532.後悔と絶望と、そして微かな決意と
少しだけ時間が戻って、ダンジョンに行ったメンバーと、ヨーカ視点の話です。
「お、おそらくあの奥には転移魔法を発動させる魔道具が、置かれていたのだと思います」
調査に向かったヨーカが消えたと告げたレイロクは、動揺を押さえ込んで蜘蛛を操って報告した。その声は震えていたが、必死に落ち着こうとしている様子にハーディが近寄って背中をさすってやる。
「どこに転移させられたかは?」
「そこまでは…ですが、ヨーカは糸を掴んで行きましたので、それに着いて一番小さいのが一緒に転移しています。小さすぎて目の代わりにはなれないので時間は掛かりますが、転移先は追えます」
「同じところに転移させられたということか」
「はい。あの感じですと、ここは向こうに行くだけの、一方通行のようです」
同じ場所に出るならば、こちらからも転移して行けばヨーカのいる場所に行けるだろう。しかし、その先に何があるのか分からない状態で送り込む訳にも行かずに、オスカーは少し思案して顎に手を当てた。何せ入口から入れる者は限られている。ヨーカのことは心配ではあるが、もし行った先で何かの罠が仕掛けられていれば被害が広がるばかりだ。
「隊長!彼が消えたと思われる瞬間に、あっちの方でも魔力の気配がしました!」
離れたところにいたショーキが、オルトと共にオスカー達の元に戻って来る。ショーキの指し示す方向はただの岩壁にしか見えない。
「タイミング的に、連動してるのかなって感じです。もしかして、あっちは向こうから来る転移魔法じゃないですかね」
「ああ、魔石を共有して起動させるタイプか。部隊長殿、このダンジョンには避難用の転移の魔道具を設置しているのかな」
転移魔法の使い手は稀少で、悪用を防ぐ為に国に登録されて管理下にある。そしてその魔力を魔石に込めて転移させる魔道具も同じように国で管理されていた。その魔道具を購入する際は、身分証が必要になるし、この国の国民であることが絶対条件だ。そして購入時に目的や魔道具の設置場所、転移位置の座標を申請して、その通りに設定されてからようやく購入が可能になるのだ。密輸や人身売買などを防ぐため、転移位置は当然国内に限定されている。
近距離で一方通行、更に転移可能な容量が少なければそこまでではないが、距離が長く大容量になると金額は跳ね上がる。転移魔法が多用されれば便利にはなるが、その分運送業が成り立たなくなり、国中の街道が廃れてしまう。そうなると要所ではない地域や、魔道具を買えない者達にとっては死活問題になるのだ。
そんな誓約の多い魔道具が最も使用されるのは、ダンジョン内での避難用や救出用だ。あまり魔獣の多い場所には設置出来ないので、ダンジョンに影響が出ないように新たな脇道などを作って設置される。そうやってダンジョンに挑戦する冒険者などの生存率を上げているのだ。
ただ往復可能な魔道具だとかなり高額になるので、片道ずつの魔道具を二つ設置して金額を押さえることも珍しくない。そしてそれらは頻繁に使用するものではないため、近くに配置して一つの魔石を共有させることで更に安く上げることが可能になる。
「いいえ。ここのダンジョンは以前はそこまで深くありませんでしたし、元は入口で通行料を取って、入る人数を把握していた場所でしたから」
オスカーの問いに、ハーディはまだレイロクを支えながら静かに首を振った。
元々このダンジョンは、難易度の割に良い素材を入手出来ると知られた場所だった。その為一気に人が押し寄せて素材を狩り尽くしてしまわないように入口を設けて通行料を取り、入る人数を制限していた。それなりに高い金額を設定していたが、一日の中で出入りの人数が合わないと専属の冒険者や騎士などが救出に向かう為の保険料も含まれていた為だった。それにある程度レベルのある冒険者ならば、一度のダンジョンアタックで通行料以上の素材は確実に入手出来たので苦情を言う者も少なかったのだ。
だからこそ避難用の転移魔法は必要がなかった、とハーディは説明した。
「ではその魔道具を設置されていたことは駐屯部隊では把握していないと?」
「はい。何者かが通行料を払わずに出入りする為に仕掛けたものかもしれません。気付けなかったとは、お恥ずかしい限りです」
「いや、責めるつもりはない。こうしてダンジョンが変化しなければ気付かれない程巧妙に隠されていたのだろう」
