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閑話.薔薇髪の元男爵令嬢

プロメリアをおびき出す為にコールイが裏で手を回した男爵令嬢の話です。


女性に対する嫌がらせや、それによる怪我の話などが出て来ます。ご注意ください。あとちょっと恋愛ぽい?ような口説き文句が出て来ます。


その地方は、冬は雪こそ多くないが気温の低い日が多く、あまり作物が育たない。勿論それを案じた領主からの援助はあるものの、日々の暮らしは決して豊かとは言い難かった。


そんな地方の修道院に、一人の女性が連れられて来た。彼女は過去に顔に大怪我をしたそうで、常に頭からベールを被っていて顔を見せることはなく、殆ど口を利かない物静かな女性だった。そして彼女は非常に珍しい緑魔法の使い手で、どんな気候であっても種を芽吹かせ、成長を促すことが出来た。その魔力は多くなく、修道院の裏手にある畑一面程度の効果であったが、それでも修道院と周辺の集落の住民の生活をほんの少しだけ豊かにしてくれた。


やがてそれを聞いた領主から植物の研究者がその修道院に派遣されて、寒さに強い作物の開発に着手した。彼女の協力を得て、研究者は熱心に作物の改良に心血を注いだ。そのおかげで、毎年のように新しい作物が実験的に集落の畑に植えられた。たとえその年は一つずつしか人々の手に渡らなかったとしても、翌年には両手に抱える程になり、更に翌年には籠一杯の収穫を得られるようになって、確実に彼らの生活を潤して行った。


そして研究者が作り上げたとされる、高い山の上にしか咲かない栄養価の高い実を付ける薔薇を、この地でも咲かせることに成功した。花は美しいだけでなく香り高く様々な加工品になり、その実は冬場に不足しがちな栄養を補うとして人々の健康の維持にも大いに役立った。


後に人々は彼女を、薔薇の修道女(シスター・ローズ)、と呼ぶようになったと伝えられている。



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「今年は特に暑いらしいのだから、もっと薄手のベールにしたらどうかな?」


つばの広い麦わら帽を被った研究者が首に掛けたタオルでゴシゴシと顔を拭いながら、離れたところで作業をしている修道女に声を掛けた。彼女は頭から透けない黒いベールを被っていて、それは胸元までの長さがある。これは一年を通して同じものなので、冬場はいいかもしれないが、夏場は熱がこもってしまって体調を崩しかねない。けれど彼女はペコリと頭を下げるような仕草をするだけで、その恰好のままモクモクと作業を続けている。


「じゃあ、少し休憩にしよう。私は冷たいものをもらって来るから、君はそこの木陰で支度を整えておいてくれたまえ」


修道女の返答を待たずに、研究者は足取りも軽く修道院の方へ駆け出してしまう。彼女は仕方なく手を止めて、言われた通りに木陰に置いてあった荷物の中から敷物を取り出して休憩の準備を始めた。



「わー!待った待った!」


両手に冷えた飲み物を入れて戻った研究者は、修道女が灰色の鳥に攻撃されているのを目にして全力で走って来た。


「ウインドカッター!!」


修道女を攻撃している鳥は、ハーベストバードという魔獣の一種だが、本来は臆病な性質だ。攻撃的になるとしたら子育ての時期くらいだが、今はその季節ではない。しかし現に彼女に攻撃を仕掛けているのを見て、研究者は追い払う為に風魔法で攻撃をした。


「あっ!」


彼女に当てないように攻撃はかなり距離を取ったのだが、鳥はそれに驚いたのか一斉に飛び立ち、そのうちの一羽の足にベールが絡まってしまいそのまま飛び去ってしまった。その瞬間、修道女の顔が露になり、研究者は思わず息を呑んだ。


修道女のベールの下から、豊かに波打つ濃いピンク色をした髪が零れ落ち、春の新緑を思わせる淡い緑の目をした美しいが幼い少女のような顔立ちが現れた。だが研究者が息を呑んだのは、その修道女の美しい顔の半分が、大きく焼け爛れたような痕に覆われているのを見てしまったからだった。


傷跡は頭頂部から続いていて、そちら側はまばらに髪が残っているだけで赤黒い頭皮が丸見えになっている。そして垂れ下がったまま固まってしまったらしい皮膚が目元を覆い、半分も開くことが出来ないでいた。更にその下の顎から首に掛けても瘤のように隆起して、境目が分からなくなっている。反対側の顔立ちが美しい程に、傷跡の残る半面はあまりにも痛々しかった。


