534.新たな襲撃者
飛び出して来た人物を認識するよりも早く、レンドルフは短剣を構えて振り抜かれる刃を受け流した。辛うじて身体強化魔法が間に合ったが、それでも細く華奢な上半身がグラリと揺らぐ。
「シオシャ公爵閣下!?」
レンドルフは、相手の剣を弾いて一瞬動きが止まったことでようやくその顔を確認した。そこには、白髪混じりの黒髪で、消えない程に深く眉間に皺を刻んだコールイの顔があった。
「貴様も魔女の一味か!」
弾いた筈の刃が、強引な軌道を描いて再びレンドルフの元に返って来る。今度は受けられず、身を捩って躱す。プロメリアに裂かれて、そのままでは落ちてしまうとダンカンから借りたマントを巻き付けているので動きにくい。だがそのマントには極めて強い防刃の付与が掛かっているおかげで、脇腹に確実に当たったものの皮膚には到達せずに済んだ。もし与えられたドレスだけだったならば、そちらの付与だけでは防ぎ切れずに掠り傷よりは少し深いダメージを受けていただろう。
「くっ!」
ただの一度でコールイはマントの性質を見抜いたらしく、次の攻撃はマントを巻き付けていない足を狙って来る。プロメリアとの戦闘になることも想定してヒールの低い靴を用意してもらっていたが、やはり女性用なので騎士用のブーツとは安定が違う。
「死にたくなければそこを退け!」
足を薙ぎ払うようにコールイの横に刃が一閃する。レンドルフはそれを辛うじて避けたが、踏み止まれずにカクリと膝が崩れて地面に着いてしまう。その隙をコールイが見逃す筈もなく、彼の全身から真っ黒な魔力が無数の槍の形状を取って襲いかかった。
このままでは背後にいる無防備なアイヴィー達に突き刺さる。レンドルフは考えるよりも先に体が動いていた。
(っ!防ぎ切れない…!)
両手を広げるようにして彼女達を庇うように立ち塞がったが、今のレンドルフには圧倒的に身幅が不足している。幾ら自身が体を張ったとしても、半分以上は後方へ向かってしまう。
「アイヴィー!!」
コールイの攻撃がレンドルフに迫ってまさに届こうとした瞬間、ヨーカの手当てを行っていたダンカンが駆け込んで来て、レンドルフの前に立ちはだかった。
「団長!」
「甘い」
「!?」
しかしコールイはそれを予期していたかのようにニヤリと不敵な笑みを浮かべた瞬間、真っ直ぐに突き抜けようとしていた黒い槍の軌道がほぼ直角に曲がった。その槍はダンカンの防御の為に構えた剣を避けるように大きく回り込んで、その後ろにいるアイヴィー達に向かった。
「アイヴィー殿!!」
しかしその槍が突き刺さる瞬間、ダンカンとアイヴィーの間にレンドルフが体を滑り込ませた。
「うぁ…っ!!」
「クロヴァス卿!」
無数の黒い槍は、狙いをアイヴィーに定めていた為か、軌道が一カ所にかなり集中していた。それもあって、アイヴィーを抱きかかえるように庇ったレンドルフの細い背中に大半が突き立ったのだ。それでも防ぎ切れずにすり抜けた数本が、アイヴィーの肩と頬を掠めてサッと血が飛び散る。しかしそれ以上にレンドルフの方がまともに攻撃を受けているので、体のあちこちから血飛沫が上がる。
しかし、一見大量に刺さったように見えた槍が、半分以上レンドルフの体に届く直前で何かに阻まれたように止まって砕けた。
「ごふっ…!」
それでもレンドルフの右腕と右胸、脇腹に深く刺さった為、傷付いた内蔵から溢れた血が喉をせり上がって来て吐き出された。その血がレンドルフの口元とドレスの裾を濡らす。それでも頭と心臓は全くの無傷だった為、重傷ではあるが致命傷ではなかった。
(これが、ユリさんの、お守り…)
槍を受けてしまった右手から、タッセルのついた短剣が滑り落ちた。そのタッセルの上にも腕から流れ落ちた血が点々と染みを作る。ユリから貰ったそのタッセルは、レンドルフの為に即死に繋がるような頭と心臓を守る障壁を発生させ、一度だけ攻撃を防ぐ仕掛けが施されている。それが発動して、レンドルフを致命傷から守ってくれたのだ。