オスカーはハーディを気遣うと、この後はどうしたものかと頭を悩ませる。このダンジョンから溢れていると思われる魔獣を治める為、ダンジョンボスを倒して魔獣を減らすことは急務ではある。だが、見習いとは言え騎士団の一員であるヨーカが行方不明になったままにしておく訳には行かない。それにその原因が、違法と見られる魔道具によって強制的に転移させられたものだ。ヨーカの身にも危険が迫っている可能性が高い。それにヨーカは行動制限の装身具を装着していて、調査の為に一時的に解除しているものの、一定の時間が経過すれば再び制限されてしまう。
「…レイロクくんの、目の代わりになる蜘蛛を送り込んだ場合、どこに飛ばされたかがすぐに分かるか?」
「は、はい!分かります!あ、でも、知らない場所だった場合、周囲を見て回って目印になるようなものを探す必要がありますが、今ヨーカに着いている蜘蛛よりはずっと早く分かります!あと、何か危険があった場合に備えて、もう一匹も送ってもいいでしょうか」
「いいだろう。こちらもすぐに合流出来る訳ではないからな。ではすぐに転移の魔道具を使用してヨーカくんを追ってくれ。そして可能な限り、急いで場所を特定するように頼む」
「はい!すぐに!」
オスカーの言葉にレイロクは弾かれたように立ち上がり、すぐに残った二匹の蜘蛛を先程の壁の裂け目に送り込んだ。
「オスカー隊長、どう動きますか?」
それなりに付き合いの長いオルトが、オスカーには何か考えがあるのだと察してこっそり耳打ちをして来た。
「レイロクくんの情報を待つ。場合によっては、ここは駐屯部隊の応援を待ってから、我々が転移先に向かう必要があるだろう」
「分かりました。その時は待機中のレンドルフを拾って行った方がいいですかね」
「いや、レンドルフは不在だ」
「あいつが…!?いや、ワケアリ、ですね?」
「ああ、密命を受けて別行動をしている。もしかしたらヨーカくんの転移先も、そちらに関わっているかもしれん」
オスカーは、ダンカンからレンドルフの密命の概要を密かに聞いていた。さすがに詳細までは教えてもらえなかったが、数十年前に王都だけでなくオベリス王国全土を震撼させたと言っても過言ではない事件の首謀者の生き残りを捕縛するため、とまでは聞き出したのだ。ダンカンは頑として捕縛相手のことは口にしなかったが、オスカーにはトーカ家の禁術事件のことだろうとすぐに思い当たった。
ダンカンとは同じ団にいた期間は短いが、オスカーはその前任の団長からは随分目を掛けてもらっていた。だからこそ第三騎士団の長く追っている凶悪犯のことはそれなりに把握しているのだ。
オベリス王国では死刑制度は存在しているが、滅多に執行されない為に実質終身刑が最も重罪だと言われている。だが、その禁術事件は通常では有り得ない速さで、関わった家門の一族郎党がほぼ処刑された。その罪は王家を乗っ取る為に禁術を実行しようとした、とだけ公表されて、模倣犯を防ぐ為にと詳細は完全に秘匿されたのだ。
何もかも異例ずくめの事件に、当時の人々はどれだけ恐ろしい禁術だったのかと色々と想像したものだった。オスカーはその時は子供であったが、子供が参加出来るお茶会などで言葉を交わしたことがある幾人もの貴族子女が、それきり二度と姿を見なくなったのをうっすらと覚えている。
ダンカンはその生き残りがカトリナ領に匿われている情報を入手した為、カトリナ伯爵の不正疑惑の調査と称して強引に邸内を制圧するということだった。そこにレンドルフがどう関わるのかは知らせてもらえなかったが、ダンカンは重要な役割を任せたいと言っていた。
末席とは言え王族に名を連ねているダンカンからの要請は、ほぼ王命ではある。きちんとレンドルフに話を通して承諾を得ていると言われれば、上官のオスカーとしても頷かざるを得なかった。
そのカトリナ伯爵の不正内容は不明ではあるが、オスカーは何となくこの無許可で設置された転移の魔道具はそこに繋がっているのではないかと感じていた。第三騎士団にいた頃、勝手に他領の産業物を奪う為に転移の魔道具を悪用していた領主を幾人も見て来た。今回の仕掛けはそれによく似ていた。そしてこのダンジョンのあるインディゴ領の隣はカトリナ領だ。
「あいつは毎度面倒事に巻き込まれてる気がするんですが…」
「そう言ってやるな。気にしたら可哀想だ」
「…ですね」
オルトを嗜めつつ、オスカーも否定はしなかったのだった。
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(ああ…俺は今回も何も出来ないのか…)
薄れ行く意識の中で、ヨーカは絶望の中にいた。最初は寒く感じていたが、今はその感覚も遠くなった。半分になった視界はより一層狭まり、もはや何を目にしているのも分からない。