「大丈夫か!?怪我はないか?」

「…はい。申し訳、ございません」

「何故君が謝る必要がある?」

「お見苦しい、ところを。申し訳なく」


慌てて駆け寄って修道女の肩を抱えるようにした研究者に、彼女は身を捩って抜け出すと、距離を取って謝罪を繰り返した。しかしその新緑の瞳は、ひたと研究者を真っ直ぐに見つめていた。


研究者はその様子に急いで自分のシャツを脱ぐと、修道女の頭から被せた。


「そのようなこと、わたくしには不要でございます」

「火傷の痕は、日に当たるのは良くない。ちょっと汗臭いかもしれないが、すぐに替えを持って来る。しばらくそれで我慢してくれないか」

「ですが」


シャツを脱いだ為に下着姿になってしまった研究者を引き留めようと手を伸ばしたが、その手をそっと握り返されてしまい修道女は戸惑う。


「大丈夫だ。ここは同性しかいないから、見られたところでどうと言うことはない」


研究者はそういって白い歯を見せて笑うと、次に修道女が口を開く前にあっという間に駆け去ってしまったのだった。



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修道女の母は、平民ながらもとても愛らしい顔立ちをした人だった。そして男爵家のメイドとして働きに出ていたがすぐに男爵の手が付き、正妻の苛烈な嫌がらせに耐えかねて男爵家を逃げ出し、異国の地で彼女を生んだ。その彼女は、曾祖母の色だった髪と瞳を受け継ぎ、さらに母以上の可愛らしい容姿で衆目を集めた。彼女自身はそんな気はないのに、見知らぬ男性から声を掛けられては執拗に構われ、女性からはふしだらだと眉を顰められた。母の死後に駆け込んだ神殿で、神官見習いとして受け入れられたときはやっと心穏やかに過ごせると息を吐いたものだった。


しかしどういった経由かは分からないが、父である男爵が彼女を引き取りに来たのだ。一目見て美しく成長した彼女は絶好の駒になると判断したらしい。口先では稀有な緑魔法で領地の危機を救って欲しい、と神殿に申し出て、彼女の了承も得ずに強引に連れ帰った。しかし彼女が連れて行かれた男爵家は、やはり安住の地ではなかった。

男爵家にはまだ健在な正妻と異母姉兄弟(いぼきょうだい)がいて、針の筵でしかなかった。それでも男爵がすぐに縁談をまとめると意気込んでいたので、そこまで長い間ではないだろうとしばし彼女は耐えることを選択した。どこかの貴族の妾にしろ、金持ちの後妻として高値で売るにしろ、商品である自分を傷付けることはないだろうと考えていたのだ。


だが、彼女が思っていたよりもはるかに、男爵以外の者達は短絡的であった。


彼女の美しさに目を付けたのは、異母姉の婚約者だった。異母姉が出掛けた隙を狙って彼女を襲おうと画策していた。更にあろうことか異母兄、異母弟もその企みに乗った。これまで一度も会ったことのない庶子の娘など、他人としか見えなかったのだろう。

三人の男の力の前に抵抗虚しく、殴られ身動きの取れなくなった彼女をベッドに組み敷いた時、予定を変更して帰宅した異母姉が部屋に飛び込んで来たのだ。そこで大声を上げたので男達は蜘蛛の子を散らすようにいなくなり、残された彼女がやっとのことで身を起こした瞬間、激昂した異母姉が頭から熱湯を注いで来たのだった。


顔の半分に大火傷を負った彼女は、最低限の治療を施されて正妻の命で男爵家から放逐された。男爵家を出る際、手には僅かばかりの銀貨数枚を握らされ、粗末な馬車に押しこめられたのだった。


どこかに捨てられてのたれ死ぬだろうと思っていた彼女は、馭者の「どこか行きたい希望はございますか?」という言葉に、しばし意味が分からず声が出なかった。その馭者はそんな彼女を怒るでもなく、再度尋ねられても答えられない彼女の判断を辛抱強く待ってくれた。そして長い沈黙の後にようやく彼女は、


「誰の目もないところで静かに暮らしたい」


と答えたのだった。


当人が望んでもいないのに他人に振り回され、挙句怪我まで負わされて捨てられた人生だった。最低限の生活さえ保証されていれば人と関わらずに生きて行きたいと、叶わないことだと知りながらもそう言葉に出していた。


