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536.アイヴィスの思惑


ダンカンと話していると、誰かがノックする音が聞こえた。何故かレンドルフが応えるよりも早くダンカンが立ち上がって扉を開けた。


「ご主人様、ここにおられたのですか」


耳慣れない女性の声が聞こえて来た。ダンカンの背に隠れて姿は見えなかったが、彼をそう呼ぶ人間はレンドルフは一人しか知らない。


「レンドルフ、もう一人見舞いが来ているが、話は出来そうか」

「はい、構いません」


少し体を横に滑らせてダンカンが扉の前から退くと、そこには濃いピンク色の髪をした女性が立っていた。



「クロヴァス卿、お加減は如何ですか」


病室に入って来たのは、見慣れない顔をしたアイヴィーだった。

レンドルフの知っているアイヴィーとも、その前に体を使っていたプロメリアとも、そして本来の体の持ち主であった、かつて一度だけ会ったテンマの元恋人の女とも違うように見えた。


「問題ありません。ただ、院長先生からはまだ安静を言い渡されていますが」


本当は起きても大丈夫なのだが、院長の「絶対安静!」の言葉を思い出してレンドルフは横になったままで答えた。


レンドルフは、傷は塞がったものの、出血がかなり多かった為に院長からまだ大人しく寝ているようにと命じられていた。それでもいつもの感覚で、もうほぼ回復しただろうと考えて少し体を動かしていたら、それを見付けた院長にこの世のものとは思えないすごい形相でこめかみの付近を拳骨でグリグリとされた。コツがあるのか、レンドルフが必死に抜け出そうとしてもその院長の攻撃からは逃れられず、そのまま病室に戻るまで解放してもらえなかったのだ。

ベッドに横たわった時にはすっかり涙目になっていたレンドルフは、ここにいる間は院長の言うことは絶対服従で通そうと固く心に誓ったのだった。


「アイヴィー殿はもう歩いても大丈夫なのですね」

「私はほぼかすり傷だけでしたから、院長先生にはどんどん動くように、と」

「それなら良かったです。それから…その」

「兄ですか?」

「は、はい」


彼女は思案顔で、チラリと脇に立っているダンカンに視線を向けた。それを受けたダンカンは許可を出すように軽く頷いてから、軽く首を傾げて先程まで自分が座っていた一つしかない椅子を示した。そしてアイヴィーの反応を見ることなくすぐに壁際に寄って、腕を組んで凭れ掛かった。アイヴィーはダンカンに軽く頭を下げてから、レンドルフのベッドの脇に置かれた椅子に腰を下ろした。


「兄は…ずっと眠ったままです。おそらくですが、もう目覚めることはないと思います」

「そんな…」


アイヴィーは母親の胎内にいた頃にプロメリアに体を奪われて、双子の兄アイヴィスの体の中に魂だけで逃げ込んだ。魂は同性ならば反発をし、異性ならば癒着をして離れられなくなるという特性を持つらしく、彼女は兄の魂と融合し同じ体を共有して生き延びて来たのだ。

だがあの時、プロメリアが禁術を使って魂の入れ替えを行おうとした際、アイヴィーの魂が外に押し出されてプロメリアの魂が交代でアイヴィスの体に引き込まれたように見えた。一体彼らの中で何が起こっていたのか、それは当人達しか分からないだろう。


「外傷はありませんが、大きく魂が傷付き、歪なものになっているとの見立てです。そして兄の中にプロメリアの魂が残っているのも分かっていますので、準備が整えばそのまま眠った状態で毒杯を賜ることになるでしょう」


静かな口調で話す彼女は、顔立ちこそ違っていてもレンドルフの知っているアイヴィーそのままだった。けれどその内容に、レンドルフは思わず息を呑んだ。


「本来ならば、私達とプロメリアの三人は、一つの体の中で消滅する予定だったのです。けれど…」



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人に限らず、生物は一つの体に一つの魂というのが神から定められたルールだと伝えられている。しかしごく稀に、その限りではない者も存在することもある。神話の中にも、一つの魂に複数の体を持つ一族や、一つの体に九つの魂を有する獣人が登場していた。ただそれはあくまでも神話や伝説の中で、本当に存在しているという実例は聞かなかった。


