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533.プロメリアの終着点


プロメリアの手を掴んだアイヴィーは、これまでとは明らかに違う空気を身に纏っていた。


「…アイヴィス、か…?」


少し離れたところにいるレンドルフにも、肩で息をしながら呟くダンカンの声が耳に届いた。アイヴィーの双子の兄で、彼女と体を共有しているアイヴィスは、レンドルフからするとただ一度しか会ったことのない存在だ。だから確信は持てなかったが、長年共にいるダンカンがそう言うのだから間違いないだろう。

魔力の強さで体の主導権は本来の持ち主ではないアイヴィーの方が強いと聞いていたが、妹の危機に強引に出て来たのかもしれない。


「この体、お望み通りくれてやる」


彼はそう言って、プロメリアの腕をグイ、と引いた。


次の瞬間、彼らの体が二重にブレて見えた。握られたプロメリアの腕の中から、半透明な腕が出て来る。それを握り締めているのも半透明な手だった。


(あれが…魂…?)


魂はあくまでも実体はなく、目に見えない魔力のようなものとはレンドルフは聞いていたが、こうして可視化するとは思っていなかった。


プロメリアの体から、引っ張られて何かがズルリと出て来る。そしてそれと同時に、彼の体の中から突き飛ばされたような勢いで誰かが出て来た。


その誰かははっきりと見えなかったが、膨らんだ胸と華奢な腰のシルエットから明らかに女性と分かる。そしてその女性は、全身から何かキラキラとした欠片を散らして、向かい合うプロメリアの中に倒れ込むように吸い込まれて行った。

そしてプロメリアの中から引きずり出された何かは、辛うじて人の形のように見えるが恐ろしく異形で、彼に手を掴まれたまま交代するように体の中に引きずり込まれて消えて行った。



実体が握っていた手を放されて、元のプロメリアの体が力が抜けたかのようにその場に座り込んだ。その表情は呆然としていて、目の焦点も合っていない。そしてプロメリアの中から引きずり出した何かを体に収めたアイヴィスの方は、驚愕と恐怖で目を見開き、叫び声はなかったが口を大きく開けて荒い息を吐いていた。


そんな二人の周辺に幾重にも展開されていた魔法陣は、光を失ってゆっくりと空気に溶けて霧散して行く。


(あれが…魂の入れ替わり…?いや、しかし異性の体に入ると互いの魂が癒着して体から出られなくなると)


プロメリアが魂を入れ替えたのなら、一つの体に三人分の魂が入って元の体は空になる筈だ。けれど先程の光景が幻覚などではないのなら、何かが互いに入れ替わったように見えた。



「あ…あ、ああ…い、イヤアアァァァァァッ!!」


完全に魔法陣の後が消失した頃、呆然としていたアイヴィスが長い髪を掻きむしるようにして絶叫した。


「男!男っ!!何で、何で何でなんでなんで…っ!?」


狂ったように叫びながら髪や体を掻きむしっている姿に、レンドルフはプロメリアの魂が予定通りアイヴィスの体に入ったことを理解した。最後までその体が男性のものだったとは気付かれなかったようだ。これでプロメリアの魂を入れ替えて若い体を得て生き続ける禁術は、今後二度と実行は出来なくなったのだ。

しかし、予想に反して多数の魂が入った体はそのままの状態を保っている。本来はそれが実行されれば、体に合わない数の魂を取り込んだことで、その器は時を置かずに崩壊すると見られていた。今は混乱して我を忘れているプロメリアだが、もうこれが最後だと理解した瞬間にどんな暴挙に出るか分からない恐れも出て来た。


プロメリアが状況を把握する前にどうにかしなければ、とレンドルフが気付いて一歩踏み出した瞬間、それまで呆然と座り込んでいた元プロメリアの器であった女性が立ち上がって、まだ混乱して叫び続けているプロメリアに向かって体当たりするようにぶつかって行った。