レンドルフは、ゼイゼイと荒い息を吐きながらも、目元を緩めてそっと落としたタッセルの付いた短剣を左手で拾い上げたのだった。
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「魔力封じを破壊しましたか…!」
「あんなもの、児戯に等しいわ」
ダンカンはコールイに剣を突き出した。コールイの持っている剣よりダンカンの剣の方が長く、腕の長さを加味すれば間合いが長い分ダンカンが有利に働く。それでもコールイはその間合いに入らないように僅かに後ろへ引きながら、攻撃の手を休めずに絡み付けるようにダンカンの剣を捌いている。
「どうした、さっき遊んでやった時の体力がまだ戻らんか」
「もういい歳なので。子供扱いは遠慮したいのですが」
剣戟の合間に交わされる会話は、明らかにコールイの方が優位だった。さすがのダンカンもプロメリアとの戦いの直後のせいか、随分と息が上がっている。それでも剣の鋭さは保っているが、少しずつ足さばきは精彩を欠き始めていた。
「団長!」
足元の草に一瞬だけ足を取られたダンカンの体が僅かに泳ぐ。それを見逃さず、コールイが一歩大きく踏み込んで自身の間合いに入り込み、頭上に剣を振りかぶった。
その瞬間、レンドルフが体を低くしてダンカンの剣を持った腕の真下を駆け抜けた。今の体の小さなレンドルフは、直前までダンカンの体の陰に隠れられたのでコールイの目からは突如飛び出して来たように見えたらしい。ほんの一瞬ではあったが、コールイはそのまま剣をダンカンに振り下ろすかレンドルフを弾き飛ばすかの迷いが生じて視線が揺れた。
レンドルフはそれを見逃さずに、流れる血を跳ね上げて込み上げて来る血を堪え、息を止めて低い姿勢のままで身体強化を掛けた足で走った。
どちらに振り下ろすか迷ったままの剣は、完全に振り切る前にダンカンの剣が受け止めて耳障りな金属音が響く。その真下をくぐり抜けて、隙の出来た足に向かってレンドルフは左手に持った短剣を全力で振り抜いた。利き手ではないので、とにかく当たるようにコールイの足に向かって横に払う。
「ぐあぁっ!!」
力任せに剣を振るったところでこの細い体ではたかがしれていると思っていたが、予想よりも刃に力が乗った。更に狙ったつもりはなかったが、ちょうどコールイの履いているブーツの履き口のすぐ上、膝の関節にまともに入った。もしいつものレンドルフであれば簡単に片足を落とせたところだが、今はそこまでの力はない。しかしそれでもかなりの深手になったのか、コールイは立っていられなくなってその場に尻餅をつく。
レンドルフもその勢いのまま、受け身も取れずに顔から地面に突っ込む。コールイの足から噴き出した血が顔に掛かって、レンドルフの薄紅色の髪と白い頬を染めた。
「コールイ・シオシャ、重大な反逆行為と殺人未遂で、ダンカン・ボルドーの名の元に王命として刑を執行する」
倒れたコールイの上から跨がるようにダンカンが押さえつけ、手にした魔道具をコールイの首筋に押し当てた。
コールイのすぐ脇に倒れ込んだレンドルフは、ダンカンが躊躇なくコールイに魔力無効化の血を注入するのを目撃した。あれを打ち込まれれば、完全に魔力が消失してこの先魔法を使うことが一切出来なくなる筈だ。
第三騎士団は、主に広域の重犯罪者を捉える為の団だ。それは国外に及ぶことも少なくない為、歴代団長は王族が務めて、いざとなれば王都の国王の判断を仰ぐことなく独断で王命を行使して裁くことが出来る。すぐに判断を下さなければ、被害が大きくなる凶悪犯を相手にすることが多い為だ。
コールイの目的は分からないが、このまま捕縛のみに留めたところで大人しくしているとは思えない。ダンカンもそう判断を下して、手持ちの手段でコールイから魔力を奪うことを選択したのだろう。
