537.面会と付き添い
翌日、コールイからレンドルフに面会希望の知らせが来た。
騎士団の任務の妨害をしたということで罪人扱いではあるが、やはり現公爵家当主であることや病であることを鑑みて、王都に戻って罪が確定するまでは厳しい事情聴取なども行われず、かなり忖度されている。本来ならば罪人の面会ならば必ず誰かが立ち合わなければならないのだが、コールイは誰もいない状況でと強く望んでいるそうで、ダンカンが仕方なくお互いが一定の距離に接近したら外で見張っている警備員に警報が行く魔道具を設置することで許可を出した。一応30分と時間は定められているが、時間内だったとしても、その警報が発せられた時点で面会は終了となる。
レンドルフもコールイとは一度話しておきたかったこともあって、その条件を呑むことにした。
「魔法はもう使えんし、病との兼合いもあって治療もゆっくり行っているため、そう体も利かない筈だ。一応警戒はしておいた方がいいが、今のお前ならまず負けることはないだろうさ」
騎士服を着て帰り支度を済ませているダンカンが、直々にレンドルフをコールイの病室まで送ってくれた。レンドルフは、コールイとの会話を聞く為の魔道具でも持たされるかと思っていたのだが、ダンカンは一切何も渡そうとしなかった。
「その…よろしいのですか?」
「構わん。後で話せる範囲で報告してくれればいい。公爵殿もあくまでも個人的な話と言っていたからな」
何を話す気なのかは全く不明だが、せめてコールイがあんなことをした理由の一端でも話してくれればいいと思いながら、レンドルフは一人で病室の扉を開けたのだった。
特別室と聞いていたが、レンドルフのいた部屋よりも広さがあるのとソファが置いてあるくらいで、それ以外は余分なものがない随分と殺風景な印象の部屋だった。そのソファはベッドと向かい合うように置かれ、その中間辺りのタイル張りの床には黄色いテーブが張られていた。どうやら急ごしらえのようだが、これが警報が鳴らない距離の目安なのだろう。
「呼び出しに応じてもらい、感謝する」
「いえ、こちらも聞きたいことがありましたので」
ベッドの上で上半身を起こして座っているコールイは、思っていたよりも顔色が良さそうに見えた。レンドルフが強引に飲ませた回復薬が病にも効果を発揮したと聞いていたので、そのおかげもあるのかもしれない。
レンドルフが勧められるままにソファに腰掛け顔を上げると、ジッとコールイが凝視していた。
「あの…何か?」
「よく化けたものだと思ってな。私でもあの左の太刀筋を見るまで全く分からなかったぞ」
「恐れ入ります…」
「近頃の騎士というのは、大変なものだな」
「は、はあ…」
化けたというよりもかつての自分なのだが、今の自分からすればそう取られても仕方がないとレンドルフは思うことにした。それに今回の件が特殊なだけで、通常の騎士は任務の為に多少の変装はしても、諜報員ではないのだからあそこまで姿を変える必要はないのだ。何だか誤解されているような気はしたが、レンドルフはどこまで説明していいか分からなかったので曖昧に頷くだけに留めた。
「…すまなかった」
お互いにどう切り出していいものか迷いのある少しだけ長い沈黙の後、不意にコールイはレンドルフに向かって頭を下げた。まさか謝られるとは思っていなかったことと、一体何に対しての謝罪なのか読めずに、レンドルフは言葉を返せないまま固まってしまった。
その戸惑いが伝わったのか、コールイはレンドルフの顔を見て眉を下げて困ったような笑みを浮かべた。
「あの時は本気で殺意を向けたが、分かっていたら貴殿を殺すつもりはなかった。まあ、ただの言い訳にしか聞こえぬか」
「いえ…謝罪は受け取ります」
「そうしてもらえるとありがたい。本気で肝が冷えたからな」
「では何故あのようなことをしたか、伺っても?」
「……貴殿には聞く権利がある、か」
更に困った表情になったコールイは、少しだけ遠くを見つめるような目になった。これまでのコールイは年齢に見合わぬ強い生命力に満ちた印象だったが、今の彼はレンドルフの目には実年齢よりも10歳は老け込んだかのように映った。
「トーカの魔女には、個人的な恨みがあった。亡き妻が、あの女に狙われたことがあった」
「公爵夫人が…」
「あの女に目を付けられなければ、彼女はもっと、幸せな人生を歩むことが出来ただろう…」
コールイの目は、亡き人の面影が浮かんだのか、レンドルフの目線の少し上を見つめて懐かしそうな表情になった。
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「こちらが『空の雫』と『朝陽の蜜』です」
「確認致しますので、しばらくお待ちください」
「お願いします」
