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544.アナカナの用事、レンザの報告


レンドルフが堂々と王女宮に届け物だと護衛騎士に伝えると、見るからに重そうな木箱を見てあっさりと通してくれた。本来はもう少し疑って掛かった方がいいとレンドルフは思ったものの、今はその緩さをありがたく受けることにした。もっともレンドルフの髪色と体格は他に似た者がいないので、それが身分証のようなものなのだ。


以前近衛騎士だった頃によく来ていたので、レンドルフにとっては勝手知ったる場所だ。迷うことなくアナカナの私室に足早に向かう。

途中幾人もの護衛やメイド達とすれ違ったが、誰一人レンドルフを見咎める者はいなかった。確かにアナカナ直々に王女宮に入ることを許可されているのだからレンドルフが来るのはいいとしても、明らかに人が入りそうな大荷物なのに誰も確認する素振りも見せないのは少々マズいのではないかと思いつつ廊下を進んだ。念の為と書いてもらったアナカナの直筆の書簡の出番すらない。

それがアナカナの微妙な立場を象徴しているようで、レンドルフは何とも複雑な気持ちになった。



------------------------------------------------------------------------------------



アナカナの私室の前では、本日の護衛担当である見知った近衛騎士が真っ青な顔をして立っていた。彼もアナカナに気に入られている一人で、比較的護衛に就くことが多い。おそらくレンドルフが抜けた後、彼女のお忍びに振り回される役割を振られたのだろう。


「あ、あの、クロヴァス卿」

「王女殿下からの頼まれもので、お届けに上がりました」

『早う通してくれぬか。狭苦しくて堪らんのじゃ』

「殿下あああぁぁぁぁっ!!」


周囲に他の者がいないのを分かっていたのか、レンドルフの背中の麻袋からモゴモゴとくぐもった声が聞こえて来て、急に勢いよく蠢き始めた。くぐもっていたとしてもアナカナの声は聞き間違えようがなく、それを聞いた瞬間に護衛騎士が泣きそうな顔で雄叫びを上げた。


『静かにするのじゃ。レンドルフ、()くせい』

「畏まりました」


一応ノックをすると、中から小柄な専属侍女が二人顔を出す。彼女達は、アナカナがもう少し成長した頃に影武者も務められるように鍛え上げられている生え抜きの護衛でもある。二人ともレンドルフとも面識があるので、何の為にここに来たのかすぐに察したようだった。


「ささ、クロヴァス卿、お荷物はお部屋の中に運んでくださぁい」

「お背中のものはこちらへ」


紫の髪色をしておっとりとした様子のシオンと、麦わら色の髪にやや低い声でテキパキと動き回るパンジー。実際に並べて比べたことはないが、ユリと同じくらいかもしかしたらもっと小柄な彼女達が部屋の中を動き回っていると、レンドルフは自分が急に違う世界に放り込まれた巨人になったような錯覚を起こす。


レンドルフは三人掛けのソファに背中の麻袋を降ろすと、中から毛布ごと引っこ抜くようにアナカナを取り出した。そしてそっとソファの上に降ろされると、アナカナは他の手を待たずに自力で包んでいた毛布から抜け出す。そのせいか、柔らかな金の髪が暴風雨でも受けたかのようにボサボサになってしまった。


「アナ様、お変わりはございませんか」

「そなたの背中は暑苦しいのじゃ!」

「そうは申されましても…」


もともと体温の高いレンドルフなので、それに文句を付けられてもどうしようもない。困ったように眉を下げるレンドルフに、アナカナの身支度を整える為に既にブラシを手にしていたシオンがクスクス笑う。


