


「レンさんが席を外してる時に。レンさんとは手紙だけでなくギルドカードでやり取りしてるって伝えたら『わたくしも所持しており、若様とも相互に登録しております』って。使い方を教えてもらったんでしょ?」

「それは、そうなんだけど…」


ギルドカードは声を吹き込むとそれを文字に変換して、登録した相手に短いメッセージとして送る機能がある。しかし発音や周囲の環境ではきちんとした言葉にならないことがあるため、変換した文字を修正したり、直接文字を打ち込んだりすることが出来る。レンドルフの場合、手が大き過ぎて小さなカードの文字を修正することがかなり困難で、ギルドカードを使い始めたときは随分失敗をした。その際に、既にギルドカードを作っていたタウンハウスの執事が、レンドルフに文字を大きく表示する方法を教えてくれたのだった。彼の場合は、老眼で小さな文字が見えないというレンドルフとは違う理由であったが、そのおかげでレンドルフのメッセージの誤送信はかなり改善された。


(何でちゃっかりユリさんと相互に登録してるんだ!?)


執事は年配であるし、別にレンドルフが心配するような立場にはないことは分かっている。しかし何となく納得行かないようなモゾモゾした気持ちになって、レンドルフは複雑そうな表情でユリが手にしたギルドカードを眺めたのだった。



お読みいただきありがとうございます!


こんなに不定期更新ですが、評価、ブクマ、いいね等、誤字報告などいただけるのはとてもありがたいです。それにしても、何故こうも誤字が減らないのか…お恥ずかしい。どうも、フシアナです。


少し重めのエピソードが続いたので、少し日常のほのぼの話を挟みつつ、まだ残している後始末などを書いて行くつもりです。お付き合いいただけましたら幸いです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