アイヴィーとアイヴィスは、そんな伝説的な極めて稀な例の一つだった。


おそらく母の胎内で体は出来ていたものの、魂が未完成だったことと、異性同士だったこともあって二人の魂は融合して存在することが出来た。もし当初の予定通りそこにプロメリアの魂が入れば、同性のアイヴィーとは反発し合うが男性のアイヴィスの魂とは融合して離れることが出来ず、反発しても離れることが出来ない三人の魂は、負荷が掛かり過ぎて自壊することは確実だった。


だがあのプロメリアの禁術が発動し、肉体と魂の境目が揺らいだ瞬間を狙っていたのか、アイヴィスは主導権を得て、強引に自分の魂を引き裂いたのだった。


「私と兄は、背中で張り合わされたような状態でした。魂の感覚ですから、確実にそうとは言えませんが…互いに近くに感じるのも、声を聞くことも出来ましたが、顔を見合わせることはありませんでした」


アイヴィスは激しい痛みに耐えながら、自分の魂側だけを抉るように切り離してプロメリアの魂を引き込み、それに反発した無傷のアイヴィーの魂を空いた体に押し込んだ。


「おそらく兄は最初からそのつもりだったのでしょう。禁術を発動している時の僅かな隙を見逃しませんでした」


あの時はヨーカとレイロクの蜘蛛がプロメリアの魔法陣に干渉したが、全てプロメリアが防いだように見えた。だが、それでも一瞬だけ生じた隙に、プロメリアの指先に取り付いた小さな蜘蛛が噛み付いたのだ。その蜘蛛もレイロクのもので、小さ過ぎてあまり人には影響しないが毒性を持っていた。指に噛み付いたことにより、毒の影響で繊細な魔法陣と魔力制御が必要だった魔法に僅かな乱れが生じたのだ。もしかしたら、プロメリア自身も気付けないくらいの影響だったのかもしれない。

けれどアイヴィスはその僅かなほつれを見逃さなかったのだ。


「カトリナ伯爵令息に少しだけ痛み止めの魔法を掛けた直後に、私は兄に入れ替わられました。そして兄が彼に頼んだのです。ほんの少しでも、成功の確率を高めたかったのかもしれません」


最初からアイヴィスは、自分の魂を犠牲にしてアイヴィーを切り離す予定だったのだろう。そうすれば、プロメリアの魂が入り込んだ際に、アイヴィーの魂は反発して外に出るだろうと踏んでいたのだ。そしてその読みは当たり、狙い通りプロメリアとアイヴィーの魂は入れ替わることに成功した。

その時点で大きく傷付いたアイヴィスの魂は崩壊が始まっていたが、新たに体に入り込んだプロメリアの魂が傷を塞ぐように癒着したおかげで崩壊が食い止められたらしい。


その後は、策を知らされていなくても反射的にアイヴィーは兄の望みを読み取り、魔力無効化の血をアイヴィスの体に打ち込んだのだった。


そして今は、アイヴィス自身はプロメリアの魂のおかげで生き長らえて眠っている状態だった。



「もう、魔力はないのですからプロメリアの脅威はないのではありませんか。それならアイヴィス殿だって…」

「あれほどの精緻で高等な魔法を扱える者は、膨大な魔力を持ったプロメリア以外にはもういないかもしれません。ですが、彼女には記憶があります。目が覚めて、その知識をどこかに記すことがあれば、いつか、どこかで誰かが使うことが出来るようになるかもしれないのです」


アイヴィーからきっぱりと正論を返されて、レンドルフは二の句が継げなくなってしまった。彼女はアイヴィスの唯一の身内であるし内心は色々と思うことはあるだろうに、そう言われてしまうとレンドルフとしてはこれ以上何も言うことが出来なくなってしまった。