「あらあら、姫様はクロヴァス卿のお背中が一番心地好いと仰ってましたのに」

「なっ…!それははるか昔のことじゃ!」

「昨年のことですわよぉ」

「わ、わらわの一年は、大人の十年じゃ!」


よく分からない理屈をこねながら、アナカナは唇を尖らせた。会話の内容はともかく、そうしているとやはりまだ五歳の幼子なのだとレンドルフは実感する。


「殿下、こちらは如何なされましょう」

「いくつかはわらわの非常しょ…おやつにするので、ポシェットの中に。残りは、いつもように良きようにしておくがよい」

「仰せのままに」


レンドルフが部屋の隅の置いた木箱を覗き込んだパンジーが、手早く中身を取り出している。その際に片手に小型の魔道具を持って、流れるような動作でキャンディの入った瓶一つ一つに押し当てていた。おそらく何か混入されていないかの確認なのだろう。あの薬局から直接持ち込んだものなので細工をすることはないのだが、それでもそれも確認することがアナカナの身辺に仕える者の役割なので、レンドルフは手出しをせずに見守る。この場ではいくらアナカナからの信頼が厚いと言っても、レンドルフは部外者の身分なのだ。


「問題ございません」

「そうか。ご苦労であった」


アナカナはピョン、とソファから飛び降りると、パンジーが並べた瓶に近寄る。まだ完全に髪を整え直してなかったので、ブラシを持ったままシオンが後ろをついて歩きながら髪を梳いていた。やけに手慣れているので、これが日常なのかもしれない。


「レンドルフのおすすめはどれじゃ」

「そうですね…どれも美味しいと思いますが、俺の好みで言えば蜂蜜入りのものです」

「そうか」


それを聞いてアナカナは、可愛らしい蜂の絵が描かれているラベルの瓶を両手で持ち上げると、それを膝を付いた体勢のままだったレンドルフに差し出した。


「色々と手間をかけた。これは駄賃じゃ」

「ありがとうございます」

「そなたにもやろう。レンドルフのおすすめじゃ」

「はっ。頂戴致します」


扉の外に立っていた騎士も、レンドルフが中にいるので扉の内側に入っていた。その騎士にもアナカナは蜂蜜キャンディを渡した。銀貨一枚程度のものであるが、王女自ら手渡されるものなので彼も片膝を付いて両手で恭しく受け取った。


「あまり皆を困らせないでください」

「困らせるつもりはなかったのじゃ。ただちょっと……ああっ!」

「如何なさいました」

「肝心の用件を済ませるのを忘れたのじゃ…」

「それではただの脱走ではありませんか」

「もう!元はと言えばレンドルフのせいじゃ!!」


アナカナはレンドルフのことでユリに確認する為に薬局まで出向いたのであるが、ニーノの乱入と彼が転生者であったと判明したこと、そしてレンザの尋問と立て続いた為にすっかり失念していた。アナカナは腹立ち紛れに、目の前にしゃがみ込んでいるレンドルフをペチペチと小さな手で叩き始めた。とは言え僅か五歳の幼女の攻撃は、レンドルフからすれば子猫の爪よりも軽いものだ。しばらくされるがままになっていたが、やがてアナカナが逆に鍛えたレンドルフの筋肉に負けて「何故こちらの手が痛くなるのじゃ」と肩で息をしながら悔しげに呟くことになったのだった。


「それで、何の為にあの場所まで行ったのですか?」

「そ、それを聞くのか」

「また同じように脱走されてはあちらにご迷惑です」

「……ユリに手間を取らせるなというのが本音であろうが」

「…今、何と?」


思わずアナカナはポツリと心の声が漏れてしまったが、俯いていたのでレンドルフには聞き取れなかったようだった。


「レンドルフ、近う寄れ」

「またどこからそんな古めかしいお言葉を」

「よいではないか…はっ、これではまるで悪代官ではないか」

「どんな代官ですか」

「耳を貸すのじゃ」


アナカナの脳裏には、前世で見た金糸の着物を纏った悪い顔をした中年男が可憐な乙女に迫っている場面が浮かんでいた。ついでにその隣には、二重底にした菓子折りの中に金子(きんす)を仕込んだ悪徳商人も控えている。

この国にも代官という役職は存在するので、アナカナの脳内の代官とレンドルフの知っている代官とは大きな乖離があったのだが、アナカナは説明が面倒なのでそこはスルーを決め込んだ。


両膝だけでなく手を床に付けるような体勢でレンドルフは小さくしゃがみ込んで、更に首を下に下げる。それでようやくアナカナの頭の高さにまで顔が下がる。アナカナは少しだけ背伸びをしてレンドルフの耳元に顔を寄せた。