ユリは品質保持のための付与が掛かった袋ごとカウンターの上に置き、それと一緒にギルドガードも差し出した。見知った受付の女性は手元の魔道具でユリのカードを読み取らせてから、カードと番号札を渡して袋を両手に抱えて奥に運んで行った。
その後ろ姿を見送ってから、ユリはギルドの受付ロビーの隅に置いてある長椅子に腰を下ろした。すぐその正面に長身の人物が座って、ユリの姿を出入りする人間から隠すような位置に陣取った。ユリはその人物の陰で人目から外れると、大きく溜息を吐いて背もたれに身を預けた。
「何か飲み物でも買って来ましょうか?」
「ううん、いいわ。ちょっと休みたいから、そこにいて」
「畏まりました」
ユリはそのままの姿勢で目だけ閉じる。その顔は、随分と疲労の色が濃いようだった。
彼女の正面に座った人物は、あちこちから視線を感じてはいたが敵意を含んだものはなさそうなので反応はしないでおく。
「解体にはちょっと時間が掛かるってさ、って、悪い」
その二人に大股に一人の女性が近付いて行ったが、ユリの様子を見て慌てて声を潜めた。
「サファイア、もうちょっと周りを見ろ」
「悪いって。ちょいサミー、横に詰めとくれ」
ユリの正面に座った人物はサミーで、後からやって来たのはサファイアであった。サファイアはサミーのすぐ隣にピタリとくっつくように座ったが、少し狭かったのか肉付きの良い臀部で容赦なくサミーをグイグイと押し退けた。彼女も女性の中では長身で体格も良いので、二人で並ぶと完全に小柄なユリの姿を隠すことが出来る。
この二人は旧知の仲で、以前ユリとレンドルフが遠出をする際に護衛として雇ったことがあった。それからの縁で、サミーは今やユリの生家のアスクレティ大公家付きの諜報員の一員となったのだ。サファイアは大公家直属ではないが、分家の経営している運送業の護衛に好条件で引き抜いていた。元々大公家が支援していた商団の護衛だけでなくガイドや荷運びなども行う従業員だったのだが、ユリの護衛が切っ掛けで優秀さと人柄をレンザに認められたのだ。そして今回はユリの薬草採取の為の護衛として選ばれたのだった。
「お嬢さん、随分と必死に採取してたけどさ、大丈夫なのかい?」
「余計な詮索はするなよ。それに大体察しはつくだろ」
「ああ、あの旦那絡みか」
サファイアの言うところの「旦那」とはレンドルフのことだ。
三日前に、ユリは唐突に血相を変えて薬草採取に行きたいと言い出した。それもどれもかなり稀少なものが多く、難易度の高いダンジョンの最奥や、森の中でも凶暴な魔獣が出やすい場所などに自生しているものばかりだった。そしてユリが直接行けない王都外の薬草は、取り寄せるにしてもかなり高価なものだった。
ユリも自分で管理している薬草園や、薬師ギルドに納品している薬などの売り上げで個人資産は潤沢に有しているが、金銭だけで入手出来ない素材もある。
欲しい素材を持っている者の望む薬と交換することも必要になって来るため、ユリはひたすら情報を集めて必要な素材を採取していた。
大公家の権力を使えば、簡単とまでは行かなくても自身で苦労して素材集めをする必要はない筈だが、ユリはとにかく急いで確実に素材を揃えたいと言って自分で採取に出て来たのだ。サミー達は理由は聞かされていなかったが、あれだけユリが必死に素材を集めようとしているということは、レンドルフに必要になったということだろうことは察していた。
受付の方から、番号を呼ぶ声が聞こえてユリはハッと目を開けた。
「まだ呼ばれてませんよ、お嬢さん」
「あ…ああ、そうね。ちょっと意識飛んでた」
ユリは一瞬自分の置かれている状況を忘れたのか、何度か目を瞬かせたが、すぐに軽く頭を振って姿勢を正す。おそらく化粧で誤摩化しているのだろうが、明らかに寝不足の様子だった。
「お疲れですね。ちょっと横になります?」
「それは…人目のあるところでは遠慮しておきます」
そんなユリの様子にサファイアは自分の太腿をポンポンと叩いた。全体的に肉付きの良いサファイアのむっちりとした魅惑の太腿に、一瞬だけユリは迷ったようだがさすがに遠慮した。
「じゃ、あとで馬車の中でしっぽりと」
「おい、サファイア」
悪びれずにニヒヒと笑うサファイアに、サミーが渋い顔をして肘で脇腹を突つく。そのサファイアがお返しとばかりにサミーの太腿を抓ろうと小競り合いをしていると、受付の方からユリの持っている番号が呼ばれた。
「そこにいていいわ」
立ち上がったユリに付き添おうとサミーとサファイアが腰を上げかけると、ユリは軽く制して小走りに一人受付カウンターに向かった。このギルド内は防犯対策もされているし、今は人も多くない。何かあればすぐに対処出来るだろうとサミー達はその背中を見送った。
「なあ、アンタのお相手ってあのお嬢さんじゃないよな」