そんなレンドルフの葛藤を察したのか、アイヴィーは小さく「ありがとうございます」と呟いて、感情の読めない綺麗な笑みを浮かべた。



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「…その、アイヴィー殿は、体の調子は如何ですか?」

「まだ多少ぎこちなくはありますが、概ね日常生活には困っておりません。まだ少々魔力を操り辛くはありますが、そちらもそのうち慣れるでしょう」


何となく話題を逸らした方が良いような気がして、レンドルフは別に気になっていたことを口にした。

プロメリアが新しい体を乗っ取った後、以前の体に交替した者の魂が入ることになるのだが、奪われた者は体と魂が上手く馴染むことが出来ず、肉体的にも精神的にも著しい悪影響があると聞いていたのだ。今のところアイヴィーは落ち着いているように見えるが、それでも気になっていたのだ。


「この体に入って分かったのですが、この元の体の持ち主はかなり薄いですがトーカ家の血筋の者でした。ですから今までの被害者に比べれば、まだ馴染めるのではないかと思います」

「そう、だったんですか。それなのにプロメリアは随分焦って次の体を探していたんですね」

「きっと彼女の美意識に外れたからでしょう。それに、乗り換えた後にこの体の血液を奪えば、しばらくは血縁者を捜す余裕が出来ます」

「あと、お前も知っての通り、この女が犯罪者だったということもあったな。どうしても行動が制限される」

「ああ…確かにそうでしたね」


壁に凭れたまま黙っていたダンカンがそこで口を挟んだ。言われてレンドルフは、プロメリアに乗っ取られる前にこの体の持ち主が何をしていたかを思い出した。


髪色が違うので印象がかなり違っているが、元の体の持ち主は重犯罪者で終身刑になっている。どんな手段を使ったかは分からないが、プロメリアが彼女と魂を入れ替え、収監先から逃げ出したのだ。しかし肉体はその女のものなので、大きな街道沿いの領境の関所や、栄えた街に入る際に通り抜ける門などに設置されている犯罪者を判別する魔道具には引っかかってしまう。プロメリアのことであるから、それを誤摩化す魔法などがあったのかもしれないが、それでも常に気を付けていなければならない状況はそれなりに負担になるだろう。

プロメリアとしても貴重な血縁者より、もっと自分の好みにあった自由に動ける体を求めたのはレンドルフにも何となく想像はついた。


「それでは、アイヴィー殿は王都に戻れないのでは?」

「それは私が護送という形で王都に戻す」


アイヴィーに代わりダンカンがすぐに答えた。

広域の犯罪者を捕縛する任を主に請け負っている第三騎士団の団長ならば、確かに何の問題もなく王都に連れて行くことが出来る。しかし問題はその後の彼女の処遇だろう。中身は違うと言えど、本来なら処刑対象だったトーカ家の女なのだ。


「私が有能な部下を手放すとでも?これでもまだ王族の端くれだ。いくらでも手はあるさ」


考えていることが顔に出ていたのか、レンドルフが何か言う前にダンカンはとびきり悪い顔をして笑ってみせる。


「安心しろ。悪いようにはせんよ」


わざとらしいまでにどう見ても悪役のような台詞を言ってのけるダンカンに、アイヴィーとレンドルフは一瞬目を見交わして、思わず吹き出してしまった。ダンカンも分かっていて言ったようで、レンドルフ達に釣られるようにして珍しく声を上げて笑ったのだった。



お読みいただきありがとうございます!


話題に出て来た院長先生は、普段は優しいおじいちゃん先生です。でも言うことを聞かない患者には厳しいお仕置きが待っています。なので、ちょっとした刺激でめっちゃ痛いツボとか、力だけでは逃れられない関節技とかを熟知しているのです。


トーカ家絡みのエピソードの回収はもうしばらく続きます。あちこちに伏線を点在させ過ぎて、書いた本人も忘れて拾い損ねるんじゃないかと不安が…色々不定形だった着地点もここまで来ればほぼ固定されているので、頑張って拾って行きます。

しばしお付き合いいただけたら幸いです。

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