「そなたが第三騎士団に引き抜かれるとの話が出ておるそうだが、その気はあるのか?」

「は…?」


そう声を潜めたアナカナに言われて、レンドルフは思わず顔を離してアナカナの顔をポカンと眺めてしまった。


「あ、いや、その反応は、ただのデマカセじゃな」

「は、はあ…初耳です」

「ならば良いのじゃ。もしそれが誠ならば、本当にお主が望んでおるのか確認しようと思ってな」

「それならば脱走しなくても俺に聞けばよろしいのでは?」

「お主の場合、周囲に気を遣い過ぎて本心でなくとも頷く可能性があるからの。だから…親しい者に聞きに行ったのじゃ」

「……お気遣い痛み入ります」


アナカナの言い分に完全に否定出来ないレンドルフは素直に頭を下げた。それに聞きに行った者の名と場所を口にしないところも、アナカナの気配りなのだろう。近衛騎士団長と統括騎士団長の騎士団トッブ二人は既に知っているが、一応表向きはレンドルフは薬局の受付嬢(ユリ)には避けられていることになっている。だから親しい者に話を聞く為に薬局に行ったとは言わない方がいいのだ。シオンとパンジーは知っているので問題ないが、護衛騎士には漏れないに越したことはない。


「レンドルフ、嫌なことはちゃんと断るのじゃぞ。もし言い辛かったら、わらわが代わりに言うてやろう」

「ありがとうございます。その時は是非お願いします」

「うむ」


アナカナが鷹揚に頷いたところで、メイドがアナカナの食事をワゴンに乗せて運んで来た。


どうやら無事に任務を遂行したとレンドルフはそっと安堵の息を吐いて、王女宮を後にしたのだった。



------------------------------------------------------------------------------------



「これでも飲んで落ち着きなさい」

「ありがとうございます」


薬局から副所長室に早足で直行したユリは、余程焦った顔をしていたのかレンザにまず呼吸を整えるようにと言われてしまった。そしてそのままレンザが手ずからお茶を煎れてくれた。


ユリの目の前に置かれたカップの中は、美しい赤い色をした紅茶が注がれている。通常よりも赤みの強い水色で、カップを持ち上げるとほんのりと酸味のある華やかな香りがした。そっと口に含むと、香りと同じく爽やかな酸味とほのかな甘みが広がる。


(これ、もっと甘くしたらレンさんが好きそう)

「南国の花をブレンドした紅茶だよ。蜂蜜とも相性が良いそうだから、後で茶葉と合う蜂蜜の瓶を用意させようね。そうだね、()()に上げるのなら小分けにしておこうか」

「…ありがとうございます」


まるで見透かされたようにレンザに言われて、ユリは少し複雑そうな表情を浮かべたがすぐに笑顔になった。


「さて、少し落ち着いたかな?」

「はい」

「では…どこから話そうかな」


そう言ってレンザはゆったりと足を組んで、膝の上で指を絡めた。力仕事とは無縁のレンザの指は細くすんなりとしていて、薬品を扱う為に指先が荒れたり染まったりしているので普段は手袋をしているが、今は珍しく素手のままだった。その指先が少しリズムを刻むように動いているのは、レンザにしては悩んでいる証左なようだ。


「まずはそうだね…第一王女殿下が、『異界渡り』だったという話は既に聞いているね?」

「あ…は、はい。ごめんなさい、おじい様」

「謝る必要はないよ。あの王女が口止めをしたと白状…教えてくれたからね」

「白状…」

「それに正直、私も聞いたところで魂のみが異界を渡って来たなど、信憑性は皆無だと思っているからね。元々王女は予知能力があると密かに言われていたくらいだ。ブライト家の令息と裏で繋がりがあって、情報を共有していたとしてもおかしくはない」

「そのようには…見えませんでしたが。それにアナ様はまだ五歳ですし」


ユリとしては心情的にはレンザの側にいたいが、これまでのアナカナの態度を見ているとそれが全く嘘だったとも思えなかった。そしてアナカナが異界の予言書のタイトルをニーノに告げた瞬間の彼の様子も、最初から互いに打ち合わせていたようには見えなかったのだ。