「何バカな事言ってんだ。それにお相手ってなんだよ、お相手って」
「いやあ、いくら言われても絶対に前髪も切らなかったし髭も剃らなかったヤツが、こんな短期間でこざっぱりに仕上がるなんてさ。どこぞの貴族様の婿入りが内定したのかと勘ぐりたくなるってもんだ」
「決まってねえよ。第一、そうだったとしても、あのお嬢さんはない」
「言い草」
「何とでも言え。冗談でもそんなことが耳に入ったらと思うとゾッとする」
サミーは大仰に身を震わせて、これ以上ないというくらい顰め面になった。サファイアは間違いなく冗談で言っているだけなのは分かっているが、耳に入れたくない相手はどこまでも生真面目なのだ。いきなり手袋を投げ付けられることはないだろうが、いい笑顔で威圧して来るのは想像が付く。
「仕事相手がそこそこの身分の貴族だったから、誤摩化しが効かなくなっただけだ」
「へえ、そうなんだ〜」
「信じてねえな」
明らかに棒読みのサファイアに、サミーの視線が剣呑なものになる。以前よりも短い前髪になったとは言え、まだ降ろせば目元が隠れるくらいの長さだ。その前髪の隙間から、鋭い薄紫の目が覗く。サミーは自分の眼光の鋭さは、男性でも一瞬怯ませるくらいの力があると自覚している。だがサファイアは慣れたもので、一向に怯む様子はない。サミーからするとそこが気楽でもあり腹立たしいところでもある。
「あ、ちょっと行って来る」
「おい、それは」
不意にサファイアが弾かれたように立ち上がって、受付カウンターにいるユリの方に向かった。サミーは「俺の役目だ」と言いかけたが、それよりもサファイアの動きの方が速かった。サミーも彼女なら問題はないだろうと、仕方なく浮かしかけた腰を再び落ち着かせた。
サミーの視線の先では、無事に素材の鑑定を終えて取り引き書類を受け取ったユリを待ち構えていたらしい冒険者風の青年二人が声を掛けていたところだった。ただ何か用件があってならともかく、ユリの反応を見るだにナンパ目的らしい。ユリが半歩引いたところで、すかさずサファイアがユリを抱きかかえるように後ろに隠し、にっこりと笑った。
その笑顔は大型肉食獣が噛み付く寸前の顔にも似て、彼女の背後にはナイトウルフの幻が見えそうだった。長身に厚底ブーツのサファイアは青年達よりも僅かに視線が上になるため、それだけで彼らは気圧されたようだ。それでも怯まずに彼らが一言二言何かを言うと、サファイアがより険しい顔になって今度ははっきりと威嚇の表情になった。さすがに彼らもギルド内で揉め事を起こすとペナルティがある為、それ以上は絡むことはなくそそくさと退散して行ったのだった。
サファイアは、あまり強くはないが加護持ちである。加護持ちの特徴でもある、日の光で色が変わる瞳は普段は色付きレンズを入れているので知られることはない。その彼女の加護は「ブースト」というもので、好意的に思う人間の魔力を底上げするものだ。それはごく僅かなものだが、それでも最大三割程度は向上させる。逆に嫌悪されるとやや能力値が下がると言われる。この加護は、自分の意志で自由に出来るものではなく、サファイアの感情で自動的に発動するらしい。
その様子を見て、サミーは彼らの今後の冒険者活動に影響が出ないことをこっそりと祈ったのだった。
顔は笑っているか明らかに不機嫌なサファイアがユリを連れて戻って来ると、再び同じ位置に腰を下ろした。
「大丈夫でしたか?」
「まあ…ただ声を掛けられただけでしたし」
サミーが真っ先にユリに尋ねると、ユリは何とも言えない表情で答えた。急いでサファイアが駆け付けたので彼らの直接的な接触はなかったし、交わした言葉も多くはなさそうだった。ただ、普段は人を食ったような対応で大抵のことは笑って流すサファイアにしては、珍しくご立腹のようだった。
「あいつら、人のこと見て『母娘か姉妹ですか?』とか抜かしやがった」
「は?全然似てねえのに?」
サファイアとユリでは体格も顔立ちも、肌の色味も全く違っている。共通点と言えばどちらも黒髪くらいしかなさそうなので、サミーはどこに血縁を見出したのかさっぱり分からず思わず大きめの声が出てしまって、慌てて口を押さえた。
「胸だよ、胸!あいつらこっちの顔も見ないでそう言いやがった」
「あー…」
そう言われてサミーは肯定も否定も出来ず、そしてユリの方を見るのも憚られて天井を見上げる他なかった。
その脇で、「あいつら潰してやればよかった」とサファイアは物騒なことを呟いていたのだった。
お読みいただきありがとうございます!
久々のサファイア姐さんの登場です。「107.モタクオ湖への道中」からサミーと一緒に登場します。
コールイの妻の話は「閑話.エリカ・ラッセル」にあります。コールイが懐かしそうな顔になったのは、レンドルフの髪色と妻の元の髪色が似ていた為です。