しかし予想に反して、彼女の望みは叶えられた。出ることも出来ないが誰も来ない塔の中で、空の魔石に魔力を充填させる作業だけをしていれば食事も着替えも保証される生活が待っていたのだ。それは罪人に科せられる刑罰であったのに、彼女からすればそこは夢のような空間だった。


だが、結果的にその生活は長く続かなかった。また見知らぬ人物にその塔から出された彼女は絶望していたが、今度は山奥の女性だけの修道院に案内された。そこでは他人と関わることは避けられなかったがそれでも最低限で、かつて過ごしていた神殿の生活とよく似ていた。こうして彼女は山奥の小さな修道院で、再び安らぎを手にしたのだった。



------------------------------------------------------------------------------------



「その…傷はまだ痛むのか?」


新しいシャツと替えのベールを持って来た研究者は、再び分厚いベールに覆われた彼女に躊躇いがちに尋ねた。


「いいえ。日に当たり過ぎた後は引き攣るようなことはありますが、痛みまでは」

「もし痛むようなら痛み止めを腕の良い薬師に作らせる。いつでも言ってくれ」

「ありがとうございます。ふふ…あなたは傷を消す治療を、などとは言わないのですね」

「いや…その、違っていたら申し訳ないのだが…君はその痕をむしろ誇らしく思っているように見えてな」

「誇らしく…」

「間違っていたらすまない。気を悪くしたのなら、詫びに何でも君の言うことを聞こう」


そう言いながらも研究者は、どこか確信めいた表情をしていた。その揺るぎない自信はどこから来るのかと彼女は思ったが、何故か急に可笑しくなってしまって小さく笑い声を漏らしてしまった。


「いいえ、正解です。これは、自分で望んだものではありませんが、今となっては自由と安らぎを手にした証となりました」

「自由、か…」

「大分痛い思いもしましたけれど、他人からの値踏みするような視線や、女だからと物のように扱ってくる輩から解放されました」

「…君は強いな」

「買いかぶり過ぎです」


ベールを被っているので研究者には表情は分からないが、声色だけで彼女が照れているのが分かった。そして照れ隠しなのか、ベールを被ったまま器用に彼女は持って来た冷たいお茶を飲み干した。


「しかしいくら日光は大敵とは言え、やはり暑いのではないか?」

「もう慣れました」

「今年の夏はまだまだ暑い日が続くぞ。君の体調が心配だ」

「苗の生育ではなくて?」

「それもそもそも君の魔法のおかげだ。君は私にとって宝であり、神にも等しい」

「ですから買いかぶり過ぎです」


研究者はしばらく顎に指を当てて考え込む。植物の研究で外にいることが多いので、すっかり日焼け慣れした肌は赤くなることもなく小麦色になる。彼女はそれだけは少し羨ましいと思って、ベールであるのをいいことに研究者の整った横顔をジッと見つめていた。


「確か実家に風魔法の付与を掛けたストールがあったな。母上の使っていた品なので、日除けも出来た筈だ。早速下の弟に確認して取り寄せよう」

「そんな勿体無いことです」

「今は使う者もいないのだ。君に使ってもらえれば私も嬉しい。透ける程薄い素材だったので、君と目を合わせて会話も出来る」

「それは…お勧めはしません」

「何故だ?」


研究者は良い思い付きだとばかりに熱心に語ってくれたが、彼女は首を振ってやんわりと断る。先程顔の傷跡を誇りに思っているとは言ったが、やはり一般的には痛々しく恐ろしいものだと理解している。変に気を遣わせたくないこともあって、彼女はベールを被っているのだ。


「あまり皆を驚かせたくはありません」

「では私とこうして作業している間だけでもどうだろう。見られるのは私だけだ」

「ですが」

「ああ、先程驚いたのを気にしているのか?あれは君の髪色を見てだ」

「髪色?」

「私が植物学の研究者として認められたのが、『貴婦人の薔薇(レイディ・ローズ)』という品種の開発でね。ここよりも寒い標高の高い場所でしか栽培出来ないんだが、花も実も素晴らしい薬効がある」


病弱だった研究者の母の病を改善しようと薬草の研究を始め、その中で作り上げた奇跡のような花だった。そのおかげで、母の寿命を延ばすことは叶わなかったが、確実に日々の暮らしは穏やかなものになったのだ。そして母の死に顔は、少しだけ窶れてはいたもののまるで眠っているかのように安らかなものだった。