ダンカンは手早くコールイの口の中に布を詰め込んで自害を防ぎ、彼のベルトを引き抜いて後ろ手に拘束をした。
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レンドルフは体力を使い果たして、ただ荒い呼吸をしてそのまま地面に倒れ込んでいた。起き上がろうにも、胸を貫いたコールイの攻撃は肺を傷付けたのか、浅い息しか吐けずに全身が重く体を起こすことが出来ない。
だが、ふと左手の中にフワリと温かさを感じて視線をやると、握り締めた短剣の柄の先、タッセルと共に紫色の瓶が手の中にあった。
(これは…特級回復薬…)
もしレンドルフが重傷を負った時は、タッセルの彫金細工に付与した空間魔法の異空間の中に保管している回復薬が出て来るように仕込んでいたものだ。これもユリがレンドルフの為に用意してくれた仕掛けの一つだ。レンドルフは意識がなかったので覚えていないが、既に一度発動して命を救ってもらっていると聞いていた。
「ユリさん…」
レンドルフは殆ど声になっていなかったが、それでも苦しい息の下、ユリの名を呼ばずにはいられなかった。そして感情的なものか、生理的なものかは分からないが、目から涙が零れ落ちた。
「クロヴァス卿!」
震える手でどうにか瓶の封を切ろうとしていると、半ば這うようにしてアイヴィーが駆け寄って来て、レンドルフの手を取った。一瞬、瓶の色を見て特級回復薬だと分かったのかアイヴィーが目を丸くしたが、すぐに手を添えて封を切る手助けをする。
そして飲みやすいように、血がブラウスに付着するのも構わずレンドルフの体を抱きかかえて少し起こした。
レンドルフは瓶を口に持って行き、その中身を一口飲み込む。喉の奥から込み上げて来る血で吐き戻しそうになるが、ユリが手ずから素材を集めて調薬してくれたという大切な薬は死んでも無駄にしたくはないと気力で嚥下する。
一口飲むと、体から湯気のようなものが上がって来て、急速に呼吸が楽になった。確実に回復薬が効いている証左だ。更に追加でもう一口飲むと、今度は口の中が一瞬痺れるような苦味と喉の奥に張り付く嫌な甘さと、後頭部にガツンと来る衝撃が広がった。もともと回復薬は、嗜好品として不必要に摂取しないように不味く作られている。それだけでなく、効果が高くなればなる程素材そのものの味が悪くなる傾向にある。回復薬の中でも最上級の特級回復薬は、もはや一言では言い表せない不味さだ。ようやく味に意識が回るところまで回復した証しではあるのだが、あまり嬉しくないのは確かである。
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「シオシャ公爵閣下!?」
ゆっくりと三分の二くらいまで飲んだところで、レンドルフは自力で起きていられるところまで回復した。支えてくれていたアイヴィーの腕の中から離れて残りを飲み干そうとした時、コールイの手当てをしていたダンカンが声を上げた。
ハッとしてレンドルフとアイヴィーが同時に顔を向けると、拘束していたコールイが真っ黒な血を吐いたところが目に飛び込んで来た。舌を噛まないように口に布を噛ませていたせいで鼻にも回ったらしく、顔の下半分が血まみれになっていた。
「毒ですか?」
「それにしては匂いがしないが…いや、私もそこまで専門家ではないしな」
アイヴィーが尋ねるが、ダンカンはコールイの顔に近付いて匂いを確認する。だがそれらしい様子もないようだ。ただコールイはグッタリしていて、顔色がひどく白い。ダンカンが体を揺すってみるが、反応はない。
「以前よりお加減が悪いと伺っていました」
「本当か?では急ぎ治癒院の手配も…それよりもレンドルフ、お前は無事なのか」
「はい、何とか」
「…すまんな、怪我一つ負わせずに帰すつもりだったが」