「どちらにせよ、客観的な検証がない限りただの与太話として捉えるしかなさそうだね。ああ、ただ勿論、ブライト伯爵令息にはユリのことは話さないようキッチリ口止めの誓約を交わしてあるから、安心なさい」

「良かった…!ありがとうございます」

「それをどこから知ったのかは、引き続き調べるがね。一応彼にはトールを付けておいた」

「トールですか…」

「ああ。万一の時は即座に対()()()ように命令してあるよ」


レンザの言葉は、妙に「処する」に力が入っているように聞こえたが、ユリは敢えて気付かなかったことにした。


トールは、先程ニーノを押さえ付けるのに協力した黒衣の大公家の影だ。彼は特殊な生立ちから暗殺のみに特化した者なので、ニーノから情報を得ると言うよりは、万一大公家を貶めるような者との繋がりがあった場合、その場で始末する為に付けられたのだ。


「いっそ令息を大公家で雇って、領地で囲ってしまおうかと考えたのだがね…そこは王女に真っ向から噛み付かれたよ」


そう言いながらも、レンザは不思議と清々しい顔をしている。その表情を見て、ユリはアナカナがレンザに気に入られているのだと確信してそっと内心安堵していた。それを問いただしたところでレンザははぐらかしてしまうだろうが、ユリとしてもアナカナのことは世話の焼ける妹のような感覚になっているので、嫌われていないに越したことはない。


「令息の処遇については、どんな紐が付いているかを確認してからだね」

「それはおじい様にお任せします。私は、ただこのまま一職員としておじい様の傍で働ければいいですから」

「そうだね。私もユリといられる機会を潰される気はないからね。ああ、これでは身内贔屓が過ぎると呆れられてしまうかな」

「ふふ、私も嬉しいですよ。でも、そう言いながらもおじい様はちゃんと線引きをする方でしょう?」


ユリに対しては大いに甘いところはあるが、だからと言っていい加減な仕事をすればこの研究施設から遠ざけられてしまうのは分かっている。ここの職員に選ばれる際にも、ユリも他の者と変わらない試験と審査を受けていて、ちゃんと合格ラインを超えて選ばれている。そして薬局を設けて騎士団との繋がりを作ってくれたのは確かにユリの為な部分もあるが、王城に勤める者への福利厚生の一環を示すことで王家との摩擦軽減の利があるのも事実なのだ。もしも、の話にはなるが、ユリが合格ラインに達していなくても、おそらくレンザは薬局は設置していただろう。


「では、この話はまた進展があったら報告しよう。さて、これも昨日裏取りが出来た話なのだがね。ユリにも関わりのある話だから話しておこう」

「はい、私に関わることですか?」

「あの行方を追っていたミュジカ科の薬草を栽培していた者、緑魔法の使い手の女が捕まったよ」

「…っ!」

「後は残党を少しばかり駆逐するだけだからね。来月辺りにはユリももう少し自由に動けるようになるよ」

「…良かった!」


幼い頃から長い間、ユリを思いのまま操って大公家の資金を横流ししていた母方の親戚にミュジカ科由来の薬物で洗脳されていた為、その後遺症でユリは今でもミュジカ科の薬草を取り込むと劇症反応が出る。それがその女のせいで市場へ大量に流通していた為、ユリの行動はかなり制限されていた。現に少し前にユリはその薬草のせいでひと月以上生死の境を彷徨ったのだ。

その危険が遠ざかったことと、これであれこれ中止になっていたレンドルフとの外出が可能になったことに、ユリはたちまち喜色を浮かべた。


「その時には真っ先に私とディナーの約束をしていただけますかな、我が姫君?」

「ふふっ。…ええ、よろしくてよ」


そんなユリの表情にレンザは気付かれないくらい一瞬だけ複雑そうな顔で眉間に皺を寄せたが、すぐに少々芝居がかった仕草でユリに手を差し出した。ユリもすぐにそれに乗って、ちょっと勝ち気そうな顔になってツン、と差し出された手の上に自分の手を重ねた。


しかしそれはすぐにいつもの笑顔に変わり、ユリは楽しげにコロコロと笑い出した。


「楽しみにしていますね、おじい様」

「ああ、とびきりの料理を用意させよう」


その日はあまり物音のしない副所長室で、長く楽しげな声が響いていたのだった。


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