あるのはただ、後悔だけだった。
(守れなかった…その資格すらなかった…)
自分の状況がよく分からないまま、儚げな令嬢がテーブルに押さえ付けられているのを目にしてただ闇雲に飛び込んだ。自分の癖になっていた尊大な態度が招いた懲罰用の装身具は、無茶をしないようにと解除時間は一時間と定められていたのも分かっていたのだが、一瞬で頭の片隅に追いやられてその場に飛び出したのだ。
それに心のどこかで、相手も女性だと侮っていたことは否定出来ない。
けれど結果的に、最悪なタイミングで装身具は再起動し身動きが取れなくなった。その上、自分を助けに来たであろう令嬢の動きに打ちのめされた。華奢で儚く、王城で文官として働いている婚約者を彷彿とさせるか弱い雰囲気の令嬢が、武器を片手に駆け寄って来る様は一端の騎士と遜色がなかった。しかも自分が捕まったせいで、令嬢自身を窮地に追い込んでしまった。
長兄の愛妾である品のない女が嘲笑うように、自分と令嬢にどちらかが怪しげな薬を受ければ助けてやるというようなことを言い出した時は、ヨーカはとにかく令嬢から意識を逸らせようとひたすら騒いで女を挑発した。が、女はヨーカを歯牙にもかけず、令嬢の方がヨーカを助ける為に自らの身を差し出してしまった。
しかしそこからは全く状況が分からないまま怒濤の展開で、第三騎士団の団長が助けに入ったかと思えば、乱入して来た女性魔法士と女の凄まじい魔法戦が始まった。
全く手を出す隙もなく、ヨーカは距離を取ったところから動けずにいたのだが、突如女が転移して来て前振りもなく斬りつけられたのだった。
その傷の具合は、痛みよりも先に絶望でヨーカの心を折るのに十分だった。
女は躊躇なくヨーカの右目を顔ごと切り裂き、次いで右肩に深々と剣を突き立てた。確実に肩の腱を切られ、右腕全体が痺れるように感覚を失う。半分の視界であっという間に自分の半身が血に染まって行くのを見ながら、これで確実に騎士の道が閉ざされたことを嫌でも悟らされた。
騎士は怪我の多い職業である為、そういった場合に備えて王城の騎士は特に手厚い補助がある。治療の為の費用や休暇が国から与えられるのだ。だが、ヨーカはまだ見習いの身分であるので、補助は通常の半分程度だ。それだけ実戦に出ることがないので当然なのだが、今回のようなことを考慮されても、自分の怪我の程度がそれだけでは到底完治には程遠いことを即座に理解してしまったのだ。
そのまま蹴り上げられてかなりの距離を転がったが、ヨーカはもう痛みを感じる許容を越えていたのか、体に力が入らずされるがままだった。
(ごめん…フラウ…レイロク…俺が、もっと…)
ヨーカが後悔の闇に沈んで行こうとした時、フワリと温かな感触が首元に触れた。
「…ごめんなさい、巻き込んでしまって。せめて痛みを弱めますから、そのまま動かずに体力を温存してください。絶対にあの方が助けます」
掠れた声が頭上から振って来て、その言葉通り痛みが僅かに和らいだ気がした。必死に視線を上げて相手を見ようとして、ヨーカに傷を負わせた女の髪色が見えて一瞬だけギクリとしたが、確か女と魔法戦を繰り広げていた女魔法士も同じ髪色だったと思い出した。その彼女の声は今にも泣き出しそうな湿り気を帯びていた。
(違う…俺が…俺は何も出来ないのか…!誰かを守ることも、出来ないのか!)
動かない体はどうすることも出来ず、ヨーカはただ歯噛みするばかりだった。
不意に、ヨーカの左手に小さなひんやりとした何かが触れた。
「…少年、もし。もし出来るなら、これをあの女に投げて。一瞬で良い。一瞬でも、隙を作って欲しい」
同じ位置の頭上から降って来る声は、奇妙なことに随分低いように感じられた。先程の泣きそうな震える声ではなく、やけに硬質な肌触りの感触を伴っていた。
全くよく分からなかったが、ヨーカはあの女に一泡吹かせられるのならば多少寿命が縮んでも悪くないと、手の中の小さな固い何かを握り締めた。このまま助けを待って身動きもせずに息を潜めているのは、みっともないという思いだけがヨーカを動かしていた。
「……少年。出来ずとも、君を責めることはない」
声はまるで別人のようだったが、首に触れて来た手と同じ細く温かい手がヨーカの頭を一度だけ撫でて離れて行った。
(…やるさ。俺は、騎士になるんだ)
ヨーカは静かに息を潜めて、意識のない振りを装いながらひたすらに「その時」を、待つ。
お読みいただきありがとうございます!
前回がクライマックス直前みたいなところで切れていますが、先にこちらのエピソードを挟みました。次回から前回の続きになります。
なるはやで頑張ります。