「あ…お、お前…は」


アイヴィスの体に入ったプロメリアの目が、驚愕で見開かれる。二人の体が離れると、元プロメリアの器であった女の手には、先程レンドルフから奪った魔力無効化の血を打ち込む為の魔道具が握られていたのが見えた。そしてその魔道具の中身は空になっていて、代わりにアイヴィスの体の胸の辺りに赤い染みが滲んでいた。


「い、嫌よ…わたくしの、わたくしの魔力が…力が…いや…イヤ…」


何かの幻覚に怯えるかのようにプロメリアが頭を振ると、まるで乾いた塗料が剥がれ落ちるかのようにそのピンク色の髪から色が抜けて行った。それは誰よりも強い魔力の印であり、幾度も体を乗り換えて来たプロメリアの証明の一つでもあった。

やがてアイヴィスの髪色がすっかり抜けて、白に近い金髪が現れた。その淡い金色はまさに王家の色そのものであった。きっとこれは魔力の影響を受けていない彼自身の色なのだろう。そして数回目を瞬かせると、トーカ家の魔女の証でもある緑の色も抜け、そこにはやはり王家の血筋が色濃い淡い紫色の瞳があった。


「アイヴィー、やっと会えた」

「…兄さん?」


こんなにもはっきりと王家の血筋であることが分かる姿になったアイヴィスは、まだ魔道具を手にしたまま固く握り締めて立ち尽くしている相手に柔らかな笑みを向けた。が、それは一瞬のことで、アイヴィスはその場に崩れるように倒れ伏した。


「兄さん!」


すぐに女は我に返って、弾かれたようにアイヴィスを抱き起こした。しかし気を失っているのか、アイヴィスは目を閉じたまま彼女の胸に抱えられる。


「アイヴィー…なんだな?」

「…はい、間違いありません」


剣を納めながら、ゆっくりとダンカンが二人に近寄って行った。そして低く静かな声で女に問いかける。元プロメリアだった女の体に、アイヴィーの魂が入れ替わりで入ったようだ。顔立ちこそ同じでも、その表情は少なくとも先程までのプロメリアとは全くの別人のようにレンドルフの目には映った。だがダンカンは少しばかり訝しむように片方の眉を上げて、彼女から数歩離れたところで思案している。

そんな様子の彼に、彼女はほんの少しだけクスリと笑いを漏らす。


「今夜の寝酒は、また77番の薬酒をお出ししましょうか?」

「それはご免被る。…間違いなくお前だな」


その言葉で、ダンカンはようやく肩を落としたように力を抜いて、やや苦笑気味に口角を上げたのだった。



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「そちらの…は、眠っているのか」

「はい。脈も呼吸も異常はありません。兄の体の中では、おそらくプロメリアも生きているでしょう」

「そうか」

「ただ今は魔力枯渇状態ですので、当分は目覚めることはないかと。ですから、彼を」

「ああ、そうする」


アイヴィーに言われて、ダンカンはすぐに離れたところで蹲っているヨーカに目を向けた。まだ意識があるようなので、その間に回復薬を飲ませておきたい。


「レンドルフ。まだ使っていない回復薬があればくれないか」

「はい、こちらに」


レンドルフはドレスの胸元のフリルに紛れて隠しておいた回復薬の瓶を取り出すと、ダンカンに差し出した。隠し持っていたのは中級回復薬一本なので、ヨーカの怪我を治すには足りないのは分かっている。傷の程度をじっくり見ていないので何とも言えないが、ヨーカの怪我は放置すれば命に関わるが、中級回復薬を使用すれば少なくとも命の危機から脱することは出来るだろう。ただ、怪我の場所と深さから考えれば、騎士としての生命はかなり危ういのはレンドルフの目から見ても明らかだった。