「先程アイヴィー殿に同様の謝罪を受けました。生きていますから、問題ありません」
「普段のお前ならともかく、今の姿で言われると亡霊の妄言にしか見えん」
「申し訳ありません?」
レンドルフとしてはやはり今の自分の姿のイメージが浮かびにくいので首を傾げたが、傍から見ると儚げな美少女が血まみれで、元から色白なので生きているのが不思議なくらいの見た目なのだ。
レンドルフはアイヴィーの手を借りてどうにか立ち上がってダンカンの側まで歩み寄った。そしてまだ飲みかけの回復薬の瓶を差し出した。
「残りを、閣下に使ってください」
「なっ…!何を馬鹿なこと!それはお前個人のものだろう。それに全部飲んでも完治するか分からない程の重傷だろうが」
「半分以上は飲みましたので、もう軽傷です。この程度なら命に別状はないです」
「それでも、だ」
「ですが」
そう言ってレンドルフは、辛うじて座っている体勢を取ってはいるが、今にも倒れそうなコールイに目を向ける。
「俺は閣下がどうしてこんなことをしたのか、きちんと知りたいです」
幼い頃に辺境領で会ったコールイは、厳しくも大らかで尊敬に値する人物だとレンドルフの記憶に残っていた。だが再会したコールイは理由は不明だがユリやユリの家に思うところがあるようで、嫌がらせにも近いやり方で近付いて来て、レンドルフの中では敵認定されている。
そして昨夜偶然会って、強引ではあったが稽古を付けてもらった。そこから今回の襲撃だったのだ。レンドルフからするとコールイの行動は不可解であり、許す気はなくとも彼の口から理由を聞きたいと思ったのだ。
「…ここではお前が一番の閣下の被害者だからな。仕方がない」
「ありがとうございます」
「しかしどうやって飲ませるか…この布を外すと同時に舌を噛み切られる恐れがあるしな。そうでしょう、シオシャ公爵殿?」
苦笑混じりに眉間の皺を深めてダンカンが話し掛けると、コールイは薄く目を開けた。どうやら意識をなくしたフリをしていただけのようだ。回復薬は外傷に掛けてもそれなりの効果はあるが、内服の方がはるかに効き目がある。特に重傷の場合は両用した方が良いと言われている。
しかしコールイが自害をする機会を伺っているのなら、飲ませることはかなり難易度が高くなる。それに口こそ利けないでいるが、表情を見れば絶対に飲む気はないのがありありと分かった。
たとえ舌を噛み切ったところで特級回復薬があれば助けることは出来るが、回復させたとしてもまた同じ行動を取れば意味はない。それに舌の回復に使ってしまって、体の回復が遅くなってしまう恐れもある。瓶の中に残った回復薬はそこまで多くはないのだ。
「団長、閣下の体を後ろから押さえていてもらえますか」
「ああ、構わんが。策があるのか?」
「はい、お願いします」
言われた通りにダンカンがコールイの背後に回って、抱きかかえるようにコールイの体を固定する。レンドルフはその正面に座って、ニッコリと思わず誰もが見惚れるような美しい笑顔を浮かべた。
「閣下、申し訳ありません。痛みが追加しますが、死ぬことはありませんので」
コールイの肩越しにその笑顔を見たダンカンは、その顔にどこか不穏なものを感じてしまって、思わずブルリと身を震わせてしまった。
何せ今のレンドルフは、かつて「社交界の白百合」と呼ばれた母にそっくりな美少女だ。しかも怪我を負って吐いた血が形の良い唇に残って、真っ白な肌を鮮やかに彩っている。それはやけに背徳的な様相を醸し出している。この姿で薄暗いところで顔を合わせたら、確実に人外の何かだと思ってしまうだろう。
レンドルフは身動きの取れないコールイの顔に向かって手を伸ばし、その冷たい指先をそっと頬に当てた。
「ぁがっ!!」
ゴキリという関節の外れる鈍い音と、コールイのくぐもった悲鳴が同時に響き、それをだれよりも間近で目撃することになったダンカンは、空を仰いでそっと目を閉じたのだった。