「その花は君の髪色と全く同じものだ。だから君の顔を見た瞬間、レイディ・ローズの精霊が現れたかと思って驚いたんだ」

「先程から買いかぶり過ぎですと」

「開発者の私が見間違うと思うかい?それに、君は傷跡も全て含めて美しい貴婦人(レイディ)だ。私が保証する」


研究者はそっと彼女の手を取って、恭しく額を手の甲に当てた。研究者のフワリと柔らかそうな茶色い髪の毛先が彼女の手をくすぐる。


「どうかお許しいただけるなら、私だけにその麗しいお顔を見せてはいただけませんか」


まるで歌劇の一節かのような言葉と共に、研究者は熱を孕んだような真剣な眼差しで彼女を見上げて来る。


「…そ、そのストールの様子を見て、考えます」

「感謝するよ」


どうにも揶揄われているような気もするが、彼女が了承すると研究者はパアッと一瞬で輝くような笑顔を返して来た為、彼女はそれ以上何も言えなかったのだった。



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「ああ、ところで聞きたいんだけど」

「はい?わたくしに答えられることでしたら」

「さっき、ハーベストバードに襲われていたよね」

「えっ!?え、ええ…はい、確かに」


ハーベストバードは、子育て中の巣に攻撃をするようなことをしなければ攻撃をして来ることはない大人しい魔獣だった。姿は地味だが美しい声でさえずるので飼いたいと思う者もいるのだが、籠に閉じ込めてしまうと全く鳴かなくなる。その為、声を楽しむには窓辺に好物のエサを置いて彼らが来るのを待つ以外に方法はないと言われている。


「あれらは余程身に危険がない限り攻撃することはないと言われているのだが、一体何をしたらあそこまで彼らの怒りを買うのだい?」

「さ、さあ…?」

「心当たりがあるね?」

「ええと…」


あるとしたら一つだけなのは彼女も自覚していたが、何となく素直に白状してしまうのは憚られた。だが、研究者はまるで植物に向けるときと同じような好奇心に満ちた目でジッと見つめて来る。しばらくは静かな攻防が続いたが、やがて修道女の方が折れた。


「は…鼻歌を、歌っていました…」

「鼻歌!?」

「何となく、つい…」


本当に何の気もなく、昔母が歌っていた流行りの曲を少しだけ口ずさんだだけなのだ。だが、少しすると頭上でハーベストバード達が騒ぎ始め、遂には攻撃をして来るに至った。


「それは興味深い!是非私にも聞かせてくれたまえ!」

「い、嫌です!また襲われたら困ります」

「その時は私が守ってあげよう。だからほら、歌って」

「遠慮します!」


目をキラキラさせながら迫って来る研究者に、彼女は身を引く。しかし諦めずにグイグイ迫って来るので、彼女はあっという間に敷物の端まで追い込まれた。


「君の歌声を、鳥だけのものにさせるなんてズルいな」

「ズルいとかそういうことじゃ…」

「私は欲張りなんだ。君の素顔も、歌声も、全てを独り占めしたい」

「そ…そういうことじゃ…」


研究者にそっと手を重ねられて、更に上目遣いで見つめられると、彼女はクラリとした感覚と早鐘を打つような動悸に襲われた。


(普段はホヤホヤした植物バカなのに、こんな時だけ…!)


そう心の中で文句を言いつつも、彼女は重ねられた手の温かさを振り払う気にはなれなかった。



しばらくそんな密かな攻防が続いていたが、やがて観念したのか小さく彼女の歌声が聞こえて来た。その歌声とは言い難い何とも言えない絞められた鳥のような音は、再びハーベストバードだけでなく周辺の鳥まで集めてしまうのだが、そこから彼女を守り頭にフンを落とされた研究者は実に楽しそうに笑っていたのだった。


お読みいただきありがとうございます!


修道女は、「354.逃げ出した女」「538.コールイとの面会」の話に出て来る緑魔法の男爵令嬢です。

女性ばっかりの修道院に派遣されて来るのだから、研究者も当然女性。もともと貴族の嫡女でしたが、あの口調と態度でお分かりかと思いますが、貴族の義務として血を繋ぐことが無理な性質でしたので、研究者として功績を上げてから弟に任せて家を出ました。ほんのりGL風味?


研究者のイメージは七◯ひろきさんで書いていました。

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