しかし今は生きていることを喜ぶべきだろうとレンドルフは頭を切り換え、ゆるゆると立ち上がってアイヴィスを抱きかかえたままのアイヴィーの元に向かった。



「アイヴィー殿」

「クロヴァス卿…この度は」

「どうぞそのままで。兄上を支えてあげてください」


近寄って声を掛けたレンドルフに、アイヴィーは立ち上がる為に抱きかかえていたアイヴィスを地面に横たえようとしたが、レンドルフはそれをやんわりと止めた。そのまま彼女はレンドルフに一礼してから、そっとアイヴィスの頭を自分の膝の上に降ろして、サラリと彼の長い金髪を撫でた。


「お怪我はありませんか」

「はい、私も、おそらく兄も。体に慣れていないので、動くことも、魔法も上手く扱えませんが」

「それでも、ご無事で何よりです」

「ありがとうございます。…ただ、クロヴァス卿には申し訳ないことを…いくらお詫びをしても足りない程です」

「俺も無傷…ではないですが、本当にかすり傷です。怪我のうちに入りません」

「ですが、貴方には傷一つ負わせないと」

「どうぞお気になさらず。ですが、ヨーカは…」

「ええ…彼には最大限、出来得る限りのことをします。そうでなければ…」


一瞬、アイヴィーはダンカンに手当てをされているヨーカの方を見て、痛ましげな様子でそっと目を伏せた。アイヴィーも、ヨーカの怪我の程度が分かっているのだろう。腕の方は、上級回復薬と治癒士の魔法で完治はするかもしれないが、完全に失われてしまった右目を取り戻すには再生魔法が必要になる。ごく限られた人間しか行使出来ない再生魔法は、複雑な部位であればある程治療費が莫大なものになる。ただ眼球を再生すれば済むものではないのだ。それに再生魔法と言っても万能ではなく、完全に前と同じ機能を復活させるのは非常に困難だ。日常生活を送るのならば問題はないだろうが、騎士の道を選ぶのであれば相当苦難な道のりになる。


レンドルフもヨーカのことを考えるとどうにかしてやりたいと思うが、生半可な同情では却って彼の矜持を踏みにじるのと同じだ。正当な範囲で、彼の選ぶ道を手助けすることしか出来ないだろう。


「クロヴァス卿は、体が戻るまでゆっくりと休息を取ってください。後のことは、ご主人様に丸投げしますから」

「お願いします」


ほんの少しだけ気持ちに余裕ができたのか、レンドルフとアイヴィーは互いに目を合わせて軽く笑いあった。先程まで、強大な魔力を持つプロメリアに翻弄され、全く歯が立たなかった時はどうなることかと思ったが、今はどうにか事態は収束出来たことを互いに喜び合うことが嬉しかった。



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不意に、レンドルフの頭上で何か微かに乾いた音がした。視線を上げると、晴れた空に奇妙なヒビのようなものが確認出来た。


「ああ、プロメリアが張った結界が解けるのですね」

「結界を…気付きませんでした」

「禁術の発動は目立ちますから。そのせいでクロヴァス卿の元に来るのが遅れてしまいました。申し訳ございません」

「そのことはもう気にしないでください。結果的に俺には被害はなかったのですから」


頭上のヒビは広がって行って、空に穴が開いたような形になった。よく目を凝らせば少しだけ向こう側の空の色合いが違う。気温も結界内は違っていたのか、その穴から吹き込んで来る風は少し冷たく感じた。

どの程度の強度があったのかはレンドルフからは知りようもないが、ダンカンが駆け付けた際に疲弊して見えたのだから、そこそこ苦労したのだろう。



少し気が抜けてぼんやりと空をレンドルフが眺めていると、急に大きなヒビが入った。一気に崩れるのだろうかと何の気なしにレンドルフがそちらに目を向けると、バリンと音を立てて何か黒いものが飛び込んで来た。


「トーカの魔女!覚悟っ!!」


その黒いものは、真っ黒な魔力を纏って剣を構えた人物だと判断するよりも早く、レンドルフは反射的に座り込んだままのアイヴィーの前に立ちはだかっていたのだった。



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